107 男子高校生的に割とラッキーな1日(下)
真也は午前中自分の隣の席へと視線を向けることができずに昼休みを迎える。
これ以上、変なことに巻き込まれるわけにはいかないと思った真也は授業が終わると机に突っ伏し、授業が始まるまでじっとしているという最終手段に出たのだった。
真也はビクビクしながら伊織とともに食堂へと向かい、昼食をとる。レイラが教室で昼食を始めたため、避難せざるを得なかったのだ。
そして食事が終わる頃には、真也のあまりにも異常な様子に伊織がわけを問いただし、真也は教室へと戻る道すがら、真也は伊織に今日あったことを包み隠さず説明することになった。
「……なにそれ」
真也からの説明を受けた伊織は、ぽかんとした顔で真也に聞き返した。
「だよなぁ」
「……占いのせいで、間宮妹のパンツに顔埋めたり、喜多見さんに抱きつかれたり、大量のパンチラ見たり、レオノワのおっぱい見たりしたってこと?」
「そんなはっきり言うなよ!?」
「でも、レオノワのおっぱいガン見は間宮の意思だよね?」
「う、うるさい!」
「子供か」
「う、占いのせいで、今日はなんか変なんだよ……」
「変なのはお前だよ」
伊織は真也と笑い合いながら、心の中で嫉妬していた。なぜ自分がその『占いの恩恵』とやらで真也との距離が詰まらないのか。
高校生的には健全な距離の詰まり方ではないが、それでも伊織にとっては『うらやましい』と思えた。
伊織は腕を組んで頬を膨らませ、不機嫌そうに耳を倒すと、ぼそりと呟く。
「っていうか、なんでボクは……」
少し思案した伊織だったが、真也の言葉を思い出し、苦虫を潰したような顔になり、心の中で毒づく。
(そうか、『異性』か。……クソが)
『異性との距離が縮まる』という占い結果。ならば自分はその枠組みに入らないのであろう。
ロシアでソフィアに宣戦布告をした伊織だったが、今回のようにまじまじと『性別の差』を見せつけられると、弱い自分が音を上げそうになる。
それを覆い隠すように強い伊織は心の中で占い結果に罵声を浴びせ、『怒る』ことで心の平静を保った。
そんな伊織の精神状況を理解できるはずもなく、急に苛立つ伊織に真也が声をかける。
「……どうした伊織?」
伊織は、こんな時でもすぐ自分の様子の変化に気がつく真也に嬉しさを感じる。
しかし、今回ばかりは気がついて欲しくなかった。真也から逃げるように、伊織は手を振って後ずさる。
「な、なんでもないよ……っうわわわわ!?」
後ろを見ずに進んだ伊織の先には不運にも階段があり、伊織は足を踏み外してバランスを崩すはめになる。
「伊織!」
真也は反射的に伊織の手を掴み、小さな体を引き寄せる。
真也はオーバードとしての筋力を発揮し、伊織の体は軽々と真也の腕の中に収まった。
「大丈夫か?」
「う、うん……」
真也の腕の中で、伊織は心臓が高鳴るのを感じる。
(ら、らっきー……もう少しだけこうしてたい……)
しかし、そんな伊織の願いは、思いもせぬ形で裏切られた。
真也は伊織の脇の下に手を差し込み、『高い高い』の要領で伊織の体を持ち上げたのだ。
「……やっぱり伊織、軽いよなー。おかげで階段から落ちずに済んだけど」
「あ、ちょ、なにすんだよ間宮!」
「簡単に持ち上がるなぁ」
「そりゃ、オーバードだからだろぉ!」
伊織は抱擁が中断された悔しさと、持ち上げられたことによる恥ずかしさから顔を真っ赤にしながら、バタバタともがく。
耳はせわしなく周囲の音を拾い、視線も忙しく泳ぐ。
伊織に少し反撃できた、と真也が満足げに伊織を地面におろそう腕を下げた時だった。
「あっ……おろ……さなくていいや」
「え?」
まさか、伊織がそんなことを言うとは思わず、真也は固まる。
宙に浮いたままの伊織はもがくことをやめ、両手を真也に伸ばした。
