メイド姉妹
目を覚ますと、頭に違和感を覚えた。その瞬間に反射的に飛び起き、頭の違和感の正体に触れる。…コードが其処彼処に伸びたヘルメットのような物が、頭に被せられていた。
「…はぁ、驚かせないでくれ」
「悪い悪い、速いほうがいいだろうと思ったんだ」
起きたのは昼の12時頃。脳に魔術書の言語を叩き込む、所謂睡眠学習が勝手に行われていた。…つまり、魔道書を読めるようにしてくれた、ということなのだが。
…洗脳とかそういう類ではないと、100%信じたわけではないが…過ぎたことを言ってもしょうがない。なんとか割り切ることにした。
通貨は何故か同じだった。…札になってる偉人が、この世界にもいたということなのか…?持ち物は通学用のリュックサックに入れることにした。…といっても、中には魔道書一冊と適当な物しか入ってないのだが。
「んじゃ、行くぞ」
玄関で靴を履く。今日の彼の服はフィーリアが用意してくれた。サイズが合っていたのは…長年のメイドの経験か、それとも…。
フィーリアは家事があるのだろう、玄関に来てわざわざ見送ってくれる。
「ああ…いってきます」
「はいっ!いってらっしゃいませ!」
誰かに見送られながら家を出る…そんなことも久々で、そもそも、朝食を食べる時のいただきますや、今のいってきます、が何となく…胸にくるものがあった。
自問する
…もし俺の見た目が…いや、俺が、北神仁じゃなかったら…2人は、今のように接してくれていたのだろうか。
負の囁きが聞こえる。…別にいいじゃないか、利用出来るものは利用して。そこに引っかかるものがあるとしたっても。
…それでも、嫌だった。2人を責めても仕方がない…いや、寧ろ感謝こそすれ、そんなことはしてはいけないししない。例えばこの世界の仁が好きだから、いい奴だったから…俺をも助けてくれる。紅はそうではないと言ってくれた。…それでも、本当に?と聞き返したかった。
…違う。この世界の仁と自分は違う。周りに好かれてて、実力もあって、誰かの為に死ねた。…そんな奴と俺を同一視するわけない。…そうであってほしい。
自分勝手な悩みに溜息が漏れた。
灰に声を掛けようとして、止めた。…何か、考え込んでいるらしかったからだ。それも…暗い類の。
自答する
本当に同一視していないか。…正直見た目だけで言うなら、出会ったばかりの時の仁と瓜二つだった。鍛錬で成長していった顔つき、体つき、目、雰囲気…灰と違う所は幾つもある。それでも…つい、余計に助けてしまう。もし灰が仁じゃなかったら、もう少し世界の話を疑ったかもしれない。最低限助けはしたであろうが…メイドをつける、家一軒そのまま投げ渡す、何てこともしなかったかもしれない。別人…そう割り切れているか?別人として扱うのは当たり前だ。似ているというだけで、違う…。そう、彼は…厳密には違うが、そっくりさんというだけなのだから。
…例えば自分の子供が過去亡くなったとして、それによく似た子が居たら…自然と目で追ってしまうだろう?困っていたら、助けてしまうだろう?
贔屓してしまうのは…仕方ないんじゃないだろうか?
