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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

長編集

自殺屋 1

作者: 桜川藍己

 普段は音楽や、喋り声で溢れている筈の個室、そこに痩せ細った若い女性と、三才ほどで元気盛りの筈なのにただ呆然と座っている子供が横に並んでいて、向かい側に若い筈なのに世界を達観したかのような雰囲気を醸し出している少年が無表情に座っていた。巨大なテレビも今は真っ暗になっていて、遠くから歌声や、歓声が微かに聞こえてくるだけだった。

「どういうことなの?」

 柊爽ひいらぎさやかは不機嫌な表情を隠そうともせず、目の前にいる『自殺屋』を名乗る男を見た。しかし、男は一切動じた素振りを見せず「どういうこともこういうことも無い、さっき言った通りだけど」とほとんど抑揚のない声で言った。

 自殺屋の仕事は大まかに言って二つある。自殺希望者の補助と、補助した人間の情報を隠蔽することだ。毎週金曜日の夜九時頃に、とあるカラオケボックスの店員に444号室に先に入った人がいたのですがと言うと先着で一人だけ中に入れさせてもらえる。444号室には『自殺屋』を名乗る若い男が居て、死にたい理由等の質問に答えると望んだ死に方をさせてくれる。と自殺希望者の中ではそこそこに有名な噂になっていた。

 爽はそのカラオケボックスの場所を死に物狂いで探し、熾烈な人数制限の戦いに勝利してようやく『自殺屋』の居る444号室に入ることが出来たのだ。個室の中に入った瞬間は驚いた。中学から高校……小学生と言われても納得できるような顔立ちの少年が大人でも纏えない雰囲気を纏いながら静かに佇んでいたのだ。

「理由は?」

 一瞬、何を問われているのか判らなかったが、どういうことかと聞く前に”死にたい理由“を聞かれているのだということに気付き、爽は軽く目を瞑りながら話し始めた。

「私と彼は高校三年生……つまり八年前から付き合い始めたわ。あの頃は凄く楽しかった。毎日クレープとか、パンケーキとか、パフェとか、焼き肉とか、お好み焼きとかを食べたり、雑貨屋に行って一緒に似合うと思った物を買いっ子したり、Mのマークが特徴のファーストフード店でポテトを摘まみながら補導されるギリギリの時間まで駄弁ってたりしていた。そして、そのまま関係が続いていって大学を卒業した今から三年前に結婚することになったの。丁度私の親が死んじゃって家を譲り受けたところだったし……って言ってもよくある”デキ婚“ってやつだけど。……でも、結婚した途端に彼は人が変わったかのように豹変してしまった。家にいる間はずっとイライラしてるの。赤ちゃんが少しでも騒ぐと「うるさいッッ!」と怒鳴りながら私に暴力を振るってくるし、私が作ったご飯の味が少しでも気に入らないと一口しか口にしないで、どこかで食べてくるって外に出ていく。それだけだったら我慢できた。でも、彼は浮気をしていた。ねぇ、なんでそれがわかったと思う? あの人、私が家に居ることを知ってて連れてきたのよ! 「一日泊まらせるけど気にしなくていい」って気にしない訳ないじゃないっ! しかも客室で二人いちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃしやがって! ……あっ、ごめんなさい、熱くなり過ぎたわ……でも、それでも、私は我慢したの。だって彼が大好きだったから。でも、彼はそれを踏みにじるどころか利用した。それからしばらく経って、といっても二週間程ね。またあの女を連れてきて今度は「家にいられなくなったみたいだから当分住ませる」ですって。反対しても殴られるだけだから諦めて許したら、その家に入れた日から私はメイドみたいな扱いになったの。「おい」と呼ばれて直ぐに側に行かなければ殴られるし、彼とあの女がリビングでアンアンアンアンアン営んでる近くで料理を作ったり、洗濯物を畳んだり、後始末をしたり、浴槽でキャッキャと二人で騒いでいる所に静かに入って、脱ぎ散らかした服を回収して綺麗に畳んだ洗濯物を置いたり、私と子供で粉ミルクを分け合っているのを横目で笑いながら私の作った料理を平然と食べていたり、起きたら目の前が真っ暗になって縛られていて、訳が分からないまま喘がされたり、殴られたり、切られたり、四つん這いの状態でなんだかよく分からないものを食べされられたり、それでも今まで耐えてきたのに今度は子供がうるさいからって保険を掛けて殺すか、売り飛ばそうとか言われるしもう限界なの。なのに怖がりで決意をなかなか決めることが出来ない私は一人で自殺なんかすることが出来なかった。そんな時、ここの噂を聞いたの。それこそ死に物狂いでここの場所を突き止めて、しかも何週間も掛けてここに入ることが出来た。ねぇ、おねがい、私を早く楽にさせて!」

