191 幕間:王国
『希望の国』、その本拠地はノースウェスト・アークティックから少し東、アラスカ西部のコブク川の上流あたりに位置する。それがこの国の『首都』であり、唯一の都市である。
もし訪れたのであれば、まず目に飛び込むのは直径6キロの真円型の高い城壁。
地形を無視したその形状は、人の手によって『建築』されたものではない。岩山の異能……もしくはそれに類する力によって『発現』されたものだ。
城壁の東西南北には大きな門が設えられており、中心地にはほんの数日で作られたとは思えぬ、立派なルネサンス調の城が鎮座している。
城壁の内側には、その城しかない。
城の周りには木の一本もなく、荒地と枯草。ただただ『何もない空間』がある。
それが、城壁の中の全てだ。
『希望の国』の『国民』たちは、東西南北の門近くの『外側』に己の住まいであるテントや仮設住宅を設けている。
彼らは誰一人、城門の中に入ろうとはしない。
希望の国の城、王の居城。
その最上階である『王の間』には、玉座を除いて調度品は無い。
急造された、ささくれた岩肌ばかりの灰色の世界が広がっている。
その部屋に、『人間の姿』は二つあった。
一人は玉座の隣に立つ男性、『突然死』ラファエル・リベラ。
もう一人は、痩身の男。
頭から大きな布を被り、その顔は窺えない。布の下から生えているようにすら思える手と足は、黄色人種のもの。
座るのは、彼の身体に合っていない、文字通りキングサイズの『玉座』。
その世界は灰色で無機質であるが、無音ではない。
静寂の間を縫うように小さな咀嚼音と、肉を貫く音が響く。その音源は玉座から最も遠い入り口の横。そこだけが、岩肌の灰色の世界の中、唯一『赤い』。
リベラは意を決したようにゆっくりと口を開く。
「……ウィルさん、なんでここで?」
「ここで終えるのが、正しい『戯曲』だからだ。玉座、王の崩御、カタルシスを生む、次なる支配者の登場。行われる場所は旧支配者の玉座以外考えられんよ」
ウィルと呼ばれた男は、リベラの質問に対して即答した。
足を組み直すと、灰色の世界の中、唯一『赤い』場所を見つめる。
赤は、血の色。そこでは、越え太った男が喰われていた。
喰われているのは、『希望の国』の国王であり超自然主義第一人者、『バートレー・ブロックハウスJr.』その人である。
恐怖から目を見開き、怒りから強く奥歯を噛み締めた表情のまま壁にもたれるように絶命し、肉を引きちぎられるたびに『反応』として体を揺らすのみ。
捕食者は、小さな少女。
緑色の肌は『人型殻獣』の証。同じく人型殻獣であることを表す、背中から伸びた一対の節足が粘ついた水音を伴って幾度も刺さり、死体を肉片へと変えていく。
人型殻獣の少女は、肉を引きちぎっては口へと運び、ひと口喰っては投げ捨てる。
ぐしゃり、ぐじゅり、と音を鳴らして人が壊れていく様を、ウィルはつまらない演劇のように眺めていた。
「重要性で言えば、幕間、というところ……いや、回想だな。
愚かなるものでも、王の死は幕間で扱うべきではないだろう?」
玉座に肘をつき、再度口を閉じたウィリアムに、リベラはゆっくりと息を吐き出す。
「……そうですか」
目の前で人が死んでいる——しかも、『化け物』に喰われている——にも関わらず、それを『物語』だというウィルの言葉に、リベラは蒼白の面持ちでゆっくりと呟いた。
しばし続く咀嚼の音は徐々に小さくなり、捕食者の少女はもぞりと動いた。
「おとーさん」
玉座の間に、気の抜けた少女の声が上がる。
けぷり、と可愛らしいげっぷを鳴らすが、その口元は、真っ赤な鮮血に彩られていた。
「どうした、スザンナ」
ウィルは前のめりに椅子に座り直し、慈愛に満ちた声をかける。
スザンナと呼ばれた人型殻獣は、三分の一ほどをばらし終えた肉塊を指差す。
「もう食べれない。これ、おっきい」
「そうか。じゃあ、残りは友達にあげなさい」
「ハーミアはだめ?」
「そうだな。母さんにあげてもいいだろう。行っておいで」
死体を指差して行われる、どこにでもありそうな親子の会話。
スザンナは「はーい」と気の抜けた返事をすると、節足でブロックハウスJr.だった肉塊を掴んでずるずると引き摺りながら王の間を後にした。
地面に赤いカーペットが伸び、玉座の間には静寂が戻る。
少しの沈黙の後、リベラはずっと思っていたことを口に出した。
「……ブロックハウスは、殺っちまってよかったんですか」
「悪いのか?」
またもや、即答。ウィルはゆっくりと頭をもたげ、隣に立つリベラへと首を向ける。
布の下、暗い空間の奥にあるであろうウィルの視線がゆっくりと持ち上がり、リベラは彼と目が合う前に慌てて口を開いた。
「いや、悪かねぇですけど」
リベラの早口な言葉を受け、ウィルはまた静かに視線を戻す。
「小道具の処理などどうでもいい。必要なくなったものは、早々に舞台からは消えるに限る」
「他の奴らへの説明はどうします?
