137 オンナの戦い(上)
キャタリーナのムカデの尻尾の抱擁を受けて、みしみしと悲鳴を上げて倒れる木から2人は飛び退く。
まひるはそのまま他の木へと飛び移ると無線を起動させ、叫ぶ。
「押切先輩! 九重先輩への報告を!」
『さっきの会話は聞こえてた。報告も終わった。今向かってる』
「なら、こっちを片づけたいんで、さっさと来てください!」
冷静な声色の伊織に苛立つまひるにムカデが飛びかかり、まひるは木から転げ落ちるようにしてその突進をかわす。
手近な茂みに身を隠したまひるへ、伊織が相変わらず静かな声で返答してきた。
『悪いが、まず間宮の方に行くからもうちょっと粘れ』
「ハァ!?」
自分だって、一刻も早く兄の元へと駆けつけたいというのに。しかしながら、『抹殺』を目的に学園にやってきたというキャタリーナを放置することもできない。そんな中、悠々と『真也の元へ行く』という伊織の言葉は、まひるにとって抜け駆けとしか思えない。
「ギィィィィィ!」
隠れていたまひるの声に反応したムカデが雄叫びを上げて襲いかかり、まひるは間一髪でその牙を避けた。
茂みから抜け出し、林の中を走りながら伊織との会話を続ける。
「押切先輩、こっちを先に片付けないといけないと思うんですけど!?」
『吠えるなよ。武装を届けるだけだ。届けた後はそっちに向かう』
まひるは、伊織の口調にはイラつくが言っていることには納得できた。
真也の身の安全のため、ということであればそれを自分より優先されても、まひるは全く問題ない。
「……それなら、分かりました。なるべく相手の情報を収集します」
『ま、隊長指示じゃなかったら向こうに留まりたかったけどね』
「チッ」
やっぱり抜け駆けではないか。まひるは反射的に舌を鳴らした。
『お前、クローズ無線だとやりたい放題だな』
「押切先輩には嘘は通用しませんから」
『だからって、言っていいとは限らないだろ。
……ま、どうでもいいよ。お前がどう言おうと。
んで、だ。隊長指示内容は、キャタリーナとやらに関しては遅滞戦闘。人員は、おまえとボクだ。それ以外で別任務』
「お兄ちゃんのところの救援ですか?」
『いや、間宮のとこには人員は割けないそうだ』
「なんでですか!」
プロスペローという、真也と因縁のある存在が学園へと来ているのだ。なによりもまず優先して守るべきは真也ではないのかと声を荒げるまひるへと、伊織が言葉を返す。
『プロスペローも居る、って話だったろ。ボクも間宮の方へ向かってるのかと思ったけど、そっちも見つかった。
煙の異能に紛れてレオノフ少将目掛けて一直線だそうだ』
レオノフ少将の元へ向かっている。それは、レイラのところに向かっているということでもある。
「じゃあお兄ちゃんもそっちに?」
『間宮は待機。間宮とボクら以外の作戦担当人員でそっちを抑えることになった』
「お兄ちゃんは待機、って……隊長指示ですか?」
『いや、間宮が提案したらしい』
レイラの元にプロスペローが向かっているというのに、真也が待機するというのはまひるにとって想像できない事態だった。
「そうですか……」
真也の行動の意図が掴めぬまひるへ、伊織が声をかける。
『……持ち堪えろよ間宮妹』
「え?」
『……さっき無線で、間宮に言われた。『妹を頼む』って。
だから、ボクが行くまでに死んだら、許さないからな!』
伊織の口調は心から不服そうだが、それでも、まひるを気遣うような一面が垣間見えた。
まひるは気合を入れる。分からないことよりも、分かることの方が大事だ。
お兄ちゃんが、自分の身を案じている。
その事実だけで、まひるの目下の行動指針は全て決まった。
「言われなくてもッ!」
まひるは背後から迫るムカデの気配を察し、屈む。次の瞬間、まひるの頭上をムカデが通過した。
そして、ムカデと共にまひるの元へと転がり込んできたクーにまひるは叫ぶ。
「人型殻獣!」
「わたし?」
「そう!」
「『くー』だよ。なまえ、あるよ! しらなかった?」
「わざとよ! そんなことより、いまからアイツ殺すよ。気合いれて!」
「うん、わかった! ころす!」
まひるは、自分で声に出したとおりに自身も気合を入れる。
クーを一切信用しない。それでも、この戦闘を終わらせるためにはクーの力を借りる他ない。
まひるの幸せのため。つまりは真也の安全のためだ。優先順位を見失ってはいけない。
まひるたちの横を通過したムカデの頭が戻っていく。
その先にいるのは、爛々と目を輝かせたキャタリーナ。
先ほどの会話を聞いていたのだろう、好戦的な瞳が二人を貫く。
「あはははは! 殺す、殺す、って口だけは達者ね? でも、行動が伴わないと文化的とは言えないわよ?」
キャタリーナの言葉を肯定するように、ムカデが顎をガチガチと鳴らした。
まひるはそんなムカデを睨む。
「あいつの異能……名前や形状からして毒がある……か」
ぼそりと呟くと、まひるはキャタリーナに向かって走り出す。
自分の力がどこまで通用するのか分からないが、それでも立ち向かわざるを得ない。
先ほどまでの動きからして、躱して懐に飛び込むことはできるはず。
「おっそぉい! そんなんじゃ、狩りにすらならないわ!」
そんなまひるの考えは、キャタリーナによる『文化的』な罠だった。
「う、ぐ……うそ……」
