表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
※更新しない  作者: 無知との遭遇
人は、理不尽を、不条理を
2/7

第二話

 

 アレッタ、そう名乗った少女の話を要約するとこうだ。

 まず前提として、この調査依頼は知られたら不味いが故に表向きである事。この街の南西に存在するサグン大森林には特殊な力を持つ剣が封印されており、それの回収のための護衛が本当の依頼らしい。


 ……忌憚(きたん)なく言わせてもらえば、正直な処凄く怪しい。

 成る程、確かに報酬と依頼内容は釣り合うだろう。その特殊な剣の存在の口封じ代を考えるのなら妥当だ。だが、そもそも何故剣の存在を知っているのか。オスカーはこれ程近くに住んでいるのに、伝承はおろか噂話すら小耳に挟んだことはない。その剣を何故手に入れたいのかに加え、どのように使うかも気になる。そして誰が剣の封印などとその様な真似をしたのか……

 ――――疑念は次々湧いては来るが、オスカーの中でネックなのがイレストの存在。決して道理の解らない愚昧(ぐまい)ではなく、よき領主である彼がこんな偽造に対して軽々しく了承を出すハズがない。態々メイドを用いたのも、暗に大事な事だと印象付ける為か。

 つまり、何か裏がある筈。その裏が解らないのが一番の問題だ。


「…………」


 ちらり、気取られぬ程度にアレッタを盗み見る。

 今は凹凸(おうとつ)の激しい足元の覚束ない獣道を進んでいるが、その華奢な体躯に似合わず息も上がらずに疲労の色は窺えない。普段通りに歩を進めるオスカーとの間隔が離れたりする事もなく一定の距離を保って追従してくる。オスカーはそう体力はないだろうと高を括っていた分、驚きはかなりのものだった。

 先程の隠遁、あれは察するに魔法に()るものだろう。手に魔法を使う時の補助器のような物として使われる錫杖を手にしている事からしても、魔法使いであるという認識に間違いない筈。一般的な印象として、魔法使いは体力をあまり持っていないというものがある。魔法の研鑽に明け暮れる魔法使いは身体作りに時間を費やすほど暇ではないからだ。それは冒険者としての体験と知識にも拠る認識でもある。

 故に、魔法を行使したことから直ぐに体力を切らすだろうと予想を付けていたが、それを裏切られたのだ。驚きもする。


「……凄いな、息を切らさないとは。正直嘗めていたぞ」


 素直な感心を口にすれば、脈略のない言葉にアレッタは虚を突かれたように瞬き、次いで恥じるような柔和な笑みを浮かべた。


「実は私、幼い頃は野を駆けずり廻っていたんですよ。小さな農村に生を享けましてね、あの頃はとても楽しかった……」


 追想に(てら)いなく緩められた目尻。それに被せるようにオスカーは疑問を投げかける。


「となると、農作業でも?農作業は足腰と体力を鍛えるからな、納得も出来よう」


「ぁ……え、と、」


 先程の穏やかな表情と打って変わり、その言葉にアレッタの双眸がふっと揺れる。何か昏いものを過去に抱えるものが見せる特徴。……冒険者にとって、過去の詮索はご法度である。当たり触りのない質問だと思ったが、それが人を傷つける事もある。月並みな言葉ではあるが、誰だって往々(おうおう)にして触れられたくない過去の一つや二つあるものだ。

 ……先程過去の話をしていたから問題ないと踏んだが、先程の単語に何か琴線が触れたのだろうか。だが、いずれにしても情報を抜き出すのにこれは使える。


「……ところで、その剣はどこに?俺も多少この辺りは結構行き来しはいるが、耳に挟んだ事もないし、皆目見当もつかないのだが」


 重苦しい雰囲気を払拭するための露骨な話題展開とでも捉えたのか、それに乗ってくれたのか困った様子で端的に白状する。


「そうですね。この場所から歩いて二十分ほどの場所にあるのですが……」二十分、そう言われて疑問符が浮かぶ。ここから二十分となると、そう遠い距離ではないだろう。人の通りもあるこの森で見つからないのは可笑しな話である。それかよっぽど目立たたない場所にあるのか、それとも他の要因か。その思考を読んだかのように、苦笑を浮かべた。「そこに仕掛けがありまして。どうやら人払いと認識阻害の結界が張られているようなんですよ」


