第六話
元は霧雨程度だった雨は次第にその雨脚を強め、瓦礫の下で埋伏している少女の体をしとどに濡らしていった。感情の一切を映さない空虚な瞳で脱魂したまま仰臥するのは、心をそのまま表しているような翳る暗澹たる鈍色の空。
末期の嘆きと憤怒と絶望と怨嗟の声はもはや聞こえず、独り取り残された少女はただ意味もなく、誰も居なくなったこの場所で曇り空に覆われて隠れてしまった三日月に手を伸ばした。
◇◇◇◇◇
暮れなずむ夕陽に街が染まる頃に、オスカーは自宅のベッドで目を覚ました。
窓からは緋に染まった金色の太陽が環状に連なる山の稜線の向こうに沈みかけており、日の沈みが早いこの時期と照らし合わせると時刻は六の針を指した辺りだろうと当たりを付ける。程なくして街は闇の帳に覆われる頃だ。
普段ならば起きている時間帯、何かない限りこの時間帯に自分が眠るはずないと思考を巡らせ、はたとあの戦闘について思い至る。
「(俺は――――)」
戦闘の時とは記憶と違う質感の良い新品と思しき服を捲り、腹部を認める。
昔から残る惨たらしい胸元の傷跡はそのままに、だが先程まで開いていた筈の腹部の穴がない。巨腕で穿たれたあの穴は容易く塞がるものではなく、高度の回復魔法でも修復は決して容易いものではなく、アリエルは魔力を切らしていた状況の筈。
あの状態であれば出血からしても自分の命は本当に数十秒のものだったろう。ならば魔力の回復は間に合わなかっただろうし、となると何か不思議な力か道具でも使ったのだろうか。とでもないと生き永らえる事が出来た理由に納得が行かない。
それに、怪我も疲労もなければそれどころか逆に力が漲っているようにも思えた。
「……!」
不意にギシ、と木が軋む音を耳に入れ、反射的に身構える。この軋む音は、誰かの足音か。つまり、家の中に何者かが侵入しているという事。寝起きとはいえ警戒心が散漫になっていた事を叱咤し、威圧的な眼差しで扉を睨みながら身構える。
一定の歩調で近付いてきた気配は、そのままドアノブを捻り――――
「あ、目が覚めましたか、オスカーさん」
顔を覗かせたアレッタは、オスカーの姿を見咎めて柔らかく目を輝かせた後に、そのまま安心したように朗らかな笑みを浮かべる。オスカーはその姿に一瞬呆気にとられた後に脱力した。
◇◇◇◇◇
オスカーの姿に喜びの様相を呈したアレッタだったが、何を思い出したのか気まずそうな顔で「入っていいですか?」と入室の許可を求めてくる。
その妙に遜った態度に対する不信感に眉根を寄せるが、だからと追い払う理由もない。それに、訊きたいこともあるしな……と心の中で嘯きながらも入室を促した。
「別に構わない。気にせず入ってくれ」
「……では失礼します」
農村の出だという事が信じられないくらいの流れる所作で一礼し、部屋に足を踏み入れる。上等なものと思われる服装に、一々の挙措、口調などには華があり、貴族の生まれと言われても全然信じられるだろう。
所在なげに視線を彷徨わす佇むアレッタを見て、そういえば椅子がないなと思い至る。客人に椅子の一つも出さないのは家主として失礼に当たるだろう。
「ああ、ちょっと待ってくれ。食卓にテーブルがあるから持ってこよう」
「あ、いえ、構いません!病み上がりなんですから、どうか労わってください」
「……そうか」
腰を上げたオスカーを挙動不審に慌てふためいて制し、体を休めるように催促する。その言葉に素直に従い、再度腰を着ける。反応からするに気まずそうにしていたのには他に理由があるのだろう。
あまりに性急すぎたために設けた前置きはこの辺りでいいかとキリをつけて、目を眇めながら、あくまでも冷静そ保って切り出した。
「幾つか質問をしても構わないか?」
「……はい。大丈夫です」
予想できた問い掛けだったのだろう。ぴくり、体を強張らせた後に少しの間隔を空けて観念したように了承の意を示す。その様子に一つ頷いて、立て続けに問い質す。それを受け、アレッタは滔々と語り出した。
「まず何故剣を求めたのか、ノロウェを倒した後の流れに、お前の魔王軍に対する立ち位置について教えてくれ」
「……順序を立てて説明しますね。先ず前提として、私と魔王軍は敵対関係にあります。それは先程の戦闘からも判ると思うので、審らかには語りませんが……兎も角、ほんの数日前に私の張っていた情報網にとある情報が引っ掛かりました。――――それが、今回の依頼でもあるあの剣を魔王軍が求めているというものです。
