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002 嫌悪感を催すモノ


 轟音と共に目の前に現れたのは、カブトムシの甲羅と蜘蛛の足とカマキリの腕を混ぜあわせて、さらに巨大化させたような存在だった。


 虫の化け物。


 真也の目にはそう見えた。そうとしか見えなかった。


 一軒家ほどの大きさの丸みを帯びたフォルムは毛が生えた部分と黒光りする甲羅とに分かれ、何本も生えた脚は節足動物とよばれる、昆虫のそれだ。

 顔の前でカマキリの腕がカマを擦り合わせており、鈍い音が鳴り響く。そのカマの部分だけですら、真也よりも大きい。


 あまりに現実離れしたサイズ、子供が適当にくっつけたようなそのフォルムは、生理的な嫌悪感を真也に植え付ける。


 威嚇するように、虫の化け物はガチ、ガチ、と顎を鳴らしながら真也へと体を向ける。

 昆虫でいえば複眼と呼ばれる、六角形を大量に貼り合わせたような目は、どこを見ているのか定かではないが、真也は目があったように感じた。


 死ぬ。


 そう咄嗟に感じる。どう考えても会話なんか成立しない。カマキリの腕は、真也の体を引き裂くのに充分な力強さを感じさせ、その幻視を呼び起こす。


「うぁぁぁぁ!」


 真也は、叫び、無意識に逃げ出そうと振り向く。

 足がもつれる。強かに身体を地面に打ち付ける。その痛みで、ハッと我に帰り、思い出す。


 自分と相対していた、少女の事を。


 足が震える。彼女は自分より強いだろう。

 だって、自分が彼女と同じようにビルにぶつかっても死ぬだけだし、ひとっ飛びで何メートルも移動できないし、彼女のように武器みたいなものも持っていない。


 手も震える。さっき会ったばかりの少女だ。

あの、虫の化け物から身を守るほうが大事じゃないか? そう、逃げたほうがいい。かないっこなんかない。


「に、にげ……」


 その考えを抑え込む。


 どう見たって女の子だ。あの虫の化け物より強いわけなんかない。俺はもう、二度と、誰も守れないなんて嫌なんだ。


「ぅわああああああっ!」


 真也は、少女を見捨てるという考えを抑え込み、手近な瓦礫を掴む。


「このやろう!」


 思いっきりの罵声とともに、掴んだ瓦礫を化け物に投げつける。


 自分を鼓舞すると言えば聞こえはいいが、真也ができることといえば、奇声をあげながら、虫の化け物に石を投げつけるだけだ。


「向こうへ! 早く!」


 日本語が通じないであろう少女に向かって大声を張り上げ、身振り手振りで少女に逃げるように促す。


 少女は驚いた顔をして腕を真也へと伸ばし、そのまま前へと一歩踏み出す。

 真也はそれを視界に入れると腕を大きく振り、声を荒げる。


「違う、こっちへ来ちゃいけない! 早くにげーー」


 ゴシャ、という音がした。


 脳が揺れる。ひとつ遅れて、体が横に吹き飛ぶ。瓦礫の壁に強く体を打ち付ける。


「げほ……は……」


 さらにもうひとつ遅れて、真也は、虫の化け物に殴り飛ばされた事に気づいた。


「ひゅー……ひゅー……」


 真也の人生で受けたことのない痛み。


 必死に息をするが、肺に異常があるのか、隙間風のような呼吸しかできない。

 痛いというのを超えて、熱い。口の中から、鉄の味がする。口の中を切ったのか、それとも、体内から込み上げたものか。


 熱い。朦朧とする。それでも、真也の目線は少女を追う。


 逃げてくれ、逃げてくれ。


 そう一心に願う。虫の化け物の出鱈目な暴力を受け、その思いは強くなる。


 しかし少女は、真也の願いとは裏腹に、こちらに向かって駆け出す。


 その動きに反応したのか、虫の化け物は少女の方へと振り向き、何本もの足を忙しなく動かして、行く手を遮るように真也と少女の間へと割り込んだ。


 真也は痛みに耐えながら、姿の見えなくなった少女へと向かって口を開く。


「はや、く……に……げ……」


 ドシャ。


 化け物が落ちてきた時よりも、少女が飛んできた時よりも小さなその音は、しかしながら真也の耳に明瞭に届いた。


 何かが、硬いものを貫き、肉を裂く音。その音と共にあった変化は、真也を驚かせた。

 少女の方を向いていた虫の化け物の背中から、黒い棒が突き出している。その黒い棒は、先ほど少女の持っていたそれに、よく似ていた。


 崩れ落ちる化け物。横へと転がり、天地を逆にして、脚を小さく折りたたむ。そのまま、脚をヒクヒクと痙攣させ、そして、動かなくなった。地面に、緑色の水たまりを作る。


 辺りには、恐らく虫の化け物の体液であろう、酸い匂いが立ち込める。


「……ぇ?」


 真也は、目を大きく開く。少女の手にあった黒い棒がなくなっている。どうやら、少女は先ほど真也に向けていた黒い棒で虫の化け物を貫いたらしい。

 真也があっけに取られていると、いつのまにか少女は真也のすぐそばまで来ていた。


