031 入学式
入学式の受付を済ませ、真也とレイラは式の行われるホールへと足を踏み入れる。
真也の中学の入学式の時は体育館であったが、東雲学園では学内に併設された劇場のようなホールで行われるようだ。
映画館のように、座席それぞれに番号が振られている。
ざっと見回す限り500近い人数が既にホールの中にいるだろう。
真也の持つ受付票には、B列8番と書かれていた。すでに結構な数の新入生たちが着席しており、真也とレイラも座席番号を確認しつつ、席に着いた。
しばらくすると舞台上に様々な楽器を持った生徒たちが現れ、アナウンスが流れてくる。
「只今より、第62回、東雲学園高等部、入学式を始めます。日本語を母国語としないオーバードの生徒は、配布されたイヤホンを装着して下さい」
真也はそのアナウンスを聞き、ちら、とレイラの方を見る。するとレイラは受付で貰っていたイヤホンを耳に差し込んでいた。
スピーチの内容を、同時翻訳ならぬオーバードによる同時発声にて共通概念で聞くためのものだ。
何人か見受けられる外国人たちも、同様にイヤホンを耳に挿していた。
「まずは、東雲学園吹奏楽部による、校歌の演奏です」
そのアナウンスとともに見事な演奏が始まり、入学式が開始された。
真也は、その演奏に入学した実感を感じ、中卒認定試験に向けて必死に勉強した日々を思い出して少し目頭が潤んだ。
しかし、他の新入生たちは中卒認定試験よりも恐ろしく高い壁の入学試験をクリアしているのだから、真也の感動は相対的には安いものだったのだが。
演奏の後は、理事長によるスピーチである。
壇上へと現れた理事長は、綺麗な女性だった。年齢は30代半ばであろう。スタイルが良く、腰まである黒いロングヘアーはよく手入れされており、照明を浴びて輝いている。
「新入生のみなさん、おはようございます」
キリっとした顔つきにそぐわない、優しい声だった。
グレーの丈の短いジャケットから出る腕に、識別バングルは見当たらない。
どうやら理事長はオーバードではないらしい。
「私は、東雲学園理事長、東雲志乃です。
皆さんのような、優秀な、この世界を背負って立つ若者とこうして相見えること、毎年のことながら誇りに思います。
先日、南宿でバンが発生しました。
日本において、大事件として歴史に刻まれるほどの、非常に稀に見る大規模バンでした。
皆さんの中には、軍務で救護活動に行ったオーバードの方や、巻き込まれた方、知人を失った方もいるかもしれません。
しかし、そのような大事件に巻き込まれながらも、こうしてこの道を進むと心を揺らがせなかった前途ある若者たちにへの賛辞として、新入生の皆さんへの挨拶とさせて頂きます。
皆さん、入学おめでとう。そして、ありがとう」
理事長はそう言葉を結ぶと、壇上を後にする。短いが、真也の心に残るスピーチだった。
大きな拍手がホールに響き渡り、真也もまた、惜しみなく拍手を送った。
式は、続いて校長の挨拶に入る。
「えー、みなさん、おはようございます。先ほど、理事長がおっしゃられた通り、えー、バンが発生いたしました。えー、それに伴って……」
校長、スピーチ予定、被ったな。
真也は校長の焦りを見せる表情と喋り方から、そう断じた。
校長の話は、リズムが一定で、間に挟まれる「えー」という言葉が、まるで催眠術かのように真也に眠気を誘わせる。そして、長い。
真也がはっ、と現実へ戻った時には、校長は「入学おめでとう」と言葉を結んでいた。
新入生の一団からは、先ほどよりも小さな拍手が響き、真也も遅れて手を鳴らす。
次は生徒会長からの挨拶である。
壇上へと上がってきたのは、すらっとした高身長の男子生徒だった。
整った顔立ちだが、細長い眼鏡の下にある瞳は真也に、性格がきつそうだな、という印象を与える。
フォーマルな格好でまとまった服装。ジャケットの胸元には最高学年を表す紫の徽章が光る。
