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if√if  作者: 北口
【異世界編】Fiancee
5/21

彼と彼女の“今の”心の在り方

ーーー少女の姿が見えた。


目を開けた。目の前には…自分を殺そうとしていた男。自分の左腕にはナイフが刺さっていて…彼は状況を理解するとすぐにナイフを引き抜き、男の元へ駆け出した。…タマネにつけられた傷の感覚は無いが、1ヶ月間で作られた筋肉も同時に無くなっていた。

「ひっ!」

渾身の蹴りを浴びせると、男の体はくの字に曲がりながら飛び、道路に隣接した民家の壁に激突する。そしてそのまま男は動かなくなった。頭はギリギリぶつからなかった為、意識はまだ残っているはずだ。

試しに投影をしてみたが問題無く、能力もあり、その中の武器達もあった。そして逆に…持っていなかったはずの、件のナイフ、リュック等までも持っていて…どうやら、自分の身体に関するものは引き継がれないが、精神的なものは引き継がれる、といったものらしい。それに加えて失った物は戻り、得た物はそのままらしい。…なら、向こうで幾ら金を使おうと、帰ってきたら品物は得たままに金も戻ってくるかもしれない…ということだった。

…死んだら、どうなるのだろうか。

気にはなったが、今更そんなことを考えても仕方ない。

警察に連絡を入れた後、彼は痛みで悶えている男の頬を叩き、強引に起こした。

「答えろ、お前を雇ったのは誰だ」

血のついたナイフをチラつかせながら男にそう詰め寄る。鋭い瞳は殺意の色を放つ。それと目を合わせた男が見た色は、これから起きる絶望を表すかのようだった。

「ひっ…ご、ごめんなさい!すみません!…失敗した上に名前までいったら、俺は…!」

「俺が誰だか解ってるよな…?言わなかったら…お前は生き地獄を味わうことになるんだ。お前の金を絞り尽くしてやる。お前だけじゃない、お前の家族、友人…親戚、お前のペットに…少し話したことがあるだけの知り合い、全員に迷惑を掛けることになるんだ」

…そんなことはできるわけもない。パッと思い浮かんだ、何かのアニメで聞いたことのあるようなセリフを言っただけなのだが…彼が言うとそれは真実のように聞こえる…らしい。

どっちが良いか…解るだろう?と、じっと睨みを利かせる。溢れ出た殺意の波動と、人非ざる髪と瞳は…男の口を割った。

「だぶっ」

何かを言おうとして…男は気を失ったかのように眠りに落ちた。

「…ちっ……《W》?」

男の前から離れようと視線をずらした。何気無く逸らした目線の先…自分が倒れていた其処に、彼女はいた。この世界では、都会の闇でしか見ないメイド服を着て…耳と尻尾の生えた少女…フィーリア。

「灰様、私……ついてきちゃったみたいです…」

…頭を抑えた、溜息が漏れた、そして少し…嬉しくもあった。

…しかし、この状況を飛び跳ねて喜ぶことのできない自分を恨んだ。

…どうしたらいい?こんな耳と尻尾を持ったメイドさんを世に出したら…いや、考えてる暇なんか無いんだった。自分で警察を呼んでおいて…まさかそれが裏目に出るとは。

フィーリアをチラリと見ると、目を輝かせてジッとこちらを見つめていた。どうやら指示を待っているらしい。

「…あー…、フィーリア、その耳と尻尾は隠せないか?…というか、姿を消す魔法とかは…」

「あ、はいっ。できますよ?私、半分は狐ですから」

そう言うとフィーリアから煙が溢れ出し…次の瞬間には尻尾が消え、耳は、横に飛び跳ねた癖っ毛に姿を変えた。

フィーリアのこと…色々知らないことが沢山あるな。

そして…自分のことも、彼女は知らない。


とはいってもまだ解決していない。メイド服なのも大分不味い。

「なら服も、出来るのか?」

「えっと…申し訳ありません。私はハーフで、あまり化ける力は強くないんです…。練習すればできるかもしれませんが、それでも姿を変え続けるには魔力を使いますから…」

申し訳なさそうに頭を下げるフィーリアの、耳だった物は気持ちを表すように垂れていた。変化し続けるには、度合いによるが魔力を使い続けるらしい。だから使い物にならないということなのだろう。向こうの世界の常識では、メイド服でも何の違和感も無かったこともあり、普段使っていなかったのだろう。

「姿を消すことは…まだ出来ませんが、この世界は戦闘が普通無いのですよね?でしたら…気配を完全に消せば、多分認識されないんじゃないでしょうか?」

そう言った直後…一瞬の瞬きの後、フィーリアの姿は目の前から消え去った。

あんな目立つ格好で気配を消したところで…と思っていたのだが、どうやら次元が違うようだ。

とはいっても気配探知の多少できる彼は、フィーリアに意識を集中すると、すぐに認識できた。

それは…透明人間とも違う。言うなれば、モブ化すること。例えば…空を飛んでいようと何事もないようにされるかもしれない。無論カメラにはバッチリ映る、しかし気にも留められない…まぁ誰かしらが気づく可能性は0ではないのだが。フィーリア曰く最終的には存在を忘れられるまでに至るとか…あくまで噂だが。

「流石…メイドにその力が要るのかは謎だが」

「…姉さんは何時も仁様の側にいました。もし離れることがあっても直ぐに向かえるように転移も身につけて…。姉さんがいたので私は必要ありませんでしたから、普段は家事を担当していたんです」

まぁ…私がいなくても姉さんなら家事もこなせたかもしれませんが…。未熟な私は仕事が終われば、魔道書を読んでいたのですが…転移は魔法の中でも最上級に難しいものですから、やっぱり…。

ボソボソと弱気に呟いたフィーリアはしかし直ぐに顔を上げた。

「私は隠れていた方が良いですか?」

…弱気な呟きに言葉を掛けようとしたが先を越され、その質問に頷いた。

「ああ、そうしてくれ。…脅すようだが、その耳と尻尾の存在が公になったなら、安全の保証はできない。どんな手段を使おうと解明しようとする奴らが出てくるだろう、お前はこっちでは全く未知の生命体なんだから。もし気が付かれたなら国に認められた機関の、非人道的な実験の数々で、死んだ方がマシだと思えるような…」

