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「海が見たいな」
今日も今日とて真白のワガママは留まることを知らない。
電車を乗り継いで二本。ようやくお目当ての海岸に到着したものの、無駄にさみぃのである。
マフラーに口まで埋めてその場にしゃがみ込む。
「雪と海のコラボとは興奮するね」
「悪いけど全くしない」
これは眠ったら死ぬレベルの極寒だ。
魔術師に殺されるよりも前に、凍死するかもしれない。
「今日は私の髪型が違うワケですが! 気づいてる?」
長い髪の毛を頑張ってポニーテールにしていた間抜けな光景が瞼の裏を流れる。
結局自分では結べずに、俺がセットしたのだから気づく、気づかない云々の話ではなかった。
俺はボケちゃあいない。
氷結したように固まった表情筋をどうにか動かして頷く。鼻水が垂れてきた。
「昨日はオミゴトでした。まあ階段を使うとか、他にも色々と手はあったのだけれども、あの状況を考えればいい判断だったよ」
「あ、そ」
階段は頭にあった。
しかし素直に下りられるとは思えなかったから選ばなかったのだ――というのは言い訳っぽいので口を噤んでおく。
そもそもお伽噺に登場する魔法使いのように、自在に魔術が使えるワケではないのだ。それは俺だけではなく、真白を除く魔術師に言えることで、感覚としてはアメコミに登場する特殊能力に近いのだと思う。
今朝は――というか昨日からテレビは件のデパートに関する話題で持ち切りだった。
何でも三百人以上が犠牲になったとか。罪悪感は胸の中にあるものの、数日のうちに忘れてしまえるレベルのものであり、真白は真白で犠牲者の名前の中にクラスメートの名前を見つけて「スゴイよ! 知り合いの名前がテレビで流れてる」なんて言っていた。
根本的に違うのだ。
一般人と魔術師は。そして魔術師と御門真白も。
真白は俺が死んでも、同じような反応を見せるのだろうか――ふとそんなことを考える。
しかしそれは無意味な疑問で、何せ俺が死ねば真白も死ぬので、泣こうにも泣けないのだ。
「この海の向こうに、委員会があるんだね」
「いや、こっち太平洋だから違う」
「そっか。じゃあアッチ!」
山を射抜くように睨みつけてから、真白は缶に入ったミルクティーを飲み干した。
「委員会なんて腐った組織は全盛期に潰しておくんだった」
俗に三百人委員会と呼ばれる組織は、確かに実在する。
システムと呼ばれる絶対的な存在をトップに、世界を裏で牛耳っているのだ。
化け物のようなメンツで構成されてはいるが、全盛期の御門真白なら問題なく潰せただろう。
いや、それは今でも変わらないはずだ。難易度が少しばかり上昇しただけの話である。
そんな真白の全盛期は五歳の頃だという。
彼女の言葉は絶対だった、と当時を知る人物は語る。真白が春だと言えば春に、死ねといえばそいつは息絶えた。
常識という枷に囚われる前の真白は、まさしく全知全能の神様だったのだ。
「帰りの電車で襲ってきたら嫌だなぁ」
「心配ないでしょ。だってもう近くにいるもの」
「エー。寒いのに」
が、先日のように一般人の犠牲がでることもないので良しとしよう。
人が死ぬ瞬間は、知人であれ、他人であれ、やっぱりあまり見たくはないし。
辺りを見渡してから嘆息と共に空を仰ぐ。
トンビが寂しげに泣いていた。そして違和感。雨粒ってあんなに大きいっけか?
