168 鳥籠
「『道化師』……!」
剣呑な雰囲気に割り込むように現れた、『学生ハイエンド』に、皆一様に固まる。
当の本人である『道化師』アリス・オルコットは、つまらなさそうに娯楽室を見回した。
真也は初めて見るアリスの雰囲気に息を呑んだ。
正しくは、アリスを包む雰囲気に。
娯楽室の視線全てが彼女へと集まり、彼女の一挙手一投足がこの後を全て決めるかのような重い空気。
美咲や自分と同じ『ハイエンド』だが、自分とは遥か遠い。『格』の違いを感じずにはいられなかった。
赤いうねった髪を指で遊ばせながら、アリスは真也に質問する。
「なんです? 私の顔に何かついています?」
「い、いえ、別に……」
真也よりも少し高い目線からの言葉に、真也はあたふたと視線を外す。一方のアリスは「ふむ」と小さく鼻を鳴らした。
「そうですか。まあ、頭には可愛らしい耳がついてますけどね?
それで……入口の前で立ち止まらないでくれますか。
私のキュートな尻尾が『少々』場所を取ってしまうので、通れないんですが」
怒っているわけでもなく、困っているわけでもない。
ただただ事実を述べているだけなのに、『どうすればいいのか』と頭を回転させてしまいそうな、無視できない圧があった。
「……強引に退かせてもいいんですけどね?」
少し目を細めたアリスの視線に、サイードは小さく舌を鳴らして、取り巻きに視線をやる。
「ちっ……行くぞ。女の裏に隠れることしかできねぇなら『鳥籠』から出てくんじゃねぇよ、日本人」
そう吐き捨てて、サイードたちは娯楽室の奥へと歩いていく。
真也は胃のきりきりとした痛みが、彼らの歩みとともに薄まっていくような気がした。
しかし、ソフィアはその限りではない。
「待ってくださいまし。まだあなた方の息の根を止めていないので」
「ソーニャ……お願いだから、ちょっと黙ってて……」
「はいっ」
真也がお願いをした途端、ソフィアは自分の口を両手で隠し、可愛らしく微笑んだ。
「全く。入り口の前でいちゃいちゃと……」
二人のやりとりを見ていたアリスは両手を組んで小さくため息をつく。
ふいと視線を動かし、真也の後ろで臨戦態勢だった修斗の姿を認めた。
「……あら、あなたも良き尻尾をお持ちね?」
「おおきに。まあ、オルコット准尉には負けるけどな」
「ご謙遜を、『風牙』さん」
アリスの言葉に、修斗は体を硬直させる。
「……知られとるとは、驚きやな」
「まあ、同じエボルブドの高位キネシスですから。
今度、尻尾のケアについて語り合いましょうね。お勧めのブラシとか」
「ケアしてへんわ」
「あら、それでその質感? 憎たらしいですね」
アリスはふふ、と笑うと修斗と真也に向かって手をあげて挨拶する。
「では、ご機嫌よう。……そこのあなたがたも」
「は、はい」
真也は腕をソフィアに引っ張られながらも、彼女から目を離せなかった。
入ってきてからのアリスの言葉も修斗との会話もすべて優雅な動きだったが、どこか、違和感を感じたからだ。
真也が去っていくアリスを見つめ、それに対抗するようにソフィアが真也の腕を引っ張る。
わちゃわちゃとした二人を置いて修斗が娯楽室内を見回すと、こちらの様子を窺う複数の視線があった。
その視線に含まれる『値踏み』の雰囲気に修斗はぽりぽりと顎を掻く。
「んー、流石に出るか」
「は、はい」
真也は修斗に続いて娯楽室を出る。
もちろん、彼の付属品の——腕に巻き付いたままのソフィアも、ともに退出した。
娯楽室を出た3人は、自販機のあるちょっとしたスペースで腰を下ろした。
修斗はリンゴジュースを一口含むと、大きくため息をつく。
「いやー、思ったより血の気が多いのが集まっとるみたいやな。……君を筆頭に」
修斗の少しとげの含まれた言葉に、ソフィアは鼻息をふん、と鳴らす。
「だって、シンヤ様のことをあんな風に言われたんですもの。それにあんなもの、挨拶程度ですわよ?」
「そ、そうなの?」
「いや、間宮くん信じたらあかんて」
こういった、軍属の——特に国外の学生たちと関わりの少ない真也の反応に修斗はため息をついた。
そして、そのまま口を尖らせ、抗議する。
「……あーあー。ソフィアちゃんのおかげでダーツし損ねたわー」
「なら、あそこをきれいさっぱりと『お掃除』すればよかったと思うのですけど」
ソフィアの言葉に、修斗は眉を寄せ、少し語気を強くする。
「君が問題を起こすのは、正直構わん。でも、それに『仲間』を巻き込まれたら、流石の俺も見逃せへん」
普段あまり見ることのない修斗の厳しい言葉に、真也は驚くと同時に、少し嬉しい気持ちにもなった。
しかし同時に、その矛先がソフィアであると思うと、諸手を挙げて喜べなくもある。
「それに……間宮くんかて、ああいうのは嫌いやろ。あんな風に『目立つ』のは」
修斗の指摘に、ソフィアは真也の方を窺う。
急に目があった真也は言葉に出すことを躊躇い、困ったように笑うのが精一杯だった。
そんな真也の表情に、ソフィアは悲しそうに視線を下げる。
「……知ってます。反省していますわ」
「え?」
「でも! でも、わたくしは……自分を押さえ切れないのです……。