妄想100%の話を真剣に語る彼の顔色に、唾を飲み込んだ彼女は怯えた様子ですぐさま姿を消した。


「…これは…」

駆けつけてきた警察官達が唖然としていた。それもそうだろう、男が壁に寄り掛かる形で気絶、車の前面のガラスに入ったヒビ…それらも重要だが…

「北神、仁…!」

そのうちの1人の男がそう強張った声を上げる。そう…問題は、被害者の方。ナイフを持ち、血みどろの左腕を抑える異質な高校生は、その場にいる全員の記憶に新しい。

目に見えない程度に治療を発動させていた。これには病気を治す力はまだ無いが…予防なら意味はあるらしい。使ったのは、傷から何かしらの菌が入るのを防ぐためだ。

「…呆気にとられるのも解るが、その男を早く捕まえてくれ。こっちは車で弾かれた上にナイフで刺されたんだ。…あとそいつ、反撃して尋問したら、一言喋って動かなくなった」

1人の男が指示を回し、封鎖用のテープやらが其処には貼られ、状況確認やら事情聴取やら何やらが行われ始め…

「成る程…1億、ですか…。何処かで恨みを買ったりとかは…」

「…煽ってるのか?…お前らの方が知ってるだろ」

言ってから、しまった…と顔に出ていた警官に睨みを効かせる。

「部長!」

其処に1人の男が駆け寄ってきた。そして同時に、周囲にいた警察官達は、彼を取り囲むように移動し始めた。

「…あの人、死んでます…!」

その言葉は彼の目を僅かに開かせ、部長と呼ばれた男は途端に

「おい!現行犯逮捕だ!」

そう大声で合図をした。その言葉を皮切りにして飛び掛かってきた3人を、ひらりひらりと躱し、彼は囲まれた状況から脱した。

すぐ向き直り、手錠を構えて迫る男の手を再度躱す。

「…状況証拠しかねぇのに何決めてんだよカス野郎。それに現行犯じゃねぇだろ。ちゃんとそいつを調べろ、頭に外傷はできてねぇはずだ。どうやって死んだかは知らんが…一つ、良いことを教えてやる」

睨みを利かせ合うその間に火花は散る事もなく…彼は殺人容疑を着せられようと、汗を流すこともない。

「そいつは最後…《W》と、言っていた。それがなにを意味するかは知らんが、手掛かりにはなるんじゃないか」

再び詰め寄ろうとしてきた、手柄欲しさに溺れた間抜けな警官に、最後の警告を。

「…必要以上に2度とそっちから関わるなと、あの時言ったはずだよな?捕まえたいならちゃんと手順を踏め。…次かかってきてみろ。…もう許してやらねぇからな」

それでも飛び掛かろうとしてきた男を、部長が手で制して止めた。意思表示をするように臨戦態勢で構えた彼は溜息を漏らすと、警官達に背を向ける。

「…追ってくるなよ、俺はもう帰る。監視でも付けてみろ、ストーカーだなんだと…訴えてやる」

彼の背を、警官達は止めることができなかった。


彼の家は普通サイズの、最近建てられたらしい新築の一軒家だった。小さな庭は手入れもされておらず、植物もろくに生えていない。家の周りに他の家などありはせず…不自然なまでに空いていた。

「…ここが、灰様のお家ですか?」

はぁ〜、と綺麗な家を見上げて声を上げる。少し意外だったらしい。

「ああ。…入ってくれ」

「き、緊張してきました…!ご両親は今は…?」

不安そうにそう横から顔を覗き込んできたフィーリアに笑みを浮かべて答える。

「いない。父親は離婚、母親は病院で寝たきり」

「そう…なんですか。ごめんなさい」

「いや全然良いんだが…取り敢えず、ほら」

頭を下げるフィーリアに、頭を掻きながらフォローを入れる。そして家の扉を開き…彼女に入るように促した。

「し、失礼しますっ!」

彼の、彼だけの空間(いえ)に、彼以外の人間が初めて入り込んだ。


空き部屋が多数ある3階建ての家は、最低限の家具しかない、実に質素な空間だった。

…彼女の年齢の割に小さめな背丈は、彼に自分の今置かれた状況をより認識させる。女性、それも年下の少女を家に連れ込んだことの犯罪臭が色濃く漂っていたが…彼は気にした様子も無いかのように、普段通りを繕った。

ソファと、コンセントの抜かれたテレビと、食器棚その他諸々しかない、台所と繋がっているその居間に彼女を通す。ソファに腰掛けるように促されたフィーリアは大人しく座り、そこに彼は紙とペンを持ってきた。

「えっと、これは…?」

「フィーリアがこの世界に来てしまった以上、今度は俺がお前の面倒を見る番だ」

「…??」

いまいち要領を得ないらしいフィーリアは首を傾げる。

「…つまり、俺が正式にお前をメイドとして雇うことになる。だから履歴書?というか、まぁ…書いてくれってこと。そもそも、俺はまだお前のことをよく知らないようだから」

成る程…と納得したらしいフィーリアに紙を差し出す前に、机すらないその居間に小さな机を投影。その上に紙を乗せ、書くべき事項とスペース指定をその紙に書き出した。

「…でしたら灰様も、してはいただけないでしょうか?」

私も…まだまだ知りませんから、とのことなので、彼は向かいの1人掛け用のソファに腰掛け、2人して今更の自己紹介となった。


フィーリア

年齢 15 誕生日 1月23日

趣味 家事全般、裁縫、新しい料理の研究、読書

好きな食べ物 チーズケーキ

苦手な食べ物 なし

苦手な物・事 知らない人と話すこと。あまり夜遅くまで起きていられません。

出来ること(資格?)メイドとしての業務、ナイフの扱い、諜報員の基本(索敵と気配遮断)、変化(現在、体の一部を変えるのみ)、裁縫師、魔法(エレメント中級、投影初級、治療中級、強化中級)


初めて魔法が出てくる…つまり、熱くない炎とか、中身の無い武器とかがでてくるまでが3ヶ月。それからやっと、“らしく”なるには、適正やら、魔法ごとの習得の難しさにもよるが…平均で更に半年から一年は掛かるらしい。最も、仕事も何も投げ出してただそれだけに専念した場合、更に短くなるかもしれないが。

そう考えたらフィーリアはかなり、優秀なマジシャンらしい。

「あのブーメランみたいにナイフを投げてたのは…」

「あれは魔法でもなくて…私の唯一の技です。といっても、それをやるなら魔法でも良いと思いますけどね」

あははは…と照れ臭そうに苦笑いを浮かべた。

「いや…魔力がなくてもできるなら、いざって時役に立つだろ。それに…例えば紅とかタマネとかが持ってたような魔剣なら、話は別だろ。それにもし、例えば投げた後に軌道を変えられるなんてことまでできるようになったら…」