 長々と理由を話した爽であったが、『自殺屋』の男は全くその内容には取り合わず「で、どのように死にたいの?」と無表情に素っ気なく(まあ、無表情だから素っ気なく見えるのだろうが)言った。爽はその対応に少しムッとしたが、最初の印象からその様なところがあったことを思い出して「二人が出掛けている時に玄関で首を斬って死にたいかな」とその感情を引っ込めながら答えた。

 すると『自殺屋』はその問いに答えず、また質問をしてくる。

「保険証と、あと、できればで良いけど住民票は持ってる?」

「……なんで?」

「俺の仕事は自殺希望者の補助だよ。それ以上でもそれ以下でもない」

「どういうことなの?」「どういうことも、こういうことも無い、さっき言った通りだけど」と先の状況へ戻るのである。

「どうせ死ぬつもりなら保険証も住民票も要らないでしょ、持ってる?」

 相変わらず表情も声の強弱も変えずに話す『自殺屋』に理由もなくイライラするが、別に正論であるし断る理由もないし、ここまで頑張ったものが全て水の泡になってしまうと爽は思い、「住民票は持ってないけど、保険証は持ってきているわよ……ほら、」と正直に保険証を『自殺屋』の少年に手渡した。そして、受け取った保険証を爽と重ね合わせ本人確認をした後に、「じゃあ、明日呼びに行くから、今日は隣のホテルに泊まってね。はい、これ鍵」と机に軽い金属音を鳴らしたあと、少年は一度も使っていないマイクの入った籠を持って部屋から出ていってしまった。

 ”俺の仕事は自殺希望者の補助だそれ以上でもそれ以下でもない“

 それは果たして自殺の補助なのか、それとも、この世界に留まらせるという意味での補助なのか……爽はここが自分が望んだ場所ではないのだということに少しの落胆と、地獄から引きずり戻してくれるかもしれないという期待が混ざり合っているのを感じた。

 少年が置いていった鍵に書かれている数字は『1802』。そして、指定されたホテルは十八階建て。爽は子供(煌太という名前である)と手を繋ぎながら、人生で一度も立ち入ったことの無いような豪華に装飾されたロビーを、端から見れば不審者に見られるくらいキョロキョロと見渡しながらエレベーターに乗り、『18階:1801~』という文字を何度も見返して、そして、穴が開くまで見つめてから十八階のボタンを押した。ピンポーンという音と共に、百人が一斉に蹴っても壊れなそうな扉が音もなくスライドし、先程とは違う空間が広がった。空中に浮かぶシャンデリアは辺りを淡いオレンジ色に染めていて、床はオレンジ色に染まっているせいで色はよく分からないが、赤いカーペットが端から端まで続いている。名前の知らない人の物凄く高そうな絵や、壺などが空いた空間に飾ってある。その場違い感のある空間に爽はともかく、いつもは虚ろな目をしているだけの筈の煌太までも驚いたように辺りを見回している。