ブロックハウスは、この国の立ち上げのためのパトロンたちに顔を利かせてましたし、やつに着いてきた超自然主義者も少なくはないでしょう」
「もう国民では無い」
「は?」
「『新たな支配者』の手によって王が死んだ。ならば、国は一度滅びる。それに、奴は別に『超自然主義者』では無いだろう」
「そうですけどね」
ブロックハウスJr.は、『超自然主義者』ではない。それは、リベラも知るところだった。
彼は『金』の動きに敏感であり、『文化人』から金を巻き上げることを第一に考えている人間だ。
『希望の国』も、大々的な集金のためのものであり、『全世界同時多発バン』に、一番驚き、誰よりも口汚くウィルを批判したのも彼だった。
「じゃ……貴方が、新たなる支配者って事ですか?」
「いや、私ではないが?」
ウィリアムは返事をしてから、ハッと首をもたげる。
そして、ため息を一つつくとゆっくりと立ち上がった。
「ああ、すまん。玉座から見た『崩御』はどのような画かと思ってね。気づいたら座っていた。
新たな支配者は『彼女たち』さ」
ウィルは紹介するように、赤い血溜まりへ手を伸ばす。
「スザンナ達……ですか」
「そうだ。『超自然主義者』達なら、別段王が『彼女達』でも問題なかろう?」
超自然主義者。それは殻獣も人間と同じ『共に生きる生命』であると言う考え方。
しかし、どの人間も『殻獣』と『人間』が同等の位置にいるとは思っていないだろう。
「問題が、あるのか? リベラ」
しかし、ウィルはそう考えていない。
リベラは息を呑むと、冷や汗を気合で抑え、返答する。
「そりゃ……分からないです」
「ほう? そうなのか?」
「俺は『超自然主義者』じゃないんで。ただの『護衛』ですから」
「そうだったな」
ウィルは、ははは、と乾いた声を上げると、玉座から立ち上がる。
「次はなんの『シーン』を繋げるべきか……用事を済ませて、考えるとしよう」
フードの上から頭を掻き、腕を組んで王の間を去ろうとするウィリアムの背を見つめ、リベラは忘れていた呼吸を思い出し、息を大きく吸う。
この男は、狂っている。
彼との付き合いは長い。しかし、未だに彼が言っている事はよく理解できない。
リベラが分かることは、ウィルは、まるで世界を演劇として見ているような物言いをするということだけ。
しかし、それしかリベラには分からない。
どのような人間も、彼にとっては『登場人物』であり、文字通りの『小道具』なのだ。
もしかしたら、『殻獣』と『人間』が対等であることすら、彼にとっては『設定』でしか無いのかもしれない。
「……その、用事ってのは? この後何をするんです? その、なんですか。回想シーンは終わったんでしょ?」
「ああ、満を持しての『第三幕』が始まるな。『新支配者の国』、その始まりだな」
ウィルの嬉しそうな声色に、リベラは内心苦言を呈す。
(やっぱり『幕間』だったんじゃないか)
リベラの様子に気が付かぬまま、ウィルは右手を上げ、指を3本立てた。
「ハリウッドの演出論だったか……。主役と悪役は、三度会うべきなのだそうだ」
「三度?」
「ああ。映画産業という物語の給餌機が作り上げた、くだらない『演出論』さ」
「はぁ」
急に話の筋が見えなくなったリベラは、黙したまま次の言葉を待つ。
ウィルは自分の立てた3本の指を見つめ、ため息を吐いた。
「しかし、現代で物語を紡ぐ身にとって、学びは大切だ。実際にやってみれば、なにか新しい物語が動くかもしれないしな。会ってこようと思う」
「……誰と?」
「『なりすまし』と」
リベラの質問に、ウィルは振り向くことなく、言い放った。
『なりすまし』、間宮真也。その名、そしてその危険性は幾度となくウィルから聞いていた。
世間で騒がれる前からウィルは彼の名を口にしており、『なりすまし』、と呼んでいた。
「噂の『葬儀屋』ですか? ……まさか、来ているんですか?」
「間違いない。私の『鍵穴』が告げている」
ウィルの『鍵穴』が告げている。
それは、リベラにとっては絶対的に信用のできる一言だった。
「……俺も行きましょうか」
「来ずとも構わんよ。主役と悪役は、三度の邂逅で決着すると、決まっているそうだからな。それまで戦うことはないだろう。『演出論』とやらが正しければ」
どこまでもこの世界を『物語』だと言い張る彼の言動に、リベラは頭を抱えたくなる。
「俺を護衛として雇ったのはあんたでしょうに。まだ、一度目だから平気って言いたいんですか?」
「何を言っている、リベラ」
リベラの言葉を遮り、ウィルは3本立てていた指を、一つだけ畳む。
「私と『彼』が出会うのは、『二度目』だ」
リベラは驚きに肩を竦め、眉間に皺を寄せる。
「……『葬儀屋』と、前に会った事が?」
「俺は無い。奴もな。ただ、『物語』としては、2度目の巡り合いだ。
来なくていい。お前は南門で『始まった』と伝えてこい」
振り返ることなく、ウィルは玉座の間を後にした。
一人残ったリベラは、大きく息を吸う。
今になって、血の匂いが彼の鼻腔をくすぐった。




