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 嘘みたいな話だけれども風邪をひいた。世界最強、最高、最悪の魔術師が。

 まあ花火に興奮して冬の砂浜を裸で駆け回っていたのだから仕方がないのかもしれない。




「うぅ……不覚。今日は遊園地に行こうと思ってたのに」


 自分が置かれた状況を考えると絶対に遊園地には足を運びたくなかったので、ついつい吐息を漏らしてしまう。

 ベッドの上で布団に包まれた真白は、小鳥のように小さな口で、不器用にカットされたリンゴを齧っている。


 時折鼻水を啜る様子からも、相当に参っているようだ。




「コンビニに行ってくるけど、何か欲しいものは?」


「来週以降のジャンプを全部」


「かぐや姫みたいな無理難題を押し付けるな」


「えー、じゃあねぇ。プロ野球チップスとゆきりんの愛が欲しいかな」


 そんないつも通りのやり取りを終えて、御門邸を後にしたのが正午を少し回った頃だ。

 凍結した雪でコーティングされた坂道を慎重に下りながら、今日の真白を思い浮かべる。




 あんなに弱っている真白を見るのは、もちろん初めてだった。

 そりゃあ体温が四十度近くまで上がっているのだから当然なのだけれども。


 それでも病気という病気を寄せ付けない彼女が、熱にうなされる姿というのは、なかなかに見ものである。




 俯瞰から見下ろす冬の町――御原市。

 どのみちこの景色を見るのも残り数回だろう。網膜に焼き付けるように眺めながら、近道として機能している階段に足を伸ばした。




 御門真白を止められるだろうか。いつか話した彼女の夢物語が胸の奥で流れる。

 世界を作り変えるというその言葉だ。ただの戯言だと笑い流せるほど俺は能天気な人間ではない。


 そして誰よりも御門真白の怪物性を知っている。




 真白なら本当に作り変えるだろう。そう断言できる。

 勘弁して欲しいなぁ、と苦笑いを浮かべて片道四十分の道程が終了。コンビニに入って、おでんの匂いに誘惑されながら、熱冷まシートやジュース、菓子類を適当にカゴの中に詰め込んでいると、トイレから修道服を着た赤毛とそばかすが特徴的な少女が現れた。


 不幸にも彼女は俺の知り合いである。




「御門真白はどうですか?」


 表情を冬の湖のように凍らせたまま問うてくる。




「熱で苦しんでる」


「そうですか。それならいつでも殺せますね」


 七瀬祈というこの少女なら、確かに今の真白を殺せるだろう。



「宮子ちゃんはなんて言ってるの?」


 宮子ちゃんとは俺の上司で、冷徹で冷酷な人間だ。




「私には静観を指示しましたが」


 助かったーっと安堵の息を漏らして、レジにカゴを置く。

 店員さんからしてみれば随分と香ばしい客だが、このコンビニに足を運ぶのもきっとこれが最後なので気にしない。




「俺に任せろって言ってくれない?」


「この機を逃せばもうチャンスはありませんよ。彼女は弱点を克服して世界は破滅します」


「わかってるってば」


 怪訝な顔をする店員からふんだくるようにレジ袋を受け取って店をでる。

 思いの外、苛立っていた。




「俺だって真白は死ぬべきだって思う」


 本日も登山を開始。

 真白が生きるにはこの世界はあまりに窮屈だ。




「どちらかといえば嫌いな部類の人間だし、アイツのワガママにはうんざりだし、この前のデパートの件だって、あの魔術師は世界と三百人近い命と、それから自分の命を天秤にかけて世界を選んだワケだろう? 殊勝な魔術師じゃねぇか」