まひるの腹には、先ほどまでキャタリーナの横にあったはずのムカデの頭が突き刺さっていた。
先ほどまでの動きとは一線を画す速度。
してやったり、とキャタリーナは笑い声をあげる。
「あはははは! ひっかかったひっかかった! 肉までぜぇんぶ、溶けちゃえ!」
「とけ、ちゃえ……溶解毒……か……」
まひるはキャタリーナを睨みながら、腹に感じる熱さから、顔を歪める。
腹をえぐるムカデの牙の蠢きをくすぐったい程度にしか感じない。それは、すでに毒素によって感覚が麻痺し、身体が溶け始めていることを示していた。
「おまえ! だいじょうぶ!?」
クーは驚いてまひるの元へ駆け寄る。節足を伸ばしてムカデの頭を掴もうとするが、キャタリーナはそれよりも早く尻尾を引いた。
「……だいじょうぶ、に、みえる……?」
「なんでつっこんだの! よわいのに! おそいのに!」
「うる……さ……」
まひるはとうとう立っていることもままならず、地へと伏せる。
『ようやく仕留めた』と言わんばかりにムカデは顎を鳴らし、キャタリーナのスカートの中へと身を潜めた。
「弱いねぇ! 全然文化的じゃない! 笑える!」
声を上げて笑うキャタリーナは、不意に背中に熱を感じる。
「……え?」
驚いたキャタリーナが振り返ると、そこには『まひる』がいた。
その手には、三分の一ほど自分の体に埋まったナイフが握られている。
「死体の確認をしないのは文化的じゃないよ? どちらかといえば、戦術的、だけど」
先ほど倒れたのは、彼女のコピー。
完全に不意を突かれたキャタリーナは怒りに肩をふるわせ、まひるの頭を掴む。
「なによ、アンタぁ!」
キャタリーナは声を荒げ、まひるを乱暴に放り投げる。同時にずるりとナイフが抜け、少量の緑の血が地面を濡らした。
まひるは数度地面を跳ねながら、最後は木にぶつかる。『普通の』女子中学生なら全身骨折と内臓破裂。死すら免れぬが、彼女は『オーバード』。
何事もなかったかのようにゆらり、と立ち上がると、まひるはナイフを振って、付着した緑の液を払った。
「そうだった、そうだった……アンタは、増えるんだったわ」
「……知ってるのか」
ぶつぶつと呟くキャタリーナにまひるは返事をし、そして煽る。
「知ってるのに油断したの? 馬鹿じゃん」
「うるさい! 死ねぇェェェ!」
瞬時に激昂したキャタリーナの尻尾の横薙ぎが、まひるに襲いかかる。
クーはかろうじて反応して跳ねるが、まひるはそうはいかなかった。
次の瞬間、まひるの胴体が弾け飛ぶ。林の緑の中に赤い華が咲き、まひるは再度、木に叩きつけられる。
しかしながら、叩きつけられたまひるが浮かべるのは苦悶ではなく、嘲笑。
「あははははは。はいはずれー!」
「これも外れ!? くそ、くそくそ!」
キャタリーナは感情のままにムカデの頭をまひるへと差し向け、残った上半身をも吹き飛ばそうとする。
「相手は私だけじゃないんだけど。もう忘れたの?」
しかし、ムカデはまひるの顔を潰す前に、ピタリと止まる。クーの節足の片方がキャタリーナのムカデの胴体を捕らえ、もう片方が地面に突き刺さり、動きを封じたからだ。
「ぐ、こ、の……馬鹿力がァ!」
ピンと伸びていたキャタリーナの尻尾がUターンしてクーへと迫り、驚いたクーは慌てて飛び退く。
飛び退いて着地した先には、どこから現れたのかまた別のまひるが立っていた。
「あれ、あぶない……」
「単純だけど、純粋に強いな。とにかく速い。……私じゃ突破力もないし……千切れそう?」
まひるの問いに、クーは節足をワキワキとさせる。
「りょうほうでもてば。でも……ちぎるのは、じかん、かかるとおもう」
「使えない……」
「なに!」
両手で持つということは、その間クーはムカデによって振り回され放題だ。
その間に本体にも襲われるようなことがあっては意味がないし、何より頭付近以外を掴んでしまっては意味がない。
どうするかと頭を悩ませるまひるの足元が、一瞬揺れる。
「きゃっ」
「ピィ!?」
二人の会話に割り込むように、地面の下から、キャタリーナの尻尾が襲いかかってきた。
土中を進み、奇襲すらできる。
まひるはキャタリーナの危険度を自分の中でもう一つ上げた。
「作戦会議ィ? そんなの、今することォ……?」
まひるからの奇襲を受けたキャタリーナだが、浅く刺さった程度ではダメージを受けているようには見えず、むしろ怒りによってより好戦的となっているようだった。
まひるはキャタリーナから目線を外さずにクーへと確認する。
「確認だけど、捕まえるだけならいけるのね?」
「ちからくらべなら、まけない」
「……分かった。私が隙を作ってあげる」
「うん!」
笑顔で返事をするクーに、まひるは釘を刺す。
「お兄ちゃんのためだから。お兄ちゃんのためなら……まひるはなんだってする。
だから……もし、失敗したら殺すからね。いや、その時は多分私も死んでるから。死んでよね」
「うん。しんやをまもれないなら、しぬ!」
クーの、天真爛漫な声で放たれる物騒な言葉も、彼女にとっては『当たり前』に近い言葉でしかなかった。
しかし、まひるは一点だけ、引っかかるところがあった。
「いい返事なのがムカツク……じゃあ、いくよ」
ナイフを構えたまひると節足を構えたクーは、同時に左右へと走り出した。