その剣はどうやら特殊な力を宿しているらしく、それが魔王軍の手に渡ると危険だと危惧した私は、ならば先に回収してしまおうと働きかけ、結果としてオスカーさんと一緒に向かう事になりました。それは罠だったわけですが」
「……」
そして、結果として罠を張っていたノロウェと交戦することになったと。
話は拘泥と死闘を演じた後に移っていった。
「ノロウェを倒した後なんですが……とある方法で私はオスカーさんの傷を癒し、そのまま昏々と眠るオスカーさんを抱えて街に戻ってきました。そして何とかイレスト侯に取り次いでもらい、オスカーさんを家に運び込んだという形です。そして今、オスカーさんが三日経ってようやく目を覚ましたところですね」
「……成る程な」
三日経ってと聞き、醒めた冷笑に鼻を鳴らす。話の流れは掴めたが、だからこそ、先を読む力のないこの女の浅慮を嘲って。
それはさて置いてと内心で嘯き、それで、と続けざまに険を混じらせながら核心に至る問いを切り出した。
「――――俺の傷を癒した方法とは、何だ?」
「それ、は……」返答に窮して口ごもるアレッタに、叫するような無言の詰問と不信を視線で示す。その重圧に視線を逸らしながら、申し訳なさげに静々と白状する。「オスカーさんには、謝らなければならない事があります。先ず最初に、私は人間と偽っていましたがその正体は魔族です。そしてオスカーさん、貴方の軀は……私の眷属となった事により魔族と化してしまいました」
「……それで」
それは取りも直さず、オスカーは憎んでいた魔族に成り果ててしまった事に違わなかった。
オスカーの面からは能面のように感情の起伏が見て取れない。傍目にはオスカーは事態を上手く呑み込めず自失しているようにも映るが、アレッタはその反応を怪訝に思う。
――――動揺がない?驚いてはるけど、この驚きは……
「……オスカーさんには申し訳ないと思っています、私が人間だと騙していた事に加え、勝手に魔族にして、どんな誹りでも受け入れるつもりです。あなたは魔族としての圧倒的な生命力を得られ、生き延びれる――――そればかりに目が眩み、事情を推し量る事が出来なかったのですから。ですが、私にも使命がありますので、どうか命だけは……!」
「……」
オスカーは激すことなく、寧ろ吟味するような静かな面持ちで話を聞いていた。
力が滾っていたのにも納得だ。魔族としての姿を手に入れるという事は、勿論多寡はあるだろうが生命力のみならず種族としての暴威ともいえる圧倒的な力を手に入れたという事にも等しい。そしてそれは、オスカーの目的にも適うものである。
そもアレッタの行動に問題などない。死に瀕す肉体を救うにはそれしか方法がなかった、それを理解し弁えていた。
驚きを覚えている理由は――――事が順調に進んでいる自分の運の良さだ。
「気に病むことはない、俺とて全ての魔族を恨んでいるワケではないからな。当然人間にも善人が居れば悪人も居る、それは魔族だってそうだろうよ。魔族だからと全て殺していけば、それは奴らと同じ場所まで堕ちる事になってしまうだろう?」
「……!」
驚くほどすんなり飲み込んだオスカーに瞠目するアレッタだが、この言は一切の嘘偽りはない。魔王軍の指針に逆らって動く魔族に出逢った事もあるからこそ、魔族など所詮全てが同類などと行き過ぎた価値観は懐いてない。
魔族だから全て敵などという価値観を懐いていれば――――その狭量は自分が魔族より劣っている事の証明に他ならない。
「ちなみに魔族に変わったらどう変化するのか解るか?」
「そうですね……私が魔族に変わって実感した事になるんですが……」
「――――なに?魔族に変わった……?」
オスカーの言葉を本心からのものと理解して僅かに喜色を浮かべながら話始めようとしたアレッタに耳聡く聞き咎めたオスカーが待ったをかける。
聞き違いでなければ、間違いなく「魔族に変わった」と口にしただろう。それは即ち、自分が元は魔族ではなかった事を示唆しているのか。しまったという顔をして閉口してももう遅い。
だが、向こうにも譲れない一線はあるのか、詰問の色を帯びた視線に怖じず、凛と見返しながら詫びる。
「……申し訳ないですが、それについては口を噤ませていただきます」
堅い声色で謝絶するその瞳には、頑なにも喋らないという強い隔意が見て取れた。言外に何か知られたくない疚しい事情があると告げているようなものである。
魔族に変化する方法が眷属の契りを結ぶのみであるならば、当然彼女も自分を変化させた魔族が存在する筈だ。その魔族がどういう立場に居るのか……まさか、それを知られるのが不味いとでも?