生徒会長はマイクの前に立つと、一度新入生たちを見回してから、スピーチを始める。
「生徒会長の九重光一だ。五月に次の生徒会長が決まるため、新入生の諸君にとっては、ひと月ほどの間の生徒会長だが、よろしく頼む。
この学校の校則の第1条は『東雲生であること』。以上だ。これには多くの意味が含まれている。
それを自力で理解すべきとは思うが、高等部から入学した生徒へ向けて、先達として言わせてもらいたい。東雲学園は日本のみならず、世界的にも注目される学園だ。
その生徒であることに誇りを持つ以上に、その学園に相応しい学生であることに力を注いでくれ。入学おめでとう」
そう結ぶと生徒会長は一礼した。どうやらスピーチは以上らしい。
いきなり、厳しいことを言われた新入生たちは、先ほどよりさらに少ない拍手を送る。
真也も拍手をしながら、怖い先輩だな、と今後の学生生活が少し不安になった。
その後は新入生代表の挨拶なのだが、これは、あまり真也の印象に残らなかった。
眼鏡をかけた、どの学校にもいそうな委員長タイプの男子生徒が、緊張の面持ちで何か話していたな、くらいだ。
なにせ、入学式は長い。ホールの客席は照明が落とされ薄暗く、そして、座り心地の良い椅子が、油断すれば真也の意識を刈り取ろうとしてくる。
入学式が終わり、ホール全体の照明が明るくなる。真也は1つ背伸びをすると、立ち上がった。この後は、各教室でのホームルームがあり、終了とのことだった。
終わりのアナウンスで、受付表の下部に記載されたクラス分けに従って、教室へと移動するよう指示される。
レイラと合流し、お互いクラスを確認すると、Aクラスと書かれており、同じクラスであることを喜びあった。
一年生は3階、2年生は2階、といったような教室分けが一般的とされる中で、この学園は、1学年ごとに校舎が用意されている。
それらは『学年棟』と呼ばれ、一年生が使う『一年棟』と呼ばれるその校舎には、他の学年棟と同じようにトレーニングルームやラウンジが併設されており、生徒たちの豊かな学園生活をサポートしている、とはパンフレットの言だ。
1階は広間と、受付のようなもののみ。
2階にAとBとC、3階にDとEとFクラス。4階には非オーバードのクラスである1組、2組、3組の教室がある。
5階には多目的室、地下にはトレーニングルームだ。それぞれの階にラウンジが併設され、雑談に花を咲かせるには良さそうだった。
階数は多いが、エレベーターまで完備されており、本業以外で生徒に手間をかけさせないという、名門校の心意気が感じられた。
真也とレイラは階段で二階に上がると、1-Aと書かれた教室の中へと入る。
教室の前面にあるホワイトボードには自由に着席して待機するよう書かれており、真也は、レイラと2人並んで座れる場所を探す。
そのように辺りを見回していると、朝に見た兎の耳の生徒を見つけ、真也の視線が吸い込まれた。
「真也、こっち」
同じクラスなのか、と真也が気に留めている間に、レイラが座席を確保してくれていたようだった。
「あ、レイラありがとう」
「…そんなに、ウサギ、気になる?」
真也の目線に気づいていたのであろうレイラが、真也に問いかけた。
レイラは無表情だったため、どういった意図で聞いたのか真也には読み取れなかったが、なんとなくばつが悪くなり、真也は言い訳する。
「いや、エボルブドって珍しいじゃない?」
「たしかに。でも、学園、多い」
「…そう言われれば、そうだけど」
真也はクラスを見回る。うさ耳の他に、狐っぽいのやら、クマのような丸耳も。手に水かきの付いているものもいた。
「エボルブド、エンハンスドよりも、大体強い。だから、上のクラスだと、多い」
上のクラス、というレイラの言葉の意味が理解できなかった真也は、レイラに聞き返す。
