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11.兄へ届け物


王宮の執務等で多くの庶務官(しょむかん)、貴族が絶えず行き交う一角にルシアはイオンと共に歩いていた。

限られた人間しか入ることのない王子宮は勿論、王宮図書館のある一角もやはり静けさを求められるのか、人の行き交いはあってもそう多くはない。

そう、ルシアはもう勝手知ったるとなってしまった王子宮や王宮図書館ではなく、別の一角に足を運んでいたのである。


ルシアは本日、本を読みに来たのでもなければ、王子と討論顔負けの対話をしに来た訳でもなかった。

ましてや、ただ王子に会いに来たという訳でも。

しかし、行儀見習いなどで呼び付けられた訳でもなく。

少なくとも、ルシアが王宮のこの一角に居るのはルシア自身の意思でもあった。


では、何故か。

何故、その場に来たのか。

それは今朝、珍しくも兄が資料の幾つかを家に置き忘れてしまっているということが発覚したのである。

丁度、屋敷内でルシアが玄関口を通り掛かった時、使用人たちが届けようとしていたところだった。

それを止めて、引き受けたのである。


理由としてはただ単純に兄の仕事姿を見てみたかったから。

見れるとは限らないが、覗き見ることが出来たら良いな、というくらいの軽い気持ちで引き受けたのである。

ついでに王宮図書館へ足を運ぼうか、とも予定を立てた為に何も苦ではなかった。

屋敷に居ても暇に飽いていただろうから、本当に丁度良いというところがルシアの考えであった。


――まぁ、あの人も居るだろうけど。

ルシアは吐き捨てるように視線を逸らした。

ふいに過った別の人物の姿を掻き消そうとした為の動作であった。

正直に言って、会いたくないけれど、その為に考えるのも億劫である。


ルシアはすぐさま、思考を切り替え、追いやって前を向き直す。

見慣れていて見慣れない豪奢な廊下がずっと続いているように感じるくらいには真っ直ぐに伸びていた。

目的地はもう少し先。

ルシアは先程までと同じように足を踏み出し、歩み進む。

それがルシアは届け物と差し入れを持って、王宮へ参じた本日の一幕の始まりであった。


「兄様の仕事場はそろそろよね?」


「ええ、アルトルバル様の元まではもう少しで着きますよ。ルシアお嬢様」


すいすいと進んでいきながら、ルシアは己れの横へと向けて、言葉を投げた。

すると、エスコートもばっちりの完璧従者なイオンがそれを拾い、律儀に答えてくれる。

そうして、イオンに手を引かれるままに王宮内の廊下を進めば、そう歩かぬうちに兄の後ろ姿を視界に捉えた。

ルシアは息を吸う。

それは声を発する際の前兆であり、前準備。

ルシアは周囲に迷惑にならない且つ、兄には聞こえるだろうぐらいの声量で兄に向って、呼びかけたのであった。


「兄様」


「あれ、ルシア?どうして、ここに」


「あら、兄様がお忘れになっていた物をお届けにきましたのよ」


「えっ」


ルシアの呼びかけに兄は振り返る。

そして、その瞳はルシアを捉えて、まん丸に見開かれた。

次いで、理由を聞くように告げられた言葉にルシアは明確な答えを贈ったのであった。

ルシアがイオンから封書を受け取って手渡せば、兄は驚きながらも中身を確認する。

あ、これ家に忘れていっていたのか、やら、ないと思った、やら、独り言ちる兄にルシアは小さく笑う。

普段がしっかりしている兄であるだけにそのうっかりやその普通の少年と変わらぬ姿に何だか幼く見えて、笑みが零れたのである。


「持ってきてくれて、ありがとう」


少しして、封書の中身を確認し終えたらしい兄がそう言いながら、ふわりと優しげに笑ってルシアの頭を撫でた。

自分の為に足を運んでくれた妹が可愛くて仕方がない、優しい優しい兄の顔である。

殊更、甘い表情であった。

ルシアはそれに気恥ずかしく思いながらも、好きにさせることにしたのだった。


「兄様、こちらも」


「あ、差し入れもあるの?ありがとう、ルシア」


そうして、暫くの間、兄に撫で回されたルシアは忘れぬうちにと切り替えて、またイオンからもう一つの届け物を受け取って、兄へと差し出した。

兄はその包みを少しだけ開けて、中身を確認する。

そして、またふわりと笑って、礼を告げたのであった。


ルシアが渡したその包み、その中身であったその差し入れはルシアの特製サンドウィッチである。

よく勝手に屋敷の厨房へ入って、勝手に作っては食べているルシアを見て、兄が――アルトルバルが食べたがったことから定期的に作っているものであった。

イオンにも好評な一品だ。

まぁ、我が家のシェフの作るパンが美味しいのが一番の理由なのだけれど。

さすがにプロに勝てるほどの腕前がある訳ではない。

ルシアがしたことと言えば、ルシアが好きな具材を好きに挟んだだけである。


「後でいただくよ。楽しみだな、ルシアの作るものは美味しいから...ああ、そういえば。ルシア、この後はどうするの?」


「それでしたら、殿下とは約束していませんから個人的に少し図書館に寄ってから帰る予定ですわ」


「そうか、僕は仕事中だから送れないけれど...」


「大丈夫です、今日はイオンも居ますから」


アルトルバルの質問に答えて、その残念そうに眉を下げる顔に笑ってみせる。

そうして、ルシアはアルトルバルに見送られながら、イオンと図書館の方へ向かったのだった。