数秒の視線の交差の後、先に視線を逸らしたのはオスカーだ。
何か隠し事をしているのかと、自分を魔族にしたことによる負い目に訴えて吐き出させるという考えが鎌首をもたげたが、それだとこの関係性は終に消える事になると頭の中から消し去った。ならば無理に藪蛇をつつく暗愚を侵す事もなかろう、然らば受け流すのが最善だ。
だが、納得も出来る。隠すということは、何らかの事情が絡んでいるという事。それが魔族と敵対すると決断させるものであるのならば、魔王に依らずに反逆している理由にも繋がるやもしれない。
「……判った。厭だというのであれば、俺も言及しないでおこう」
「ありがとうございます」
「ああ」
安堵に目を伏せ、重い謝意を込めて深々と頭を下げる。それを受け流せば、自然と話は元の話題に転じていた。
「如何せん人間から魔族に変わったというケースは私が知っている限り稀……というより、私とオスカーさんしかないので、主観に依った話にはなると思いますが、悪しからず了承ください。
おそらく既に実感していると思いますが……魔族に変化したことによる一番の影響は体の変化です。表面上は変化が見られませんが、人間とは比にならない強固な肉体、身体能力、動体視力等……諸々の能力が著しく向上します。勿論人によって多寡はあると思いますが、オスカーさんの反応からみても、いずれかの変化があった事は間違いないようですね」
それは確かに先程実感したものだ。首肯を返すだけに留め、悠揚迫らぬ態度で切り返していく。
「……表面上は変化が見られない、と言ったが、瞳の変色はないんだな?」
魔族に共通する特徴として、瞳の色が深紅というものがある。種族が変化した事により瞳の色が変わったのならば、魔族とバレる可能性も出てくる。アレッタであれば魔法に因る隠蔽も可能かもしれないが、少なくともオスカーに魔法の心得はなく、簡易な魔法の一切も扱えない。
だからこその問い掛けだ。
「はい、そのような事は。容姿で魔族とバレる可能性はまずないと思います。少なくとも容姿の上では、ですが」 少なくとも容姿の上では、という明らかな言葉の含みに気付いたオスカーの視線での問い掛けを受けて、申し訳なさそうに目を伏せながら紡ぐ。「魔族による体の変化に挙げられる一つとして、寿命の進みが緩やかになるというものもあります。こう見えても私、既に四十年ほどの時を生きていますから」
「……」
アレッタの端麗な容貌は二十歳程にしか映らず、どう足掻こうが四十歳には見えなかった。寿命が緩いという事が老化が遅くなる事と同義であるならばその若々しさも納得いくが……それは即ち、魔族とバレたくないのならば同じ街に居続ける事は不可能になるという意味だ。
つまり、人間として生きていくのならば――――凡そ十年周期、バレない範囲で場所を転々としなければならない。人との繋がりを尊ぶ者であるのなら、それは避けたい事かもしれないし、自分だけが生き残り周りは亡くなっていく生活が厭だという者もいよう。それを懸念しているのか。
だが、オスカーは思わぬ恩恵に思わず体を慄然と震わせた。生き延びて、前よりも大きな身体能力を得る事が出来たのですら僥倖だと思っていたのに、それに加えてそう老いぬ体を手に入れたとなれば――――復讐も更に捗るというものだ。人間という存在、課せられた寿命の枷があれば、当然全盛期を越えて年齢が嵩めばその分だけ身体能力の衰えは出てくる。
それが取っ払われたのならば、徒に復讐を急く必要性もなくなって来よう。全てを万端にして挑む事も可能なのだ。元より復讐を決心した瞬間に人との繋がりなど棄てている、冒険者という身分も情報が入りやすくなるからこそ、情報収集の一環としてその身分に甘んじているだけに過ぎない。