士官学校に着き、いくつか案内された。その中でも彼が興味を持ったのは…魔道書図書室と、修練場。
周りの好奇の視線を我慢した甲斐はあったようだ。
「折角だ、少しやってくか?」
未知の技術で作られたその石造りの修練場は、部屋のそこかしこに魔法陣が描かれていて…何かしらの仕掛けがあることは明白だった。
「だが…事故で怪我させるかもしれないし…」
壁に立てかけられた幾つもの武器達を舐め回すように眺める。大剣、片手剣、ナイフ、銃剣、日本刀、槍、鉈、斧、鎖、杖、ナックル、弓、ハンドガン、マシンガン、ライフル…どれも、使ってみたい。
…ずっと憧れだった。それを使って、命のやり取りをすることが。
「俺がそんなに弱いとでも?…あいつが俺に刀を届かせられたのは、稽古をつけてやってから1年後だ」
左の角を指差してそう笑う。良く見るとそこには一本の、剣で切られたような傷があった。
紅は、腰に携えた二本の紅色のナイフを取り出し、やる気のなさそうに構えた。…だが、本当にやる気が無いわけではないことは、雰囲気で解る。そういう構えなのだろう。
…つくづく見た目と合っていない。
「お前は…どの武器を使う?」
「…仁はどれを?」
なんとなく気になったので尋ねる。
「…さぁ。…取り敢えずどれか選べよ」
答えてはくれないらしい。暫く悩んだ末…ボソリと呟いた。
「…全部、とか。…そんな器用な真似、出来ないか」
結果選んだのは、ナイフと日本刀。抜刀術に興味があったのだが…流石に素人にそんな真似が出来るわけもない為、鞘に付いた紐をズボンに結び付け、ゆっくりと抜刀した。
右手に抜き身の日本刀を、左手にはナイフを逆手に持ち…腰を落としもせずに、足を2度、タップのように地面と鳴らし、足が動くのを確認、心の中でリズムを取り出した。
「…行くぞ」
「来い!」
駆け出した彼は紅に刀を振り下ろす。紅はそれを最低限の動きでひらりとかわし一歩踏み込むと、彼の胴体に右足で蹴りを打ち込んだ。
盛大に吹き飛ばされた彼は右手の刀を落としながらも、壁に激突する寸前、地面になんとか足を着き踏ん張った。
「っう…」
「へぇ…耐えるじゃねぇか。太刀筋は余計な動作ばかりだったけど」
彼は左手のナイフを右手に持ち替え、壁に立てかけられた槍を左手に持った。
そしてまた駆け出し、ぶつかる寸前、ナイフを投げ付けた。
紅はその投げられたナイフを、ナイフを持った右手の小指と薬指で当たる寸前にキャッチし、それを彼に投げ返した。
両手に槍を持った彼は、頬を掠めたナイフに目もくれず、槍を薙ぎ払うように振るった。
「へぇっ…!」
それを左手のナイフで受け止める。一歩灰は後ろへ飛ぶと、双刃剣のように槍の中央を持ち、短いリーチで連続攻撃に出た。まるで力の入っていないそれらを受けながら、紅は彼の足さばきに注視していた。
…面白い。
それらの攻撃を全て受け止めながら、紅はノーモーションで、さながら落とし穴に落ちたかのように体を落とすと、落ちながらに足払いを掛ける。
彼もまた、ノーモーション…とはいかないが、最低限の動作で、後ろに跳んだ。しかし一歩遅かったらしく、脚先がぶつかり、バランスを少し崩しながらの着地となった。
「お前…中々面白い戦いをするな。…重心がふらふらというか、可笑しなステップで動いてる。さっきの足払いを避けられたのは驚いた」
「はぁ…はぁ…っ。あれは偶然、重心が後ろよりになってただけだ。それに、んな馬鹿みたいなステップが出来るのは、あんたが攻撃してこないって解ってるからだ」
攻撃してこないただの的に向けて武器を振るうぐらい、誰だってできる。…問題は、それを恐怖心無く行えるか、だろう。
頬を伝う血を拭い、息を整える。
「ダンスでもやってたのか?」
「いや、適当に遊んでただけだ」
息の切れた様子もなく、ナイフをボールのように投げる紅は、少し嬉しそうだった。
…笑ってるやがる。…楽しいんだ。
武器の所持が禁止された、魔法もない、退屈な世界。…そんな所にいた彼が、息を切らしながらも笑っている。
…それは多分、異常な事なのかもしれないけれど…楽しいと感じてるなら。
「よっし!トコトンやるぞ!!今度はこっちの攻撃を防いでみな!!」
そう言うと紅はナイフを構え…彼が瞬きした次の瞬間には、目の前を真紅が染めていた。
