その3
「どうしてこうなった……」
自分とは絶対に縁のない部屋だと思っていた生徒会室。気がつけば春太はそこに連れ込まれていた。
「会長、五分遅刻ですよ」
「ごめんごめん、彼の説得に手間取っちゃって」
かっちりメガネの男子生徒からの批判をさらっと受け流す若菜。男子生徒もそれ以上追及するつもりはないのかすぐに書類の整理に着手してしまう。
「彼は霜月達也くん。君と同じ一年生ってのもあるけど、これから一緒に激務を乗り越えていく仲間だから覚えておいてあげてね」
「いや、そんなことを言われても入るつもりは……」
いつのまにか陥っていたこの状況に、おいしいお弁当などにかまけている場合ではなかったと春太は数分前の自分を恨んでいた。
生徒会に入らないかと言い出した若菜は間髪入れずに言葉を続け。
「気が向いたら来てみてね、と言いたいところだけど」
若菜が左手首にまいた女性物の腕時計に視線を落としたかと思えば、
「これから会議だから、ついてきてくれる?」
「檜垣さんって生徒会役員だったんですか」
「生徒会長だよ?」
「生徒会長様にあらせられましたか」
あまりにも興味がなさ過ぎて生徒会選挙の演説を聞き流していたことを思い出す春太。
そんなこんなで気がつけばこの有様であった。
「いやぁ人手不足でさ、ちょっとこのまま二人だけだと厳しそうなんだよね」
「でしたらもっとやる気のありそうなのを引っ張てくるべきでは」
「これが生徒会に入りたいって人は多いんだよ。やる気も、うん。多分ある……のかな」
若菜の目が突如として虚ろなものになる。後ろで資料整理を続けていた達也も小さいながら一つのため息をついている。
「ならなぜ」
「会長が全部却下してるんだよ」
「そりゃ当然の帰結ってやつなのではないんですかね」
まるで訳が分からない、という視線を若菜へと向ける春太。
しかし当の若菜はケロッとした様子で答えた。
「ほら、私可愛いから」
「……」
「ほら、私可愛いから」
「いや、聞こえてますって……」
もはや続ける言葉を見つけられず、春太は両手を掲げて降参のポーズをとった。
「あれ?これでもわからない?」
「会長、普通はわかりませんよ」
「霜月君なら分かってくれるじゃない」
「それは俺が一部始終を知っているからですよ」
はぁ……とまた一つのため息をつく達也。
その光景に、この人幸薄そうだなぁなどと春太が現実逃避をしていると、達也が助け舟を出してくれた。
「寺宮、だったか?まぁ簡潔に説明するとだな、会長にただお近づきになりたいだけの連中がわんさかやってきたってことだ」
「みんなやる気はあったんだけどねぇ……」
「あれはやる気とは言いませんよ」
現生徒会メンバーが知る闇。それを共有する二人の顔色がみるみる暗くなっていく。
「大方の事情は分かりましたが、全員却下、なんて決断を迫られるような状況ではないと思うのですが」
「想像もしてみろ。取り入ることに情熱を燃やすやつらが同じ部屋にうじゃうじゃといる様を」
そこにいる者すべてが檜垣若菜一人に取り入ろうとする。すなわち己以外のすべてが己の敵である状況。まさに万人の万人に対する闘争。
「生徒会運営、なんて二の次ですね、それは」
「分かってくれたか?」
弱々しい、すがるような声が若菜の口から漏れた。
「なぜ、僕なんですか?」
「君が『誰か』のためでなく『人』のために動ける人間だから。これでは不満か?」
「買いかぶりすぎですよ」
「恣意的にできることでもないと私は思うけどね」
檜垣若菜は自分の容姿のよさを理解している。そしてそれを原因に数多の苦悩も抱えているのだろう。だから、極力他人とは一線を引いて生活している。
中身こそ違えど春太はそこに似通ったものを感じた。
そんな人が一歩、こちらへ踏み込んできている。
――もし今、ここで。ただ一人の人間として会長の力になれたら。
「何ができるか分かりませんが……お受けいたしますよ……」
「寺宮君ならそう言ってくれると思ってたよ。これからよろしくね!」
星の数ほどの男子生徒が入会を断られ続けている中、なぜか寺宮春太は生徒会への入会を許された。
そんなニュースが瞬く間に学内に知れ渡った。
――12月2日(金)
「これ、失敗だったよな」
「そうですか?あんな美人な方とお近づきになれたのに」
教室での騒ぎから逃げ出すようにいつもの場所に収まっている春太。
その顔には疲労の色が濃く出ていた。
「それ、労力に見合ってないんだよなぁ……」
春太にしては珍しく本を読む気力すら今日は残っていなかった。
「昼休みが終わりそうになったら起こしてくれ。少し寝る」
「承りました。……と言いたいところですがどうやらそうもいかないみたいです」
「春太は探しやすくていいなー」
「!?」
唐突にかけられた声に驚く春太。
しかしその声の主を確認してみれば、幸いなことに春太が今一番安心できる相手であった。
「鈴……なんだ鈴か……」
「はーい、鈴ですよー」
いつも通り鈴はまったりとしている。そのいつも通りが春太には心地よかった。
「助けてくれよ……」
「助けたいのはやまやまなんだけどねー」
ダルダルになった袖で春太の頭を撫でる鈴。
しかしコントロールが効かないのか袖の先で春太の頭をぺしぺしたたく形になっている。
「どうしてこうなったのかーくらいは聞いてあげられるよー?」
「それがだな……」
週末さんのことを省いてあらかたの説明をする春太。
その話の間、鈴はただ黙って話を聞き続けていた。そして話が終わるなり。
「ほー、さっすが春太だねー」
手をたたきながら、そう口にした。
「これからどうするかねぇ」
「がんばれーがんばれー」
再開されるされるペチペチとした動作。それすらも今の春太には安らぎになっていた。
「こんなところにいた」
「おー、会長さんだー」
「何か御用ですか?」
「会議があるって言わなかったかしら?感謝祭の用意で忙しくなるのよ」
「感謝祭?」
「一年生なら知らなくても仕方ないかもしれないけど、生徒会長としては知っててほしかったかな」
「そういうものですか」
途端に興味がなさそうに本を開こうとする春太。
「……人の話聞いてた?」
「一端読書始めると戻ってこないですよー?」
「なら」
若菜はニヤッと笑うと春太が読み始めていた本を取り上げて走り出してしまう。
その容姿とは裏腹になんともあどけない行為。
「あの人はなんであんなに楽しそうなんだ……?」
「どうしてだろうねー」
そう言う鈴の声は少しだけふてくされていた。