052 お昼休みにもう一授業
眠気とひたすらに戦う船上特別授業の前半戦が終わり、真也たちは授業で一緒だった4人で昼食を取っていた。
作戦会議室同様、食堂もまた広い作りであり、各生徒は思い思いの場所で食事を進める。
直樹はレイラとともに食事をとりたそうにしていたが、不憫にもクラス委員長は別室で説明会があるらしく、そちらへと召集されており、姫梨は仲良しの女の子グループで食事を進めている。
「疲れた!」
ぷりぷりと怒りながらも、レイラは丁寧にロシア料理を口へと運ぶ。
船内での昼食は、合宿先にちなんだロシア料理だった。
肉や野菜、イクラなどを薄いクレープに挟んだ食べ物で、あまり日本では見かけないものだった。
「ブリニ…久々に食べた。おいしい」
レイラが先の授業で、全員の前でロシアの営巣地の説明をしていた姿や、ロシア語について真也たちに教えてくれたこと。
また、見慣れないロシア料理の正式名称をピタリと当てるなど、まだ始まって間もないオリエンテーション合宿の間に、真也はレイラがロシア人であると再認識させられた。
「レイラ、ロシア人だったんだね」
「なに、それ」
「いや、普段こうして日本語で……ああ、日本語に聞こえてるのは俺たちだけか。
でも、こうして普通に話してると、見た目で外国人だと分かるけど、どこかロシア人だとは思えなくて」
その言葉に、レイラはむっと頬を膨らませ、反論する。
「む……私から見れば、真也たち、ロシア語、話してる。とても流暢」
「あぁ……そっか、たしかにレイラから見たらそうなるよね」
「でも、お互い様。ここまで、真也たちがロシアを知らないのは、驚いた」
レイラの主張は尤もであり、真也は少し、申し訳ない気持ちになった。
レイラの耳からすれば、授業中にレイラが話していた男性名詞や女性名詞、対格や与格などを使い分け、真也たちはロシア語を話しているのだろう。
「そういえば、真也。
朝も言ったけど、昨日、父から電話、あった」
「ああ、そういえば言ってたね」
「……それで港へ迎えに行く、と言われた。私、今朝には、行き先知ってた」
レイラの発言に、伊織がブリニを頬張る手を止め、目を細めて苦言を呈する。
「え、少将ともあろう人が、機密漏えいだなんて……」
信じられない、といった様子は彼だけでなく、美咲もうなずいていた。
美咲に関しては特別部隊の件でやらかしかけた実績があるので、真也は美咲がその反応をするのに苦笑いをこぼす。
レイラは、機密漏えいを指摘されると、大きく息を吐き出した。
「……お父さん、過保護。だから、ロシア支部、離れたのに」
「レイラ、そうだったの?」
レイラが日本に来た理由は、真也は初めて聞く内容だった。
「うん。過保護で、良い扱い、受けてた。
私は、そういうの、きらい」
強くあろうとするレイラに、伊織は好感を感じ、レイラの言葉に、ひゅう、と口笛を吹く。
「へぇ、レオノワさんはそういう理由で日本へ来たんだ」
レイラは頷くと、力強く言い放つ。
「そう。父の元……ロシア支部、抜けて、日本支部、入り直した。私の力、試すため」
レイラは、まるで武者修行のような理由で単身日本に来ていた。
そんなレイラの行動を、「やるじゃん、そういうの好きだよ」と伊織は笑顔で肯定した。
レイラは伊織の言葉にはにかむが、何かを思い出したかのように目を開き、笑顔から一転、表情が曇る。
「……そんな父が、電話で、ユーリイを寄越す、って」
レイラの意気込みとは裏腹に、過保護な父親……レオノフ少将はロシアに来るレイラのために、特別に人を遣わせた。
「ユーリイ?」
初めて聞く名前に、真也はレイラに聞き返す。
「ロシアの、知り合い。今は多分、士官高校生」
「ユーリイさん……女の人、ですかぁ?」
美咲がそうたずねると、レイラは首を振って訂正する。
「いや、男。ユーリイ・ユスノヴィチ・ユマーシェフ」
