008 間宮とアナザー間宮
真也は津野崎を残し、言われた通りに研究所の入り口へと向かった。
入り口にいた男性研究員から入館証を手渡され、研究所内へと案内される。
男性研究員は会議室1と書かれたドアを開け、ここでお待ちくださいと真也に告げて退出していった。
一人残された真也は所在なさげに周りを見渡し、カバンを机の上に乗せると、手近な椅子に腰掛けた。
20人ほどが入れるであろう、円卓を中心とした会議室は、大きなプロジェクターやウォーターサーバーが備え付けられている。
お金がかかっているな、と真也は思った。
装飾は一切無いが、その代わりにと言わんばかりに高そうな機械がいくつも置いてある。
座り心地の良い椅子は、真也の疲れを少しずつ癒してくれるような気がした。
しばらくするとドアが開き、津野崎が入ってきた。最初に会った時のような、嘘くさい笑みを浮かべている
「どーもどーも、お待たせしましたね間宮さん」
コーヒー飲めます?と、津野崎は手に持った缶コーヒーを真也へ差し出す。
真也は礼を述べて受け取ると、缶コーヒーの暖かさが手のひらに伝わる。
その暖かさが、危険地帯ではなく安全で社会的な場所に真也がいることを教えてくれた気がした。
「いやー、本当に大変でしたネ。異世界からお越しになって早々、殻獣バンに巻き込まれるなんて」
真也は何気ない口調で、津野崎から異世界というワードが飛び出たことに面食らう。
「やっぱりここは異世界なんですか!?」
「ええ、そうですよ。まあ、間宮さんから見て、ですが」
そのような注釈をつけながら津野崎は真也の隣の椅子に腰を下ろす。
「えー、まず何から説明しましょうかね…。いや、間宮さんのお話からお聞きした方がいいですかネ」
真也は、2度目ということもあり、すらすらと説明することができた。
真也の話に終始耳を傾けていた津野崎は、なるほど、と短い返事を返し、真面目な顔をして、真也の膝の上に置かれていた手を優しく握る。
「間宮さんがここと違う世界から来たと言うのは、荒唐無稽かもしれません。でも、私はその話を信じますから、ハイ。むしろ、確信している、と言った方が良いですかネ?」
手を重ねたまま、にこりと笑う津野崎に、真也は少々顔が熱くなる。
「だから、安心してください」
真っ直ぐなその言葉に、真也はとりあえずこの人のことを信用してみよう、と思った。
津野崎は真也の顔が幾分か綻んだことを確認すると、彼の手を離す。
椅子から立ち上がり、さて、と前置きして真也の方を見る。
「色々と気になることがあるかとは思うんですがネ、先ずは着替えと食事でもどうです? ずっとそんな泥だらけの格好じゃ、気持ち悪いでしょう」
津野崎は真也を連れて、研究所に併設された売店へと向かう。
売店には様々な物品が置いてあり、売店というよりもコンビニエンスストアに近かった。
豊富な種類の弁当や衣類や日用雑貨の品揃えから、この研究所の研究員たちの普段の生活が気になりつつも、真也はカゴを取って店内をまわる。
「なんというか…ネクタイだけじゃなくてスーツまで売ってるんですね」
「ええ、急な発表や、お偉いさんの訪問なんかもありますからネ。この売店だけで、外に出ずに生活できちゃいますよ」
実際、皆ほぼそうしてますしネ、とお茶目に笑う津野崎。
真也は適当に衣類と弁当を選び、カゴを持ってレジへと向かうが、津野崎がそれを横からかすめ取り、自分の食事をカゴに乗せるとレジに置く。
「あ、多少なら持ち合わせが…」
「いいですよ、これぐらい。私、普段あんまりお金使わないんでネ」
「いえ、申し訳ないんで、自分で払いますよ」
このやり取りを強引に終わらせようと、真也はボロボロになったリュックから財布を取り出し、五千円札をレジに置く。
津野崎は、そのお札を目にも留まらぬ速さで回収し、腕輪をレジの端末に近づける。
「…間宮さん、やっぱり私が払いますネ。お会計お願いします、ハイ。ワンドで。お弁当はあっためお願いしますネ」
その素早い動きに呆気にとられていた店員だが、何やらレジを操作すると、ピピッという音とともに、会計が終了する。
店員が商品を袋に詰める間、津野崎は真也に顔を近づけ、小声で話しかける。
「お札、向こうの世界の物ですよネ?こっちじゃ使えないです」
その言葉に真也は驚くが、たしかに保険証が違うのだから、お札が違うことも気がつけただろうと反省する。
「すみません、津野崎さん」
真也も同じように小声で、謝罪を伝える。
それに対して津野崎は、お気になさらず、と手を振って答える。
真也は、もう少し慎重に行動せねば、と気を引き締めた。
津野崎の研究室へ向かうために乗ったエレベーターの中で、真也は、津野崎からお札を返却される。
売店や会議室のあった一階には多くの人がいたが、エレベーター内は2人以外には誰もいないため、真也は口を開く。
「しかし、お札まで違うんですね…」