「か、灰様…?紅様…?」
制服に身を包んだフィーリアが修練場の扉を開き、恐る恐るといった様子で中に入ってきた。
「ん?どうしたんだ?」
「…ぜぇ…ぜぇ…っふぅ…」
修練場中央で、腰に手をやり灰を見下ろす紅と、細身の銃剣を地面に突き刺し、体をなんとか支えつつも膝をついた灰。一瞬驚いたフィーリアだったが、察したらしい。
「お、お弁当をお渡しするのを忘れてしまって…」
「別に灰は学校に通う訳じゃない。それに学食だってあるだろ…」
あっ…そうでした…。と溜息を吐きながら肩を落とす。紅は携帯端末を確認すると
「っと…少し遊び過ぎたらしい。フィーリア、後はよろしく。俺は仕事だ」
んじゃな、と一方的に告げ、紅は早歩きで修練場を出て行こうとして、ピクリと立ち止まった。
「ああそうだ、灰!もし戦い方を習いたいんなら、フィーリアに頼みな!こいつ、ナイフの腕なら俺よりも強いぞ」
最後に爆弾発言を残して、今度こそ紅は去っていった。
「…その制服は?」
フィーリアが用意してくれたスポーツドリンクを一気に飲む。運動後の冷たい物は体に悪いらしいが…そんなことを気にしてられる程お利口さんではなかった。
「これ、ですか?実は私、ここの学生なんですよ」
袖を掴み、見せびらかすようにしてくれるフィーリア。似合ってるよ、とか、メイド服もいいけどそっちもいいね、とか、掛けてあげるべきなのかもしれないが…彼はそんなことを言う度胸もないし、そう言ってる自分が、相手に良く映るはずがないと、心に叩きつけていた。
「この学校は実力主義ですから…テストの点数と実技が出来てたら、無理に登校しなくていいんです。メイドの仕事がありますので、私はクラスの人達の名前も知りません」
それは…羨ましい。俺の方でもそうしてくれないだろうか。
大して気にした様子もなさそうに告げたのは、おそらく彼女にとって、メイドであることの方が重要なのだろう。
「士官学校に入ったのは、高校卒業、っていう学歴が欲しかったからで…姉さんも一緒でしたから…」
姉もいるらしい。姉がいるからという理由で高校を選ぶぐらいには、姉を慕っているんだろう。
…彼にとって、姉という存在は決して良い物ではないのだが。
「…そうまでして、なんでメイドに?」
…金に困ってるとかだろうか?
「楽しいからです!」
即答だった。
…全く逆のことを考えていた自分が悲しい。
よくぞ聞いてくれました、と、フィーリアの輝く瞳と、立った耳、ぶんぶんと存在を主張する尻尾が語っていた。
「昔から、よくお家でお母さんの手伝いをしてたんです。帰ってきた時にお父さんが笑顔を見せてくれると、お母さんは凄いなって…。それから、お母さんみたいに…その人が帰ってきたいと思える場所を作りたいって思って…だから、メイドになったんです」
目を瞑り幼少時代を思い出して…懐かしい過去の光にフィーリアは1人、笑みを零した。
「…そうか」
…心が渇くのを感じた。彼女と俺は…別の次元に居た。
ゆっくりと立ち上がると、剣を壁掛けに戻す。
「ここってシャワーとか付いてる?」
「あっ、はい。ここの真横です」
「解った。…汗びっしょりだから、一旦浴びてくる。出たら弁当、一緒に食おうか」
「了解!」
あっまた…と照れくさそうに微笑みを浮かべるフィーリアに、本当に小さな笑みを返し、彼は修練場を後にした。
シャワーから出た後は、フィーリアが用意してくれた士官学校の制服に身を包み、弁当を食べた後、図書室へ。
「ひたすら戦うのもいいですが、魔法を一つでも覚えたら、格段に戦う方法が増えますから…取り敢えず、強化、投影から始めますか?」
頷く。魔道書は持参していた為それを引っ張り出し、イヤホンをスマホに差し込んだ。
「…音楽を聴きながら読むのですか?」
「ああ、そうしようかと…。なんか不味かった?」
「ああいえ、仁様は、静かな、物音の一切ない場所でじゃないと読めませんでしたから…」
フィーリアは興味深げにそう答えた。たまに崩れる敬語がなんとなく…彼を安心させる。
「へぇ…。そういえば、どうする?何か読むのか?」
「一応、今やらなければならない家事は全て終わっていますが…何かご希望がありましたら承りますよ?」
「いや、好きにしてくれてていいよ。…というか…」
俺が、フィーリアを雇ってる…といっていいのだろうか?