 見渡しながらも部屋に向かい、少年が置いていった鍵を回そうとしたが途中までしか回らず、あら? と思って扉を引いてみるとすんなり扉が開いた。頭に”?“を三つほど浮かべながら一旦閉じて鍵を取ってから開けようとして”?“を六つに増やして、鍵をもう一度入れてから引いて頭に浮かんだ”?“が水に流されていった。真っ暗な部屋の中に入り、『鍵を入れてください』という文字を見付けて鍵をいれた瞬間に電気がついて、二人は二重の意味で驚いた。シングルのベッドに大きなソファー、まるで童話に出てくるお婆ちゃんが座っていそうな下が半円になっている一人掛けの椅子、大きなテレビに冷蔵庫。生活に必要なもの以上のものがこの一室に詰め込まれていた。そして何よりも、この部屋どころか、この建物に忌々しくも愛している彼や、私の人生を全て壊したあの女は存在していない。

 久しぶりの自由だ! 「おい」の一言で飛んでいく必要もないし、理由もなくサンドバックにされたり、辱しめられたりする事もない。イチャイチャしているのを聞きながら着替えを取り替える必要もないし、料理をしながら自分のものでない喘ぎ声を聞く必要も無い。爽は解放感で破裂してしまいそうになっていた。数年ぶりに自分の意思でテレビのチャンネルを決め、数ヶ月ぶりのお風呂に入り、数年ぶりにぐっすり寝ることが出来た。朝、いつも通りに起きて自分の分が含まれていない食事を作る必要がないことに気付きホッとし、数年ぶりにちゃんとした食事をとり、数年ぶりに部屋でごろごろとすることが出来た。ああ! ずっとこんな生活が出来ればいいのに! いや、出来るのだ。あの少年がどうにかしてくれる。どうにかしてくれる筈だ。ピンポーンと呼び鈴がなった。爽が扉を開くと、昨日と同様に無表情に佇む大人じみた少年がいた。少年は「いくよ」と一言、エレベーターの方へ歩き出してしまった。爽は寝ている煌太を急いで抱き抱えて部屋から飛び出す。

 『自殺屋』の少年はエレベーターの中で待っていて、扉を開けすぎていたからか、なんとも言えぬブザー音を鳴り響かせていた為、爽は大急ぎでエレベーターへと滑り込む。エレベーターは今まで動かせてくれなかった鬱憤を晴らすかのように乱暴に扉を閉じ、乱暴に下へと降りていった。

「どこへ行くの?」

 生まれて初めてのタクシーにどぎまぎしつつも乗り込みながら、すでに座っている『自殺屋』に問うた。しかし『自殺屋』は答える気がなく、無表情に正面を向いて聞こえない振りを決め込んだ。しばらく車内に静寂の空気が漂い、その空気に我慢できなくなった運転手が「えー、お二人ってもしかして新婚さん?」と空元気に聞いてきたが、その的はずれな問いに『自殺屋』の少年はともかく、運転手と同じくその空気に居心地が悪そうにしていた爽でさえ返答をすることがなかった為、運転手は口をもごもごとさせながら沈黙せざる得なかった。

 未だに落ち込んだ様子の運転手がやはり静寂に耐えられなくなってつけた雑音交じりのラジオが途切れ途切れになりながら流れる車内は何処か寂しく、死んだらこんな感じの雰囲気に包まれた乗り物かなにかに乗って地獄か天国かに行くのかと爽は意味もなく思いほんの少し嫌になった。

 不意に軽いGを感じた。どうやら目的地に到着したらしい。運転手が少し緊張した様子で「代金は──」と言いかけたが、『自殺屋』はその言葉を最後まで聞く前に代金丁度の金額を出し、自らドアを開けて外へ出てしまった。爽達も慌てて外に出る。目の前に見慣れた風景が広がっている。一瞬考えて爽は思い出した。

