115.万事休す?
「......貴方方にとってここが神聖な場所なのだと聞き及んでおります。勝手に近付きましたこと、御詫び申し上げますわ。」
努めて冷静に微笑んで頭を下げているが、内心ルシアは汗がだらだらだった。
よりによって長に見つかるとか!
いやー、石碑に書かれている内容が気になっちゃって少し離れるのを躊躇ったのが悪かった。
目の前に興味深いものがあれば離れ難く思うのは人として当然かもしれないが今回に関しては駄目だった。
そう、ルシアがすぐにグウェナエルの手を取れなかったのはどうしても意識が石碑に向いていたからである。
読書好きで知的好奇心の強いルシアにとって、その石碑の内容はとても気になるものだったのだ。
「長、俺もゲリールにとってここがどれほど大事なものかを伝えなかったんだ。今後、絶対に近付かないことと見張りなしに歩き回らないことで今回は...。」
まだルシアたちを庇ってくれるつもりらしいグウェナエルは何とか条件付きで手打ちという方向へ持っていきたいようだった。
何故、グウェナエルがそこまでしてくれるのか分からないけれど。
しかし、そのグウェナエルの言葉は途中で遮られてしまった。
「......駄目だ。その程度で立ち入ったことを許せる場所ではないのだ。御客人、貴方が何の目的でこの山奥まで来たかは聞いた。......諦めて帰りなさい。」
長は静かだが、一言一言に重みを持たせてルシアに告げた。
何人足りとも口を挟めないような、そんな表情で。
ルシアはひゅ、と息を呑んだ。
長の言ったこと、つまりはこの集落から立ち去れということだったからだ。
出ていけ、とそういうことだった。
「長。それはあまりにも...。」
グウェナエルが厳しい、と続けかけたが長の一睨みで黙らされてしまう。
あー、どうしようか。
これは完全に私の失態だ。
けれど、素直に追い出される訳にはいかない。
しかし、抗うこともまた悪手だろう。
ルシアがちらり、と己れの仲間を見やれば、彼らはルシアに全てを任せて黙っている。
この分だと長を人質にしてー、と言っても実行しそうだなー。
いや、しないけどね?
「貴女の仲間を助けたいのであれば、フィデールに協力を仰ぐだけで充分だろう。あれが外で力を使う分には我々は干渉しない。」
「!!」
長の提案にルシアは目を見開いた。
同じようにグウェナエルが目を丸くしている。
一度、外へ出てしまったフィデールに協力を仰ぐのは良いということは、ルシアたちが全くの収穫なしに帰還することは防げるだろう。
それで諦めろと長は言っているのだ。
いや、フィデールを連れていくのは問題あるよ!?
まあ、まだ知らないのだろうけど。
しかし、それでは。
「それでは足りない...足りないのです。これは不躾にも程があると重々理解しておりますわ。けれど、わたくしが欲しいのは貴方方、ゲリールの民全てです。」
強欲だと言われても仕方ない。
けれど、ルシアが助けたいのはピオだけではなかった。
ルシアが助けたいのは。
「わたくしは人手が欲しい。治療の出来る人間を多く。今、この時も戦っているイストリアの民を救う為に。」
「......フィデールを呼べ。グウェナエル、その者たちを長の家へ。」
「っ......。」
取りつく島もないとはこのことだ。
そう思わせるほどに長は表情を変えず、ルシアたちに背を向けてしまった。
グウェナエルがルシアへ手を再び手を差し伸べた。
しかし、表情はとても申し訳なさそうな顔である。
「...どうする、嬢さん?」
「......今、考え中よ。長の家でもう一度だけ説得を試みるわ。」
すっと横へ並んだノーチェの小声にルシアは小声で返す。
そうしながらもルシアは突破口を探して脳をフル回転させていた。
「ああなった長の意見を覆させるのは骨が折れるよ。」
「......それでも、諦めるという選択肢を取る訳にはいかないのよ。」
グウェナエルの言葉は長の息子という立場もあり、真実なのだろう。
それでも、ルシアは諦めない。
それがどういうことになるか、分かっているから。
ルシアはグウェナエルに手を引かれ、万事休すに近い現状にありながらもまだその瞳には強い意志の炎が宿っていたのだった。