二秒後。
違和感は実感に変わる。違う、違う。あんなに大きな雨粒はあり得ない。
理解するや否やその場から離れると、水球は地面に当たって弾けた。
顔にかかる水飛沫は塩味。敵は海水を使っているようだ。
「ナニコレ」
気が付けば囲まれていた。
人間が丸々入るであろうサイズの水玉が俺と真白の周囲を漂っている。
「真白はどれくらい息を止めてられる?」
普段なら宇宙空間でも生きられる、と豪語する真白だが、今は違う。
「三分。ウルトラマン的な!」
「オーケイ。我慢してくれよな」
それまでに片づけるから、と言い残して浜辺へと走り出す。
振り返れば真白が水球に飲み込まれていた。
三分――実際には二分といったところか。割と真白は話を盛るのである。
足許に転がった流木を手に取って等身大まで大きくする。
それを地面に深く突き刺して、また操作。先端に掴まったまま伸ばして伸ばして、俺の身体を中空へと運ぶ。
敵は……いた。二百メートルほど先の防波堤にいかにもな男が佇んでいる。
そろそろ限界か。バランスを崩し始めた流木に対して後方に体重をかける。
落下した先は海。全身ずぶ濡れでクソ寒いが、あの高さからではそれしか選択肢がなかったのだ。
急いで砂浜に転がるゴミを探す。できれば尖ったもの。
そうでなくとも音速に近いスピードで伸びる魔術を持ってすれば、充分に凶器となり得るのだが。
拾い上げたのはビールの空き瓶だ。
その先端を握ってから、同じく地面に転がっていた拳大の石に胴体部分を叩きつけて割る。
鋭利になったそれを敵に合わせて、あとは一気に伸ばすだけだ。
避けられることは予測済み。
けれども避けられようが何しようが、全長数百メートルの凶器からは逃れられない。
「今日も無駄死にご苦労様です!」
横に飛び退いた敵に合わせて、一気にフルスイング。
インパクトの瞬間に重さを爆発的に増やした一撃は、黒衣の男に直撃。
そのまま海へと墜落した。骨折は確実。よほど幸運に恵まれない限り五体満足ではいられないだろう。
ガラス瓶を元に戻してジ・エンド。
水の玉が弾けたイコール魔術師の死と考えて問題はないはずだ。
「寒中水泳は真白でもシンドイ……」
ゲホゲホ、と水を吐き出す真白。
二分と要していないはずだが、それでも限界に近かったようだ。
真白の強がりを甘く見ていた。
お互いに衣服を全て濡らして、空は相変わらずの曇天で、自宅まではここから電車と徒歩とタクシーを含めて三時間弱。
近くに服が売っていそうなお店はなかったと記憶している。そうと決まれば暖を取るべきだ。でないとマジで死ぬ。凍え死ぬ。
幸いにして人の姿はない。
放置されたテトラポットの陰にでも隠れていれば大丈夫だろう。流木を集めて、そのどれも巨大化させる。
あとは――、
「発火の魔術はツカエマスデショウカ」
タバコを吸わない俺はライターを常備しているはずもなく、しかし真白は頭を横に振った。
「でも平気。さっきそこでライターを拾ったから」
「おお!」
「魔術なんて必要がないんだよ。そんな物はいらないんだよ」
「まあな」
火をつけたければライターを買えばいいのだ。コンビニに行けば百円で売っている。
空を飛びたければ飛行機を使えばいい。人を殺したければ銃を使えばいい。それだけの話なのだ。
石で削った木片に点火して、どうにかたき火には成功した。
「警察とかきたらゆきりん逮捕だよね」
「それは困るなぁ」
目の前の全裸の少女を一瞥して、自分の足の指に視線を落とした。
男の俺がトランクスを穿いていて、女の真白が下着も脱いでいるとはこれいかに。
「ハイハイ。ゆきりんの膝の上に乗りたいです!」
「嫌だよ。言い訳の余地がなくなるじゃねぇか」
「だってこのまま座ってたら、真白のあそこに砂が入るかもしれない!」
「入れ入れ」
シッシッと手で追い払う所作をみせる。
「何はともあれ、残るはあと三人で、三日だね」
「こんなのがあと三回もあるなんて憂鬱だ……」
肩を落として、白い息を吐きだした俺を真白が凝視している。
穿つように、観察するように、見据えたまま真白は青くなった唇を開いた。
「ゆきりんが真白を殺せるとすれば、あと三日以内だよ」
真白はそんなことを言う。
「実に馬鹿らしい」
真白を殺したら俺も死ぬのだ。でも確かに俺が死ねば真白を殺せるのである。
世界最強、最高、最悪の魔術師の命は、俺の手の中にある。
「それが過ぎてしまえば、もう誰も真白を止められないよ。ゆきりんの上司でもね」
そうだろうか。
能天気な真白と違って俺の上司は冷徹な策士だ。
恐らくは彼女にとっては俺も捨て駒の一つなのだろう。詰め将棋を楽しむように、彼女は御門真白を追い詰めている。
そう確信している。
「それにしてもやたらと敵が弱いぞ」