『ここって私の家の目の前だ!』

 『自殺屋』は無言で爽の家の中へ入っていく。何故か持っていた鍵で開けようとしたが、家の開け方が個性的な開け方のせいで(ただ親から譲り受けたままだからガタが来ているだけだが)悪戦苦闘していた為、変わってやることにしてガチャガチャと右へ左へと回し開けた。家に入ると薄暗く誰も中に居ないようだった。爽は『そうえば今日は土曜日だったな』と思った。あの二人は毎週毎週金曜日から夜通しでデートへ出掛けるのだ。よく飽きもせず……と思うが、爽も学生時代は毎日デートをしていたのだからなにも言えない。

 ”ドスッ“という鈍い音が聞こえた。なにか暖かいものを頭から被った。”それ“は赤い色をしていた。爽は”それ“がなんなのか理解できなかった。『自殺屋』の少年の方を向くと今まで一度も見せていなかった笑みを見せていた。心からの笑みだった。子供らしい笑みで印象がガラリと変わっていて、一瞬誰か判らないほどだった。少年は「最後になにか言いたいことは?」と言ったが、爽はなにも答えられなかった。少年は「じゃあね」と一言、”ドスッ“と今度は自分の身体の内側から聞こえてきた。よく分からないが身体中が熱い。熱すぎて死んでしまいそうだ。爽は「熱い、熱いッ!」と言おうとした。しかし、それは言葉になることはなかった。目の前に赤く染まった自分の身体があった。なんでだろう? と首を捻っていると、急に眠くなって目の前が暗くなった。



 『自殺屋』の少年はしばらく光悦とした表情で佇んでいたがふと正気に戻り、天井に二人の血を浸けた細い縄を二つ程くくりつけ、不自然の無いように色々”調整“してから何処かへ去っていってしまった。

 そして、それが警察に通報され、自殺として処理されたのは、日曜日の夜中に帰って来た二人が目撃して通報した三時間後のことだった。







 クスクスと僕の周り、全方向から押し殺したような笑い声が聞こえてくる。真横からなにかが飛んできて僕に当たる。思わず拾ってみると、丸まったルーズリーフで中に赤い文字で何かが書かれているようだった。クスクスという声が少し大きくなった気がする。こんなもの、とすぐに投げ捨ててしまいたい衝動に駆けられるが、何が書かれているのか気になってしまい捨てなれない。僕は無駄と分かっていながら、目立たないようにと身体を縮ませてこっそり開く。そこには”クセェから学校に来んなしね“の文字。僕がそれを机の上に置いたのを合図に、右から左から前から後ろから斜めから大量の丸まったルーズリーフが飛んできた。すすり泣くような笑い声が、終わることなく響いてく。僕は心の中で「痛い、痛いよ」と叫びながら身体を丸ませて耳を塞いだ。

 クスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクス──。





 普段は薄暗いが華やかな印象がある個室。しかし、この部屋は正反対の印象があった。いつもは四六時中付いている筈の巨大なテレビは闇を見せ、照明は限界まで明るくされており、何処か会議室のような印象があった。遠くから楽しげな歌声であったり、キャッキャと騒ぐ声が聞こえてくる。

 そんな部屋に同じ位の年齢だろう少年が二人、暗い表情をして座っている。星青空ほしせいやは正面に座る人物をチラリと見て内心驚いていた。

 『自殺屋』の噂を知ったのは一ヶ月前の事だった。学校でのあからさまないじめと、それを黙認する先生達、そして、いくら学校に行きたくないと訴えても無理矢理外に出し、学校にしっかり登校しているかの確認をする程の親。理由を聞くと、『自分のキャリアの為』と貴方は私の道具なのだから当たり前でしょう? と言っているかような口調で言われた。夜は当たり前のように、勉強という名目で夜遅くまで束縛されている。

 自分を必要としている人はこの世界中どこにも居ないのだ。そう思った青空は気付くと、明け方自殺についてや、どうやったら皆まとめて復讐することが出来るかを調べて、想像することが日課になっていた。そんな中、自殺希望者が集まるサイトを見ると『自殺屋』の噂で盛り上がっているのに気付いた。曰く、毎週金曜日の午後九時にとあるカラオケボックスの444号室に『自殺屋』を名乗る人物がいる。『自殺屋』に”死にたい理由“と、”どの様に死にたいか“を話すとその通りに殺してくれる。依頼するには待ち合わせをしている事を装って入ることが必要だが、『自殺屋』が一人だけ来ると言っているのか、毎週一人しか入ることが出来ないらしい。

