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契約条件

作者: T3

 ……あれ? おかしいな。

 確かにこれでいいはずなんだけど。

 ……うんうん、間違いなく資料どおりだ、書かれてるように鶏の生首も俺の精液も……。

 あっ、ひょっとして魔法陣の字が違ってるとかか?

「いえいえ、ちゃんとあっておりますよ」

 へ?

 後ろからの声に驚いて振り返ると、そこには一人の男が立っていた。

 手にビジネスバックを下げた、中小企業に勤める40代後半のサラリーマンといった風体で、街で見かけたとしても一瞬後には忘れてしまうような、しょぼくれた中年男だ。

 チェッ、こいつ、いったいどこから入ってきやがったんだ。

「あんた誰だよ? ここ、俺が借りてる倉庫なんだけど!」

「あの……お言葉ですが、貴方様の呼び出しに応じて出てまいった者なのですが……」

 いらだった調子の声に、男が気弱そうな様子で答えた。

「出てきた? じゃあ……」

 まさか?

「……はい、貴方様に呼び出していただいた悪魔でございます。わたくし、何かお気に障ることをしてしまったのでしょうか……」

 悪魔? こいつがかよ?

「本当にそうなのか? アンタ、俺が思ってたのとずいぶんイメージが違うんだけど」

「イメージでございますか……。あっ、もしかいたしますと、このような――」

 突然、周囲に、爪が焼けるときのような悪臭を伴った白煙がたち込めたと思うと、その中で男の姿がみるみる変貌していく。獣の顔、蛇の尻尾、黒々とした剛毛におおわれた体。

「――このような姿で現れるとでも思われていたのでしょうか。ご希望でしたなら、この風体のままでいることも可能でございますが」

 まいったな、どうやら本物みたいだぞ。

「いや、別にいいよ。この臭い、たまらないしな」

「大変失礼いたしました。では――」

 再び姿が変わり、元の中年男に戻る。

「分かっていただけたようで、ありがとうございます。では、早速ご契約に取りかかりたいと存じますが、よろしゅうございますか?」

 俺が頷くと、男――悪魔が深く頭を下げる。

「では、はじめさせていただきます」

 悪魔は、革製らしい年季の入ったバックを開いて、中から銀色の板のようなものを取り出した。

 それはタブレットPCで、よくよく見れば、お馴染みのリンゴのロゴもちゃんと入っている。

「…………」

「どうかなさいましたでしょうか?」

「……あぁ、これでございますか、最近、私どもの世界にもITカクメイとか申すものが浸透してきておりまして、正直、付いて行くのが大変でございます」

「昨年ほどから手書きの書類の一切がオンラインに代わってしまいましてね……まだ慣れる事ができない私めなどは、最近入社したばかりの若いものにまで馬鹿にされる始末でございます」

「こんなことを申しますと愚痴になってしまいますが、そもそも悪魔の本分という面から意見を述べさせていただきますと、このような機械に頼って人間の方々と契約を結ぶというのは、いくら省力化だ、合理化だ、時代の進歩だ、と申しましても――」