「……再三言うが、別に気にする事はない。そもそも生き永らえた事ですら感謝しているのだ。俺としてもそこまで気にされると困る。お前は自分の行為に自信を持て、それが出来る最善だったと」
「……感謝します」
気にするなと幾ら言ったところで、後ろめたさは感じるだろう。
その感情は後々活かす事も出来るだろうし、例え向こうもそれを理解していても、罪悪感から指摘は決してできない。人の弱味に付け込む外道の所業だが、この世界では常套手段だろう、先人から綿々と受け継がれた生きるための術だ。
つまりは騙される方が悪い精神である。
「確認するが、眷属とは一体何なんだ?まさかとは思うが、使い魔と同じ、なんてことはないよな?」
使い魔というのは、謂わば人間と姿が違うだけの奴隷だ。小動物から魔物まで使い魔は多岐に渡り、それを捕まえて主人が使役する存在を使い魔と定義される。その用途は勿論種族によって適宜は変わるが、共通する事は主人と意識をリンクさせて目となったり、時には主人の楯や矛となって戦う。
主人の命令には唯々諾々と従わなければならない、使い勝手の良い存在だ。
眷属がそれと同じように定義される存在であるのならば――――後の対応も変わってくるだろう。険を帯びた視線を向けられ、手をわたわたと降って否定する。
「い、いえ、そのような事は決して。私の結んだ契約は比較的に緩いもので、命令権など当然ありませんし、使い魔のように視界の共有も不可能で、契約を破棄する事も可能です。眷属の契りなど、あるようでないようなものです」
「……そうか。ならいい」
嘘をついている様子もないので一先ずは真実と断定したオスカーは、用事に腰を上げてふと思い出す。
「そういえば、回収しようとしていた剣はどうなった」
「ああ……どういう理屈かは解りませんが、どうやらあの剣――――エクスカリバーはオスカーさんを担い手足ると認めたらしく、いつの間にか顕れた鞘に収まって腰に差されていましたので、そのままこの家に運び込みました。私が触れると拒絶反応が起こるので取り外すのは難航しましたが……眠るのには邪魔だろうと、何とかそこに立てかけておきました。他に扱えるものも居ないですし、良ければですが、この剣を使って頂けませんか」
「……」
向けられた視線の先には、ベッドの脇に立て掛けられている、世界から集めた財を尽くした調度品の数々を並べたとしても一際目を引くであろう技術の粋を注ぎ込まれた燦然たる存在感と威容を放つ長剣の姿。
抜き身のままだった不思議な文字が刻まれていた事以外は明鏡のような美しい刀身はこれまた美しい鞘に包まれている。完成された瑕疵なき長剣のグリップを握って持ち上げ、スラリと剣を抜けば、美しい白刃が露わになる。つう……と手を刃に滑らせながら、視線を向けずに質す。
「この剣……銘はエクスカリバーと云うのか?」
「はい。聞いた話に拠れば、とある英雄が嘗て使用していた栄光を確約された剣だとも言われています」
「……、ふむ」
持った感じ、重さは普遍的な剣と変わりない。最初に持った重さが、先程口にした担い手と認められなかったための拒絶反応であるのならば、この長剣――――エクスカリバーが意思を持っている可能性も示唆されるという事だ。
あの伝法な声を知っているからこそ思い至った事柄ではあるが、だとするとあの声を幻聴と唾棄することも出来なくなる。エクスカリバーを握れるようになったのもその直後でもあるのだ、特殊な能力とやらも、意思を持っている事として納得できるだろう。
栄光を確約された剣、エクスカリバーが選んだ者が栄華を歩んでいくのならば、これまた縁起のいい。魔族の首魁、憎き魔王を打ち破る事が出来たのであれば、祀ってやろうではないか。
「ところで、何処に」
雑念を振り払い、剣を腰に差して部屋を出ようとドアノブに手を掛けたオスカーは、投げ掛けられた問いに背を向けたままに軽く答える。
「体を慣らしに、だ」