 青空は「これだッ!」と興奮した。これで『復讐』を完遂する為に足りなかった最後のピースが埋まる。勝負は今週の金曜日に入れるかどうかである。勝算はあった。”午後九時にカラオケボックスの444号室“いかにも九時でなければいけないと言っているようだが、この文字のどこにも九時丁度でなければいけないとは書いていない。要するに七時頃に”444号室で待ち合わせをしているのですが“と言えば、まだその人物が居なくても通してくれるであろう……多分。

 青空の予想は半分当たり、半分間違っていた。気だるげな表情をして座っている店員に、あの日から何度も練習をした言葉をしかし、しどろもどろになりながら話すと、店員は、あー、はいはいと固定電話の受話器を取りだし、内線の444番を押して話し始めた。

「受付です。あ、待ち合わせの人が来ている……ああ、はい、はい、判りました。では、」

 受話器を置くと、「入ってどうぞー」と面倒くさそうに言い、大きなため息を吐きながら机へ倒れ込んだ。店員として大丈夫なのだろうかという態度であったが、青空はその内クビになるだろうなと思っただけだった。

 階段を上り、歌声の漏れる廊下を進んでいくと、非常口の真ん前の薄暗い一番端。まるで本当に”死への入り口“だというように444号室は存在していた。意味の無い躊躇を一瞬だけして扉を開けると、煌々とした光の下に大人びた少年が無表情に佇んでいた。驚きと疑問で時間が停まっている青空に『自殺屋』は「座って」と一言。

 青空は座りながらまじまじと少年の姿を見る。容姿は何処にでもいる少年そのものなのだが、そこから覗かせる表情が大人そのもの……いや、それ以上で、もしかしたらこの人はメデューサとか、バンパイアとかの類いではないのかと勘繰ってしまう。

「理由は?」

「今まで俺を傷付けてきた奴らに復讐をする為。そう、どんな手段を使っても」

「そう、どうやって?」

「明日、授業参観って物がある。いつも忙しい忙しいと騒いでいる親も、ありとあらゆる定番のイジメをしてくる奴も、それを傍観してクスクスクスクス嗤っている糞野郎も、目の前で見ているのに知らない振りをして責任から逃れようとしている先生という肩書きの独裁者も俺の怨んでいる奴らが全員集まるんだ。そこで、首吊りでも、窒息でも、薬品でも、いっそ包丁を頭に突き刺すでもいい、目の前で自殺をする。そうすれば全員が傷付いてくれる。そう、均等に、平等に、同じくらいにね……殺したらそこで終わり。永遠に死ぬまで苦しみ続けさせてやるっ!」

 しまった、熱くなりすぎたと青空は目の前の少年を見たが、先と変わらず無表情で大人びた余裕が感じられた。『自殺屋』は「保険証を持ってきた?」と聞いてきた。青空は「全部親が管理している」と不満そうに言った。お母さんは俺の事を完璧に支配出来ていないと不安なのだ。そう青空は思っていた。実際、親は青空が保険証を持っていると精神科にでも行かれて自分の立ち位置が悪くなるのではと危惧していた。『自殺屋』は「そう」と呟いた後、席を立ち「学校に案内して」と部屋を出た。

 『自殺屋』の後を付いてフロントに戻ると、先のやる気の無い店員がキーボードの上で爆睡をしていた。これ見よがしに『自殺屋』は、キーボードの横においてあったマウスを器用に操り退出の処理をし、外に出たのを見て、この瞬間に店員が目を覚ましてしまったらどうしようと青空も慌てて外に出ると、黒塗りのタクシーがドアを開けて待っていた。慣れたように少年がドアを潜り、青空に「早く乗れ」と命令するように冷たい目線を向けた。首を縮めながらそそくさと中に入ると、誰も触れていないのに勝手にドアが閉まり、雲に乗っているかの様な静かさで発進した。人工の光が過去へと流れていき、一本の線になっていた。タクシーのラジオからは、名前の知らない音楽がその光景に同調するように、ゆったりと流れていた。

