その3
季節の変わり目ということもあり、冬へ向けて気温は順調に下降の一途をたどっている。それはお昼時も例外ではなく、校舎外で昼食を取ろうとする生徒の数も減りつつあった。
――よほどの物好きを除いて。
敷地の都合上日中の大半は校舎の影の下にあるものの、ちょうどお昼休みの間のみ陽が差す場所。そんな校舎裏の一角で春太は一人本を読んでいた。
「いつ見ても寂しいお昼休みですね」
春太が読んでいる本とは別に、彼の小脇にある一冊の本が言葉を紡ぐ。そう、週末さんである。
「クラスのあの騒ぎようじゃまともに読書ができないからな」
「高校生くらいの男子としてはあれくらいが普通だと思いますよ?春太さんが少し違うだけで」
「どうせ僕は世間ずれしてますよ」
「あ、それ言葉の意味間違ってますからね?」
「さてどうだったかな」
週末さんとは会話をしつつも、ページを繰る春太の手も一定のリズムで動いている。ここのところの春太にとってはこれが昼休みの過ごし方だった。
本とそこに並ぶ文字を通して作者と静かに対話する。これが至福の……
「あぁ、やっぱりここにいたー」
春太の至福の時間はのほほ~んというオノマトペがつきそうな声によりあっけなくも終わりを迎えた。
「……」
春太が本から顔を上げ、じっとりとした視線を向ける相手。そこに立つ小柄な女子生徒は「たは~」などと言いながら、萌え袖を通り越しダボダボと形容して差し支えないセーターの袖で額の汗をぬぐうフリをして見せる。
このような人間を春太は一人しか知らなかった。
「……鈴がわざわざこんなところにくるなんて、どういう風の吹きまわしですかね」
「それがねー宿題を持ってこさせろって先生に言われちゃったんだよー」
風峰鈴と名前が書かれたプリントをヒラヒラさせながら鈴が答える。その名前の横に『見ました』のハンコが押されているのを見るに、返却されたもののようだ。
「宿題……」
今朝慌てて家を出たせいで机の上に置き忘れてきたことを春太はいまさらながらに思い出す。
「明日じゃ駄目かな」
「ダメなんじゃないかなー?あの先生、宿題に関してだけはいつもうるさいしー」
「だよなぁ……」
宿題を忘れた生徒には倍の量を居残りでやらせるような先生だ。しかし春太にしてみても、ちゃんと終わらせたものは家においてあるのだ。これで居残りをさせられるのは釈然としない、それが今の心境であった。
とはいうが昼休みの残り時間を考慮すると今から家に戻るのは不可能だ。
「……」
いかに絶望的であろうとも、この現状を打開できる方法。春太の手が、彼の脇に置かれる一冊の本にそっと添えられる。
「……わかった。急いで持ってくよ」
「よろしくねー」
本当にそれだけを言いにここまで来たようで、鈴はパタパタと戻っていった。
「おやおや春太さん、力、使っちゃいます?」
鈴と話していた間は沈黙を貫いていた週末さんが愉快そうに声をかける。
「まことに不本意だけどな」
「そうですかそうですか!えぇ、お任せください!」
それを合図に春太の横に置かれた本が淡い光を放ち始める。陽の光の下にいるはずなのに、なぜかその光はしっかりと目でとらえることができた。
「要求を確認。家に忘れた宿題を春太さんのもとに。相違ありませんか?」
「ありませんよ、ええ」
その答えを聞き、週末さんが一瞬強い光を放つと……パサリと一冊のノートが春太の手の中に現れた。
春太は中身を確認してみるが、それは正真正銘彼の宿題だった。
「これ、内容としては週末の休み丸一日を使ってノートを家に取りに帰ったってことになってるんだよな?」
「そうなりますね。いやはやいい週末の使い方じゃぁないですか」
「……今日はなんか嬉しそうだな」
「あら、そう見えます?」
グリモワール=オブ=ウィークエンドの力を春太が使う時、その後に決まって週末さんは不機嫌になる。つい先日迷子の女の子に助け舟を出した時もそうだった。
その理由を春太は知っている。けれどその経緯を春太は知らない。
「ただまぁそうなのだとしたら……今回は春太さんが自分のために力を使ってくださったからでしょうか。なにせ春太さんはあまり自分のために私の力を使いたがりませんから」
その声にみえる色は懐古なのか、はたまた悔恨なのか。そのどちらでもないのか。
ただ、きっとその言葉は自分ではない誰かに向けられている。春太にはそんな気がした。
だから。
「そりゃそうだろ」
「それは……どうしてです?」
務めていつも通りの調子で。
「歯止めが利かなくなる」
そう答えた。
――キーンコーンカーンコーン
「さてと、教室に戻らなきゃな」
「あ、途中で宿題を出して行くこと、忘れないでくださいね?」
まるで今までのことがなかったかのように、すっかりいつも通りに戻ってしまう週末さん。
いつか週末さんの抱える物語を聞かせてもらえる日が来るのだろうか。春太はそんなことを思うのだった。
「まほ……う?」
校舎に戻る一人と一冊の後ろ姿。柱の陰からそれを伺っている生徒がいたことを春太たちが知るのはもう少し後のことになる。