083 オリエンテーション合宿、終了
本来ならば、ハバロフスク8ーFで夕方まで過ごすはずだった6日目。
絶対安静を言い渡された真也と、取材をすっぽかし、ロシア支部からの強い要望で追加取材を受けたレイラ以外の東雲学園の生徒たちは、夕方までFクラス担任の蓬田謹製の追加トレーニングを受けることとなった。
伊織が後日、「あれなら営巣真っ最中の営巣地にいた方がマシだった」とこぼすような訓練を終え、その夜。
とうとう長い合宿が終わり、日本に帰る時がやってきた。
しおりには、2000、オホーツク軍港の部屋引き払い、2100乗船、消灯と書かれていた。
しかし、ロシアの地元有力者から『若き英雄たちの見送り』のためにオホーツク港の一画でパーティーを開きたいという打診があり、昨夜のうちに営巣地から帰ってきたことも相まって、1900、部屋引き払い、2200までに乗船へと変更となった。
その間は、任意でパーティーへの参加ということになっていた。
しかし、Aクラス担任の江島による指示が出る。
2130まで、担任はパーティーに参加するため、乗船を認められない。それまでの間は、必ずパーティーに出ろ、と。
今回、ロシア支部の営巣地にあって多くの問題が発生したため友好的な面を表しておけという指示であり、曲がりなりにも『軍属』である士官学校の一年生たちは、それに従うしかなかった。
美味しい料理に舌鼓をうち、打ち上げ気分で参加できればいいのだろうが、東雲学園の生徒たちは、そこまで単純ではない。
江島が言っていたことはつまり、このパーティーが『政治的な場』であることを表していたのだ。
東雲学園の生徒たちは華やかな場で隙を見せないようきっちりと軍服を着込み、『東雲生であること』を忘れず、パーティーへ臨む。
ドレスを着飾った著名人や、有力者。急遽用意されたとは思えない豪勢な料理。立食形式である点が、テーブルマナーを気にしなくていい分、彼らにとって救いだった。
パーティーの参加者の中には、真っ黒なタキシードに身を包んだ『トイボックス』の姿もあり、記者の大半はそちらへと向かう。
残りの記者も、今回の事件の功労者である『ロシア人の』レイラを囲み、レイラは記者の輪の中で表情を固めながら「はい」と「いいえ」を繰り返すマシーンとなっていた。
真也は人の輪から外れ、最後の仕事に臨む。それは、ほかの東雲学園の生徒にはないものだ。
壁に並べられた椅子の一つに腰掛ける真也の隣には、銀髪の美女。大きく胸元の開いたエメラルドグリーンのドレスに身を包んだ、ソフィアだった。
ドレスと同じ緑色の瞳は、真也だけを見つめている。
「シンヤ様、本当に、帰ってしまわれるのですね……」
「うん。もう5回くらい言ったと思うけど……みんなと一緒に帰るから」
ソフィアに別れを告げる。これは、真也の中では重要なイベントだった。
命を救ってもらった手前、無下にできなくなってしまった部分が大きくなるが、それでもこの少女から『決定的』な言葉が出てきたのならば、それを否定しなければならない。
伊織にも言われたが、なあなあのまま済ませるのは良くない。
しかし、相手から直接的な告白を受けたわけではない真也は、言われる前に「付き合えない」と言えるほど自惚れることは出来なかった。
であるから、もしもいま『告白』してくるのであれば、それを断る。それが真也の最後の仕事だった。
しかし、意外にもソフィアは告白をしてこない。
真也は助かったと思う反面、地雷原の中にポツリと一人残された気持ちだった。
「お身体が癒えるまで、私の別荘に……」
「ごめんね。授業休めないし、妹を一人にしとくわけにもいかないから。これを言うのも5回目だけど……」
「……うぅ……し、シンヤ様が、そう……おっしゃるなら……」
ソフィアは、心から残念そうに真也の手を握り、顔を真也に近づける。
真也は『とうとうきたか!?』とどきりとして体を強張らせた。
「シンヤ様。……ロシアには、目に遠くなると心に近くなる、という言葉がありますの」
「へ、へぇ」
「遠く離れることで、より心の中で『お互い』を求めて、その想いが強くなる、という意味ですの。
まさしく、いまのことを言うのですね……」
それを聞くのも、5回目なんだけどなぁ。