 人払いに、認識阻害の結界……魔法に疎いオスカーでは要領を得ない話ではあったが、オスカーは魔法使いに対してそこまで造詣が深いワケではないので、知らない魔法でその剣の所在を確かめる事も出来るかもしれない。あくまで仮定ではあるが、それだと多少は辻褄が合う。

 そして、胸の奥から沸き上がり脳裡を掠める、昏い興奮。

 ――――その剣は、剣は、剣は、俺の、俺の望みに値するのかどうか、どうか、どうか。とか。

 執拗(しつよう)に自分を苛むあの記憶。冷たい秋風が体を苛むあの晩秋(ばんしゅう)、吐き出しそうなくらいの眩暈(げんうん)の中、呼ばれた名、廻る感情の錯綜(さくそう)、絶望に(あめ)きながらの決意。

 紺碧(こんぺき)蒼穹(そうきゅう)の下、冷然と細まる双眸、アレッタの位置からは見えない、底冷えする、にいと浮かぶ罅割れて獰猛な嗤笑(ししょう)

 その姿を見せるのは一瞬。即座に黒い感情を押し止め、意識を別に向ける。先程から肌を刺す違和感を感じながら。


「(それにしても――――)」


 培った戦士の嗅覚が危険を訴える。

 ……先程からヤケに、森ならば出逢っても可笑しくない生物に遭遇していないな、と。






 ◇◇◇◇◇






「ここです」


 言われて足を止める。獣道を逸れ、道なき道を進んで少し、林立する(かし)の森の奥、辿り着いたのはあまりにも不自然なまでに木が生えておらず、中央から綺麗に円を描くように地面が整えられた幅五十メートル程の広場。

 その中央、違和感を覚えたオスカーは目を凝らしてやっとそれを認識する。


「……成る程な」


 意識と神経を凝っと研ぎ澄ませて一点に集中させ、目を凝らしてやっと解る程度の中央にかかる靄の存在、その奥に一瞬霞んで見えた茫洋とした輪郭、これが認識阻害の結界の効果か。そして最初はこの道は何となく潜在的な意識が避けようとする程度であったが、今では本能が執拗(しつよう)にこの場から離れたいと脳が訴えてくるこれが、人払いの結界。

 得心が行ったとアレッタに向き直る。広場の中央、結界が無に帰せば見えて来るであろうソレに意識を向けながら。


「人払いに認識阻害、ね。……言われなければ確かに気付かないな」


 人払い、無意識下で本能的にその場に向かうことを避けてしまう結界に、認識を妨害する結界。上から見下ろして違和感に気付くか、それか前知識がなければまず突破は不可能だろう。

 結界が払われれば、台座とそれに突き刺さる剣の姿が浮かび上がるに違いない。

 それで、と淡白に先を促すオスカーの感情を映さない瞳。


「……」


 アレッタはそれに反応を示さず、広場の中央に目を凝らして何かを確認している様子だ。

 少しすると、とつとつと剣があるであろう辺りまで近寄り、錫杖を前に翳して目を瞑った。すると、アレッタの体から思わず後退ずるほどの強大な魔力の流れを肌で感知する。魔力は錫杖から台座の辺りを循環し、同時に広場が“ブレる”。結界が緩み、効果が薄れたことで一瞬だけだが僅かに効果が薄まったのだ。

 結界の抵抗が次第に失われてきて、ぼんやりと幽かに、だが次第にくっきりと台座と長剣の存在が浮かび上がってくる。

 そして、ここからが正念場なのか急激に高まっていく魔力。それは渦を描き、魔力の烈風を生み出して吹き(すさ)ぶ。その表情は真剣そのもので、堪えるように目と口ををきつく結んでいる。