「分かった、もう分かったから」

「は?」

「さっさと進めてくれって言ってるんだけど」

 何なんだ、この悪魔。

 ひょっとして俺、かなり下っ端のヤツを呼び出しちまったのかも……。

「大変失礼いたしました。では、お望みを伺わせていただけますでしょうか。ご承知のとおり、三つまで有効でございます」

「あぁ、そうだな。俺の望みは……」

 さぁて、これからが大事なところなんだが……。まぁ、こいつ程度のヤツなら、案外簡単に丸めこめるかも。

「……まず1つ目は、金だ。今の貨幣価値で1億円を毎月欲しいな」

「はい。金銭の供与でございますね」

「今の貨幣価値で、だぞ」

「失礼いたしました。現・在・の・価・値・で……と。はい、ちゃんと入力でき……いえ、入力いたしました」

「2つめは女だな。気に入った女を好きなときに手に入れられるようにしてくれ、もちろん、俺が飽きた場合のゴタゴタも無しでだぞ」

「承知いたしました。望まれる女性との任意の性交渉……と」

「あの、よろしければ一つ伺いたいのですが、飽きられた女性は、抹消、つまり殺してしまうということで?」

「えっ? いや、そこまでは考えてないが……」

「では、記憶の消去、ではいかがでしょうか?」

「そうだな、そうしてくれ」

「了解いたしました」

 ……さて、いよいよだ。コイツ、どう答えるかな。

「次が最後だな」

「はい、三つめでございます」

「不老不死だ。もちろん、病気でやっと生きてるって感じじゃなくて、肉体的にも、精神的にも今みたいに健康な状態でだぞ」

「はい。健康を維持した状態での不老不死、でございますね」

 悪魔は幾分たどたどしい手つきではあったが、今までとおりに平然と入力を終えた。

「…………」

「では、確認させていただきます」

「ちょっと待てよ。悪魔ってのは契約時に嘘はつけないんだったよな?」

「はい。厳密にそう取り決められておりますが、それがどうかいたしましたでしょうか?」

「じゃあ訊くけど、俺が死なないと、魂は手に入れられないんじゃないのか?」

「は? 貴方様の魂でございますか……」

 悪魔は何か奇妙なことを聞かされたとでもいうように、いぶかし気に顔をゆがめた。

「そうだよ、俺の魂。それが契約の条件なんだろう?」

「あぁ、そのことをおっしゃっていたのですか。それはまた、ずいぶんと古式ゆかしい慣わしでございますね」

「つまり、古い、ってことなのか?」

「はい、左様でございます。確かに昔はそういった条件で契約を結んでいた同僚もおりましたが、今では人間の魂というものに、大変失礼ながら、ほぼ価値はございませんのです」

「本当かよ、それ……」

「はい。先ほども申しあげたとおり、虚言は厳密に禁止されております」

「…………」

「正確を期す意味で付け加えさせていただくなら、もし価値があるとすれば、ごく一部の好事家向けの趣味の品として、といったところでしょうか。もちろん私めも、そのような趣味はたしなんでおりません」

「だったら、今の条件っていったい何なんだ? まさか何も無しで望みを叶えてくれるなんてことはないよな」

「それは、貴方様の感情のエネルギー、でございます。と申しましてもお解りにくく思われますよね」

「そうですね……例えば貴方様が美食をなさったとします、当然、美味という快楽を得られるわけで、その快楽という感情のエネルギーを私めが頂戴させていただくのでございます」