真也は心の中でため息をつくが、まだ乗船までしばし時間がある。
その間、ここ1時間は同じ話をループし続けるソフィアに、真也は純粋に恐怖する。
繰り返せばいつかは折れるのでは、と思っているのだろうか。それを心から思っているのであれば、その思考ルーチンは怖すぎる。
真也は、この不毛なループから逃れるため、話題を変える。
「そういえば、ソーニャ」
「はいっ!」
「他のメンバーに挨拶しなくていいの? その、牧田とか、レイラとか」
「?」
「え、っと。キョトン? じゃなくてさ。ソーニャ、俺以外の人にも挨拶を……」
「それは必要ないですもの」
「あ、そう」
「ええ。そうですわ。……ところで、本当に帰ってしまうんですの?」
そんな。まさかまたループが……。
愕然とする真也と一歩も引かないソフィアに、声がかかる。
「……おい、棺桶女。ちょっといいか?」
真也ではなく、ソフィアに声をかけてきたのは、伊織だった。
「……なんですの?」
「ツラ貸せよ」
「まあ怖い」
その言葉と同時に、ソフィアは真也の腕に抱きつく。
真也の右腕に暖かくて柔らかいものがくっつくが、真也はなるべく『それ』に意識を集中させないようにした。
わざとらしく怖がって真也に身を寄せるソフィアに伊織は眉を吊り上げる。
「いいから。間宮、ちょっとこの棺桶女借りるぞ」
伊織はソフィアの行動を無視して真也に対して告げる。
ソフィアは真也の方を窺い、真也が頷くと、真也の腕から離れて椅子から立ち上がる。
「……まあ、私も、ウサギさんにはお話ししておくことがありますから。
シンヤ様! もちろん、浮気なんかじゃありませんからご安心くださいましね!」
「きっも」
「……本当に、この性悪ウサギは……」
真也はソフィアの目から光が消えたのを見なかったことにして、去っていく二人を見送った。
一人になった真也の元に、別の人間がやってくる。
「やあ」
「……ユーリイさん」
ロシア支部のもう一人の学生、ユーリイだった。
「今回は大変だったね」
「……ええ、まあ」
「僕が崖の下に落ちてから、化け物とやりあったんだろう?」
「ええ」
「今後、『僕ら』の相手になるのがそんな化け物だなんて、嫌になるね」
「そう、ですね」
レイラに対しての恋敵であるユーリイへの言葉は、どうしても歯切れが悪くなる。
もしかしたら、自分が眠っている間に、ユーリイはレイラとの仲を進めたのだろうか。
真也は内心冷や汗をかきながら、目の前の美男子の様子を探る。
「じゃ、レーリャのこと、頼んだよ」
「へ?」
しかし、ユーリイからもたらされた言葉は、意外なものだった。
そのようなことを言われるとは思わなかった真也は、あんぐりと口を広げて固まる。
「え? 何か僕、変なこと言ったかい?」
真也の様子に、ユーリイは首をかしげ、ユーリイの言葉の真意を掴みかねた真也は、ユーリイに聞き返す。
「え、あ、いや……頼んだ、って……この前はレイラに近づくな、って」
真也の言葉に、ユーリイは片眉をあげる。
「ああ。あの、全く守られなかった僕のお願いね」
「……ええ、まあ」
「そりゃ、君みたいに軍事行動に慣れていない人間が近くにいたら危ないと思うだろう? 異能が強力なだけになおさら。……特に君は、人を助けるためとはいえ、C指定営巣地の巣穴をずんずんと進んでいくんだもの」
「それは……」
「いや、素晴らしい英雄的行動だと思うけどね。でもそれにレーリャを巻き込まれたら困る」
ユーリイは肩をすくめると、言葉を続ける。
「この合宿中にレーリャの身に何かあったら、レオノフ少将に殺されるからさ」
急にレイラの父親であるレオノフの名前が出てきたことに、真也は驚く。
「……レオノフ……少将に?」
「ああ。少将に、合宿中はレーリャの護衛をするようにと言われていてね。レオノフ少将はロシア支部ではかなりの有力者だからさ。少将の頼みともあれば、慎重にもなるだろう?」
話の噛み合わない真也は、ユーリイに問いただす。
「え? ユーリイさんって、レイラのこと……好きなんじゃ?」
真也の言葉にユーリイは目を丸くして驚き、そして大声で笑いだす。
「……ははは! なるほどそう言うことか。僕が彼女を好きだから、君に近づくなと言ったと?