「あ、それなら少しならもう出来ます」

当然とでも言うようにそう言われ、一瞬思考が停止してしまった。

「…すごいじゃないか。うん。…さっきは言い損ねたが、お前は…凄いと思う」

上手く言葉にできなかったが、彼が褒めている気持ちは伝わったらしい。

「えへへ…ありがとうございます」

彼女はあの世界にいた時のようにまた、微笑んでくれた。


動機…


「…どうかしたか?大丈夫か?」

サクサクと書いていたフィーリアがそこで止まり、考え出していた。彼は既に書き終えている。

「…私も…あの人達みたいな口調で話していただいて構いませんよ?」

何を思ってかそう告げた彼女は、真っ直ぐ彼を見つめた。

…彼は友人や他人にはありのままで、それ以上になると途端に…じぶんをころさない範囲で、言葉を選んだり、取り繕おうとする。親友にこそありのままでありたい、それと同時に嫌われたくもない…そんな風に臆病だからだ。

…彼奴らと同じだと、おい、とかてめぇ、とか、カス野郎、とかなんだが…。

自分の目元に手をやり強引に閉じさせる。側頭部をトントンとつつき…スイッチを入れ替える。

「…お前はどうしてここに来た?別の世界にまで来て…それは、なんのためだ?」

ジッと…瞳の奥を覗き込むように眼光を鋭くした彼とフィーリアの視線が交錯する。そして漸く…彼女は口を開く。

「貴方は私を姉さんと会わせてくれました。心を、通じ会わせてくれました」

「それだって俺がいなければあんな頭のおかしい奴にならなかった」

「いいえ。貴方が来なければ私は姉さんと一生再会しなかったかもしれません」

否定的な切り返しを、すぐにカウンターされてしまった。

「もしもなんて分かりません。いくつもの可能性があって…選択の結果今がある。それが悪くないのなら…もっと最上のなんて無いかもしれないのだから、喜ぶことにしてるんです」

その考え方には彼も同意見だった。だから、振り返らない。…本当にそう、あれたなら…どれだけ良かっただろう。どれほど…優しかっただろう。

「…話が逸れましたね。私は貴方にいくつも助けてもらったのに…貴方の抱えた闇を、拭れていません」

「俺がお前に恩を返したんだ。どんな目的があったかは知らないが、それでも助けてもらったのは事実だからな」

彼女の答えはありがたいもので、彼にとって悪い部分など一つもない…だが、それでも…。

「…7回。……仁様は自ら命を絶とうとしました。いずれの時も生死を彷徨い、一度は記憶を失ったこともありました」

7…その数字は彼に強くのしかかる。あの…まともそうな奴でさえ、灰身滅智を使えば、それ程までに精神を痛めるらしい。

下を向いた彼女は、しかしまだ伝えることがあると、重い口を開いた。

「あの力を使うということは…死ぬことを意味しているんです。……自ら命を絶とうとしている人が目の前にいて、貴方は…助けない、のですか?」

縋るように見上げ、願うようにそう尋ねられた。不安の色が瞳の内にありながら、ただ答えを待っていた。

…人による。そんな回答は望んでいないだろう。

「…助けない。面倒に巻き込まれたくないから。助けなかった結果さらに面倒になるような状況だったなら話は別だが」

彼の解答に、寂しそうに首を振る…彼女は立ち上がり、彼の目の前に跪いた。

「…私が、ここで命を絶とうとしたら…助けてくれますか?」

目も見ずに、首を垂れて尋ねる彼女は少し…小さく思えた。

「助ける」

「それは…どうして?」

即答した彼に、率直な疑問を返し…顔を上げ、目を合わせる。対して詰まった彼は彼女の瞳をじっと見つめ…

「…痛いからだ。助けなかったらきっと後悔する。なら…助ける」

彼女にとって嬉しくもある彼の意志は…同時にこうも言っていた。

…それはつまり、彼にとってこの世界の人間は…助けたなら、後悔する。…そういう人種だということに他ならなかった。

そこまで読み取った彼女は笑みを浮かべることができなかった。


希望等


「…灰様、あの…」

ソファに戻り、動機に『恩返し』とだけ書いたフィーリアは、書き終わったらしくペンを机に置いた。

「なんだ」

腕の怪我は、事件の証拠として残しておくことにしていた。その為怪我は治らないように、尚且つ予防はする…という複雑な力加減を調整しようとしていた。

「…教えて、くれませんか?…貴方は一体、何を…」

…少し躊躇いながら、彼女がそう小さな声で尋ねてきた。

手に溜まった光はその瞬間に消え失せ、彼は小さく溜息をつくと、赤い目を彼女から逸らすようにして

「…簡単にしか話す気はないぞ」

頷いた彼女に、自分の汚れを曝け出した。


…中学時代から虐められていた。部活中に罵詈雑言を吐かれたり、物を壊されたりとかな。…お前の世界でどうだったかは知らないが、この世界ではな…いじめをいじる、とか言って、それを犯罪にした奴の方が正気を疑われるんだ。

中学を卒業しても、生憎そのゴミと同じ高校だった。3年生の時は受験で忙しかったから、あんな奴を気に留めもしていなかったからな、知らなかったんだ。…3ヶ月ぐらい前の雨の日…そいつに帰り道で絡まれた。そいつは何もない道路で足を滑らせ、転び、頭を打って…車に轢かれて死んだ。俺は殺人容疑にかけられたんだが…。

…その前に、この世界には学級裁判制度がある。学校関係者が起こした事件なら、殺人とかの大規模なものだろうがなんだろうが関係無く、学生達にも裁判に関らせようとする制度だ。

そこに独力で挑み、中学の頃の友人達も使って虐められてたことを暴露してやったさ。当然それを公表するのは−だ。だが…それは無罪なしに引き分けにするなら、だ。勝ちに行くならそれは武器にもなる。

右往左往あったが、動機はあるが無実だと結論を出させ、果てには遺族から金を踏んだくり、手荒な扱いをしてきた警察からも取り、馬鹿みたいな記事を書いて、トラウマになり得る程の悪名を全世界に知らせ、ネットの中傷を湧き上がらせた…なんてめちゃくちゃ言って、俺を取り上げた全ての新聞雑誌社からも取り…2度と関わらないことを約束させた。

少しずつ…昔話を思い出すように語る彼の様子は、彼女の瞳にどう映るのか。

…フィーリアは黙って聞いていた。

(…それだけじゃない。だが…今は良いだろう。…母親と姉のことも、きっと勘違いしてくれる。……。)


…その幾度もの裁判の内の最初の裁判の中で…俺の体は、灰身滅智を発現させた。

裁判中、大勢の人間の前で徐々に変わっていく体は、人ならざる者の証で…あの時の俺を見る目達は今でも覚えている。

ここまで俺のことが広まっちまえば…将来働き口が無いのは勿論、普段街を歩くことすらままならない。それらを合わせても…合計で数億奪い取れたのは、灰身滅智を覚醒させたことでの被害者具合のアピールの成果と、覚醒したての灰身滅智による弁護力の賜物だろう。

