051 船上特別授業
乗船して2時間が経ち、朝食を済ませた一年生達は作戦会議室、と呼ばれる巨大な部屋へと来ていた。
天井も高く、広々とした空間は、3隻に分かれて乗船したとはいえ、100名ほどの生徒全員が一箇所に集まり、各個人に座席があるほどである。
「ま、間宮さぁん!」
作戦会議室へと入室した真也へと、声が掛かる。
声の方へと目線を向けると、部屋の隅に座り、手をぶんぶんと振る美咲を見つけ、そのそばの席へと向かう。
美咲の横には、無事バディとなったレイラもまた、着席していた。
真也を呼んだ声は、普段の美咲からは考えられぬほど大声であり、船酔いからは脱したように真也には見えた。
「喜多見さん、もう船酔いは大丈夫なの?」
「はいぃ、なんか、あんまり揺れなくなったのでぇ! 大変ご迷惑をおかけしましたぁ……」
そう言って深々とお辞儀をする美咲に、真也は「酔いが止まってよかったね」と伝え、着席し、周りを見渡す。
作戦会議室の一年生たちの顔は一様に暗い。
合宿のため早起きさせられたにも関わらず、しかも今後大変な日程が待っているのに、移動日すら授業があるというのは、伊織の言った通りに「最悪」だとみんな思っていたようだった。
「みなさんおはようございます、ハイ。異能顧問の津野崎真希です」
授業のせいで暗い顔の一年生達とは対照的に満面の笑みで彼らを出迎えたのは、津野崎だった。
いつものツナギと白衣ではなく、ピシッとしたスーツに身を包んでおり、その姿は真也には新鮮に見えた。
「みなさん、まだ眠いかと思いますが、この授業でも単位がありますんでネ、しっかり起きててくださいネ」
最後にはテストもありますんで、ハイ。と続ける津野崎は、いい笑顔だった。
授業中、こっそり寝ようとしていたレイラが拳を握る。
「ぐぬぬ……ツナギの……」
単位があり、そしてテストがあるとなると、下手に寝ることが出来ないではないか。とお門違いな怒りを津野崎に向けるレイラを真也がたしなめる。
「レイラ、あんまり津野崎さんを目の敵にしないで」
「そ、そうですよぅ、お、お偉いさんですよぉ……」
真也の言葉を、小市民的な発言で美咲が引き継いだ。
そんな真也たちの会話も津野崎へは届いておらず、授業が開始される。
「では、まずはこの船についてです。
この船は殻獣から得られたテクノロジーを駆使して作られた最新鋭の軍用船であり……」
津野崎の説明はいつものように理路整然として分かりやすい。
しかし、全く興味のない船の話となると、流石の真也も、眠気が出てくる。
真也の脳が活動を止め、ぼーっと何もない空間を見ていた、その時だった。
「ハイ、では……Aクラス、間宮さん。この船の最高速度は?」
「え!? えっと……」
急に津野崎から指名され、真也はうろたえる。
真也が惚けているのを見かけた津野崎による、有難くないイタズラだった。
「間宮、146ノット」
しどろもどろな真也に、伊織がこっそりと答えを教える。どうやら彼は真面目に授業を受けているらしい。
「え? あ、146ノットです!」
「……その通りですネ。世界最高速です」
真也が答えを出したため、津野崎はつまらなさそうに真也の答えに補足を入れる。
「146ノットで走行可能、といっても常に最高速度で航行するではありません。最高速度を出すのは主に緊急時などですネ。
ですが、ちょうど今は最高速度でないにしろ高速航海中ですので、みなさん休み時間でも決して外へ出ないように。吹き飛ばされますよ、ハイ」
真也は授業の間、まったく揺れなどを感じなかったが、どうやらこの船はかなりの高速で移動しているらしい。
146ノット、という速度がどれほどなのか、自分の口で答えながらも彼にはそのスピードがどんなものか全く分かっていなかった。
津野崎はポケットから懐中時計を取り出して時間を確認すると、一年生たちに向かって彼らが最も喜ぶであろう言葉を投げかける。
「では、この後はロシアの営巣地についての授業を行います。
ですがその前に、休憩といきましょう。ちょっと長めに20分ほど取りましょうか」
その言葉に、真也を含めた一年生たちは色めき立つ。
「20分後、この作戦会議室まで再集合してくださいネ。では、お疲れ様でした」
津野崎の言葉に返ってくる、お疲れでした、という一年生の声は、はっきりとしたものだった。
伸びをしながら真也は伊織へと礼を告げる。
「伊織、助かった」
「いや、別に……んー、1つ貸し、ね」
伊織は急遽、返事の内容を変え、真也はそれに笑いながら応えた。
「なんだよそれ。別に、じゃないのかよ」
「いや、間宮には貸しを作っておいた方が何かと便利な気がしてね」
「はいはい。借りとくよ」
「じゃあ、貸しの利息でジュース奢ってくれよ」
「もう利子発生したのかよ!?」
伊織は今回の貸しに、闇金ばりに高い利子をつけたようだった。
伊織に『いちごみるく』という利子を払い終えた真也は、目覚ましにと自分用にもコーヒーを買い、引き続きの授業に取り組んだ。