「このまま運んでよ」
「えー」
「お姫様抱っこでいいから」
「いや……『でいいから』って……伊織?」
真也は、普段女扱いされることを嫌う伊織の提案に声をあげる。
そんな真也の言葉を塗りつぶすように、伊織はさらに言葉を続ける。
「そしたら今日間宮があった事、黙っといてやるよ。特別にね?」
「ぐっ、言わなきゃよかった。でも……男同士でお姫様だっこ、って」
「……いいじゃん、別に」
「ん?」
ぼそりと口からこぼれた言葉に、伊織は自分自身で驚き、言葉を続ける。
「な、なんでもない! レオノワに色々バラされたくなかったらさっさとお姫様抱っこする! あー、口が軽くなってきたぞー?」
「ぐっ、ちくしょう……」
真也は伊織の行動の理由を見抜けなかったが、それでも伊織がいいと言っているならと小さな体を腕の中に収める。
「……まあ、なんだかんだ言っても、そうやってボクのこと運んでくれる間宮はいい奴だな」
「ん?」
「そういうとこ、『好きだよ』、間宮」
伊織はなるべく表情に出ないよう、冗談のように真也へ告げる。
伊織の言葉に、真也はニヤリと笑った。
「ああ、俺も好きだぜ」
「すっ!?」
真也の言葉に伊織は目を見開く。異能の耳によって、その言葉の裏に『恋愛感情』が無いのは一瞬にして理解できたが、それでも言われた内容は伊織の心臓を鷲掴みにするには十分だった。
「……ボクの方こそ、なんかちょっと変になってるのかもな。あー、顔熱い」
伊織は笑いながら、生徒が行き交う廊下をお姫様抱っこされながら進む。
真也は気にしていないようだったが、伊織の耳には周りの生徒たちの驚愕の言葉や驚きの息遣いが聞こえてくる。
(占いのアシストがないなら、ボクが頑張るしかない……!)
伊織は、真也の腕の中で静かに決意した。
真也はなるべく大人しく学校をやり過ごし、放課を迎える。
そして、下校中も移動中もなるべく下を向きながら、九重邸へとたどり着いた。今日は、稽古の日だったのだ。
道中、女性の恥ずかしそうな悲鳴が何度か聞こえたが、それでも目線を上げずにただただ心の中で『ごめんなさい』と唱え続けた。
その甲斐あってか、問題に巻き込まれることなく真也は九重邸にたどり着く。
「はあ、今日は散々だった……」
あとは稽古をして今日は終わり。
家に帰れば異性はまひるのみ。まひるに多少迷惑をかける可能性もあるが、それでも『赤の他人』にラッキースケベをかますよりマシだ。
「さて、といっても、この稽古がなぁ……」
稽古の際、特に鎌の取り回しについての稽古では、いつも苗に寄り添われ、手とり足とり教えられている。
普段でも恥ずかしいが、今日はいつもと違う『アクシデント』が起きる可能性が高い。
夕日を浴びる九重邸の風光明媚な庭を抜け、道場へと進む。
「今日は、基礎トレと構えだけにしてもらお……」
真也は今日最後の山場である『女の先輩とのマンツーマンレッスン』に、そのように活路を見出した。
そうして道場へと到着すると、真也はいつもより少しテンション低めに挨拶をしながら戸を開ける。
「押忍、おはようございまー……」
しかし、真也の考えは甘かった。
今日の運勢で、『まず何もなく稽古を始められる』ことを前提にしたことが、甘かった。
「ま、間宮……さん」
道場へと足を踏み入れ、視線をあげた真也の目に映ったのは、下着姿の苗だった。
(あー、うん。甘かったか)
真也はここにきて、自分の考えの甘さを理解する。
真也が入ってきたことに驚いた苗は、みるみるうちに顔を赤くしながら、完全に静止していた。
大人びたレースのついた、小さな花柄が踊る紺色のブラとパンツ。
すらっとしたボディラインを彩る、蛇の鱗。
脳内疲労が限界に達した真也は、光る鱗を見て呟く。
「……すごい……綺麗……」
