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104.目線の先は

※今回はカリスト王子の視点になります。


「......。」


「殿下?どうされました?」


夜、星の輝く空の下に設営されたイストリア側の陣営のテント群。

その中でも大きめなテントの中でカリストは腰掛けた椅子の肘掛けに頬杖を突いていた。

片手に報告書を持って黙りむカリストに食事と水を運んできたフォティアは声をかけた。


カリストが持っている報告書は最前線であるここから少し下がった場所に位置する拠点の街に居るノーチェからだった。

それは先に目を通していたフォティアも知っている。

黙り込んでまで眺めるほど重要なことも不審なことも記載されていなかったとフォティアは記憶していた。


「...いや、報告書に不備はない。」


カリストはそれを眺めたまま、答えた。

フォティアはそれでも(いぶか)しげに首を(かし)げる。

カリストはそれを見て一つ息を吐いてから報告書を()けて、フォティアへ手を伸ばし食事と水を受け取った。


「......戦況の方は?」


「あ、はい。そちらは(いま)だ五分五分といったところですが、あのスラングの男が昨日から姿を見せていません。このまま、姿を見せなければ押し返すことも可能でしょうが...。」


難しい顔をしてフォティアは戦況を語る。

カリストは食事を口にしながら、それを聞いた。


「そうはいかないだろうな。」


カリストは(わず)かに|眉を寄せた。

その相貌ですら美しく、より凄みがあった。

今、目の前に居るのはカリストを見慣れているフォティアだけだったが、他の見慣れていない兵士たちが居ればその迫力に倒れたかもしれない。


フォティアの言うスラングの男とは、スピンのことである。

カリストも一度(まみ)えたが、とても厄介な男だった。

そうして、あの男を知った今、あれにアルクスでルシアが接触したことを思うとより眉が形を歪めた。

ああ、どうしてあの少女はこうも厄介事ばかりに好かれているのだろう。


「......分かった。何かしら仕掛けられる可能性も踏まえて充分に警戒しよう。」


「はい、では失礼致します。食器は後で下げに来ますので。」


「いや、良い。自分で戻しておく。」


腰を折り、礼をするフォティアにカリストは片手を持ち上げて見送った。

テントの中に静寂(しじま)の冷たさが戻ってくる。

カリストはまだ食べ終わっていない食事に再びフォークを刺して咀嚼(そしゃく)する。

とても味気ない味だった。

それはそうだろう、ここは戦場なんだから。


けれど、そこでカリストはふと、気付いた。

味気ないなんて今まで思ったことがなかった。

それはまともな食事が届けられなかった頃も、毒の耐性をつける為に味は二の次で調理された食事を取っていた頃も同様にである。


「ああ、そうか。」


カリストは笑みを溢した。

ほんの一瞬、(かす)かに洩れただけの小さな笑みだ。

それでもそれにはフォティアやノーチェたちでも一時固まってしまうほどの艷絶さがあった。

まあ、ルシアならうわー、最高のグラフィックの乙女ゲーさながらの笑みだ、と気にも止めないだろうが。


「...いつの間にか、餌付けされてたんだな俺は。はは、そんなつもりは毛頭ないだろうが。」


いつだったか、ルシアが持ってきたスイーツ。

それ以降、軽食も夜食も何度も彼女は運んできた。

最初は毒に対する対策でよく一緒に取るようになった食事。

彼女が作った物ばかりではなかったが、彼女と一緒に食べた物なら何が美味しかったかすぐに答えることが出来るだろう。

まんまと餌付けされた訳だ。


「......何事もなければ良いが。」


カリストははー、と息を吐いて椅子に(もた)れかかり、天を仰ぐ。

テントの天井に結わえられた明かりが隙間から吹き込む風にゆらゆらと揺れていた。


先程まで見ていた報告書にはなんの不備もなかった。

ピオはまだ目覚めておらず、あちらの状況は良くも悪くも変化がないと。

そんなありきたりな報告書だった。


だが、何故だろう。

こうも嫌な予感がするのは。

今までの経験からくる予感がそろそろあの少女が現れても可笑しくないと告げているからだろうか。

それとも、報告書だけでいつもならすぐに戻ってきそうなノーチェが未だにあちらへ留まっているからだろうか。


これはいつものルシアの起こす暴走に対する特有の予感だと感じてしまうのは、この8年間という長い間、振り回され続けた結果だろうか。

どちらにせよ、見えるところに居ないと気になって仕方がない。

あの少女がアルクスへ旅立った時もそうだった。


「......今は別のことに気を割いている暇ではない、か。」


これが常時ならニキティウスを調べに向かわせている頃だろう。

しかし、ニキティウスは今、スラングの陣営に忍び込んでいる。

また、スピンの動向が分からない以上は気を緩める訳にもいかない。


......まあ、ルシアが街まで来ていたとして、本当に危険な状況になる可能性があるなら早急に連絡が入るはずだ。

例え、自分が戦場の真っ只中で剣を手にしているところであっても。

今は目の前の敵に集中するべきだ。

どうしたって気になるのなら、すぐさま終戦して帰還するのが良い。


そうして、カリストは街の方向の後ろではなく、真っ直ぐ前を、敵兵が陣取っているであろう方向を、まるでその景色が見えているかのようにただ静かに見つめたのだった。


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