「レイラ、ごめん。フルネームを言われても男か女かわからないよ」
「むぅ……ユスノヴィチ、ユマーシェフ、は男の名前」
「もしかして、レオノワさんの幼馴染?」
「そう」
幼馴染。伊織の質問にそう返すレイラに、真也はドキリとした。
幼馴染との久しぶりの再会。
それは、真也のイメージする少女漫画での恋の始まりのテンプレートのように思える。
何か言わなくては、とも思うが、何を言えばいいのか分からない真也があわあわとしている間に、レイラは次の言葉を放つ。
「私、ユーリイ苦手。キザで、めんどくさい。あと香水、変」
すごい言われようである。
レイラは嫌いな人間に対して、割と容赦のない喋り方をするため、本当はどんな人物かはわからない。
この言い様から、真也は一安心するが、しかし、仲が良いからこそ、このような物言いなのかもしれない。
どちらなのか、と真也は、思考の迷宮にはまっていく。
「そういや、レオノワさんって、レイラ・レオノワだよね?」
伊織は、そんな真也を気にもとめずにレイラに質問する。
どうやら、レイラが先ほど言った『日本に来た理由』で共感を覚えた伊織は、レイラの事をもっと知りたくなったのだろう。
「でも、さっきのユマーシェフ? だっけ。彼とかレオノワさんのお父さんって名前長いよね。たしか……ラーザレ…なんとかって」
「レオニード・ラーザレヴィチ・レオノフ」
レイラの言葉に、伊織が頷く。
「そうそう。長いよね。でも、レオノワさんって、レイラ・レオノワでしょ?」
「それに、苗字も違いますねぇ……あっ、もしかして、聞いちゃいけない事でしたかぁ!?」
相槌を打ち、話題に足を踏み込んだ美咲は、その一歩目で地雷を踏んだのでは、と焦る。
しかし、それに対するレイラの反応は、特に気にしていない様子だった。
「喜多見、安心して。苗字は、男女で変化する。普通に親子。
……あと、実は、私も、フルネームは長い。
父姓、というのがある。ユーリイだとユスノヴィチ。父親の名前…ユスノフが変化して、真ん中に入る。ユスノフの息子、という意味」
父親の名前が、息子のミドルネームになる。それは日本では考えられない、不思議な風習だと真也は感じた。
「へぇ、そうなんだ……なんか、凄いね」
驚く真也に、「古い風習」とレイラは笑い、言葉を続ける。
「私のフルネームは、レイラ・レオニードヴナ・レオノワ。
レオニードヴナ、が父姓で、レオニードの娘、という意味。そこを名乗るとバレるかも知れない……から」
たしかに、ロシア語と、ロシア文化に明るい人ならば、父親の名前がレオニード・レオノフであると分かるのだというが、日本人でそれに気づく人間はごく少数だろう。
つくづく、日本とロシアは違う文化なのだな、と真也は驚き、そして決意した。
「あのさ、レイラ」
「なに?」
「ロシア語、俺にも教えてよ。俺もロシア語、話せるようになりたい」
その宣言は、レイラと共にいたいという気持ちから来たものだった。
たとえオーバード同士であれ、レイラの生きている世界を、ちゃんと理解したい。
オーバード同士だからこそ、ある意味ねじ曲がったコミュニケーションが成立しているが、それに甘えてはいけないと、真也は感じたのだった。
その言葉に、レイラは驚いて目を見開くが、すっと陰を落とす。
「でも、その、難しい…かもしれない、よ?」
おずおずと真也に告げるレイラを、真也はしっかりと見つめ返し、返事を返す。
「うん、それでも、ロシア語を話せるようになりたいんだ。男性名詞とか、なんかややこしそうだけど、頑張るよ。レイラの国のこと、ちゃんと知りたいんだ」
「そう」
真也の思いの丈に比べれば、レイラの返答はとても短いものだったが、その笑顔は、言葉以上に雄弁に、レイラの心情を表していた。
「挨拶から、教えるね?」
そうして、昼食の場は急遽『レイラのロシア語講座』へと変化したのだった。