 夜の学校は当たり前だが、不気味に暗く、静寂が痛かった。二人の足音がその痛みに消えていく。いつも通っている場所とは違く感じ、いつ以来だろう? 学校に居るのに嫌悪感を感じることがなかった。

 自分の教室の前で立ち止まると、『自殺屋』も同時に止まって「ここ?」と聞いてきた。青空が無言で頷くと、彼は何かを確認するように辺りを見渡し、教室の中へ入っていった。青空は何故だか泣きたくなった。

 教室の中は遺骨のように灰色で、まるで火葬場の中にいるようだった。ここでの出来事が走馬灯のように闇にぼやけて浮かび上がってくる。クスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクス──。

「帰るよ」

 気付くと耳を塞ぎながら蹲っていた。『自殺屋』が馬鹿にするように無表情で見下ろしている。急に恥ずかしくなった。彼は目の前にいる少年みたいになりたいと思った。

 外に出ると来るときに乗っていたタクシーが無電灯で待っていた。『自殺屋は』素早く中に入り、青空に早く入れと促してくる。青空は、なんでこいつはずっと上から目線なんだよ。と心の中で悪態を付きながら、タクシーの中に小走りで入る。嫌だった。いつも心の中では反発をしているのに、身体はまるで別の生き物のようにすくみ、雰囲気に飲まれてしまう自分が。──復讐だ。最後の最後、死ぬ寸前で俺は変わる。変わって死ぬのだ。いや、違う。俺はあいつ等の恐怖として永遠に生き続ける。その為にこの世界から消え去るのだ。青空はその名前にそぐわない夜の闇と同じ位暗い笑みを静かに浮かべた。

 「はい、これ鍵」

 タクシーから降りて直ぐに掛けられた言葉に「……へっ?」と間抜けな声を出し、青空が眉を潜めると、『自殺屋』は「あそこのホテル。明日、迎えに行くから」と無理矢理鍵を掴ませながら耳元で囁き、ふらふらと人混みを避けながら何処かへと消えていった。

 そこは機能性と華やかさを掛け合わせた様なごく普通のビジネスホテルだった。これは安物ですと堂々と叫んでいるかのような薄っぺらい赤いカーペットと、LEDによって眩しいくらいに照らされたシャンデリアが機能性を半分以上損なわせている様に見える。鍵はカードでは無く、鍵。その癖、自動ロックで回しても手応えがない鍵穴に青空は嫌気が差す。

 ドアを開けると、穴があった。黒い絵の具を何倍にも濃縮した様な黒い、黒い穴だ。彼は終焉を覗いてしまった。終焉は彼を見つめ返して来る。それから聞こえてくる。

 クスクスと押し殺した笑い声。何か軽いものが自分に当たる音。上から見下ろすようなゲラゲラと下品な笑い声。何かが軋む様な鈍い音。言葉に成っていない罵声。財布を開ける音。感情に任せたかの様な舌打ち。ザザッという地面をする音。

 車のエンジン音、消防車や救急車のサイレン、赤ん坊の泣き声、それをあやす声、家族の団らん、子供の騒ぎ声、大人の笑い声、親子の言い争い。

 ガチャガチャと鍵を開ける音。遅い! と甲高い声。扉を開ける音。紙の擦れる音。理解の出来ない音の羅列。お腹がなる音。頭から聴こえる衝撃音──。

 気付くとドアの前で丸まっていた。窓から覗く外の風景は眩しく、新しい朝が来た、希望の朝だと喜んでいた。青空は光から逃げるように部屋から出て、二回にある食事会場へ向かった。