 ――――そして、パリンとこの広場を覆っていたものが割れたかのような音がすれば、結界は完全に崩壊し、取り払われた結界の奥からその姿が完全に浮かび上がった。


「ふぅ……」


 それ程時間が経ったとは感じられなかったが、どれくらいの集中力を要されたか先程まで汗一つかかなかったアレッタの額には大量の脂汗が浮かび上がっている。

 それを拭って立っている事もままならない体で地面に腰を下ろすと、鉛の様に疲れて思うように動いてくれない体を動かし、オスカーに対して口を開く。


「どうやら台座を起点として結界を張っていたようですね。私の体はもう動かないので……よければ、あの剣を引き抜いては下さいませんか?」


「……ああ」


 今まで感じたことが無いほどの桁違いな魔力を感じ、内心舌を巻きながら緩く瞑目していたオスカーは、言われて台座に歩み寄る。鍔から先が綺麗に台座に突き刺さる技巧を凝らした華美な剣は骨董品としても使える程に精緻(せいち)な細工が(こしら)えていながらも、すっとグリップを握った感触からしてしかし戦闘としての機能を失っていない、どちらかと言われると儀礼用に近いものだろう。感触を確かめた後に、力任せに引き抜く。

 剣は、思ったより楽に引き抜けた。余程綺麗に突き刺さっていたのか、途中引っ掛かりを覚えることはない。常人では片手で持ち上げる荒業は出来ないかもしれないが、オスカーの膂力を以てすれば可能になる。

 だが――――抜いた瞬間、先程は普通の長剣と大して変わらない重量だったハズなのにズシリと重さが増す。


「っ……」


 堪らず手を離せば、長剣は重力に引かれて地面に落ちる。カラン、という先程感じた重量からすれば、あまりにも軽快な音を響かせて。


「なんだ……」


 再度持ち上げようとしても、持ち上げれない事はないが相当の体力を要してしまう。振り回せ、と言われてもこの重さでは不可能だろう。人間の中で最高峰の力を持っていると自負しているオスカーでさえこうなのだ。これでは振り回せる人間など居るのか……

 それにしても、と地面に下ろした剣――――長さからするに長剣――――を見つめる。刀身から持ち手まで(きず)一つなく、光を反射する様はまるで水鏡のよう。刀身には見たこともない文字が彫られていて、多少知識として有している、既に失われて久しいルーン文字とは特徴が違う、摩訶不思議な文字。

 それを撫でさすった後に興味深げに一顧(いっこ)して、アレッタに向き直った。これを運ぶのが今回の依頼、ならば指示を仰ぐべきだろう。……状況によれば奪うことも吝かではなかったが、これほどの重量があるなら奪うこともないだろう。先ず第一に扱いきれないし、そしてあれ程の魔力を行使していたアレッタを殺すのも忍びない。生かしておけば何らかの形で役に立つだろうという算段を踏んだ上での判断だ。


「それで、どうするんだ?これを運ぶんなら――――」


「その必要はありませんよ」


 だが、その言葉は聞き覚えのない男の声によって遮られた。

 反射的に咄嗟に飛び退って、腰に差した剣に手を当てながらキッと声のした方向を刃の如き視線で油断なく睨み据える。台座を挟むようにして、その男は泰然(たいぜん)自若と木の枝の上に立っていた。

 その姿は人間とはかけ離れたものだ。エルフのように細く長い耳に、灰色の肌、頭髪など存在せず、額には象牙のような角が一本。魔族特有の血色の瞳に、口からは鋭利な牙が覗いていた。先程発声した声も金切り声に近く、口元にはどこか嗜虐的な憫笑(びんしょう)が浮かび、視線はアレッタに向けられている。

 ――――魔族。ただ自身の持つ力を振るうだけの本能の赴くままに生きる魔物とは違い、この世界の上位に据えられる力と知性を有す存在がそこにいた。

 ぶるり、体が震える。刻み込まれた生物としての本能が、生物として、存在としての上位者に対して無意識のうちに恐怖と畏敬の念を懐いている。それは無意識でも負けを認めているも同義であり、その事実にオスカーは歯噛みするが、動揺が大きいのはアレッタの方だった。驚愕のあまり目を見開いて後退り、どうにか絞り出した声は上擦っている。


「な……ぜ、何故、あなたがここに……!」


「くく……上手く出し抜けたとでも?残念ながら、あなたが私を監視していたのは理解していましたよ。なので、それを逆手に取ろうと敢えて泳がしていただけです。そこに私がかの宝剣を狙っていると噂を流してみれば――――ほら、引っかかった」言って、釣竿を引き上げるような動作をする。愉悦に口角を吊り上げながら話を進めた。「まあ目の付け所は悪くなかったと思いますよ。これでも魔王軍の中で文官として名を馳せている私ですので、必然的に情報が集まってきます。監視をすれば情報が自然と集まってきますから、魔王軍の全貌も掴めるというものでしょう?まあ、私にバレた時点でご破綻ですが」