もはやなんの価値もなくなった五千円札を恨めしげに見るが、染み付いた小市民感覚から、丁寧に財布へと仕舞い込む。
「そういえば、物価はどうです?」
その言葉に、真也はレジに表示された物品の金額を思い出す。
「多分、同じくらいだと思います」
「ほう。同じですか。まあ、円の価値とかって話になると、私にはお手上げですがネ、ハイ」
と、本当に両手を軽く持ち上げる津野崎。
「しかし、専門外ではありますが、間宮さんのいた世界との相違点は中々に研究者魂がくすぐられますネ」
その言葉に、真也は自身が分かる元の世界との違いを思い出す。
「今のところ違うのは、地名と、保険証と、お札と…」
その言葉に追加するように、津野崎が口を開く。
「殻獣とオーバード、ですか」
その言葉に、真也の表情は、無意識ながら少し固くなった。
エレベーター四階で降り、少し歩くと津野崎はドアを開ける。
「さ、つきましたよ。ここが私の研究室です」
津野崎の研究室は物で溢れていた。
よくわからない機械、よくわからない単語で溢れたホワイトボード。大量の書類の乗った大きなテーブル。ケージと、その中には1匹のネズミ。
人は誰もおらず、またデスクの数からも、この研究室を津野崎一人で利用していることが窺える。
「いやはや、汚くて申し訳ないですネ、ハイ。着替えは奥の部屋を使ってください。機材には触らないようにお願いしますネ。それが終わったら晩御飯にしましょ」
津野崎の言葉に従って着替えを終わらせ、共に食事を取る。真也にとっては普段よりも多少遅い夕飯であったが、非常に久しぶりに感じられた。
食事中は、他愛もない話をした。ここにきて、真也は自分の境遇について聞くことが怖くなってきたからだ。
真也が、家族は誰もいないという話をすると、津野崎は驚き、そのあと目を伏せて謝罪した。
真也は気にしていないと伝えたが、そのあとは沈黙が支配した。
津野崎は、彼女お気に入りのドリップマシンで食後のコーヒーを振る舞い、良い腹心地となったところで口を開く。
「では、一息ついたところで、間宮さんがこの世界へやってきた理由からお話ししましょっか。食事の間に、私の考えも纏まりましたんで、ネ」
その言葉に、真也は真剣な表情になる。
「まず、この世界には、間宮真也さんというオーバード、つまりは特殊能力者がいました。
あなたと同姓同名。しかも、書類のお写真を見た感じだととても良く似ておられますネ、ハイ」
「それって…」
昼間の光景が、真也の頭をよぎる。
「ええ、先ほど話して下さった、死体ですネ、ハイ。便宜上、間宮プライムさんとしましょう」
「プライム?」
聞きなれない単語に、真也は首を傾げた。
その反応を見て、津野崎は訂正する。
「お、あー、ではアナザー間宮さんで。
……すいませんネ、一般的ではない言葉を使っちゃって。研究者の癖ですかネ」
津野崎は頭を掻くと、説明を続ける。
「さて、アナザー間宮さんの国民異能台帳…まあ、国がオーバードの能力を把握するためのものなんですけど、彼の能力はエンハンスド:4とかかれてます、ハイ」
その言葉と共に真也の前に一枚の書類が置かれる。真也の顔写真、正しくはアナザー間宮の顔写真と名前、個人情報などが載っていた。
その書類の下の方には、彼の異能についての説明書きがある。
カテゴリー:エンハンスド
強度:4
意匠分類:鍵
意匠位置:左手、手のひら部分
異能内容
強度4程度の肉体的強化あり。以上。
「間宮さんにも分かりやすく説明すると、中々に体が頑丈、くらいの異能ですネ。
間宮さんのように大楯を出したりといった、追加カテゴリー…特殊能力のないオーバードです、ハイ。
その後の強度という数字は、どれくらい強力な能力かの指標ですネ。
アナザー間宮さんの4という評価は、まあまあですネ。10段階評価なんで。
ちなみに、意匠というのは…」
自分にも分かる単語が出てきたので、真也は津野崎に軽く手を上げて発言する。
「能力の内容に沿った、刺青…じゃなくて…マークみたいなものですよね?」
「ええ、大まかにその解釈で間違いないかと。ご存知だったんですネ」
「ええ、教えてもらいました。ちょっとだけですけど」
「そうですか。まあ、詳しい話がご希望でしたらこの研究所に沢山いますから、紹介させてもらいますネ。
では、話を戻しまして」
津野崎は、トントン、と異能台帳を指で叩き、言葉を続ける。
「もうお分かりかと思いますが、これは虚偽記載なんですよ、ハイ。
アナザー間宮さんの本当の能力は、こちらなんです」
もう一枚、先ほどと全く同じ書式の書類が真也の前に置かれ、真也はその書類の内容に目を見開く。
カテゴリー:エンハンスド スペシャル
強度:ハイエンド
意匠分類:鍵
意匠位置:左手、手のひら部分
異能内容
強度7程度の肉体的強化あり。
異世界から最強の異能を持つ人間を召喚する。
発動条件は、自身の死。以上。