 食事はバイキング形式で味に個性は全くといって良いほど無かったが、まあまあな美味しさだった。部屋に戻ると、ドアの前に『自殺屋』がまるで風に揺れる陽炎の如く佇んでいた。青空に気付いた少年はロボットの様に身体を回し言った。「行くよ」

 『自殺屋』と共にホテルを出ると、昨日と同じ様な黒塗りのタクシーが昨日と同じ様に止まっていた。そして、昨日と同じ様に『自殺屋』が乗り込み、昨日と同じ様に「早く乗れ」と睨み付けた。

 車の中に入るとスピーカーから朝のニュースが大音量で流れていた。

「──先月自殺した少女のイジメの有無について学校側は「その様な事実は確認できなかった」と回答し、それについて親族側は「遺書にイジメがあったと書かれているのに無いのは可笑しい。全力で真実について追求していく」と学校側を非難しました。次のニュースです──」

 自分の子供が自殺すると、その親はお金欲しさに学校を訴えようとする。本当の意味で子供を愛している親なんて多分、この世に存在していないし、あの世にも居ないのではないだろうか? そんな事を考えていると隣から「何時頃に皆集まる?」と聞こえてきた。青空は「九時十分頃には皆集まってるね」と答えた。『自殺屋』は「そう」と返し、何やら考え事を始めた。

 車が止まり、時間は九時ちょうど。私服で学校に入るのは初めてで不思議な感じがする。保護者が来るということもあってか、下駄箱には透明な釣糸が張ってあるだけだった。これで皮膚が切れるとでも思っているのだろうか? 廊下は驚く位に静まっており、二人の足音がやけに大きく聴こえた。教室に着いた。教室の中にはこういう時だけ良い子面する糞野郎共と、それを偉そうに自慢する社会の家畜。そしてそれを見てまんまと騙されている馬鹿で溢れていた。唯一、焦りと苛つきが混ざったような表情でキョロキョロしている彼の親が滑稽に見えた。

 「あの人達に言う最後の言葉は?」『自殺屋』は突然言った。青空は少し考えて「お前ら、全員呪ってやる。その呪いを背負ったまま、永遠に生き続ければ良い」と呟いた。

「それをしっかり覚えて、ちゃんと言うんだよ?」

 その言葉と同時、よく分からない液体を頭から足までしっかり掛けられた。それは鼻に付く鋭い臭いをしていた。「じゃあね」と楽しげな少年の声が聴こえ、教室に向かって押し出された。視界が赤く染まった。痛い痛い痛い痛い──ッッ! 肉の焼ける音がすぐ近くで聞こえてくる。眼球がグツグツと沸騰しているのが分かった。教室中から、キャーキャーと悲鳴が聞こえてくるのが分かる。彼は何故か冷静だった。そして、彼は学校中に響く声で叫んだ──。

 

 「──呪って、やる、お前ら、全員、永遠に、苦しみ、続ければ、良い──ッッ!!」

 

 

 

 教室の外。まだ小学生と言っても通じる様な少年が、白色のタイルに腰を下ろしながら、まるで素晴らしい音楽を聴いているかのような楽しげな表情で目を瞑っていた。中からは地の底から絞り出るような「呪ってやる」の声と共に地獄から聞こえてくる様な悲鳴や、怒声が聞こえ、それが絡み合い、一つの芸術の様に輝いていた。少年は暫くそうして目を瞑っていたが、人々が騒ぎを聞き付けて集まってくると、いつの間にかその場から消えてしまった。

勿体ないから出しまーす^^

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― 新着の感想 ―
[一言] ツイッターから来ました。 すっごい闇を感じました。(良い意味で) 自分にはない要素がたくさんあってとても楽しめました。 2の方も読ませていただきます。
2019/04/11 16:24 退会済み
管理
[一言] リプありがとうございます。 タイトルを見て一番気になったこの作品を読ませていただきました! 良い意味で読む前に抱いていたイメージを覆されました。 はっきり感想を述べてしまうと、ネタバレに繋が…
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