「昔はよかった」論の昔はよかった
昔の映画や文学は今よりよかった。
こんなエッセーを最近、「なろう」で目にした。
私はこれに同意も反論もしない。
だが、「昔はよかった」論はかなり大昔からあった。
だから「昔のXXは今のXXよりよかった」論はそれだけでマンネリ感がある。
考古学者が古代遺跡を発掘し、石に刻まれた古代文書を解読したところ、「近頃の若者はけしからん。嘆かわしい時代になったものだ」という文章で始まっていた、という有名な話がある。
「近頃の若者はけしからん」と唱える老人も若い時分は上の世代から同じようなことを言われてきたわけであり、これは太古の昔から連綿と続く、負のリレーのようなものだ。
「昔のXXは今のXXよりよかった」はこうした負のリレーの変型版と考えることもできる。
とは言え、私は「昔はよかった」論をすべて否定するわけではない。
ただマンネリ感に毒されていない分、「昔はよかった」論は昔の方がよかったと思うのだ。
八十年代、よく新聞や文芸雑誌などで評論家の文学論を読んでいた。
当時の文芸評論はすべて「昔の文学はよかったが今の文学はくだらない」という論調一色で、特に新人作家の作品はケチョンケチョンにけなされていた。
出版社側としても、ここまで批判したら本の売り上げに響くのではないかと思うぐらいの酷評が、文芸雑誌のブックレビューに平気で載っていた。
そんな中で、印象深かったのは横溝正史が栗本薫をベタほめしたことである。
横溝正史は晩年、朝日新聞の土曜版にエッセーを連載していた。
当時、横溝正史は実績、キャリア、年齢のどれをとっても松本清張(存命だったかな?)と並ぶ、ミステリー界の大御所だった。
その大御所がエッセーの中で、新人作家の栗本薫を「十年に一人の逸材」と絶賛した。
ベテラン作家が新人作家の作品を酷評するのが当たり前だった時代に、大御所が平身低頭して栗本薫を誉めちぎっているのである。
栗本薫は当時、「グインサーガ」をSFマガジンに連載開始したばかりで、全くの無名ではなかったが、知る人ぞ知る作家という感じだった。
これはいくらなんでも持ち上げ過ぎでは、と私はひそかに思ったものだが、結果的に横溝正史の方が正しかった。
栗本薫は日本ファンタジー文学のパイオニアであり、その金字塔が「グインサーガ」というのが、今日の一般的な評価だろう。
ミステリーの天才がファンタジーの天才の卵を見破った、ということか。
あるいは金田一耕介風に、常人には気づかぬトリックを見破って、推理で真相を暴きだしたということか。
今となっては二人とも鬼籍に入られた。
それにしろ、横溝正史がミステリーを書き、栗本薫がファンタジーを書いていた時代。
昔はよかった。
そう思うのは、私が年をとったという意味なのかもしれない。