 真白は人口を削減するとも言っていた。要するに人間を選別するつもりなのだ。

 生きるに値する人とそうでない人を。


 それは現在の人類の価値観から考えれば紛うことなき悪である。



 でも俺は知ってしまったのだ。

 彼女だって普通の女の子のように涙を流せるということを。

 あの映画を観て動かせるだけの心がまだ、真白の中には残っている。


 大体、真白を化け物に育て上げたのは委員会だろうに。手に負えなくなったから始末するなんてあまりに身勝手ではないか。




「依頼主からこの依頼を受けたとき、宮子さんは言っていました」


「あん?」


「魔女を殺す唯一の方法を知っているかい? と」


 魔女とは真白のことだろう。俺の反応を待たずに七瀬は続ける。




「それは恋に落とすことだ、と。そしてあなたを送り出した」


「…………」


「まあ伝えておきますよ。宮子さんの計画は順調です、と」


 そんな彼女と別れて階段を上り続けること十五分。

 正面に見えた人影に俺の中の警笛が最大レベルで鳴り響く。瞬間、銀色の何かが俺の右肩を穿った。


 慌てて手すりを乗り越えて、雪が降り積もる斜面にダイブする。




 転がりながら肩を確認――しかしそこには何もなく、五百円サイズの風穴が開いているだけだった。


 血液の流失が止まりそうにないその穴に、ましろ色の雪を突っ込んだ。

 何が起こった? 思考をフル稼働。体勢を立て直して急な斜面を駆け上がるアクロバティックな俺。




 ガードレールを飛び越えて急カーブを描く道路に飛び出したものの、敵の姿は見えず――それどころかどこからか飛んできた銀色の矢が脇腹に突き刺さる。




「イッテェ――なっ! バカ野郎!」


 思わず叫んだのも束の間、握ろうとした矢は既に消えている。




 トクトク、とコルクを失ったワインボトルのように血が溢れ出る。

 直撃の間際に身を反らして致命傷は避けられたが、時間の経過と共にこちらの勝率は下がっていく。




 御門の屋敷までは三十分はかかる上に、現在の真白はマトモに戦える状態ではない。

 さてどうしたものか。走りながら暫く考えて、やっぱり俺の戦闘偏差値が低いことを思い知らされる。


 幾ら考えたところで目の前の敵を倒すだけで精一杯なのだから嫌になる。




 辿り着いた僅かな直線道路。ヘンゼルとグレーテルよろしく、俺の血液チャンがかき氷のシロップのように、雪の上にかけられている。


 これはちょっと美味そうだ。




 右手に忍ばせた小枝を強く握る。斜面を滑落中に掴んだ唯一の武器は心許ないが、相手を殺すにはこれで充分。

 問題はこの作戦だと俺もタダでは済まないということだ。




 とはいえ残りの二戦の為に温存して、ここで死んだら意味がないワケで。

 というか後先を考えて行動するのは、苦手な性分なのである。




 明日のことは明日の自分に任せるとして、今は目先の相手との早撃ち勝負に集中しようではないか。

 聴覚と視覚に全神経を集結させる。瞬間、耳が捉えた風切り音。


 空を穿つように飛んでくる銀色の軌跡は二時の方角から放たれたもの。崖の上の木々の中に潜んでいるのだろう。




 判断するや否や、魔術を発動。全速力で射手へと小枝を伸ばす。

 音速を超える速度で敵へと衝突する感触と俺の左腕が弾け飛ぶのは殆ど同じタイミングだった。


 問題は雪を踏みしめる音を俺の耳が聞いていたこと。ヤバい、仕留め損なった。




 左腕との決別に一秒を割いたのち、坂道ダッシュを決め込む。

 野球部時代を想起させる肺が上げる悲鳴を無視しながら、御門の屋敷に駆け込んで、揺らぎ始めた視界を正す為に全力で頬を叩く。



 真白が危ない。

 慌てながら玄関を開けると酷い血の匂いが室内を支配していた。


 三日は肉が喰えないだろうなーっと頬を掻きながら真白の寝室に移動すれば、そこには血の池で遊ぶ真白がいるのだった。




「あれれ? ゆきりん左腕は?」


「ちょっと落としてきちまった」


「大丈夫なの? そうだ、コレ」


 真白は俺に対して幼い笑顔を手向ける。

 その腕の中には断末魔を上げた顔のまま切り取られた女性の頭があった。


 恐らくはさっきの……、




「さすがゆきりんだね。致命傷だったよ。それでも真白を殺そうとしたみたい。でもこの部屋に踏み込んだところで動けなくなったみたい。だから首をね、ちょんぱした」


「オマエ魔術は」


「少し補助に使っただけ。戦えるような魔術は使えないし。それにしても馬鹿だねぇ。そんなに世界が大事かね? 子供と旦那さんの名前を呼び続けていたけれども。守るものがある人間は強いって嘘だね。逆だよ、逆。守りながら戦って強いはずがないじゃん」


「オマエ少し黙れよ」


 意志とは裏腹に、腹の底から低い声が顔を覗かせた。

 真白の目が丸くなる。確かに我ながら見事な手のひら返しだ。


 それでも、だ。それでも全身を巡る血液が沸騰したように、目の前が赤く染まる。


 あ、頭から血が流れているだけだった。




「そいつはさ、確かに敵だけどよ。俺と真白を殺そうとしたけどさ! それでもそいつは世界とか家族とかそういうものを守る為に命懸けで俺の前に現れて、致命傷を喰らいながらもそれでも逃げ出さずに守ろうとしたんだろ!? それを馬鹿にするのは間違ってるだろ!」


「ゆきりん。プロ野球チップスは?」


「……ああ、忘れてきた」


 袋がどこかに行ってしまった。どこで落としたのかも思いだせない。




「そう? 汗だくだね。休みなよ。別にポテトチップスはいいからさ」


「うん、そうする。つうかちょっと病院に行ってく――……アレ」


 身体のバランスが崩れる。地球が反転した? 真白の仕業か?

 ワケもわからずその場に転がって起き上がろうにも力が穴の開いた風船のように抜けていく。


 そうだった。現に俺の身体には穴が開いているのだった。


 このまま俺が死ねば真白も死ぬ? この悪魔のような女の子に終わりを突きつけられる? 

 それでいいのか、悪いのか、結論はだせなかった。


 目の前が暗くなる。その間際、俺の眼球がが映しだした映像は、冷めた顔で俺を見下ろす真白の顔だった。

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