「…ただ、それだけだ。俺はもう…世界中に、人外(ひとならざるもの)だと知られている」

彼女の瞳に映る彼は…何処にも辛そうな様子を持っていなかった。…最早悟っているのだろう。…もうどうでもいい。結果どうなろうと…知ったことか、と。

結論を告げた彼の瞳に映る彼女は…涙を堪えつつ、彼を真っ直ぐ見つめていた。

………。

「…一つ提案がある」

彼は“何処か”にしまっていたらしい、財布を取り出し机に置いた。

提案、という言葉に彼女は顔を上げた。

「この中にある銀行のカードの中に、一生遊んでられるだけの金が入っている。…俺を殺したって誰も困りゃしない、お前なら簡単に隠蔽だって出来るしな」

「なにを…」

先を予想できてしまったのかフィーリアが立ち上がる。

「実力で言っても俺は絶対にお前には勝てない。だから…お前は、俺を殺せる。それなのに俺といる意味は…無いだろう」

立ち上がったフィーリアと目が合う。憎悪や嫌悪など感じられない…しかし彼の弱った瞳はそれを、壊れた精密機器を見る目のように見せた。実際には…どちらかといえば、捨てられた子犬、大きな失敗をした友人に向けるものだったが……。

「灰様は…私がそんなことをすると、お考えなのですか?」

黙る。…今更繕っても遅いだろう。

「…するわけない、そんなの解ってる。だが…俺はもう、心から100%信じることはできない。何処までいったって、何を渡されたって、誰かを完全に信用することはない」

首を振りながら、謝るようにそう言葉を立てた。

…根本的に弱い彼は、しかし自殺をしたことはない。それは…まだ、死ぬわけにはいかない理由があるから。

「…私は、貴方のメイドです。私はお金が欲しくて、生きたくて、この仕事をしているわけじゃないんです。…辛い人がいたら助けたいから、今を生きているんです」

…答えを聞き、彼は机ごと財布を“何処か”にしまうと、大きく足を伸ばして組み、疑るように彼女を見つめた。

「…それは何故。誰かを助けて…最期に誰が救われるんだ」

「私が救われます。…助けなかったら後悔する、そんな時なら、あなたも助けるのですよね?」

だから…私は、もしかしたら…“他人”が好きなのかもしれませんね。

照れたように笑みを浮かべた彼女の笑顔は眩しかった。それは…眩しすぎて腹の立つ、目覚めの朝日と良く似ていた。

「…ふざけるなよ」

小さく漏れた悲鳴は彼の心の音だった。しかし冷静になった彼は、瞳が帯びた血の色を手で隠し、自身の心を諭す。

「…他人が齎すのは利益よりも不幸の方ばかりだ。いいか、あの世界でどうだったかは知らねぇが…言っておく。この世界ではクソみたいな、いなくていい人類ばっかだ。不幸を他人のせいにする奴、自分さえ良けりゃいいと思ってる奴、騒音を奏でることしか脳がない奴、自分が美しいと勘違いした間抜け…数え切れねぇ…。……ぁぁ…なんで俺は、こんな……世界に…」

組んだ足を解き片手で頭を押さえる彼へ、彼女は黙ってただ歩み寄り…彼の隣に座り、手を取った。

「それでも例えば…あなたの好きな音楽を奏でる人、あなたの好きな絵を描く人は、居なくていい…わけじゃありませんよね?」

「…ああ」

「もしあなたが助けなかった隣の人がその人だったらどうするのですか?」

「…ならもし、お前が助けた隣の奴が、お前の命を狙う輩だったらどうするんだ」

彼女の想いと彼の想いがぶつかり合った。疑問は即ち答えで、2人の在り方は相反していた。だが…夜の闇の中でも姿が見えるように、朝の光の中でも影が見えるように、互いに全てを否定することはできなかった。

「…殺した命は戻りません。つまり…あなたが殺した隣の人の命は戻りません。ですが…私が殺さなかったその人の命は在ります。…そうです、よね?」

この哀れな世界に似合った正論を突きつけられ、彼は黙って顔を上げた。

「それは…相手がお前より弱かったらそれで良いが、もし強ければお前が死ぬことになるかもしれない。そこまでいかなくとも…その相手にお前が傷をつけられるような事があったとして…それでも、先制しないで良かったと、そう…言えるのか?」

加えて言うなら…やられるまでは何もできやしない、哀れなこの国と…その思想は通じ合っているんじゃないだろうか。

困ったように、しかし予想できていたらしい彼女は…それでも小さく頷いた。


…解りあえない。いや、だが…解って欲しい。…悪いがこちらから同調することはできなさそうだった。だって…そうだろう?俺は何も…間違ったことを言っちゃいないんだから。

この世界のヒトに諦めを持った彼の、新たな希望。2人が隣で歩き出す為には…まだ言葉を交わす必要があった。

「……あの世界での俺と、今の俺…全然違うだろ。…それはそうだ。今、俺は…機嫌が悪い。あの世界の人達は本当にいいやつばっかで…それなのに汚い口を利くのはおかしいだろ。だが…今、お前はもうこの世界の住人だ。なんで…なんで、来てしまったんだ。ここから先、お前が…俺のことをより良く思うことは決して無い。人が殺せるなら俺はこの世界の人間の過半数を殺すだろう。…それでもお前は隣で笑えるのか?」

最早彼の言動に驚きはしない。…半ば冗談だと思っているから?違う。彼女は…灰身滅智の恐ろしさを知っている。

「…そんな状況にならないよう、止めてみせます。メイドは常に、御主人様の為を最優先に考えて動きます。そして私が止められたなら…その時は、きっと貴方を笑わせてみせます」

敵対通告は、しかし彼女の曲がりようのない意思で…真っ向から否定してくれることが、彼には何故か嬉しくもあった。

「…なら、止めてくれ」

「はいっ!」

どうかその明るさで…助けてくれ。その言葉が喉より先に出ることはなく…彼は気がつくと喉元を抑えていた。それを不思議そうに見上げた彼女を誤魔化すように立ち上がる。冷蔵庫の中を開き…作り置きしていた麦茶を二つのコップに注ぎ、机に置こうとして…“何処か”にしまっていたことを思い出した。片方のコップをフィーリアに差し出す。