僕はレーリャのこと、特にどうこうしようって思ってないよ。文字通り、この合宿中は僕の任務の邪魔をするな、って意味さ」
「……え、そういう、意味だったんですか」
「ああ。それ以外の意味なんてないよ!」
ユーリイの言葉に、真也は肩の力が抜ける。真也はユーリイの言葉を誤解していたのだった。
「なんだぁ……」
「どうやら、しなくてもいい心配をかけさせちゃったようだね。
まあ、レーリャと付き合いたい、っていうなら応援するよ。あと1時間ほどしか時間がないのが残念だけれど」
ユーリイはいたずらっぽくウインクをし、そして真剣な顔へと変わる。
「……聞いたよ。身を呈してレーリャを守ったんだって?」
「ええ。まあ」
「なら僕は、むしろ君に感謝しないといけないね、ありがとう。レーリャを守ってくれて。
レオノフ少将の命令がどうの、というのもないわけじゃないけど、あんな無愛想でも、幼馴染だからさ。
じゃ、日本でもその調子でよろしく」
ユーリイは真也に握手を求めて右腕を伸ばし、真也もそれに応える。
その後、レイラの方を見るためにパーティーの中心地を振り向いたユーリイは、恐ろしい人影を認める。
白髪巨躯。ちょうど話題に上がったレオノフ少将だった。
厳つい顔が、二割り増しで恐ろしい面持ちになり、真也たちの方へと向かってくる。
レオノフ少将の様子に、記者もパーティーの参加者も急いで道を開け、関わらぬようにしていた。
「……おっと」
ユーリイが小声で驚き、真也もレオノフに気づく。
「じゃ、僕はこれで。レーリャをモノにするってことは、つまり少将とも向き合わないとね」
ユーリイは、話は終わりだと言わんばかりの速度でまくしたて、真也との握手を切り上げる。
真也は、自分から離れたユーリイの手を急ぎ握り直し、悲痛な面持ちで叫ぶ。
「待って! 俺、ロシア語わからないよ!?」
「大丈夫、古来から恋人の父親とは心で話し合うものだと相場が決まっているから」
「いやいや! さっき手伝う、って言ってくれたじゃないか!」
「……それは、僕に手伝える範囲の話だよ」
ユーリイはそう言うと、申し訳なさそうに真也の手を優しく引き剥がし、姿を消す。
「そんな……異能を使うほど!?」
真也は、こちら向かってずんずんと歩いてくるレオノフを視界に入れなおす。
「使うほどの……ことかもしれない……怖い……」
厳しい表情であるが、今回自分は、レイラを守っただけだ。
怒られるようなことはしていないはず。
そう思い、自分の襟元につけた、レイラからの勲章を触る。
「頼む……レイラ、俺に力を貸してくれ」
真也の襟元で光る勲章に、レオノフの表情が一段階険しくなる。
『なぜ、娘にあげた勲章を、男がつけている?』
レイラの……現、真也の勲章の大元の送り主は、レオノフ少将。
それを真也が知らなかったのは、間違いなく不運であった。
記者に囲まれていたレイラは、急な父親の行動に気づき、遠目に真也の方を見る。
真也にあげた勲章を貰ったときのことを思い出し、少し考えてから、なにも見なかったことにした。




