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森のキイチゴ

「ヨーロッパの言い伝えでは、人間の子供は死ぬとキイチゴになるらしいわ。だからたまに、本当にすっごくたまに昔の記憶を持ったキイチゴが育つのよ。特にここ、不思議の国ではね。」


 しっとりと静まり返った森の中で、キイチゴが少女に語りかけた。森は細めの木々がまっすぐに伸びていて、所々あたたかい陽の光が差し込んでいるのがまるでスポットライトのように見える。そのうちの一筋がしゃべる不思議なキイチゴと10才くらいの少女をやさしく包み込んでいる。

「あなたがしゃべってるの。」

 少女が不思議そうにキイチゴの実の部分に尋ねた。

「そうよ。ここは不思議の国なんだから。キイチゴがしゃべっても不思議じゃないの。」

 小さな木の実があんまり堂々としたしゃべりかたをするものだから、少女はなんだかおもしろくなってきた。

「キイチゴさん、最初はあなたのこと摘んで食べちゃおうかと思ったけどやめとくわ。こんなに楽しいキイチゴは初めてだもの。」

「そう。その方があなたのためね。私は酸っぱくって森のどんな生き物も食べたがらないんだもの。」

 少女はどんな味なんだろうと気になったが、やっぱり食べるのはやめておいた。食べてしまうよりお話を聞いた方が断然楽しそうだ。


「あなたお名前は。」

 実を下からのぞき込むようにして、少女は聞いた。

「キイチゴに名前なんてないわ。」

「でもあなたはしゃべれるキイチゴよ。特別じゃない。」

「特別だからって名前があるとは限らないわよ。この森でしゃべれるキイチゴは私だけなんだから、名前を呼ばなくても私だってわかるじゃない。」

 少女は確かにそうだと思った。他と区別するために名前があるのだとしたら、確かにしゃべるキイチゴに名前はいらないのかもしれない。でもそれだとなんだかかわいそうな気もしてくる。

「そういうあなたは名前があるの。」

 今度はキイチゴが聞いた。風がほとんど入ってこないから、キイチゴは微動だにせず直立不動かのように見える。

「それが思い出せないの。私に名前があったのかどうかも思い出せない。」

 気が付いたら森の中にいてそれまでの記憶が全くないのだから、名前だって憶えているはずがない。

「そう、よかったじゃない。」

「どうして。」

 キイチゴの意外な返事に、少女は思わず聞き返した。

「だって他人に名前を付けられるのなんて私なら嫌だわ。まるで私の生き方を他人に決めつけられちゃうみたいじゃない。」

 キイチゴの生き方って何だろうと思ったが、少女はそのことは黙っておいた。

「でも名前がないのって一人前じゃないみたいじゃない。」

「そうかしら。名前なんてなくても私は一人前よ。」

 キイチゴの実にあたる光の角度が変わってきたせいか、妙に凛々しく見えてくるのが余計におかしい。


「そうね。あなたには名前はいらないのかも。」

「じゃあ、あなたは名前が欲しいのかしら。」

 少女は目を大きくして身を乗り出しながら答えた。

「欲しいわ。どうせ思い出せないのなら、とびっきりかわいらしい名前をつけてよ。」

「私がつけるの?」

「そう。あなたにつけてもらいたいの。」

 キイチゴは驚いた。名前なんかいらないって言ってるのに、そんな自分に名前を付けてほしいなんて。しかしすぐに考え直した。しゃべれるキイチゴはたまにいても、人間の子供に名前をつけたキイチゴは他にはいないだろう。

「そうね。つけてあげないこともないわ。」

「うれしい。」

「実はねキイチゴになる前は私もあなたくらいの人間の女の子だったのよ。」

「どうしてキイチゴになっちゃったの。」

「死んじゃったからよ。」

「どうして。」

「どうしてかしら。忘れちゃったわ。でもその頃の名前だけはちゃんと覚えてるの。その名前をあなたにあげるわ。」

 少しだけしゃべり方を遅くして続けた。

「その代わり、あなたはその名前で森の外を見てきてくれないかしら。私は動けないからもうずうっとおんなじ景色ばっかり見てきたの。あなたには私の代わりになってもらって、外の世界のいろんな物を見てきてくれたらうれしいんだけれども。」

「うん、そうする。それでまたここに戻ってきて、森の外のことをいっぱいお話しするね。」

「ありがと。あなたいい子ね。」


 しばらく話し込んだあと少女は軽くお別れの挨拶を済ませて、ほの暗い森の中へと歩き始めた。

「さようなら。名前のないキイチゴさん。」

「いってらっしゃい。アリス。」

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