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御門真白――通称神話。
俺に与えられた任務は二つ。彼女の子守をしながら弱点を探ること。
そして隙あらば彼女を殺すことだ。
彼女と暮らし初めて三ヶ月。
初めは余所余所しかった御門の態度も、だいぶ柔らかいものになってきていた。
例えば俺のことを苗字ではなく名前で呼ぶようになったり。
例えば夕ご飯のメニューを注文してくるようになったり。
例えば俺の前で寝顔を曝すようになったり。
その程度の変化だが、大きな進歩だと個人的には思っている。
何せ寝首をかけるのだから。
月が満ちた夜。足音を殺しながら御門の寝室に忍び込んだ俺は、彼女の間抜けな寝顔を眺めていた。
普段は髪の毛で隠れていて、なかなか拝む機会のない人形のように綺麗な顔を。
しかしこうして見ていると本当にタダの十三歳にしか見えない。
そんな少女の顔面へと手を伸ばす。
夜這いにきたワケではない。そんな変態さんではない。
鉄壁の防御力を誇る御門ではあるが、俺の魔術ならばそんな防御も貫くだろう、と宮子ちゃんが言っていた。
触れるだけでいい。
それだけで世界最強、最高、最悪の魔術師を葬れる。実に簡単な仕事ではないか。
額に触れるべく伸ばした指先が生温い何かに触れる。
途端、怖気が脊髄を奔流した。ドクン、と確かに御門の部屋が鼓動を打つ音が聞こえた。
禍々しい気配、それでいてアメリカのお菓子のように甘ったるい殺気。
「雪貞」
細い声が夜に響く。黒曜石のような目が俺を捉えて離さない。
「――何をしているの?」
喉元に刃をあてがわれているような悪寒。絶対に殺されるという実感。
一瞬で理解する。これは規格外だ、と。自分の最期がフラッシュバックして機能がマヒしかける。
しかし俺の判断は早かった。
熱い物に触れた際の条件反射のように、身体が勝手に動いたからだ。
ベッドの脇の窓から外へと飛び出して、夜の森へと飛び込む。
三月の夜は未だに冷気を孕んでいる。
虫さえも眠った深夜。それでも枝葉の隙間からはいやに明るい月光が注ぎ込んでいる。
走る走る走る。
裸足で、全力で、体力とか、足の裏の痛みとか、そういったものを無視してひたすらに走り続けているのに、喉元に感じる脅威は消え去らない。
殺される、そう思った。
「依頼主は私のパパかな?」
上から降ってきた声を辿る。満月を従えるように御門真白が宙に浮いていた。
月夜を漂う真っ白いシルエットは、天使ではなく死神を連想させる。
ゲームオーバー。俺の人生はここで終わる。
確信して、抵抗することも馬鹿らしくて、俺はその場にあぐらを掻いた。
「潔いわね。そういう態度は嫌いよ。最期の最期まで泣いて、喚いて、絶望して、懇願すれば、あるいは助けようという気も起こるというのに」
沈黙を守ったのは、単に恐怖で喉が閉じてしまったからだ。
そんな俺の反応に気を悪くしたのか、御門は頬を膨らませる。
「――その手で私を殺そうとしたの?」
御門は俺の手を見る。何かを計算するような思案顔が暫く続いたあとに、彼女は切り出した。
「そうだ、取引をしましょう」
悪趣味な笑顔。多分、御門は何も考えていないのだろう。
その場の思い付きで、気分で、テンションで、選択肢を決めてしまう。そういう人間に違いない。でなければ、
「契約よ、契約」
こんなことを言いだすはずがない。
「血の契約。私と雪貞の命を繋ぐ。要は同期させる。どちらかが死ねば、どちらか一方が死ぬという呪詛」
御門はニタニタと口許を緩めて、地上に降り立った。
「これで雪貞は私を裏切れなくなる。ご飯をずっと作ってもらえる」
「自害を選ぶかもしれないぜ?」
「その辺りの判断は任せる」
そう受け答えた真白はどこか寂しそうで。