「大分長く話して、喉、乾いてきただろ?」

「あ、ありがとうございます…」

フィーリアに渡すと再びソファにもたれかかり、一息入れて喉を潤した。

「…灰様」

「ん?」

「灰様のこと…これからは御主人様(マスター)って、呼んで良いですか?」

ソファに向かい合い茶を飲んでいたその状況からの、脈絡なんてあったものではないそのお願いは、逆に彼の肩を揺らした。

「別にいいけど…何か特別な意味があるのか?」

「…メイドは、唯一お仕えする方のことを、御主人様、主、マスター…等、それらのいずれかで呼びます。ゲストのことを名前や姓で呼ぶんです」

「ああ…成る程…?」

幾つか疑問が湧いたが、尋ねるよりも先にフィーリアが答える。

「姉さんはメイドでありながら結婚して、名前で呼んで欲しいと頼まれていましたからそうしていました。それと…あの世界では、私の雇用主が紅様で、御主人様が灰様で…よく、解らなかったと言いますか…」

照れ臭そうに口元に手をやる彼女は…もしかしたら、自分“だけ”の主人をそう呼ぶのに憧れていたのかもしれない。

そして、そう呼ぶということは…先程までの話を聞いても、それでもついてきてくれる、ということだった。

「…ああ、なら…そう呼んでくれ。俺もそう呼ばれるの…嫌いじゃない」


「はいっ、……私の御主人様(マイマスター)


嬉しそうに微笑んだ彼女の今日一番の笑顔が…純粋に彼を照らし、暖かな気持ちにさせた。


一息つき、フィーリアの空になったコップを受け取ると、自分のと共に流しへ。

さて…どうしたものか、と次すべきことを考えながらソファに座った。

「…もう少し、話しておかなければならないと思います。だから…」

どうやらまだ、言葉を交える必要があると判断したらしい。その提案には同意見だったため、頷き返す。

「ああ。そうだな…何か聞きたいか?」


彼女は唾を飲み込み…聞いていいものか少し迷った後、ゆっくりと口を開いた。

「…そんな中でもまだ、学校に行っているのは…何故ですか?高校を出て…意味はあるのですか?」

至極当然の質問は…彼自身への、もう一度の問いでもあった。

「…無いかもしれない。それでも…」

正直に言うと…というか当然、出掛けたくなんかなかった。他人と関わるのは辛くて…ベッドの中でただ眠るだけの人生でも悪くなかった。

ふぅ…とそこで息を吐き、自分の落ちていく気持ちをリセット、意志を確認した。

それでも…

「…俺には、動ける体がある。正常かは知らんが考える頭がある。物を感じる心がある。それなのに…ただ家にこもっているわけにはいかないだろう?ぶらりナントカの旅を考えたこともあったが…1人でそんなことをしたって何も楽しくない」

そうするわけにはいかない…という今更で妙な理由。

…可笑しな考えだと自分でも思う。だが…せめて高校ぐらい出なければ。いつかーー隣で歩く時に、不要な厄介を被ることになるかもしれないから。

それに加えて、せめて自分の住んでいる周囲の地域の人間が、自分が歩いていても何事も無いかのようになるまでは見慣れさせたかったのもある。

いまいち容量を得ていないようだったが、それ以上フィーリアが詮索してくることはなかった。


今度は彼からフィーリアに問いを投げる番だった。

「…俺よりも苦しんでいる奴は何処かに必ずいるだろう。もし俺が膝を擦りむくと同時に、隣でもう1人、足の骨を折っていたならどちらを…いや、やっぱいい。今のは無しだ。そうだな…。…お前は、俺がもし心から救われた日が来たなら、他の奴の元へ行くのか?」

取り消された質問は、聞きたくもないし答えたくもないことだったため無かったことにされた。新たに投げかけられた問いに、彼女は脳に未来の自分を予測させた。

「…どう、でしょうね。貴方が去って欲しいと、もう私の力は必要ないと、その時言ったなら…です。…今……私の力は、要りますか?邪魔じゃ、ないですか…?私の事…嫌いではありませんか?」

…。

普段は明るい彼女も、先程までの会話が響いてしまったのか…次第に不安に心が覆われたらしい。

彼を見上げた小さな少女は、その耳や尻尾のせいか、年齢よりも更に幼く見えて…一つしか年齢は違わないが、保護欲に似たものを覚えさせる。

そうでなくとも…彼が彼女に本心を伝えない理由は無かった。

「…必要だ。嫌いであるはずがない。この世界で…俺はお前より良い女性を知らない。お前は…フィーリアは、何よりも綺麗だ」

だからどうか…そのままでいてくれ。

そう願わずにはいられなかった。

彼女の頬が赤くなっていたことは、彼が込めていた以上の意味で言葉が届いたことを示していた。それは兎も角として、無事言葉が届いたらしい、微笑んでくれた彼女に、彼も慣れないながらに微笑み返した。


一通り話し終えたところで、彼も思い出したように履歴書?を見せた。

北神 仁 16歳 9月7日生まれ

趣味 ゲーム、読書、音楽鑑賞

好きな食べ物 カルボナーラ、福神漬け、アイス全般

苦手な食べ物 きゅうり

苦手な物 極度の緊張、というか不安症

出来ること 投影中or上級、治療初級、諜報員の基本(気配遮断、探知)、全ての武器の基本的扱い


彼女は読み終えたその履歴書を彼に返すと…ある提案をしてきた。


「…マスターさえよろしければ、魔法的な主従契約を結びませんか?」

その内容を具体的に列挙するとこうだ。

主人が許可している際、主人の居場所をメイドが探知できる。

主人はメイドが勤務中、何処にいるのか常に探知できる。

互いの魔力を介した念話機能。

…互いに1度の、絶対命令権。その命令を拒否することは、絶対命令権を持って破棄させることのみ。

尚、絶対命令権を使うことで契約を片方の意志で切ることもできる。絶対命令権を行使された際に後出しで契約解除を使った場合、契約解除が優先される。

互いに一度とは言ったが、両者が一度ずつ使えば、再度得ることもできる。因みに例えば、既に命令権を使ってしまった後に歩くことを禁止された場合でも、された方が次の絶対命令権で解除を要求すればいいらしい。最もその場合、また相手が一度分命令権を得ているという訳で…。契約をそれでも続ける気なら、不利な状況は続く。

また、絶対命令をした場合でも、命令者が途中で中断させることもできる。(その場合でも命令権は使ったとみなされる)


何処からともなくフィーリアが取り出した契約書らしき物に2人は名前を記入し合う。記入が終わると紙は光の粒子と化し…2人の元へ飛んで行った。フィーリアの元へは、謎の金属でできた首輪に。仁の元へは、左手の人差し指に指輪に。それぞれ粒子が姿を変えた。それらには赤い、揺らめく炎のような軌跡を辿った線が伸びていた。…命令権が現在進行形で使われていない限り、指輪は取ろうと思えば取れるらしい。…つくづく主人側に有利な契約だと思う。

そして首輪から鎖が伸び…指輪に小さく結びついた。


「首輪って…大丈夫か?それは人に見られるとあらぬ誤解を生むと思うんだが…」

というか、この契約書を持っていたということは…?ううん…?