金は恐らく仁の物から出ているのだろう。それを俺が勝手に使ってるだけで…もし彼女が辞めたいと言えば、引き止める権利などありはしない。寧ろいままでなぜ尽くしてくれたんだ?と聞きたいぐらいだ。
疑問符を浮かべるフィーリアに、なんでもないとだけ。
授業中なのだろう、誰もいない図書室からフィーリアが、では失礼しますね、と出て行こうと踵を返す。
「…なぁ」
なんて声を掛けたものか迷った末、少し詰まった可笑しな声が出てしまった。
「はい、えっと…どうかしましたか?」
何も気にした様子もなく振り返ったフィーリアは、首を傾げて言葉を待つ。垂れた耳がどことなく忠犬の様である。
「…ありがとう。色々と、さ…。…それだけなんだけど」
何処か…繕い切れない“心”を抱えながらも、彼は何とかそう、本心からの礼を告げた。教師に対しても、アザッス、というようにかつては言っていた覚えがあり…ちゃんとした言葉で、本心で、そう告げたのは本当に懐かしかった。
…それでも言わなきゃいけないような気がしたんだ。何もロクなものを持たずに来たこの世界で、俺が出来るのは限りなく少ないから。俺は…優しくされたなら優しくしかえしてやりたい。優しくしたなら返して欲しい。
言わなきゃいけない…いや、違う。言いたかったんだと、思う。
「ぇ…ぁの…ぇ、えっと…」
赤く染まった頬を両手で隠し、嬉しそうに、また照れ臭そうに体を波立つように揺らす。尾の動きと相まったそれは、彼女の跳ね回る心を表していた。
「ぁ、ありがとう、ございます…!わ、私…ぁの、えっと…し、幸せです!!」
言い表す言葉が思い浮かばなかったのか、頬を隠した手を外し、フィーリアは半ば叫ぶようにそう気持ちを伝えた。
彼女の反応に、今度は灰が驚く番で、口元を片手で隠す彼は、少し違った着眼点で、驚いた。
…俺はまだ、ちゃんとーー。
その様子に気付き、また自分が言ったことにも気付いたのか、あわわわわと再び目を見開き、フィーリアは両手で、彼と同じように口元を隠した。
「ぃ、いってきますっ」
逃げるように走り去るフィーリアはアスリート顔負けの速さであった。しかし扉の前で盛大に転んでしまい、尻餅をついた後、恥ずかしさに悶えるように顔を隠して首をぶんぶんと振る。 その間もはしゃぎ回る尻尾の様子は、彼の心を魅了した。
…触ってみたいな、あれ。
あまりの恥ずかしさで振り向けないのであろう彼女は、しかしすぐ立ち上がると、そのまま図書室から出て行った。
…褒められることに慣れていないのだろうか。それもあるかもしれないが…どちらかというと、今現在何もしてないのに、急に褒められるとは思わなかったからだろう。
…まさか自分がこんな暴挙に出るとは思わなかった。自分で自分を辱めて…正気か。
その割には顔を赤らめもしていない彼だったが、フィーリアの反応に少し反省した。
それでも…言って良かったと思う。まさかあんなに反応されるとは思わなかったが…あれを見れただけ、価値があったんじゃないか、と自分をなんとか納得させた。
ゆっくりと息を吸い、吐く。
…切り替えろ。お前は、強くならなきゃならない。命を狙われたんだぞ。そして、あの世界に帰ったなら…次はもっと刺客も強くなる筈だ。今回みたいに別の世界に逃げられるとは限らないんだ。…それに…そう。どれだけ口が強くなろうと、理不尽な力には勝てない。その理不尽をやっと、打開できそうなんだ。
耳につけたイヤホンから音楽を流し始め、彼はビートの中、自身の可能性を探し始めた。
魔法習得の仕方は、本の中に書いてあることの意味を、真に理解すること。原理やらも勿論だが…ようは、心で理解して、頭で想像する。…そんな感じらしい。理解が甘ければ当然魔法も不出来な物が出来るとか(火を出す魔法の火があまり熱くなかったり、必要な魔力の量が無駄に多くなったり)。だから…熱血な人には氷を生み出す魔法は中々習得しづらい。適性とは、そういった習得のしやすさも指すが…もっと複雑な、才も指すらしい。
強化、投影の本を読み進める。魔道書は、その魔法を創始した人間の、日記だとか、論文だとか…そういった、数々の体系を持ってるらしい。1日あれば読み切れそうなそれで、特に鍵であろう部分を、何度も反芻する。
ーーー
強くなる。…どういう意味だろうか。その刀の切れ味が鋭くなれば、頑丈になれば、特別な力を得れば、強くなったと、そう言えるのだろうか。