本当は、シンヤ様はもっと敬われるべき存在なのに……伊織を筆頭に、皆それが分かっていないのですもの」
ソフィアは落とした視線の方向へと首を垂れ、唇を噛む。陰になった瞳には光が届かない。
「……でも、それを正そうとすることで、シンヤ様に迷惑がかかるというのは、あってはならないこと。
絶対に……絶対に……なんたること……」
ソフィアの言葉尻が徐々に小さくなり、真也は彼女の顔を覗き込むように首を伸ばす。
しかし、ソフィアの顔が真也の視界に収まるより早く、彼女は一転して真也の方へと向き直す。
「シンヤ様、本当に、本当に申し訳ありませんでした。
「でも、わたくしは、シンヤ様が正当に評価されないことが悔しいのです。次からは、ちゃんとします。だから、今回のことは、許してくださいませんか……?」
不安そうに顔を窺いながらそっと真也の手を握るソフィアに、真也はゆっくりと頷く。
真也はソフィアのことが苦手だ。しかし、彼女の好意自体は嬉しくもある。
そんな彼女を無碍にすることは、やはり真也にはできなかった。
「ソーニャ……分かったよ。
俺のために怒ってくれたのは、嬉しいけど……でも、先輩の言うとおり、あんまり人と喧嘩するのは……好きじゃないから」
「はい。ありがとうございますっ」
真也からの『許し』を得たソフィアは満面の笑みを浮かべ、二人の会話を横でじっと聞いていた修斗は大きくため息をついた。
「おー、お上手お上手」
「……先輩様でなければ、『めっ』しているところですわよ?」
「ちょ、ちょっと……」
静かな微笑みでお互いを見つめ合う修斗とソフィア。
つい今し方喧嘩は苦手と言ったはずなのに、と真也は焦りながら話題を変えようと質問する。
「そ、そういえば……『鳥籠』って、あれってどういう意味なんですか?」
『鳥籠』。それはサイードが何度も口にしていた言葉だ。
なんらかの隠語であるようだったが、真也にはその意味がわからなかった。
「日本とか対して言われる、まあ、やっかみみたいなもんや」
質問を受けた修斗は眉間にシワを寄せながらも答えた。
いまだぽかんとする真也に、修斗はリンゴジュースで口を湿らせて説明を続ける。
「すべての営巣地が管理されてる国ってのは、世界的に少ないのは、知っとるな?」
「え? あー、はい」
「うん。もっとちゃんと勉強せえよ?」
「……はい」
「それでや。管理されてるからこそ、日本支部のオーバードは安全に活動ができるわけやけど……。
すべて管理されてない国からすれば、日本支部は災害現場のない……『前線に出ることのない、初心者集団』や、ってことや」
「それは……そんな言い方って……」
確かに、日本は昨年発生した南宿バンまで滅多に大規模バンも起きない、汚染災害に関して平穏な国である。
しかしそれは過去の日本支部の軍人たちの努力によってもたらされたものだ。
今回の世界同時多発バンでも、様々な現場で多くの正規軍人が必死に活動していたことを、真也は知っている。
それを、初心者集団だという謂れは、受け入れがたい。
「鳥籠。囲われているのは殻獣か、人類か」
ソフィアは『鳥籠』の意味をそう説明し、真也の心情を代弁するかのように付け足す。
「……ま、そんな意味合いなのでしょうけど、まともに虫取りもできない人間に言われたくないものですわね」
修斗は心の中で『ロシアも非完全管理だろう』と思いながらも、口に出さずにソフィアの言葉に頷く。
「まあな。やけど、まあ、前線だらけの方が練度は高いってのはホンマや。例えば……中東の国とか、アラスカ方面軍とかはな」
修斗の言葉に、ソフィアは顎に手を当てて考える。
「おそらく、さっきのサイードとかいうクズは……タフリラスタンの方でしょうね」
「……まあ、せやろな。アンノウンに選出されるような中東系の国は、あそこくらいやろ。
日本を『鳥籠』やと言いたくなる気持ちも、まあ分からんでもないわな」
「タフリラスタン……」
真也にとっては、ある意味印象的な国の名。
この世界に来て必死に覚えた現代社会で初めて覚えた、『元の世界とは違う国』だ。
タフリラスタン。
国として成立したのは、100年前の殻獣の後。
中東の小国の一つで、年中、営巣と除染が行われている新興国である。
治安は、対殻獣であれ対人間犯罪であれお世辞にも良いとは言えないが、殻獣が集まるということは、それだけ多くの殻獣素材を得られることと同じであり、発展著しい。
それと同時に貧富の差も激しく、管理しきれていない営巣地の『中』にスラム街があったり、オーバードであるかどうかが人生を大きく分けるために過剰な出産と育児放棄が社会問題になっていたりと、いまだ『国』として安定しきれていないというのが国際的な評価だ。
「タフリラスタンやと、特別訓練兵すら毎日営巣地に行って、巣穴に潜るっていわれとるしな。
ま、そういう『年中最前線』の奴らから見たら、日本の国疫軍人は下に見られるんやろ」
「毎日……」
「大丈夫ですわ。相手が毎日潜っていようが、特練准尉だろうが、シンヤ様の強さは、何者よりも上ですもの!
……わたくしが証明の場をご用意いたしましょうか?」
いたずらっ子のように笑うソフィアに、真也は微笑みを返す。
「あはは。……ヤメテ?」
 