「な……ッ!け、けれど、私に悟られずに接近するなど、出来る筈が……!」


「私は魔族――――いえ、魔人としては下から数えた方が早い程度の力を持っていませんが、隠密は得意でしてね。それに私は()()()()()()()()()?あなたの能力さえ知っていれば、抜け道なんて幾らでもありますよ」


「……ッ!」


 美麗な柳眉(りゅうび)を寄せながら奥歯を軋らせて歯噛みするアレッタに、どうです?と悠揚(ゆうよう)に軽く(ひょう)げてみせる魔族。……話を聞く感じ、アレッタと目の前の魔族の水面下では情報の交錯(こうさく)があったのだろう。結果として(たばから)れわざわざ罠にかかってあげたと。珍しく動物達の気配が感じられなかったのは、こいつの気配を察知してか……と得心も行く。生き残る上で、動物たちはその辺りは鋭敏だ。

 話の全容が掴め、これからどうなるのかを予期してオスカーは腰から剣を抜いた。


「人間の中で、特筆して面倒な「A」ランクのオスカーが来たことは予想外でしたが……厄介なあなたが疲弊でダウンしている事だ、さして脅威にはなり得ないでしょう」


「……」


 断じてみせた魔族の言うことは全て事実である。あくまで魔族が危惧しているのは万全の状態のアレッタとオスカーの共闘、オスカーも数々の経験に基づいて肌で感じる隔離した実力に、その事実をきちんと認めていた。アレッタの実力の程は知らないが、先程の魔法の行使から相当な腕前だということは理解できる。下手をすれば、いやしなくとも自分以上の実力者だとも。

 ならば魔人の脅威になり得るのはアレッタのみ。そんな彼女は、先程の魔法の行使で力を使い果たしたのか満足に戦える状態ではない。

 そう算段をつけているだろうと予想をつけたオスカーの瞳が凄惨(せいさん)に光る。先程の口調や所作の所々から判るように、魔族は明らかにこちらを侮っている事が見て取れる。そしてそれをオスカーは吉兆と受けとる。侮り、それは油断に繋がり、それが勝機となる。

 そしてオスカーの予想通りに、余裕そうに肩を竦めてみせた魔族は、目を伏せてやれやれと首を振るう。自分がこの場での絶対的な上位者であるが故の行動を。


「人間を呼んだ理由は納得いきますが、巻き込まれて死ぬとは些か憐れではありますね。知らないとは恐ろしいものだ」


 その、動作、目を伏せるというもの。それは謂わば、視界を閉じると同義。ならばこそ、その一瞬の間隙が命取りとなる。あくまで自然体で構えながらも好機を耽々(たんたん)と狙っていたオスカーは敢然(かんぜん)と踏み込んで魔族の元まで吶喊(とっかん)する。その驕慢(きょうまん)、俺の手で(ただ)してやるぞと。

 自分が強者であると認識していたからこそ生まれた油断、狙ったのはそのまたとない好機。どの道、手段がない今その隙を突くしか方法はないのだ。


「オスカーさん、止まってくださいッ!」


 だが、それを見て慌てて制止の声を上げるアレッタ。監視の上で目の前の魔族の性質を詳しく理解していたからこそ、それが罠だと看破したのだ。だが、その制止の声はあまりにも遅かった。

 開かれた眼とこちらを見て浮かぶ冷笑に手遅れと悟りながらも、後戻りは出来ないと突き出した長剣――――それはアレッタの予想した通り、軽々と体を傾けることで避けられる。


「かかりましたね。やはり飛び込んできますか」


「チッ……!」


 先程の荒げた言葉が示唆(しさ)するようにやはり先程の行動は誘いだったのか、にやり、嘲るよう嗤う魔族――――姿からするに、文献で語られる悪魔だろう――――に避けられた事実に舌を打ち、次の相手の動きを予想して長剣を悪魔と自分との間に差し込む。