最後に決めるのは心。…否定はしないが、心だけで勝てるなら、私は絶対強者の筈だ。そうじゃないのは…心が、形を取れないからだ。心が、限界を超えて頑張れないからだ。心だけでは、他者に影響を与えるに至れないからだ。
伝えるには、形にしなければ。憎しみを伝えるには刃を。愛を示すには指輪を。届かないなら、良くしなければ。刃を鋭く、宝石を輝かしく。
そして知れ。それは所詮“影”、何処まで似せても本物には決して至れない。…オリジナルに勝つには、影の、影たる性質を生かすこと。
だが忘れるな。鋭ければ、輝かしければ、強いわけではない。強く在るのは、使い手でなければならない。
ーーー
イメージする。力を込める。手を前に出し、何か…そう、湧き上がる想いを形に。
さながら、PCで一から3Dモデリングをしているように、少しずつ形が創り上げられていく。頭に浮かぶイメージが、より細やかに、鮮明になっていく。それに呼応し、創られる速度は加速度的に上昇し…1度光を反射したと思うと、それは生まれた。
…硝子で創られた鞘に収まった、これまた全て硝子で出来た日本刀。
…鉄と木と布と…色々混ぜ合わせたものを想像したのだが…まぁ形はしっかりできているようでホッとした。
硝子を選んだのは、仁を意識してでは…たぶんない。強化の訓練に最適なのが硝子だからだ。それに加えて…見た目が綺麗だったことと、元の世界でももしかしたら言い逃れできる材質なんじゃないかと思ったからだ。…恐らく無理だが。
しかし…少し引っかかった。時間は、本を読み始めてから6時間経っている。…読み終えはしたが、なんでも、実際に魔法を出せるようになるのは、平均3ヶ月は掛かるらしい。
その理由は…書いてあることが少なすぎるから。(いや、十分に多いが…心を重ね合わせるには、もう少し欲しい。)少ない言葉から何度も練り直し、本と心を合わせる。幾度も同じことについて考えを重ねていく。1+1が2の理由を、林檎がひとつともうひとつ、それと同じだよ、と言われて、あ、そうなんだ。…では駄目らしい。…例えが良くない。だが…そういうことだ。
…相性が良かったのか?
兎にも角にも、新しく身につけたこの力を、2人に見せたくなった。彼は早々に片付けを済まし、学校を出た。
…もしかしたら才能があるのかとほんの少し考えた彼だったが、後日氷の魔法を習得に掛かり、3ヶ月以上は悠に掛かった。
「あ、あの…灰様、一つ、お願いが…」
夕食後、治癒の魔道書を読んでいると、フィーリアがココアを持ってきてくれた。
「どうかしたか?…なんでも言ってくれていいよ」
急なフィーリアの言葉に驚きながらも、本を閉じてイヤホンを外す。音はかなり大きめだったが、それでも聴力は中々良かった。フィーリアに座るように促すと、前のソファに座ってくれた。
「えっと、あの…灰様、私の名前は……なんですか?」
いきなりの意味不明な質問に、疑問符を浮かべるのは当然だろう。…なんとなく質問の意味を理解していたが。
「…どういう意味?」
敢えてそう尋ねてみた。そうしたのは…明確に理由を伝えて欲しかったからかもしれない。
「…灰様、私のこと…名前で呼んで下さりませんよね」
彼女は図書室から逃げ去った後、嬉々として部屋の掃除をしていた。その時に…気付いたのだ。名前を呼ばれたことがないということに。
「…フィーリア」
単に女性の名前を呼ぶ経験が皆無なだけなのだが、それを言うのもなんとなく気が引けて…なんでもない様子でそう名前を呼んでみせた。
本日2度目の眩しい笑顔が姿を見せる。
「ぁ、ありがとうございますっ」
満足したらしい、彼女はニコニコと微笑み
「あっ、あと…もう一つあって…」
しかしまだあるらしい。彼女はまた、もじもじしだしていた。
「あ、あの…私を…住み込みのメイドにして欲しいんです!」
…それはまた、何故。色々考えた結果なのだろうが。まぁ、現時点でも家の鍵は彼女にも渡されているのだが…住み込みになるということは、四六時中家にいるということで、良く捉えれば24時間?助けてくれるということに。悪く捉えれば、家の中を支配される、何か取られる、といった可能性が…?滅茶苦茶大袈裟に言ったが要するに、信用関係が必要ということだ。
…彼の抱えた闇は丁度、信用とか、絆とか…人間の“それ”に関するものだった。
目の紅が、黒を帯びる。…彼女は裏切らない。……最悪裏切られようが、別にいい。…それが、人生、だろう?
