9.貴族の子女たち(後編)
暫く静観していたが少女たちは勝手にヒートアップしていく。
ここまでくると私居なくても良いのでは?
そっと抜け出したら逃げられるんじゃない?
そうルシアが考え始めていたのは、さすがに抱えている本の重さが少々辛くなってきた頃であった。
「...そこで何をしている」
あまりに気を抜いていたのでルシアは吃驚して肩を跳ねさせた。
振り向くとそこには麗しい顔を引き結んだ王子が。
おおう、美人が怒ると迫力満点だというが本当に怖い。
怒っている顔も怖いほど美しいって一体、何のチートだ。
いや、今はそんなこと考えている場合ではない、とルシアは首を軽く振った。
ついつい現実逃避してしまっていた。
「こ、これはカリスト殿下、わたくしたちは談笑していただけですわ。ね、ねぇ、ルシア様?」
そこで話を振るなよ。
後で面倒だろうが、王子が。
ルシアは何も、とただ微笑んでみる。
正直、彼女たちよりこの怒れる美貌の王子の方がずっと厄介だ、とルシアは思う。
何故か、とは言わないけど。
「...お前たちは行儀見習いとして来ているのなら仕事があるはずだ。さっさと戻れ」
とても10歳に出せるとは思えない低い地を這うような声が響く。
それに令嬢たちは顔を青くして去っていった。
...私も退場して良いだろうか。
え、駄目?無理?
あ、そう、無理ですか...。
「殿下?ありがとうございました、あの、...」
なんと続けようか迷うルシアが言葉を見つける前に王子が手を突き出した。
急に差し出された手にルシアはきょとんとして、それを見つめる。
「?」
「本を渡せ。手が痺れているだろう」
ああ、それか。
そうルシアが手元に視線を落した瞬間にはもう、王子によってルシアの手の中から本が消える。
王子を荷物持ちにするって、とは思ったが返してくれそうにないので言葉に甘えて、痺れる手首を軽く回した。
全く精神には堪えてないが身体にはダメージを喰らっていたようだ。
にしても、王子の歩き方に未だ怒りが見て取れるのは気のせいかな。
誰か気のせいだと言ってください。
そして、処理するのは私なんて言わないで。
ルシアの思い虚しく王子はテラスへ着くまで無言とその態度を貫き通したのだった。
ーーーーー
テラスに着くと口を引き結んだままながらも、ルシアの為に王子は椅子を引いてくれる。
どうやら、ここ一月ちょっとでどんなに機嫌悪くても所作は完璧にというルシアの持論が王子も板についてきたようだ。
いや、弟子がよく出来るようになって...なんて誰目線だ私は。
「殿下...?」
「...いつもああなのか?」
「え?ああ...いいえ、本日初めてお話を致しましたの」
何を指しての言葉かは分かったのでルシアは素直に口を開いた。
こういう時は素直に言うに限る。
しかし、それでも王子の顔が晴れない。
心配、してくれている...のかな?
やっぱり根は優しいというのは作中通りなのか。
「殿下、心配してくださるのは結構ですけれど、ご自身の立場をご存知ならば、わたくしに対してあまり警戒を解くのは如何なものかと思いますわ」
ごめんよ、私を認めてくれるのは思いの外嬉しいけど。
貴方は警戒をし続けなければならない。
そういう立場にあるのだから。
王宮内はまだまだ王子に理不尽だ。
私も不可抗力以外の何ものでもないが、今はまだ王妃派の人間である。
「...」
「ああ、もうこんな時間。殿下、時間が勿体ないですわ。早く読み始めてしまわなければ。今日は全てわたくしの選んだ本ですが、ちゃんとお付き合いくださいね」
ルシアはわざとらしく時計を見てそう言い、机に置かれたままだった本を一冊手に取って見せた。
少し恨めしい顔でそんなルシアを見た後、王子は嘆息する。
「半々だという約束だっただろう。次回からは絶対に図書館に居ろよ」
「承知致しましたわ」
ルシアはほんのちょっとだけ笑み溢しそうになるのを堪えながら頷いた。
すると、王子はもう、この話は終わりといつものように本について語り出す。
良かった、やっと普段通りだ。
さすがに、この美貌と人に表情を見せない猫のような王子に心配されてしまうと調子が狂うから。
そんなの令嬢たちに知られたら今度こそ刺される自信がある。
「ああ、そういえば殿下は先王妃、マリアネラ様をご存知でしょうか」
「マリアネラ先王妃?何故だ」
そこで、ルシアは思い出したかのように今まで疑問に思っていたことを口にした。
王子は思案するように首を傾げる。
「いえ、先程も先王妃に似ていると言われましたので。それは今回だけでなく、前々からよく言われていましたわ。けれど、わたくしは先王妃とお会いしたことが御座いませんから。そんなにそっくりなのかと気になってしまいましたの」
「俺も会ったことはないが、肖像画を前に見たことがある。確かに髪を黒に、瞳を緑にすれば瓜二つだろうが、先王妃はオルディアレスの出だろう?お前の伯母にあたるなら似ていても可笑しくない」
そして、王子は家に一枚くらい絵があるんじゃないのか、と続けた。
確かに最後の竜王の長子である先王の妃であったマリアネラ先王妃はオルディアレス伯爵家の出で現伯爵、つまり父の姉にあたる人だ。
けれど、私は我が家でその姿を収めた絵を見たことがない。
マリアネラ先王妃は先王と同じく約6年前に亡くなっている。
彼女の死因は死産による身体負担と言われている。
...もし、その時に子供が死んでいなければこの国から竜人族が消えることはなかっただろう。
何たってその子は『竜王の長子』だったのだから。
しかし、現実は母子共に死亡、そのすぐ後に先王も亡くなってこの国は波乱の中に投げ出された。
だけど、そのことで元々、人に御せない竜人を恨むのはお門違い。
ある意味、イストリアは元に戻ったのだ。
初代王の現れる前に、諍いの絶えなかった古代の姿に。
「いいえ、肖像画はありませんが使用人たちもよく言ってくれます。本当に似ているのでしょうね」
少し会って見たかった。
黒髪に緑の目ということは兄と同じだ。
兄カラーの自分を想像しながら、ルシアは既に少女たちに絡まれたことも忘れて普段通りに王子との会話を楽しんだのだった。