「…上のクラス?」
「知らない? Aクラス、選抜クラス」
「え、そうなのっ…!?」
真也は声を潜めながらも驚きの声をあげる。
「うん。明確には、言われてない。でも、毎年、そう…らしい」
そのクラス分けは津野崎の根回しだった。
なにせ真也はハイエンドのオーバードだ。本人にその自覚が有る無しに関わらず、その事実は真也を特別な存在へと変えてしまう。
集合時間の30分前を迎える頃には、Aクラスの生徒は皆、教室へと集まっていた。
中等部からのエスカレーター組同士が仲良く話しており、真也は少し疎外感を受け、彼らと違い、レイラしか知り合いがいない事に不安になった。
不意に、レイラに向けて声が掛かる。
「あの、レオノワさんですよね?」
真也がその方向を見ると、男子生徒がレイラに話しかけていた。
清潔感のある黒い短髪と、大きな口が特徴的な男子だった。真也よりも身長は少し高いくらいだろう。細いが鍛えられている腕を、レイラに伸ばしている。
レイラはその手を一瞥すると、気付いたように握手の手を差し出した。
握手をした男子生徒は、顔を赤らめ、明らかにレイラに気のある雰囲気だった。
「そう。レイラ。よろしく」
「よ、よろしくお願いします! 俺、葛城直樹っていいます。直樹って呼んでください!」
「どうも」
「あの、この前のバンで作戦活動、一緒でした」
「そう」
「お、同じクラスになれて、光栄です。レオノワさん、強いですから」
「…ありがとう」
「い、いえ。その、よかったら…」
「…なに?」
「…いや、なんでもないです。また、あとで話しても…?」
「構わない」
「じゃ、じゃあ、また…」
離れていく葛城と名乗った男子生徒。離れていく彼の背は、真也には少し悲しそうに見えたが、いい雰囲気にならなかったことを、真也は心のどこかで喜んだ。
素っ気ない対応を受けたと思ったのだろうが、これが普段のレイラである。
その後も何度か、男子生徒に同じような手口でレイラは声を掛けられ、その全てが肩を落として席へと帰っていった。
最初は肩を落とし去っていく男子に対して少しだけ優越感を感じていた真也だったが、その数が増えるたびに、自分だけが本格的に知り合いが少ないと実感し、優越感は焦りへと変化するのだった。
時間になり、1人の中年男性が教室の中へと入ってくる。
がっしりとしたガタイと、精悍な顔つき。
鋭い眼光で真也たちを見回し、『しっぽ』を振りながら、教壇へと向かい、真也はその様子にぼそりと呟く。
「ネコミミ…」
中年男性の頭からネコミミが生えていた。猫のしっぽも。黒い短髪の間から、ぴょこんと生えるそれは、非常に可愛らしい。
鋭い眼光に目をつむり、右に左に動くネコミミだけを見れば、だが。
真也は、がっかりを隠せなかった。
この世界に来て、本物のネコミミが見られると聞いたとき、少しワクワクしていたのだ。
動画サイトで見たオーバードアイドル「ネコミ」に驚愕し、実際の目で見てみたいと思っていたのに。
真也が実際の目で初めて見たのは、中年男性のネコミミだった。
「そんな…」
少し考えれば当たり前のことである。
ネコのエボルブドにも、性別、年齢に様々な差がある。ネコミミの中年男性も、いて然るべきなのだ。
男性の、ネコミミ以外は屈強な肉体とその風貌は、スーツに身を包んでいるが軍服の方がよほど似合いそうだと真也は思った。
男性は教壇まで歩くと、クラスの生徒たちへと語りかける。
「えー、何度言われたか分からんが、入学おめでとう。担任の江島正志だ。諸君らを今年一年、担当させてもらう」
江島正志と名乗った担任の声は、その姿にそった、そしてネコミミにそぐわない、渋いものだった。
「では、各々の自己紹介から始めようか」
江島の言葉によって、高校生活の頭に滑らないことを第一目標と設定している真也にとっての、最大のイベントが始まった。