 そして、体に重しがかかるような衝撃、気負いなく放たれた貫手はミスリル製の強固な長剣に僅かであるが容易く罅を入れる。貫通力の優れた攻撃なのでダメージを負ったのは長剣だけだが、この一瞬の攻防からでも彼我(ひが)の実力の隔離(かくり)は感じられる。

 そして、流れるように蹴りの動作に入る。無駄な動作が省かれた攻撃を、先程と同様剣の腹で受け止めるが、先程と違い威力は相殺できず、広場から飛び込んで来たオスカーの体を広場まで押し返した。


「私は実力の差が歴然とした格下相手にも、ある程度は遊びますが手は抜かない性質でしてね。ああ、そうそう。ちなみに私の名前はアドムス・ノロウェと言いまして、ノロウェと呼んで頂ければ。宜しければ以後お見知りおきを」


 軽く、それこそ紳士のように一礼した後に悠然にも傲岸不遜にも名乗りを上げて、地面に降りて態勢を整えようとするオスカーに向かって木の枝を足掛かりに踏み込む。その時に発生した運動エネルギーは、乗っていた木の枝を根元からへし折って後ろに吹き飛ばしてしまう程だ。

 迫り来るは直撃すれば死は免れないだろうと予感させる、穿ち、抉らんとすせん長さ三十センチにも渡る五本の鋭利な鉤爪。オスカーはそれを横に転がりながら、長剣で受け流しつつも強引に流す。無理な体勢で捌いたからか体が悲鳴を上げ、右手の親指の骨に罅が入った感覚。だが気にするいとまはないと意識から流す。

 鉤爪はそのまま地面を抉り、重く濃い土煙が立ち昇る。その中央、二メートル程の巨躯がけぶる土煙の(とばり)を裂きながら巨腕を振りかぶってこちらに迫る。


「っっッっッ――――!!」


 受けてしまえば巨大質量に潰される事になろうと踏んで後ろに飛んで威力を軽減したが、桁違いの威力に思った以上に足が砕け、衝撃に腕が痺れた。好機と睨んだのか続け様に放たれた蹴りは見事に腹部を捉え、威力のあまり吹き飛ばされてそのまま後ろの木に激突してしまう。肺腑が押しつぶされて声にもならない呻きが出て、蹴りにより中身のどこかがやられたのか、吐く息は血の味がする。

 その衝撃は総身に伝わり、脳震盪でも起こしたのか視界が点滅しながらぐらりと揺れている。体を起こそうとするも、この少しのやりとりで自分の体とは思えない程に重くなった体は、思うように動いてくれない。

 どちらが優勢かは誰の目にも瞭然(りょうぜん)。オスカーは間違いなく敗北を(きっ)し、目の前の魔族――――ノロウェは傷を負うこともなく軽々と勝利を収めてみせるだろう。


「ざ、けるなぁ……!」


 だが、それをオスカーは認めるわけには行かなかった。珍しく激情を露にし、(きつ)と唇を噛み締めながら体に鞭を打って起き上がる。

 認められる筈もない。ノロウェは言った、自分は魔族の中でそう強くないと。ならば、そのノロウェに手も足も出ない自分は何なのか。あの誓いは何なのか。積み上げてきたアイデンティティを否定されたかのようにも思え――――戦闘では目が曇って次の行動を鈍らせるからと、今まで蓋をしていた憎しみの感情が顔を出す。


「ふ、ざけるなぁぁーッ!」


 先程とは違い、怒号を発しながら立ち上がる。認められるか、と、手負いの獣の熾火のような憎悪に濡れた瞳。

 その伝わって来る強烈なまでの思惟(しい)に、ふむ、ノロウェは顎に手を添えて一つ思考する。ノロウェは経験則からこういう敵が中々に渋とい事を理解していた。別にこのままでも殺しきれるだろうが、それでも念には念を入れるべきだろう。出し惜しみをするなと言われたことに加え、滅多に使う機会がないのだから久々に使おうというのもあるが。


「手負いの獣こそ警戒すべきとは言いますし……こういった手合いは早めに殺すべきですか」


 そう決断した風を装い、ノロウェは呟く。

 ――――来い。

 瞬間、重くなった空気に()てられて背筋がぞわり粟立(あわだ)ち、オスカーは首を(くび)られたように思うように息が出来ず、喘いだ。


 ――――我が愛槍、トリアイナよ、と。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