「大丈夫です。えっと…マスター、その鎖をこう、手刀で切ってくれませんか?」

言われた通り、力を一切込めずに右手で鎖に手刀を加えると、驚くほどあっさりそれは切れ…鎖は先程と逆の手順で消えた。

「そして、私の首輪に触れてください」

ソファから下り、フィーリアが跪いた。言われた通りに触れると、首輪も鎖と同じように消えた。

「といってもこれは見えなくなっているだけなんですけど…その指輪に念じれば、また首輪が現れ鎖が繋がれる筈です」

試すと確かにそうなった。しかし気が引けたため、すぐにまた首輪を隠した。

「…他人に渡しても、その指輪は効果を発揮しませんからね?」

「ああ、解った」


正直言って…これを勧めてきたフィーリアの意図はよくわからなかった。確かに、念話や位置確認はいいが…絶対命令権、これは…お互いに警戒する羽目になる物だと思った。どちらが先に使うか…というか、先に使ったが最後、命以上の物を掌の上に差し出すようなものだった。


「絶対命令権を行使します…!」

そんな風に考えていた最中の突然の宣言に、彼は固まってしまった。それはそうだ、後出しが有利のこの関係で、それを真っ先に捨てようというのだ。

…ああ、なるほど。ここで、命令権を使って『命令権を使って』と言えば、シミュレーションができるわけだ。…いや?あれ…それでも…?

勝手に納得しかけていたが…

「マスター、私の手を握ってください」

フィーリアの首輪が姿を現し、そこに引かれていた赤い線が消えた。

…彼女の正気の沙汰ではないその願いに固まった。しかし…指輪がきつくなったような気がしてハッとした。

成る程…今は違和感があるぐらいだが、この分だと…1分もしたら指が飛ぶんじゃないだろうか。

そして納得したと同時に…彼女が怖くなった。ニコニコと微笑んで、今こんなことをしでかした彼女は…何を心に秘めているのか。優しさ、ただそれだけで…?

「ま、マスター?早く手を…」

「あ、ああ…」

どうしたんだろう…と不安そうに寄ってきて見上げた彼女の手を取った。すると指輪は元に戻った。命令は完遂したことになったらしい。

「と、こういった感じです…マスター?」

ポカンと心ここに在らずな彼の手を左手でも取り、彼女は覗き込むようにして目を合わせた。

「…お前は今、自分が何をしたのか解っているのか?」

?を浮かべる彼女の様子…恐ろしいものを見るように彼は、彼女の瞳を覗き込んだ。初めて握った異性の手の感触を味わうことなど、今の彼にはできやしなかった。

「…ここで俺が、死ね、とか、それ以上の…例えば、死ぬまで走り続けろとか、世界中の人間を殺してこいだとか命令したら…お前はそれに従うしかないんだぞ」

明言したことで、彼女も改めてそれを認識したらしい。しかし驚いた様子もなく…ニコリと微笑んだ。

「…だってマスターはそんな辛い命令、しないじゃないですか。だからこれは…間違ってなんかいません」

私は…貴方マスター)を信じています。だから…託せます。ですからどうか…少しでも、信じてくれたら…。

…彼は黙った。肯定もせず……否定もしない。

彼女はそうまでして…信用が欲しかったのか。何が彼女をそうさせるのか…。それにしたって…正気でないのはどちらなのか、解らなくなってきていた。

「マスターは今、私の手を握ってくれていますよね?これは私が…願ったことなんです。たった一度の命令権を使ってでも、したかったことなんです」

「だから…ありがとうございます」

彼は一歩後ずさる。そして…

「…俺が嫌いなのは、誰かの掌で踊らされることだ」

結論の仮定を視た。暴いてやる…その目的を、理由を…!


ーーー絶対命令権を使う。

フィーリア…息をするな。彼女は目を一度大きく開くと、喉を抑えた。どうやら息を吸うことができなくなったらしい。言葉は聞こえないが…何を言っているのかは解った。

「ます、たぁ…」

息をなんとか吸おうともがいていたが、それは余計に彼女から空気を奪うことになっていた。

フィーリアは一歩、一歩と彼に歩を進め…そして、ナイフを突き立てるのでも、憎らしそうに見つめるのでもなく、ただ…彼に抱きついた。

「ごめん、なさい…」

涙を流し、そして最期は笑みも…。

それでさえ…憎しみや力では無意味だと悟ったから、最後の善意に掛けたんだと、汚い目で見てしまう。

彼女はやがて力尽きーーー。


ーーー絶対命令権を使う。フィーリア…俺に殺されろ。そんな命令を下したなら、彼女は微笑んで…目の前に歩み寄り、彼の手を取った。そして…その手を自身の首にーーー。


…。

目を疑った。あまりの光景に、どちらも途中で遮ってしまった。

そして目元に手をやり…はぁ、と溜息と同時に首を振った。


「…優しいよな、フィーリアは。……怖いよ。何を思ってここにいる。…助けたい?…俺には考えられない。少なくとも、俺は俺を見て助けようと思わない。誰に対したってそうできてしまうお前は尊敬する。だが、同時に……怖い」

心のままに想いを漏らす。彼女は…危険だ。

「お前のその優しいところは、他には見られない特別なことだ。それは良い、大切にして欲しい。だが…その結果汚れた奴に利用されるな。自分の価値を思い出せ。お前は自分を特別じゃないと考えてるかもしれない。だが…その特別じゃないと思えているお前は特別なんだ」

君は特別なんだ。…そんな言葉を使うことはしたくなかった。自分を特別だと思っている奴にロクな奴はいないから。だがそれでも…言わなければならない。

「…そして、今それを“なぜ認識させたのか”…解って欲しい。…自分を大切にしてくれ。お前は他の人間よりも価値がある。それは他の人間に手を差し出せるからだが…燃え過ぎたらいずれ灰になる。…お前もまた…いつか目覚めそうで怖いんだ。水の溢れる都市ではそのありがたみなんかわかりゃしないんだ。優しくしすぎるな。無償の愛は…相手を殺すし自分も殺し得る」