真也は純粋にそう思ったが、よく考えれば苗の肌は『異常』だった。
苗の肌には、脇腹から腰、そしてふくらはぎにかけて、『蛇の鱗』があるのだ。
薄茶色をした鱗は道場に差し込む夕日を反射し、テラテラとした質感は蠱惑的ですらある。
胸元、みぞおち、へそと体の中心は女性らしい体つきを強調するようなきめ細かい人間の肌。
それらを飾るように体の側面を伸びる蛇の鱗とのコントラストは、浮世離れした魅力を放っていた。
下腹には雪の結晶の刺青。彼女がオーバードであることを表す雪の意匠がショーツからチラリと顔を出し、色香に拍車をかける。
真也は、『綺麗だ』と心の底から思ったが、それが口から漏れ出ていたことに一つ遅れて気づく。
着替えに乱入した上で、謝罪をするでもなく、目を背けるでもなく、ガン見しながらの『綺麗な体してますね』はもはや言い逃れができないセクハラだ。
いつの間にか苗の顔色が真っ赤から真っ青へと変わっていることに気づいた真也は、『今日最大のやらかし』に血の気が引く。
「す、すいません!」
真也はもはや手遅れであると感じながらも視線を離し、振り返って道場の扉を開こうとするが、真也の後ろから苗の手が伸びてくる。
そして、真也が引き戸にかけた腕をしっかりと掴み、動きを制した。
「あ、あの……見まし……た……よね?」
真也は、背後から掛けられる言葉に、返事することも振り返ることもできなかった。
「と、とにかく出ます! すいません!!」
真也は背中越しに苗に謝り、引き戸に力を込める。
しかしそれに伴って真也の手を握る苗の力も、合わせて強くなる。
真也の力をもってすれば、苗を振りきって戸を開けて逃げることは容易だ。
しかし、今の状況で『逃がさない』と言わんばかりに力を込められれば、それを振り払うという考えは浮かばない。
死刑執行を待つ囚人のような気分だった。
「あの! 私の……その、体を見て……綺麗、って……」
真也は、とにかく話を終わらせて一刻も早くこの場から離れようと口を開く。
「綺麗でした! あっ、その、見てません!」
もはや言い逃れができないほど、しっかりと『綺麗』発言をしてしまった真也は、耐えられずに強引に道場の扉を開こうとする。
「間宮さん! 待ってください!」
しかし、真也を逃さぬと言わんばかりに、苗は真也の体を後ろから抱きしめた。
「ちょ、ちょっと、苗先輩!」
「す、すいません、こんな気持ち悪い体で抱きついてすいません! でも!」
ほぼ素肌の苗の抱擁に真也は驚きの声を上げ、苗は真也と同じか、それよりも大きな声で返事を返した。
「いや、気持ち悪くはないですけど! 綺麗だとか言ってすいません!」
「本当ですか!? それ、本当に、本気で、言ってます!? 私の体、綺麗ですか!?」
「何言ってるんですか苗先輩!? 俺を帰してください! もうやだぁ!」
混乱の極みにいる2人は大声でお互いの意見を相手にぶつけるばかりで、全く話が進まない。
「そ、そうだ! と、ととととにかく服を!」
「えっ、あっ! えええ!? 何で私下着姿なんですか!?」
「最初から! 最初からです! 最初からでした!!」
苗が服を着るべきであるという点で話が少し動くが、それでもやはり混乱は治らない。
そんな遅々として状況が進まぬ2人の目の前で、戸が開く。
「……何をしている?」
戸の向かいに立っていたのは、真也にとって先輩であり、苗にとっては兄。
そして、2人にとって隊長であり、生徒会長であり、最も会いたくなかった相手。
九重光一だった。
「に、兄さん……」
目の前に広がる痴態に光一も完全に固まる。
真也が今まで見たことのない光一の『なんだこれ』という困惑した表情に、真也は『先輩も人間なんだな』というズレた感想を抱く。
それが、今彼にできる最大級の現実逃避だった。