「ああ、別に構わないけど…。でも、どうして?」
許可を貰って明るくなるフィーリアは、理由を尋ねられて、嬉しそうに答えた。
「もっと、灰様の力になりたいと思ったからです。もっともっと、共に在りたいと思ったからです」
…もう少し言葉を選べないのか。勘違いされそうな言葉達に、彼は目の色を変えない。…恐らくそういう意味はないのだろう、言葉通りの、それ以上の意味など一切ありはしない表情だった。
「そっ、か…。…じゃあ、これからもっと、頼らせてもらうことになりそうだけど」
「はいっ!お任せ下さいっ!」
嬉しそうに微笑む彼女の顔を見ると、自然と彼の笑顔も誘い出された。
それから1ヶ月…普段はフィーリアと修行。フィーリアが家事をしている間は魔法の習得。投影、強化の修行。強化は、体に付与することを最終目標としていた。強化は少しなら問題無いが…あまりにやりすぎると、筋肉やら骨やら、体の組織に異常が出てくる。そこで…硝子の武器に強化を。硝子をなんの異常もないままにより頑丈に、より鋭くさせる。そういった修行方法を取っていた。無論、一度読み、使えるようになったと言えど…更に本から力を得れる可能性もあるため、たまに読み直したりもした。他の魔法は…取り敢えず、治療だけ。
いつも通りの朝。朝食の準備を済ませたフィーリアは、灰の部屋をノックする。
ノックの音が部屋に届く…いつもならそれより先か、或いはその音で彼は目を覚ます。しかし今日、中から応答はなく…フィーリアは、失礼します、と一言の後、部屋の扉を開けた。
…その部屋の中に、灰の姿は無かった。
「えっ…」
思考が止まる。予想外な出来事に、彼女は極端に弱かった。
辺りは何事も起きていないかのように、いつも通りだった。何か物を取られた形跡も無い。ただ、布団の中に居るはずの彼だけがいなかった。
「ど、どどどどどうしましょう!灰様ー!?灰様ぁーー!!??」
取り敢えず大声を上げて彼の名前を呼んでみたが…当然反応も無い。そんなタイミングで丁度、来客をしたせるチャイムの音が鳴る。紅が来たのだろう。
その音に我を思い出し、フィーリアは部屋を飛び出した。
いつものふかふかベッドでない、硬い感触で目が覚めた。
「…気がつきましたか」
目を擦ろうとして…自分の両腕が、壁から伸びる鎖の先の手錠を嵌められていることに気づいた。
引っ張ってみるも、どうにもならないそれを諦め、声の主の方へと顔を上げた。
黒髪の、メイド服を着た女性がそこにいた。彼女の目、雰囲気は…敵対の意思を含んでいるように見える。
「てめぇ…誰だ。なんでこんな真似をした」
知らない人には敬語、そんな平和な考えは何処にも無い。敵対相手には…彼は容赦しない。
「とぼけないでください、仁様…!私、タマネのことを…忘れたと言うんですか!?」
…メイド服を着た知り合いなんてフィーリア以外いない。……?