 ……ん? ってことは……。

「じゃあ何か。俺は、美味い物を食っても美味いと感じられなくなっちまうのか?」

「申し訳ございません、私めの説明が適切ではなかったようです。いいえ、そのような事態には決していたりません」

「お考えになってください。そもそも、お感じになることができなければ、快楽とは言えないのではないでしょうか?」

「……つまり、俺は今までどおり、ちゃんと美味いと感じられるんだな?」

「はい、美食をなさった場合、そのとおりでございます。貴方様はただ、感じて下さればよいのでございます」

「あっ……いえ、それ以上とも申せるかも知れませんね。感情というものは、ともすれば慣れが生じてしまうものでございましょう?」

「あぁ、まぁ確かに、いつも美味いものばっかり食ってると、それに慣れちまって、飽きてくるってこともあるかもな」

「はい、そのようなことでございます。その慣れを私めが抑制いたします。つまり、貴方様はずっと新鮮な感情を味わい続けられるのです」

「へぇ、それはまた、ずいぶんとサービスがいいじゃないか」

「いえいえ、とんでもございません。貴方様の感情が強ければ強いほど、私めが頂戴できるエネルギーも大きくなるのですから」

「へぇ、つまり、あんたと俺はWin-Winの関係って事か」

「は? ういん……?」

「いや、何でもない。分かった、それなら文句はないよ」

「ありがとうございます。では、ご契約していただけるのですね?」

「あぁ、いいぜ。で、どうするんだ、指でも切って血のサインでも?」

「はははっ、そんな野蛮な事はいたしませんよ。握手で結構でございます」

 悪魔が初めて本当の笑みを浮かべて、手を差し出してきた。

 その手を握った途端、悪魔の姿は消え、一瞬後、俺は倉庫の中に一人で立っていた。


 へぇ。もうこれで契約成立かよ、お手軽なもんだな。

「おーい、悪魔、そうなんだなよな?」

(はい、そうでございます。ちなみに、お体の調子はいかがでしょうか?)

「体? いや、別に変わらないけど……」

 頭の中に響いた声に、歩き出しながら答える。

「……いや、そう言われてみれば、何だかさっきより腹の調子がいいような……」

(それはよろしゅうございました。軽い胃潰瘍がありましたので、治させていただきました)

「それは御苦労だったな、ありがとうよ」

(いえいえ、お礼には及びません。貴方様には健康でいていただく必要がありますので)

「で、それがアンタのためでもあるんだよな」

(フフフッ……。はい、そのとおりでございます――)

(ただし)

 えっ?

(ただし、Win-Winの関係と言えるかどうかは、分からないぜ)

 いきなり変わった悪魔の口調に驚いて、俺はその場に立ち止まった。

「何の事だよ、それにお前――」

(アハハハッ! 俺様のこと本気で、しょぼくれた中年悪魔だとでも思ってたのかよ、ったく、単純な野郎だな。ちょっと気弱なフリして『大変失礼ですが』なんて言ってやるとコロッと騙されやがって)

「じゃあお前、まさか、契約のときに嘘ついてたのかよ?」

(なんだと、そんな全部パーになっちまうような事、ベテランの俺様がしでかすはずないだろうが、何なら、さっきの会話は全部記録してあるから聞かせてやろうか)

「…………」

(ほらほら、不安になってきたよな。美味いぜ、お前のこの『感情』。これから先、たっぷり味わわせてもらうぜ)


 そして、地獄がはじまった。


 俺がこの世で一番怖れ、嫌悪するものはゴキブリだ。

 あの黒光りした体、剛毛の生えた脚、ヒクヒク動く長い触覚。一目見ただけで全身総毛立ってしまうし、飛んでなどいようものなら、その場から遁走したくなるぐらいだ。

 そのゴキブリが現れるのだ。

 食事をしようとした途端、皿の上の料理が数十匹のゴキブリに変わって、テーブルの上をはいずりまわりだす。

 酒を飲もうとした途端、グラスがゴキブリに変わり、握った指の間からもがき出てくる。もちろん、固い外骨格の下の妙にグニャと柔らかい腹の手触りも、ごそごそ蠢く脚の感触も伴ってだ。

 高級車を買ったときなんて、そりゃもう、凄まじいもんだった。何せ、車内に入ってドアを閉めた途端、何千匹ものゴキブリが現れて俺に群がってきやがったからな。

 かと言って、何もせずに部屋の中に閉じこもっていると、突然、目の前に飛んできて顔にベッタリ張りついたりする。

 加えて女だ、ベッドインして、いざコトに及ぼうとした途端、腕の中の女が、人間大のゴキブリに変わったときの俺の気持ちを考えてみてくれ。


 悪魔は感情エネルギーと言った、そして恐怖や嫌悪感は、快感などよりもずっと強い『感情』なのだ。

 金は腐るほどあるのに、使って楽しむことも、まともに飲み食いすることも、ましてや女と寝ることもできないが、健康で不老不死。

 取り憑いている悪魔に恐怖の感情を提供して、ただ奉仕するだけの生活。

 まさに、永遠の生き地獄……。


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