181 三戦目(下)
サイードの、『自分こそが選ばれた人間』であるという考えの生まれは、9歳まで遡る。
タフリラスタンという地獄の様な国のさらに奥底で、サイードは生まれた。
明日どころか、その日の次の飯すら手に入らない世界。次の飯時までに、生きている保証すらない世界。
サイードは、そういう地獄に生きていた。
毎日残飯をあさり、その日を生き抜くサイードにとって、周りの人間は、必死さや向上心というものがない様に思えた。
自分や兄弟を、覚醒検査を受けさせる『弾』の一つとしか見ていない親も、へらへらと笑って毎日を生きている同世代の子供たちも、皆、馬鹿だとしか思えなかった。
そんなサイードの考えは、態度として周りに漏れていた。
9歳の頃、『ジュース』欲しさの同い年連中に囲まれたことがある。
日の光の入らぬ、薄暗い廃墟。
自分を囲む、血走っているのに虚な目。口に咥えられてぷらぷらと揺れる、凹んだ、汚らしいペットボトル。中毒のために震える手のせいで、ちらちらと過剰に光るナイフやガラス片の群れ。
その光景が、自分の見る最後の光景になると思っていた。
シンナー入りのペットボトル欲しさの、同年代のガキに殺されて終わるのだと、子供のサイードは諦めた。
しかし、その結末は『突発バン』にて覆される。
ビルが砕け、天井と共に落ちてきた殻獣。サイードは禍々しい『蝶』との遭遇により覚醒し、『人権』を得たのだ。
その日を境に、サイードの世界は一変した。
国から多額の助成金が与えられ、安全、健康、教育、望んだもの全てが与えられた。
いい思いをしたのは、サイードだけだった。
廃墟にいた子供たちは誰も覚醒することはなかったし、自分をゴミのように扱う家族も皆死んだ。
生きて廃墟のビルを出て、地獄のようなバンを生き残ったのは、サイードだけだった。
その瞬間、サイードは自分を『選ばれた人間』だと思った。
力を求め、他を見下し、誰よりも必死に生きていた自分が『最高』の戦闘異能を得たことこそが、その証明だった。
サイードは『自分が正しい可能性のある』、一つの仮説にたどり着く。
「そうか……そうかッ! テメェも『煙』か! そうだ! それ以外ありえねぇ!」
少し前に自分で否定したことだったが、もはやそうとしか考えられなかった。
日本支部の『デイブレイク』は『鳥籠』らしく、戦いを避けるような『煙』ばかりの集団なのだ。
そうでなければ、自分がハイエンドと知らずに喧嘩を売り、無様に負けるなど、考えられない。
自分は強度10の、最高位オーバードという自分。タフリラスタンという地獄で、いい目をみられる、選ばれた自分。
そんな自分が、ミスを犯すわけはない。
サイードは納得したように何度も頷くと、イスマイルへと振り返る。
「そうか……このイスマイルも幻影か! ……危ねえ危ねえ、引っかかるところだったぜ。
……なンで『揺らぎ』が無い。強度がた高ぇのか? なら『壊す』か」
「ひ、ひィ! た、隊長、落ち着いて! さっき、俺に触ったじゃないですか!