今回など無傷の勝利である。
ハッキリと言うが俺は魔術師の中でも最低ランクに位置する男だ。
それは見習いという肩書からもわかるだろう。そんな俺が二連勝――今までも真白のテリトリーに踏み込んできた連中に勝利を収めてきたが、それはあくまでも奇襲だったからこそだ。
過去の刺客は真白しか眼中になかったので横槍を入れるのは、横から貫くのは簡単だった。
「もっと大勢で攻めてくるとかさ、そういうのを期待していたんだけど」
「期待、ねぇ。でも残念だけどそれは無理だよ。委員会の中でも真白を殺したがっているのは、一部の強硬派だけだし。大体、この国は御門、御倉、近衛の縄張りだもの。迂闊に踏み込めば外交問題だよ」
それもそうか。
俺は唇を尖らせて目線を上げる。
まるで野生動物のように魔術師という生き物はとにかく縄張りにうるさい。怠け者の権化である真白でさえ、自分のテリトリーに他の魔術師が踏み込むことを嫌っている。
ジャンプやプロ野球チップスを買いに行かせるついでに始末を命じてくるのだ。
「現にゆきりんだってひとりできたでしょう?」
「うーむ」
無謀にも。
もっとも俺の場合は勝てるとも殺せるとも思ってはいなかったが。
俺の裏切りを知って、それでも尚生かしてくれているのはただの僥倖に過ぎない。
「そんなことよりも全然海を楽しめていないんだけれど! 海の家ないじゃん。焼きそば、イカ焼き、ビールに花火は!?」
「オマエって本当に世間知らずだよな」
呆れるほどに世間を――常識を知らない。その必要がなかったからだ。
真白は十歳まで委員会の座敷牢から一歩も外にでられなかったのだという。
生きる為に必要なものは何でも与えられたけれども、不必要な物は何一つとして与えられなかった。
いつか真白が笑い話のように語った過去は、あまりに凄惨で。
「ゆきりんならそんな真白を助けてくれた?」
読心術だろう。真白は無断で人の心を覗く。
故に答える必要はない。真白は困ったように笑いながら、体育座りをする。つまらなさそうに、だ。
見定めよう。残り三日だけれど彼女に良心が残っているのかどうかを。
もしも普通の少女に戻れる道があるのならば、俺が責任を持って面倒を見よう。
でも、もしもそうでないのなら。既に手遅れだとしたらそのときは自害しよう。
そうすることで彼女に引導を渡そう。それが一年間、彼女と寝食を共にした俺の役割で、俺が生まれた意味なのだと思う。
ロケット花火の残骸と筒状の花火の抜け殻を真白の下に持ち帰った。
真白は無邪気に笑うと俺の周りを跳ね回り始める。
どこの民族の儀式ですか、と尋ねたくなる不気味な動きに集中力を散らしながらも、花火を再生する。
「そういう魔法を絵本で見た。そっか。ゆきりんは魔法使いなんだ」
「いや、魔術師だけど」
「これどうやるの?」
手渡したロケット花火を握りながら、俺に向けてくる真白に全力で首と手を振る。
「危ないから人に向けるなって! そこの導火線に火をつければオーケー。向けんなよ! 絶対だぞ! 前振りじゃないからな!」
「ウム。ワカリマシタ」
ライターで導火線に火をつけた真白は、人の忠告を無視して俺に照準を合わせやがる。
辛うじて放たれたロケット花火をかわした俺だったが、バランスを崩して尻餅をついてしまった。
何とも情けない絵面だ。
屈託なく高い笑い声をあげる真白は、二発、三発と今度は宵闇に打ち上げる。
お世辞にも綺麗とはいえない軌道を描いて破裂する花火を、それでも真白は楽しそうに眺めていた。
最後は噴射式の花火である。
その名もドラゴンロード。
何とも痛々しいネーミングであるがそんな冷めた目を覆すほどに、噴き出たカラフルな炎は美しかった。
雪と海には首を傾げたが、冬の花火というのもなかなかにオツである。
無言で見つめていた真白が何を想ったのかなんて読心術を使えない俺にはわからない。
それでも少しだけでもイイから、こういう世界があるということを心に刻んでくれたのならいいな、と思った。
「焼きそばも海の家も、イカ焼きもビールも無理だけど、花火ならどうにかなるかもしれない」
コートを上から簡単に羽織って、テトラポットゾーンからでた。
砂場には無数のゴミが落ちている。探せば花火のゴミだって転がっているかもしれない。
空には既に紺色が溶けていて、近所に家もないので苦情の心配もないだろう。
真白は娯楽を知らないのだ。
テレビもゲームも、鬼ごっこも映画も。普通の中学生がごく当たり前に享受している日常を体験した経験がない。
だから変な方向に思想が向いてしまうのだと俺は思う。
まだ間に合うのかもしれない。この最強の魔術師が、最悪の魔術師にならない方法が、まだ残されているのかもしれない。