その1
――11月29日(火)
「なんで僕が配達なんかしてるんだろうね」
「すべては春太さんの行動の結果ですよ」
その日の放課後、春太は『小料理屋風峰』のロゴが入った岡持ちを片手に配達の真っ最中だった。
「行動の結果って言ってもなぁ……」
春太がこっそりと宣伝を行ったあの日から、鈴の実家『小料理屋風峰』は口コミでその評判が広まり、お客さんの数が激増したらしい。
そこだけを見れば春太の当初の目的としてはこれ以上ないほどの成果を出しているわけだが。
「あ、私こういう時にぴったりな言葉を知ってますよ」
「ほう。言ってみそ?」
「嬉しい悲鳴、ってやつですね」
「ドンピシャだな」
そう。お客の数が激増したのはいいものの、今度はそれを捌くだけの人手が足りなくなってしまったのだ。
もともと家族経営の小さなお店だったこともあり、気づけばど素人の春太がバイトに駆り出されている始末だった。
「結局のところお給料がいいから文句を言ってるわけにもいかないんだけどな」
「そうですね……って、春太さん今の通り右ですね」
「そうだったか?」
来た道を幾分か戻り、通りを右に曲がる春太。
「あ、すみません、左でした」
「どっちだよ……」
なんとも頼りない配達風景であった。
「また風峰をよろしくお願いしますー」
商品と引き換えに代金を受け取り、春太は玄関先で一礼してそのお宅を後にする。
「これで終わりっと」
配達に出る際鈴に渡された配達先リストの最後の一人にバツ印をつける春太。
「お疲れ様です」
「週末さんもナビ助かったよ。……精度はあれだったけど」
「その一言は余計ですよ」
ザ・雑談とも言うべき中身のない話を繰り広げつつお店へと帰還する帰り道。
「今日は帰りになんかおいしいものでも買って帰ろうか」
まだ一か月も先だというのに街を彩り始めているクリスマスの看板を見て春太がつぶやく。
「駅前に新しいシュークリーム屋さんができた、という話をお母さまがされてましたよ」
「じゃあそこにでも寄って――」
その言葉は、突如として通りにけたたましく鳴り響いたクラクションの音によってかき消された。
かと思えば耳をつんざく、ブレーキの嫌な音がまき散らされる。
すでに夜の帳が下りたこの通りにおいて、春太の目にはトラックのヘッドライトが一人分の人影を道路にくっきりと映し出すのが見えた。
「週末さん!」
「承知しました」
春太は岡持ちを放り出し、とっさのうちに走りだしていた。
常識的に考えれば助けに走っても到底間に合わない距離。だが、魔法に常識は通用しない。
「――っ!」
けたたましくクラクションとブレーキ音を吐き出し続け、トラックは交差点をだいぶ過ぎたところでようやく停車する。
「大・・・丈夫か?」
春太は自分の腕の中で震える少女の反応を確かめる。
「……え?あ、あれ?」
目を白黒させながら春太を見つめる少女。少女は状況が呑み込めず混乱しているようだが、命に別状はなさそうであった。
そんな中、どこから集まってきたのかがやがやとしている野次馬をかき分けて、一人の男が近づいてきた。
「な、なんだ、無事じゃねぇか。ひやひやさせんじゃねぇよ」
見るからに虫の居所の悪そうな男はそれだけ言って立ち去ろうとする。
しかしそれをみすみす見逃すような野次馬ではない。
あーだこーだと男をののしる者や、少女を心配する者、そして春太を称賛する者。
騒ぎは次第に大きくなり、すでに春太のキャパシティをゆうにオーバーしていた。
「あとは当事者同士でやってくれ」
抱えたままだった少女を地面に座らせると、ひしゃげてしまった岡持ちを拾って、春太はこっそりとその場を抜け出した。
「どうやったんだ?」
事故現場から少し距離のある公園まできたところで、なんとか岡持ちを直せないか試しつつ春太は週末さんに質問を投げかけた。
「簡単に言ってしまえば、時間を圧縮しました」
「またぶっ飛んだ表現だな」
「これでもあながち間違いではないんですよ。あの距離の二十倍を走ったことにして、そのエネルギーを一回分に凝縮する。だからまぁ、通常の二十倍に近い速度が出ていたはずですよ」
二十倍と言われればそんな感じだったかな……?と春太自身いまいち実感が湧いていない様子。
「それなのに着地の時に大した衝撃がなかったのも圧縮か?」
いつもの二十倍などと言うスピードで突っ込んだのならば、運動エネルギーを考えるにその衝撃も二十倍となるはず。
しかし春太は常識レベルの衝撃を背に受けただけだった。
「ええ、同じ原理ですね」
こともなげに言う週末さん。
きっと、グリモワール=オブ=ウィークエンドにとっては至極当然のことをしているだけなのだろう。
けれどその力は明らかに人が自由に使っていいものではない。
「本当にすごいよ、グリモワール=オブ=ウィークエンドは」
「そうでしょうそうでしょう」
今回の功績をほめられたと思ったのか、そう返す週末さんの声は弾んでいる。
――春太の横顔に笑みがないことには気づかずに。