命令権は取っておく…?いや、いい。これが精一杯の…彼女に対しての礼と謝罪だ。

だから俺は…こう命令しよう。

「絶対命令権を使う。ーー辛くなったら、どうしても耐えられなくなったら……ちゃんとそう言ってくれ」


…言葉がストンと自分の中に入っていくのを、彼女は感じた。彼が垣間視た死の予見を、彼女は寸分たりとも想像してはいなかった。信頼の、忠誠の証として差し出したものを…最大級のもので返してくれた。それが、灰身滅智の中にいる彼からの言葉で…先程までの気疲れするような会話の後に掛けられた言葉で…。

ああ…ますたぁ…。

もしマスターが完全に灰身滅智してしまったなら、私が救いたい。

もし灰身滅智が完全に治っても…その後も共に在りたい。

声には出さない。もしここで口を開いたら…もっと溢れ出してしまいそうだったから。

代わりに、彼女は補足をすることにした。冷静であろうとする自分の僅かな部分に、全権を託した。


「…マスターは言っていましたが、誰に対してもそうするわけではありません。わたしにだって苦手な人はいます。…マスターは今、私のこと…優しいって言ってくれましたよね?…だから私は付いて行きたいと思ったんです」

思わぬカウンターを浴び、彼はああ…そうか、とだけ。そして黙ってしまう。

「だから…マスター。」

「うん?」

改めて言うことの照れ臭さなど微塵も感じさせない、純粋すぎて、白すぎて…眩しい彼女は

「ありがとうございますっ」

メイドらしく頭を深々と下げて…ではなく、満面の笑みでそう言葉を彼に。主従ではなく一人の少女として、そう言われた気がして…

「…こっちこそ。……ありがとう」

何に対してなのか、敢えて言わなくとも…きっと、伝わってくれたはずだ。


…つくづく、年下だとは思えないその意志の強さは…もしかしたら逆に、幼さ故の強さなのかもしれなかった。あの世界でも月日は5月で、彼女も高校生だった。…見た目は中学生ぐらいに見えたが。…自分もたかが16歳のくせに何を言ってるんだと思うが。

彼は子供は嫌いじゃなかった。無論、無知で意志の弱い、世界を舐めている子供は嫌いだが…何もまだ知らないからこそ、汚れていない、素晴らしいものがあるのだと思う。

再度絶対命令権をお互いに得て、今日はそれ以上難しい話は止すことにした。

明日にでも大掛かりな買い物に出なければなるまい。服とか日用品…必要な物は沢山で、せめて家の周り、一通りの店等は、教えておく必要がある。


飯その他家の案内、適当な確認を済ませ…取り敢えずフィーリアは簡単なパジャマらしき物を投影し、それに着替えた。しかし作りも非常に簡単で…やはり明日買いに行く必要があるだろう。

「そういえば…給料は幾らなんだ?」

やはり住み込みだと結構…実質24時間労働に近いだろう。家に住まわせて食事その他も面倒を見るとはいえ…一般的なサラリーマンよりも高給料のように思えた。

「お給料だなんて…私はメイドとしてもまだまだです。ですから仁様の時にも紅様の時にも頂いていません」

…絶句した。唖然とした。一瞬だが、恐怖は増した。しかし同時に…納得もした。彼女からしたら…メイドとして仕えることも趣味…楽しいことの一環なのか。金をもらうということはそれは…違うものへと変貌を遂げる。…しかし見合う対価は払うべきではないのだろうか?

そしてそれは、居候の様な…家に置く代わりに少しは家事をやってもらうよ、というようなものでもあって…納得できないわけじゃない、良心がそこまで痛まない条件だった。だが…違う。彼女は居候じゃない。そして価値ある、素晴らしい…だが逆にならば、給料は出すべきではないのか…?

「…お前は超一流メイドだよ」

「ちょう、いちりゅう…?」

その言葉にキラキラと、彼女の瞳に星が映った。

「ああ、ドジだなんて言ってもそんなの本当に数回だし、戦える、魔法も使える、そして…癒せる」

「あ、はい!治療の魔法ならお任せください!」

ぁ、ありがとうございます…。そう照れて頬をかく彼女は少し勘違いをしていて…しかしそれが丁度良い。彼もそれを解っていてそう言った。

慢心、調子に乗る、他を下に見る。…士官学校育ちの彼女はそういった一切を心に抱きはしない。



私は別に、特別なんかじゃないのに…。…この世界の人達は、そんなに…?

それでも…褒められたら嬉しい。自分がしっかりやれてるんだと知ると安心する。


自分を褒められて、素直に喜べないのは…フィーリアが知る中では彼ぐらいだ。

「…超一流のお前に、しかるべきものを渡さないなんておかしいだろ?」

「で、ですが…それでも、私は…」

「ああ。だから…お小遣いをやる」

予想外の単語の出現に顔を上げた。

「お小遣い…ですか?」

「ああ。頑張ってる子にそれを渡すのは…当たり前のことだろう?」

ドヤッ、としたり顔でそう告げ、棚に入れてある貯金用に取っておいた封筒の中から五千円札を一枚取り出し、彼女に差し出した。

「いい…のですか?」

「ああ。必要なものは言ってくれれば用意するが、言いにくいことだってあるだろ?自由に使える金だって必要だ。というかあの世界だと小遣いってどれぐらいなんだ?俺は月々五千円だったんだが…」

この世界では彼女の親だっていないんだ。

…名ばかりの小遣い、多すぎてはならない。なら、これぐらいが妥当…だろうか?

普段買い物に出るときの会計は無論全て持つ。生活必需品を渡すのは主人の役目のはずだ。

「いえ!私の家でも五千円でしたっ」

なら…ほら。と彼は促し、彼女は恐る恐る、それを受け取った。

「といっても…食材は勿論、必要なものは言ってくれれば俺が買ってくる。…あまり外は出歩いてほしくないんだが、買い物に行きたいとかなら、また改めてその分を渡すから。その金は、本当に自分が使いたいことに使ってくれ」

「や、ヤー!」

ぴんっと敬礼した彼女は嬉しそうにそれをしまった。…彼女は別に、“何処か”に隠す力を持っているわけではないのだが…恐らくそれも、メイドの成せる技、なのだろう。


「そういえば…気配関係の修行はどうしたら良い?」

フィーリアが出してくれた温かいお茶を飲みながらそう尋ねる。テレビは付けない。…碌な物がないから。

「私達の場合は…これですね」

何処からともなく彼女は黒いハチマキを取り出した。

「これで目元を覆います。その状況でも普通に生活できたら…探知の面ではもう1人前、だそうです」

…正直かなり危険だと思う。目元を覆って街を歩くということだ。正気を持ってやることではない。

だが…結論の仮定を常に使えば、目を開いていることとさほど変わらない。…それはもしかしたらこの力を強化することにも繋がるかもしれないが、気配探知の面においては果たして意味があるのだろうか。

