その2
――12月1日(木)
「春太、お客さんだぞ」
「お客さん?僕に?」
昼休み、本を手に取って教室を出ようとする春太にクラスメイトから声がかかった。
「いったい何をしたんだか……後で内容聞かせろよ?」
「……?」
ニヤニヤしながら去っていくクラスメイトをいぶかしみつつ、春太がその来客のもとへ向かうと、そこでは一人の女子生徒が待っていた。
「あれがお客さん……?」
「お綺麗な方ですねぇ……」
さらさらとした黒髪のロングヘアに、クールな印象にまとまる整った顔立ち。まさに和風美人と形容できる容姿の女子生徒。
他の生徒と同じ制服を着ているはずなのに、春太にはそれすらなぜか上等なものに見えてしまう。
けれどだからこそ出る結論。
「うん、あの人じゃないな」
そもそもその女子生徒が履く上履きの色から察するに学年は春太の一つ上。部活に入っていないこともあり、春太には先輩と呼べる相手がいない。
こちらから声をかけるまでもなく、あの女子生徒が待っている相手は確実に春太ではなかった。
なら自分を訪ねてきた相手というのはいったい誰なのか。春太が辺りを見回していると、
「でもあの方、どこかで見覚えがある気がします」
ふと思い出したように週末さんがそんなことをつぶやいた。
「週末さんが?気のせいじゃないのか、それ」
「いやぁ、どっかで見かけた気がするんですよねぇ……」
「まぁでもあんだけ綺麗な人なら学校ですれ違っててもおかしくはないだろうし」
「言われてみればその程度のような……?」
しかしてどうしたものかと春太が悩んでいると、答えは相手のほうからやってきた。
「寺宮春太君、だよね?」
「え、えぇ、そうですが……」
声をかける準備もかけられる準備も、そもそも声をかけるつもりもなかった春太はうろたえてしまう。
「お昼まだだったら一緒に食べない?」
「……は?」
「結局ここなのか……」
そうしてなぞの女子生徒になかば連行される形でたどり着いたのは、春太のベストプレイスであった。
あまり知られていない場所だと思っていた春太だったが、実はそこそこに有名なのではと思ってしまいそうになる。
「それで、どういったご用件で?」
つい最近ここで一つの物語が動いたからか、誰かにここへ連れてこられることに警戒の色を示してしまう春太。
しかし春太の内心を知る由もない女子生徒は怪訝そうな様子を示す。
「これは……あれかな。私のこと分かってないやつかな?」
「ええ、お察しの通りで」
「これでも知名度とかそういうのには自信があったんだけどね」
「はぁ……?」
話の流れが全く見えず、生返事をしつつ春太は脱出方法を模索し始める始末である。
「まぁもったいぶっても仕方ないしね」
そんな春太をよそに女子生徒は居住まいをただすと。
「先日助けていただいた鶴です、って言えばさすがにわかってもらえるかな?」
「助けた?」
直近で春太が力を使ったのは、一昨日の交通事故の時。
しかし如何せんあの場が暗かったこともあり、春太自身助けた相手が女の子だったということ以外は何も知らない。
別段後から訪ねていって「あの時助けたのは僕です!」などと言うつもりのない春太にとってはそれで十分だったのだが、こうして向こうから自分を特定されるのは初めてのことだった。
「あー。あの時の。よく見つけましたね」
「まぁ生徒手帳なんて決定的なものをあなたが落としていってくれたから見つけられたわけなんだけど」
そう言って女子生徒はポケットから取り出した生徒手帳をヒラヒラと振って見せる。
「もしかしてシンデレラ?」
「あいにくとガラスの靴を失くしたことにすら気づいてませんでしたよ」
「あらら、それは残念」
全く残念そうなそぶりを見せずに女子生徒は生徒手帳を春太に手渡す。
「私の名前は檜垣若菜。改めて、先日は助けていただいてどうもありがとうございました」
「お礼を言われたくてやったわけでもないですが。まぁ、無事だったようでなによりです」
「ほう、お礼を言われるだけでは物足りぬ、と。なにか形で示せ、とな?」
ニヤニヤと楽しそうに笑いながら言う若菜。
「きれいな人のそういう言葉は危ないですよ……」
「年頃の男の子ならもう少しいい反応をしてくれてもいいんじゃないの?」
「そういう連中、ご紹介しましょうか?」
「冗談よ」
「お礼ってわけでもないけど、お昼を作ってきたんだ。一緒にどう?」
若菜の手の上にはお弁当箱が二つ。よほどの大食漢でもない限り、女子が一人で食べる量ではない。
ここで断るのもかえって迷惑になってしまうだろう。
春太は一つため息をついてから。
「ご相伴にあずからせていただいても?」
「ええ、喜んで」
若菜の手製らしい弁当は期待を裏切らない上品な味付けの和食で統一されていた。
おいしいものは人を幸せにする。
お弁当を完食した春太もまた例に違わず底知れぬ満足感に浸っていたことを誰が責められるだろうか。
「このお茶、おいしいですね」
「これでもお茶っぱにはちょっぴりこだわりがあってね」
食べ終わるのを見計らって差し出された緑茶をすすりつつ、春太の気は完全に抜けてしまっていた。
「そういえばあなた、部活に入ってなかったわよね?」
若菜も緑茶をすすりつつそんなことを問う。
「えぇ、そうですけど……」
あれ、この流れって……。畢竟、春太が身構えるのは少しばかり遅かった。
「生徒会に入らない?」
もう誰かとこの場所に来るのはやめよう。春太がそう固く誓った瞬間だった。