「さて、ロシアの営巣地についてですが、今回、皆さんが行くのは2箇所です。お手元のしおりの日程表を見てください。
1箇所目はオゼロトゥンガル営巣地、2箇所目がハバロフスク8-Fですネ」
休憩後の津野崎の授業は、宣言通りに真也たちの乗る船や殻獣テクノロジーといった話題から、この後に向かうロシアの営巣地についてへと移り変わり、生徒たちの授業に対する熱も、1段階高くなった。
熱心に耳を傾ける一年生たちに満足しながら、津野崎は言葉を続ける。
「1箇所目のオゼロトゥンガル営巣地は同名の湖のそばにあります。
オゼロ、というのがロシア語で湖、という意味ですからネ。こちらはC指定営巣地です、ハイ」
「へぇ……オゼロ、が湖なんですねぇ」
美咲が津野崎の言葉に感心したように相槌をうつが、レイラがその言葉に意見を差し込む。
「正しくはオゥジェロ」
発音の問題である。何かにつけてレイラの邪魔をする津野崎に、レイラは完全な揚げ足取りを行なったのだった。
「お、オージェロ?」
見よう見まねで美咲が口にするが、レイラはその発音に首を振る。
「違う、そんな伸ばさない。ちょっとだけ、伸ばす。オゥジェロ」
「ふぇ……すいません……」
レイラの言葉にはやくも涙目になる美咲へと、真也は助け舟を出す。
「なんか、ロシア語って難しいんだね」
「ロシア語、かんたん」
「へぇ、そうなの?」
ならば、合宿が終わったあとロシア語を勉強してみるのも悪くないと真也は思った。
自己紹介の際、レイラは「頑張れば日本語も喋れる」と言っていた。
レイラは日本文化に歩み寄ってくれている。
ならば、真也もロシア語を話す事で、ロシア側に歩み寄り、レイラとの仲を進展させることができるかもしれない。
「あ、でも日本人には、難しい、らしい」
真也の決意に対し、レイラは注釈をつける。
「主格と対格と与格が、ややこしい、と言われたことがある」
「よ、与格?」
初めて聞く言葉に、真也は戸惑う。
「あと、男性名詞と女性名詞。中性名詞も」
「……あ、うん。何となくわかった」
聞いたことのない言葉の羅列に、真也はロシア語が簡単であるというレイラの言葉を信用しないことにした。
「私は日本語と英語で手一杯ですぅ……」
「俺は英語すらだよ……」
レイラの呪文のような単語の羅列に、美咲がか細い悲鳴のような声をあげるが、真也はそんな美咲よりもさらにロシア語に遠い場所にいるのだ。
「……まあ、オーバード同士。話せなくとも、気にしない」
落ち込む真也に、レイラは励ましの声をかける。
肩に手を置き、優しくかけたその言葉の裏で、レイラは少しだけ、寂しさを感じた。
自分の国の言葉を、知って欲しい。自分の国のことを、知ってほしい。レイラはそんな気持ちを心の中にそっと隠したのだった。
真也たちが小声でそんな私語をしている間にも、津野崎の説明は続いていた。
「次に、ハバロフスク8-Fは、名前の通りF指定の殻獣営巣地です。こちらは広大な営巣地であり、野営地を作り、一泊します。翌日は、そのまま夕方まで営巣地で活動予定です」
ギリギリまで営巣地で過ごすという言葉に、真也はぼそりと呟く。
「……観光はできないのかな」
「時間あっても、オホーツク港、何も、ないよ?」
「そっかぁ…残念」
レイラはオホーツク港へと行ったことがあるが、大量の倉庫と軍事施設、そして軍人相手の商店がいくつか。そんな事務的な港だったと記憶している。
そして、自身がその港へ行った際、津野崎が口に出した二箇所の営巣地にもまた、立ち寄ったのだ。
レイラは、ニヤリと笑う。
「ハバロフスクの営巣地、分かる。テスト、どんとこい」
そう言い放ったレイラは、腕を机に乗せ、枕を作ると、その上に頭を乗せた。
「おやすみ」
ふああ、と欠伸をするレイラ。
それを、津野崎が見逃すわけがなかった。
「では、せっかくですのでロシアから日本に来ているレオノワさんに、ロシアの営巣地についてお聞きしましょう」
その言葉に、生徒たちの目線がレイラに集まり、レイラは大急ぎで姿勢を正す。
「ぐっ……ツナギのぉぉぉ……!」
レイラの怒りの言葉は、真横にいる真也にしか聞こえない程度のものだったが、怒気を通り越して殺気すら感じられた。
「今回、レオノワさんのお父上であるロシア支部のレオニード・ラーザレヴィチ・レオノフ少将もお見えになられるそうですしネ。『白狼』と呼ばれ、ロシアでは大変有名だそうです」
津野崎がの発言に驚いた伊織と美咲が、声をあげる。
「レオノワさんのお父さんって、国疫軍人だったの?」
「……うん」
「と、というか、しょしょしょ少将なんですかぁ!?」
少将。それは軍において上から数えた方が圧倒的に早い存在である。
以前、レイラからその話を聞いていた真也ですら、少将であるというのは初耳だった。
「レイラのお父さん、すごい人だったんだね」
「……うー、うん」
そんな、肉親を褒める周りの反応とは対照的に、レイラの反応は鈍い。
まるで、触れられたくない、と言わんばかりの反応に、真也は何か引っ掛かりを感じるのだった。