「目は、その人の個が出る、らしいです。だからそれを塞いで…閉じた暗い世界で、周りと自分の区別が、自分でもわからないぐらいに成れれば…最後には、自分に関することを忘れ去らせるまでに至るかもしれないと」

教官の冗談だと思いますけどね、と苦笑いを浮かべながら付け加えた彼女もお茶を啜った。

成る程…信じ難いが、それなら…逆に目を塞いでしまっている修行中ならば、“俺”ではなく、“一般人(だれか)”、つまりハチマキを着けてようとそれすら違和感のない、普通の人間と判断されるかもしれない。

…いざとなれば結論の仮定を使えば良い。

「つけてみますか?」

「…ああ、頼む」

彼の座るソファの後ろに回り、その長いハチマキを結び、目元を覆ってくれた。

「どう…ですか?確か少しは力を貰っているんでしたよね?」

能力を発動していなくとも、フィーリアが覗き込んできているのを認識できた。

「ああ、問題ない。なんとなく…そこにいる、っていうのは解る。流石に例えば、今ピースをしているかとかは解らないが…距離感がつかめれば十分だろう」

「はい。…一番苦労する段階が既にできてる訳ですから、すぐ出来てしまいそうですね。…私は大体見えてますけど、その段階まで進んでいるなら、複数人の場所、動く向きが分かる。1人に対しての細かい動き、殺意が見える。複数人の…といった感じで少しずつ意識して伸ばしていけばいいと思います」

「…イヤホンで耳まで塞ぐのはどうだろうか?」

「いいと思いますよ。音楽まで流した状態でそれができるなら、どんな状況でも集中できるということですから。それに、その方が集中できるならそれに越したことはないと思います」

とのこと。…どうやらそこそこ出来ているようだし、学校の中であろうとそうしていても問題は無いかもしれない。

気配を消す方の段階の進み方は人によりけりだが…モブ化の方があの世界の仁は得意だったらしい。無論、姿を隠す方も一流だったらしいが…。


気配を操る術をもし完全に身につけたなら、彼はその後、一般生徒と同じになる。授業中であろうと構わずイヤホンと目隠しをつけ、教科書を開かずに魔道書を読む。黒板に答えを書く順番等ですら、ナチュラルに、誰も違和感を感じることなく飛ばされる。…といっても、意識的に、目を凝らして暫く探されるか、何かしら目立つ出来事があれば、今の段階では気付かれるかもしれないが。


「…ふわぁ…」

欠伸を右手で隠しながらもした彼女は目を擦り…ハッとしたのか、す、すいませんと頭を下げた。

「気にしなくていい。常に気を貼られてるよりもずっといいさ。というより…ここはお前の住む家にもなったんだ。家でそんなに緊張感を持つ必要は無い」

「は、はい…ありがとう、ございます」

時刻は9時、とはいえ…あの世界で戦ったのは確か日付が回る少し前の時で…そう思うと、かなりの時間彼女は起きていることになる。

「もう寝ろ。…ベッドは悪いが俺の部屋のを使ってくれ、明日にはフィーリア用のを用意するから」

「は、い…。ますたぁ、は…?」

どうやら緊張はもう完全に切れてしまったらしい。かなり意識が落ちかけていた。

「やることがあるからもう少し起きてる。…ほら、連れてってやるから、ここで寝るな」

履き違えた答えと共に、ソファでこくんこくんと頭をふらふらさせている彼女の腕を取り歩かせ、部屋に運んだ。

…やれやれ、無理をしてたにしても…眠気に襲われるとここまで変わるのか。…というかもしかしたら、これが本性なのか…?

ベッドを見るや否やそこへ静かに倒れこみ、フィーリアは5秒足らずで眠りに落ちた。

都合よく横にずれていた布団を掛け、近くにあった椅子に腰掛け、気持ちよさそうに眠る彼女の寝顔を眺める。

重力に負けた耳と尻尾、桃色の髪の毛は…この世界にあるはずのないもの達で…彼女だけは、彼の思う“人間”と違うということを示しているようだった。

ついに誘惑に負け、彼女の髪から耳にかけてを撫でてみる。サラサラしていて…夢心地だった。

「ぇへへ…わたし、の…ますたぁ…」

無防備な少女に抱くのは恋心でも悪質な欲でもなく…このまま、変わらずにいてくれという願いだった。

「…行くか」

彼女がくれたハチマキに加えて、イヤホンを着け、ジャージを身に纏い、必要なものを持つと、彼は家を後にした。


スマホがひとりでに動き出す。それは…電話がかかってきたからだ。

「Hey!まだ起きてたのか!」

まさか出るとは思っていなかったらしい、相手はそう驚いていた。独特のその話し方を聞くのは彼にとっては実に1ヶ月ぶりで…心が安心しているのを感じた。

「ああ…っと、丁度こっちからも電話しようと思ってたんだ。お前の行ってる病院って、まだやってるか?」

唯一の友人と話しながら、彼はその病院へと向かった。


そこに辿り着くと、手術したほうが良いと言われたが拒否した。あの包丁は新品だった、それにあの世界では紅が検査してくれていたが問題はなかった。

病気を治す力は…治療の魔法の最上級、一生かかっても極められない境地に至らなければ発現しない。

件の友人の病室に寄って、その病院を後にした。


…言ってしまえば、フィーリアが来たことは、二次元のキャラクターが三次元に来た…に近い。この世界、常識と違うところから来た、(彼女に限るだろうが)裏表のない存在。もし…あなたの好きなキャラクターが来たなら、あなたは喜ぶだろうか?喜び…大切にしたいと思うだろう。そして同時に…恐れも抱くはずだ。

自分の姿を見て…幻滅してしまうんじゃないか。…あの性格だったあのキャラが、この世界に触れたことで変貌を遂げてしまうのではないか、と。

二次元とは…夢である。物語を読むということは、夢を分かち合うことと同じではないのか。

…彼は怖かった。彼女がいっそ、闇を垣間見せたなら、彼女の汚れを見つけられたなら、どれほど良かったか。…綺麗すぎた。それ故に…汚れてしまうことが余計に怖くなった。彼の考えをぶつけたのは…そう、闇を見たかったから。そして、どの程度彼女が“自分”を保ってられるのかを試したかったからだ。そして彼女は…あの話を聞いた上で……命を差し出してきた。


…別のifでは……死んだのだ。

空を仰ぐ。彼女は光で、宝だ。…守らなければならない。そこに汚い欲などありはせず…本当に大切な物は、何を犠牲にしてでも…。


…そうだろう?“世界”。俺は…間違ってなどいない筈だ。


2016/03/22

本当に僅かにですが描写を修正しました。


2016/11/19 誤字修正

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