「お前…フィーリアの姉か?」
「…名前で呼んでくれていたじゃないですか…!どうして…。貴方はいつも私と、一緒に…!」
肩を震わせ、何処からかナイフを取り出したタマネは、それを灰に突きつけた。
「死んだなんて嘘をついて!異世界から来たなんて嘘をついて!私から離れて、あの子と暮らしてるだなんて…!!」
「っ…野郎…頭おかしいんじゃねぇのかてめぇ!俺は別人だ!似てるだけだろうが!何の根拠があってんなこと…!」
冷静に振舞って落ち着くのを促すか、敵意には敵意をぶつけてやるか…その選択は、正気じゃないことを加味して、敵意を投げつけることにした。
両手に小ぶりのナイフを、切れ味MAXで投影。腕の拘束具を切り、素早く立ち上がった。
「投影…。異世界から来たんだとしたら、こんなに早く投影が出来るわけないですよね?」
「素質があった、それだけだ。…ここは何処だ」
見たところ、地下室のようだが…寝ている間に攫われたことを考えても、あの家からそう離れてはいないと…願いたい。
「貴方は知っているはずでしょう?貴方は私よりも強いのですから…どうしても逃げたいなら、私を倒せばいいじゃないですか」
そう言い、ナイフを構えるタマネ。彼女の持つナイフもフィーリア同様硝子製で…しかし、黒色の硝子だった。
…絶対に勝てない。だが…逃げられもしない。if√ifを試す。…予想は的中、どうあがいても、勝てていない。どうあがいても、逃げられない。
「なら…やるしかないよな…っ!!見えていないだけでその世界は、あるかもしれねぇんだから!」
二本の粗末な剣を瞬時に創り出した。
駆け出そうとして…if√ifが勝手に発動した。
「ッ…!」
「…来ないんですか?」
剣を目の前で振るうと、彼の目の前で張り詰められていた、殆ど不可視の糸が切れた。
「流石仁様。私の最大限の投影で作られた糸に気づくなんて」
「俺はこういう能力を持ってここに来た。お前の言う仁とはカラクリが違う」
勝手に発動したのは…今のが死に直結する、“重大なこと”だったからだろう。だが、それでも…。
「何を言っているのか知りませんが、もう仕掛けてはいないのでご安心を。…信じては、いただけませんか」
悲しそうに微笑むと彼女は、転移が如き速さで彼に接近し、首元に手を伸ばした。それを正面から斬り伏せようと右手の剣を振るうが、その時すでに彼女はそこにいなかった。
右の、丁度彼の腕で隠れた視覚からの攻撃は、既に視えていたが…強化を自身に使用した彼の速度でも間に合わなかった。
彼の右腕を鋭い一撃が切り裂いた。それは彼の骨ギリギリまで抉りこみ、大量の血が流れるよりも速く、二撃目が迫る。
光景を見るのは一瞬だが、考えを纏めるのに必要な時間は、体を動かすのに必要な時間は…一瞬ではない。つまり何が言いたいかというと…。
「腕の一本は失わないと、反省していただけないようですね…!」
超高速の殺意が迫っていることが視えても、彼は防げないということ。
真紅の瞳は未だ諦めない。望んだ終わりが迎えに来るまでは…。
いずれの場合でも負けていた…腕を1本失っていたはずの彼は、この世界にはいないらしい。迫り来るナイフは、何処からか飛んできた別のナイフの撃退に追われ、彼の腕を奪い去ることはなかった。
「灰様!!」
その地下室の扉は開かれていない。拘置所などについている、中を覗くための縦長の数個の穴からナイフが飛び込み、空中で軌道を変えたのだった。
そして扉は盛大に吹き飛ばされ、それをタマネはナイフで横に方向転換させる。扉は壁に激突し金属同士の重い音が部屋に響き渡った。
扉があった其処には…正拳突きで飛ばしたのであろう紅と、ナイフを1本持ったフィーリアが居た。
「…よくここが解ったわね。貴方には、知らせていなかった筈だけど」
「前に偶然見つけたことがあっただけです。…お姉ちゃん、どうして、こんなことを…ッ!」
