126.告げられない
「ルシア。」
「...あら、クストだけ?イオンとノックスは?」
下山も進み、かなり麓まで来たところでクストディオに呼ばれたルシアは振り返ってイオンとノックスが居ないことに気付く。
この頃にはエグランティーヌが張り付き、他のゲリールの民たちにも囲まれていたルシアはいつの間にか護衛が減っていたことに気付かなかった。
「イオンは少し先行してノーチェの様子を見に行った。ノックスは麓まで来たら別方向を警戒する必要があるからフィデール様の元へ。」
ああ、そうか。
ゲリールの民は警戒対象から除外するようになっていたけど、麓へ来たらフィデールの別の顔を知っている人が居る。
それが味方とは限らないということだ。
そもそもフィデールも護衛が必要な人間だよね、初対面の時から見る影もなかったけど。
「...二人ともルシアに言って行ったけど。ルシアも返事してた。」
「え、そうだった?あら、私としたことが。」
むす、とした顔で告げてくれるクストディオの言葉にルシアは記憶を手繰るが出てこない。
うわ、完全に生返事してたやつだわ。
「ルシアは何をずっと悩んでいる?」
「え?」
ふい、に告げられた言葉に驚いてクストディオをまじまじと見るが、そこにあるのは未だに不満顔だ。
いや、さっきより余計に機嫌悪そう。
これはルシアも無自覚に口癖になっている何でもない、と言ったらより不機嫌になりかねないやつである。
そう判断したルシアは観念して息を吐き出した。
「...実はね、石碑の解読についてなのだけれど。......わざと翻訳しなかった部分があって。」
ぽつりぽつりと溢すのはやはり石碑についてだった。
あの時、ルシアは翻訳に手間取っていたのではなく、そのまま告げる訳にはいかない部分を改竄して尚、違和感のないように文章構築をしていたのだった。
まあ、そのまま伝えたところで意味を理解出来たのは私くらいで、辛うじてクストディオが察することが出来るくらいだろうけど。
「......ゲリールの初祖は私と同じ、転生者だわ。」
「............!それで。」
軽く目を見張ったクストディオにルシアは頷いてみせる。
「誰も、意味を理解出来なかったでしょう。ここでそういった存在が居ることを晒すことは得策とは言えないでしょう。......けれど、彼らにとって大事なものだもの。本当なら一字一句、彼の言葉そのままを伝えたかった。」
ルシアは幾つかの言葉を省いて語った。
ルシアの吐露をクストディオは静かに聞いていた。
これはイオンや王子にも言えない話だ。
転生者なんていうものが存在することを知られて。
私が疑われるような状況になっては困るから。
それで立場が良くも悪くも変われば私は未来を変える為に動けない。
その点、クストディオは転生者ではないが、一度以上の生を生きてきた過去があるし、昔伝えてしまっている。
「私の勝手な都合で、告げられないのよ。」
ルシアは目を伏せて顔も下を向けた。
そうして石碑の文字を思い出していた。
[もしこれを読んでいる貴方が同郷であるならば。
もし貴方が日本人であるならば。
もしこの世界が何で、その先を知っているのであれば。
そして貴方がその時を生き、厄災を払うが為に我が技術を頼って訪ねて来たのであれば。]
初祖は明確にルシアのような転生者に呼び掛けていた。
それを省いた結果、初祖の言葉が予言めいて聞こえ、ルシアも先見の力があるような文章になってしまった。
けど、あれ以上省くとここまでの協力を受けられなかっただろうから。
とても複雑だけれど。
[私は物語に逆らうこととなろうと医者として、またこの世界でもらったジャゾンの名を誇るからこそ。
知り得るそれを見過ごす訳にはいかないのだ。]
ジャゾン、その名前は確かにエクラファーンでは癒すという意味合いを持つ名前だ。
前世でも医者であったであろう彼はこちらの世界でも癒すという名前を受けた。
そして、何より彼はあの小説を知っていたのだ。
物語を逆らうとはきっとそういうこと。
何を思って逆らうことにしたのかは分からないけど、彼のおかげでルシアはシーカー感染症に対峙出来るのだ。
オーブリー・フォスター。
多分、これは前世での彼の名前。
......何だって外国人が日本の有名作という訳でもないあの小説を知っていたのかは知らないけども。
ルシアはふと、思い出したことに笑い声を少し溢した。
クストディオが訝しげな顔をする。
そりゃそうか、悩ましげな人が急に笑ったら怪訝にもなる。
オーブリー・フォスターはこちらの世界で癒すを意味するジャゾンの名を授かった。
そして自らゲリールとも名乗った。
そうして今居る彼の子孫であるゲリールの民たちは彼を慕っている。
崇めていると言っても良い。
オーブリー。
その名前はあちらでの意味は確か...。
「別世界の人間を主宰。」
「ルシア?」
突如、口を開いて脈略のない言葉を発したルシアにクストディオが声をかけた。
ルシアはごめんなさい、と謝ってまた口を閉じる。
そう、オーブリーという名前はそんな意味を持つ名前だった。
なんて、ぴったりな名前だよ。
「......同胞よ、健闘を祈る、ね。......ねえ、クスト。彼はとても素晴らしい人ね。」
「?ああ、ずっと先のことも気にかけていた。」
また急に元気にころころと笑い出したルシアにクストディオは首を傾げたがしっかりと返答した。
確かにオーブリーにはこんな先の未来を知っていたとして、関係ないと切り捨ててしまえただろう。
今を生きるルシアたちとは違って関わりたくても関われないほど先の未来の出来事だ。
それでも彼はその技術を遺した。
[既に私亡き後の私の子孫たちが生きるその動乱の時代に生きる貴方へ。
私と同じくこの世界を愛している貴方へ。
同胞よ、健闘を祈る。
ジャゾン・ゲリール。
またの名を
オーブリー・フォスター。]
同胞よ、それは同じ世界を知る者への言葉。
私に対しての言葉。
...まあ、まさかそれが悪役令嬢ルシアだなんて彼は思いもしなかっただろうけど。
それでも私はゲリールの民と共にシナリオを変えてみせるよ。
だって。
だって、ねえオーブリー。
私の同郷。
こちらでもあちらでも会うこともなく、住む国も違った同郷。
私にも守りたいと思えるものがあるの。
こちらの世界は既に私の世界だ。
本の中なんかじゃない。
失いたくないと思ってしまったから。
私は何処にだって駆けていく。
「彼も私もこの世界を愛している。......やっぱり、彼らに伝えられないのはもどかしいわね。」
「......全てが。」
「?」
結論に至ったルシアは何処か悔しげにそう溢した。
それを聞いていたクストディオは僅かに口を開く。
途切れた言葉にルシアは首を傾げた。
「全てが終わったら、伝えたら良い。」
「...!」
全てが終わったら。
確かにそうだ。
終わった後なら困らないや。
「ええ、そうね。そうしましょう。全てが終わったらゲリールの民たちの集落へ、告げられなかったことを伝えに行きましょう。」
そのまま旅に出るのも悪くないかもしれない。
体力はつけないといけないけれど。
ルシアは話始めとは似ても似つかないほどの明るさを伴って笑ったのだった。
それから一刻も経たずにルシアたちは下山を済ませたのだった。