ーーーーー

ルシアが懸念(けねん)していたその人物に出くわしたのは兄と別れてから、もう少しで図書館のある一角へ入るというところであった。

会わずに済んだと思ったのに、とルシアは内心でげんなりとした心地を露とも顔には出さないように腐心した。

顔に出ない性質(たち)なのは自覚しているけれど、万が一にでも漏れ出ていたなら後が面倒なので。


そんなルシアの心境をそうまで引き下げさせたその人物。

ルシアが出くわしたのは現オルディアレス伯爵。

ルシアの所属するオルディアレス伯爵家、我が家の当主であり、主である男であった。


「お前がこんなところで何をしている」


「これはお父様、おはよう御座います。わたくしは兄様に届け物をしに参りました帰りで御座います」


氷点下のような地を這うが如き、声が容赦なく叩き付けられる。

ルシアはさっと礼を取り、顔を伏せてそれを受けた。

そうして、軽やかに返答を返しながらも顔は上げない。

表情まで繕うのは中々に疲れるからである。

やり過ぎなくらいで丁度良いとばかりに礼儀を重んじる行動に出る。


アルデル・クロロス・オルディアレス。

現在のオルディアレス伯爵でマリアネラ先王妃の弟君。

そして、ルシアが知る限り、皆に愛されたというその姉を一番嫌っている人である。


生前、マリアネラ先王妃は才媛だったと聞く。

それこそ男であれば王家と縁を繋がずともオルディアレス伯爵家はこの国の中心にあっただろうと(うわさ)されるくらいには。

それに対して、アルデルは良くも悪くも平凡だった。

何をしても姉と比べられた結果、(すさ)んで家を(かたむ)け、王妃の手駒という訳である。


ルシアとしては何とも迷惑な話だ。

しかし彼は一番、()()()がマリアネラ先王妃に似ているのだろうなと感じさせる人でもあった。

だって、ルシアを見る目があまりにも憎悪に満ちているから。

それは(すなわ)ち、それだけ似ているということだろう。


「お前の役割は王子に取り入ることだ。他の無駄なことに時間をかけるな。分かったな」


「はい、お父様」


「精々、家の為に良い働きをすることだ。お前にはそれしか価値がないのだから」


彼の姿が見えなくなるのを十分に待ってから顔を上げる。

最後の言葉はあまりにもぴしゃりとした響きで放たれた。

その理由をルシアは少しだけ推察が出来た。

それはルシアが彼の実の娘ではないということ。

そう、オルディアレス家のルシアは養女であったのだ。


作中でもルシアはオルディアレス伯爵の実子ではないと書かれている。

それ故にルシアは知っていた。

きっと、駒として使う為に引き取られたのであろう。

貴族社会では良くも悪くも珍しくない光景である。

家同士の結び付きには婚姻を結ぶことが手っ取り早いのだから、こうした理由で娘が親戚筋などから本家に引き取られるのはよくあること。

良くも悪くも、最初から駒としての役目を期待されての存在なのである。


そうした経緯の養女であるというのに、とうに亡くなった姉にどんどんと似ていく少女を彼は遠ざけた。

実の娘でない分、割く愛情もなく、忌々しさだけが高く積もっていったのだろう。

しかし、駒である以上はむざむざ捨てるような真似をするのも愚かだからと捨てはしなかった。

その結果がオルディアレス伯爵家の令嬢ルシアであって、それを構う者は極端に少なく、扱いづらそうに扱う使用人たちの、オルディアレス伯爵家の実情であった。


実はこのことを我が家の一部の者以外は誰一人知らない。

あまりにもマリアネラ先王妃にそっくりなルシアを誰もオルディアレスの血が流れていないと思わない。

いや、この分だと分家とか庶子の血は引いているとは思うけれど。

本家の血筋でないとは。


...もし、この世界があの小説の影響を受けているのであれば、どうして養女であるルシアの容姿をそうと気付かれないほどにマリアネラ先王妃に似せたのだろう。

どうして、養女という設定を入れたのだろう。

似せるのであれば、入れずとも良かった。

逆に養女であるならば、至る所で聞くことになるほど似せる必要はなかった。


尤も、養父に疎まれ、家でも孤立していたということにしたい。

ぱっと見でそうだと分かってしまう少女をいくら、不遇であれど、王子の伴侶には差し支えがある。

またはルシアの孤立を表立って見せないでより孤立させる為。

これらを加味したとも言われてしまえば、それまでのことで、今となっては考えたって仕方ないけれど。


「...イオン、お父様は貴方の雇用主でしょう。そんな般若(はんにゃ)みたいな顔は止めなさい」


「俺の主はお嬢だけです」


「そのうち解雇されても私にはどうにも出来ないわよ」


「いやいや、そこは何としてでも王子妃になって雇って下さい」


ルシアは横を見上げて、イオンにそう言った。

先程のことがあったからだろうか、王宮内だというのに完璧従者モードは脱ぎ捨てて、すぐにいつも通り軽い口調で返してきたイオンにルシアは強張っていた肩の力を抜いて笑う。

それと同時にやっぱり、まだ胸のうちではこだましていた。

自分がオルディアレスの血を引かないというその事実を。

ルシアは何故だか、ちくりと刺さるその痛みに気付かぬ振りをしながら、明るく声を上げて、王宮図書館へと向けて、再び歩き始めたのであった。


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