『煙』の幻影は触れないって知ってるでしょ!?」
サイードの周りに、『歪み』が集まる。
イスマイルは恐怖から尻餅をついて、ずりずりと後ろへ下がった。
サイードがイスマイルの幻影へと一歩踏み出すと同時に、目の前に『黒い棺』が……サイードにとっての『黒い棺の幻影』が現れる。
「何をする気ですか。これ以上は、もう誰も傷つけさせません」
後ろから飛んでくる、真也の冷たい声。
サイードは目の前の黒い棺に手を伸ばして『触れる』。
「触れる……おい、この『棺』……触れるじゃねぇか」
サイードは煙の異能では再現し得ない『触感』を受け、真也へと振り返る。
「……おい、女たらし。煙を解け」
「使ってませんよ」
「嘘を言うな」
「俺は、『棺』の異能者です。『葬儀屋』とも、呼ばれてます」
「嘘を言うな」
「サイード兵長、貴方は気絶してました。すぐ治療を。こんな『無駄』なことは、もう終わりです」
「うるせェェェェッ! 『上』からモノを言うんじゃねぇ!」
サイードは叫び、両手を開いて掌を外に向ける。
それは、自分の周囲に歪みを作り出し、触れる者全てを破壊する構え。
サイードの、なりふり構わぬ全方位への攻撃に真也は叫ぶ。
「また癇癪か! いい加減にしろッ!」
真也の怒りを表すかのように、大量の『棺の盾』がサイードへと襲いかかった。
腕を、体を、足を、挟むように抑えこみ、サイードの身体を締め付ける。
大量の黒い棺に挟まれ、サイードは立ったまま、その場に磔にされた。
「……俺も、もしあなたが『歪み』を使わなければ、『棺』を使うつもりはありませんでした!」
サイードは唯一動く頭を振り、真也を睨みつけた。
しかし、真也はサイードの眼光に怯むことなく、言葉を続ける。
「でもあなたは、軽々とその『一線』を超えてきた! だから俺も、全力であなたを止めた!
いい加減に……負けを認めて、隊員たちにも、謝って下さい! 最初の一撃で、もう『終わってる』んです!」
「ふざけんな! なんでテメェみてえな! クソ! クソ! クソォォ! ……く、そ、がァァァァ!」
サイードは叫び、掌を握り、全身に力を込める。
しかし、何も、起こらなかった。
「……あ?」
サイードは疑問から目を泳がせ、そして真也と目が合う。
「な、なんで俺の異能が発現しねぇ……?」
「……は?」
サイードから疑問をぶつけられた真也は、呆けた声を上げる。
『異能が発現しない』。
そんなことを言われても真也には理由が分からないし、本当に発現しないのかすら、分からない。
「テメェ! 俺に『なにしやがった』!
なんだ!? おい、返せ! 俺の異能を! 俺の『全て』を! 奪うんじゃねぇ!」
真也は様子のおかしいサイードへと一歩近寄る。
「ひぃッ!」
これまでと打って変わり、サイードは悲鳴に似た声をあげた。
「ふ、ふざけんな! こっちに来るんじゃねぇ! 止めろ! 俺に何をした! 俺の、俺の『歪み』を返せェ!」
サイードは目尻に涙すら浮かべ、泣き叫ぶ。
周囲の人間どころか、真也すら彼の急激な変化についていけず、困惑する。
「これは……どうすれば? ……離していい、のか?」
異能者の精神的錯乱は危険であり、可能な限り取り押さえておく必要がある。真也が東雲学園の授業で学んだことだ。
しかし、サイードがここまで異様な様子となったのは、『真也が捕まえてから』だ。
であれば、離してやったほうがいいのかもしれない。
『勝負』という点で言えば、真也がサイードを気絶させた時点で終了していたはずだった。
負けを認めることができなくなり、サイードがおかしくなったのか。
サイードが怒りに身を任せ、これ以上被害が出る前に、自分が止めるべきだとは思った。
しかし、戦った結果がこれだというなら、何も心地よくはない。
「……すっきりしないな。もう二度と、『異能の確認』はしないでおこう」
真也は釈然とせぬ気持ちのまま、未だ『終了』の合図を出せないでいたマルテロへと視線をやる。
「マルテロ軍曹。その……これ、どうしましょうか?」
「間宮二等兵。いや、『葬儀屋』特務官。このまま取り押さえていてくれ。恐らくは、一時的な錯乱だろう」
「……はい」
マルテロの指示を受け、真也はサイードを捕縛し続ける。
「離せ! 離してくれぇェェ! いやだ、いやだいやだ! 異能がなくなっちまう! 俺はどうすりゃいいんだよぉッ!」
奇しくも同じ『ブルカーン』の隊員の『揺り籠』の異能者に眠らされるまで、サイードは大声を上げ続けた。