 少女は、涙を流していた。膝をついて、真也の頬に手を添えている。


「––––––––。––––––––––––––」


 また何か言っている。


「ごめん、何……言ってるか……わかん……ない」


 真也は、意識が遠くなるのを感じていた。気を失うだけなのか、それとも、死ぬのか。


 先程自分の死体を見たばかりで、自分もまた、死ぬ。

 そんな、訳の分からない、夢のような、なんの整合性もない世界。

 真也は、とりあえずでも少女が無事そうであることに満足し、目を閉じそうになる。


 真也は、何もできなかった。少女は逃げる必要すらなかった。なら、自分が虫に殴られたのは、殴られ損だ。何の、意味も無かった。


 しかし、真也はその行動に、後悔はしていなかった。

 あの瞬間において、後悔しない行動をとることができた。たとえ自己満足であろうとも、ちゃんと、生きられた。

 真也は、それだけで、十分だった。


 そして、最後に見るのが、美少女の泣き顔というのも、どことなく映画のようで…


 ドォン! ドォン! ドォン!


 真也の、そんな小さな満足のいく死のワンシーンは、またもや轟音にかき消される。


 少女が振り返る。その目線の先には、虫の化け物。


 さっきのものより、ひとまわりは大きい。今度のものはダンゴムシのような姿だが、そのサイズは真也の住むアパートほどのサイズがあった。それが、少なくとも3匹。


 本来のダンゴムシには無い、2対の長い節足がこちらに向かってうねうねと蠢いている。


 立ち上がった少女の顔を見上げる。そこには、先ほどまでとは違う、『焦り』が見えた。


 真也の意識が覚醒する。


 少女は、またもやどこからともなく取り出した黒い棒を二本、それぞれの手に持っていた。


「––––––––。––––!」


 何事かを真也へと伝えると、少女は化け物へと駆けていく。しかし、何を伝えたいのかは真也には分からない。


「まっ、て、だめ……だ!」


 必死に手を伸ばそうとするが、体はもう言うことを聞いてくれない。


 真也は瓦礫の上にうずくまって息をするのが精一杯だった。


 そんな真也とは対照的に、少女はまるで重力を感じさせないように軽々と舞い、虫の化け物に向かって投槍の要領で、黒い棒を投げつける。投げたそばから、また少女の手元に黒い棒が現れる。


 ガァン、ガァンと音を立てて、虫の甲殻が棒を弾く。


 少女の攻撃を受けるたび、虫の化け物は後退するが、どうやら、あの大きなダンゴムシの化け物の甲殻を貫くには足らないらしい。


 しかし、少女は逃げない。真也の周りを飛びまわりながら、倒せないながらも、棒を投げつけて虫の化け物を押し返す。


 次々と虫の化け物が現れ、2人を囲む。いくつかの化け物は少女の投槍によって絶命するも、一番大きな虫の化け物には、少女の攻撃では決定打にならない。


 気がつけば、少女と真也の周りは、虫の化け物だらけになっていた。


 真也は、動くこともままならないながら、気を失うこともなく、歯がゆい思いをしていた。


 それは、自分を中心に、近寄ってくる虫の化け物を追い払う少女の戦い方から、自分を守っている事が分かったからだ。


 自分のせいで、少女が、化け物が集まってくるここを離れられないということが分かったからだ。


 さっきの殴られ損は、自分の取れる責任以上の負担を、彼女に背負わせてしまったのだ。


「逃げて、逃げて……よ……」


 少女に向けて、そう語りかけるのが精一杯。

 しかし、そう願ったところで、少女は、ただただ戦い続ける。


 真也は、不甲斐ない、という言葉では足りないほどの後悔に苛まれていた。


 ドォン!


 次々に現れる虫の化け物、しかしながら、ひときわ大きいその爆音は、4匹目の、少女の攻撃の効かない大きなダンゴムシの到来を告げていた。


 少女が戦う輪も、少しずつ小さくなってくる。じわり、じわりと、虫の化け物の大群が近づいてくる。


 小さい虫…と言ってもバスケットボールほどの大きさのカナブンが、少女の攻撃の隙間を縫って真也のすぐそばに飛んでくる。


 カァン! と甲高い音と共に、真也の体が吹き飛ばされる。


「うわぁぁ!」


 真也は頼りない悲鳴をあげ、宙を舞った。


 その声を聞いた少女は、大急ぎで真也の元へと走る。しかし、少女と真也の間に、何匹もの虫が陣取る。


 少女の防衛線は、もはや決壊した。


 真也の体は宙を舞い、地面に叩きつけられる。もはや、叩きつけられたから痛いのか、元から痛かったのかすら分からない体を必死に起こそうともがく。砂塵が舞い、何度もむせる。


 横倒しになった体をなんとか立て直そうと四つん這いになる。


 埃が舞う中、ゆっくりと目を開けると、目の前に『それ』はあった。


 真也は、目が合った。


 座り込む、彼自身の、死体と。

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