フィーリアに向かって飛んできたナイフを紅が殴り飛ばし、それは地面と激突し…ひびが入った。
「黙りなさい。私の仁様を取っておいて…貴方に口出しする権利は無いわ」
激痛が意識を支配しようとしながらも、灰の意志はまだ、闘志に燃えていた。
「タマネ…!お前、いままで何処に行ってやがった!フィーリアはずっとお前がいなくて寂しがってたんだぞ!それなのにお前は…!」
紅が大剣を出現させる。それは焔を纏う、他の武器とは一線を超えた…魔剣、だった。
「…もう、貴方達のことなんてどうでもいい。どうして私の邪魔をするの、仁様と私は夫婦なのよ…!それなのに仁様を騙して…挙げ句の果てに記憶を消すなんて!」
もはや聞く耳を持たないらしい。タマネの殺意の滲む狂気の言葉に、フィーリアは涙を零してその場に崩れ落ちてしまった。
「てめぇ…!」
背後から灰が斬りかかるが、タマネは手から風の弾丸を出現させて彼を吹き飛ばす。しかし…一瞬でも生まれた隙を、紅が見逃す筈もなかった。
図体に似合わない超速でタマネに接近すると、大剣を一振り。遅れて反応したタマネは寸前でナイフで防ぐが、それは呆気なく大剣によって破壊され…その瞬間に、その部屋を爆発的な光が包み込んだ。
「何だ!?」
その光が止んだ時…既にその部屋にタマネはいなかった。
「…仁め、恐ろしいものを創りやがったな」
どうやら、破壊された瞬間に目眩しが発動する仕組みになっていたらしい。…そんな機能まで創りだせるのかと、紅でさえ驚いていた。どうやら通常は不可能らしい。
「…っ」
流れ出る血は暖かく、代わりに彼の体は冷たくなっていく。ふらふらと立ち上がる彼の足元には血溜まりが出来ていた。
「お、おい…!あんま無茶するな、傷が…」
「問題無い…っ。フィーリア、平気か…?」
そうだ、体の痛みなんかどうだっていい、どうとでもなる。…心だ。心は…心についた傷は、どうあがいても完全には治らない。もしフィーリアが、本当に優しい、裏なんかありはしない人間なら…俺は、ずっと…彼女にそうあって欲しいんだ。
「ご、ごめんなさい…。灰様、私…辛くて…苦しくて…おやくに、たてませんでした」
涙の流れる目を両手で覆い、震える声でそう謝る。
「…姉に言われたことがそんなに辛かったか」
力の入らない体は、自身の体重すらも支えられなくなり、フィーリアの前で膝をついた。
「…ぃ…はぃ。私、ずっとお姉ちゃんみたいになりたくて…それで…頑張ってきたのに。お姉ちゃんは私のこと、嫌いで…」
視界が回り始める。しかしそれでもまだ…痛みに屈しはしない。
「お前の姉は…どんな奴だったんだ」
「と、とっても強くて…なんでもこなせて、頭がとっても、良くて…厳しいけど、たまに優しかったんです」
思い出したように語る、目元を覆ったフィーリアの手の隙間から、流れ出た涙が地面に落ちる。
「その…あたまが良い姉は、お前の話を聞かずに…ナイフを投げつけてくるような、奴…だったか?」
息をするのが苦しい。言葉を伝えることが、辛い。それでも伝えなければならない。…彼女が彼女であるためには。
「ぃぇ…いいえ。お姉ちゃんは、そんな人じゃ、ありませんでした…」
「そうだ、お前の姉は…ただ、愛する者を失って、正気じゃないだけだ。いちどなぐって、やれば…きっと……」
彼女の頭に手を置く。体は限界を迎えていて…最早無意識の中であった。彼は言葉を終えると、そのまま瞳を閉じた。
「か、灰様…?灰様!大丈夫ですか!?灰様!!」
灰の言葉に、僅かな希望を見出した彼女が見たのは、眠るように瞳を閉じ、力無く腕を落とした彼の姿だった。
フィーリアが彼を揺さぶっても、まるで起きる様子はない。
「お、おいっ、灰…?まさかあいつ、毒を…!?速く救援を呼ばねぇと…!」
紅の言葉に耳を疑った。フィーリアはしかし目を開き、直ぐに立ち上がると、行動を開始した。自分の主人を…彼を救う為に。
2016/03/28 描写を少し手直ししました。