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あと少しなのだから、残りの期間をフルに使ってデートをしよう、という真白の提案に乗ることに決めたのは、何も彼女がムリに押し切ったからではない。
何だかんだで名残惜しくもあるわけで、結構情に厚い男なんだなーっと思い知る。
いいセールスポイントではないか。
本日の予定は映画だ。
最強の魔術師の癖に、流行りの恋愛映画を観たいそうだ。映画館自体初めてだという怪物は、建物内に充満したキャラメルポップコーンの匂いに腹を鳴らしながら、案の定催促してくる。
「パンフレットとかは?」
「欲しいけどいらない。想い出は、心の中に、だよ」
平日なので地方の映画館はガラガラだ。
そもそも人口二十万ばかりの町に、映画館は三軒も必要がない。
映画好きの大学生としては共倒れだけは回避して頂きたい。
「こうやって歩いてるとカップルに見えるかな?」
劇場特有の薄暗さと柔らかなマット、その中で手を繋ぎながら歩く大学生と中学生。
どうだろうか。一度首を捻って客観視を心掛ける。
仲良く手を繋ぎながら平日に恋愛映画を観にくる兄妹というのは、ちょっと想像ができない。
それとも一般的なご家庭の兄妹はそういう日常を送っているのだろうか? だとしたら羨ましすぎる。
現在も自宅を警備しているであろう兄貴しか持たない俺には、実に妬ましいホームドラマではないか。
「真白には兄弟とかいるの?」
「うん、いるよ。可愛い可愛い弟が」
「なに? ソイツもスゲェ魔術師なの?」
御門家はこの国の魔術師を統べる一族だ。
ただの時代錯誤なのかもしれないけれども、真白の弟はその嫡男にあたるはずだ。
店員からキャラメル味のポップコーンを受け取って、待合席に腰を下ろした。
キャラメルは飽きるんだよなぁ、と愚痴ってから一掴み。
「ううん、弟に魔術師の才能はないよ。ありがと、ゆきりん。ポップコーンとか初体験だよ。真白のポップコーン処女が奪われたワケだけれど、どうですか? 寝取られた感想は」
「堕ちろ堕ちろ。そして太れ」
「ゆきりんったら鬼畜。でもこれウマー。何ですかコレ。誰開発したの。褒めてつかわすよ!」
映画が始まる前に尽きそうな勢いだ。ライトノベルの主人公よろしく肩を竦めながら係員の案内に従う。
チケットを手渡して半券を受け取ると、真白がジャンプをしながら「半券頂戴」などと手を伸ばしてくる。
「想い出は心の中にじゃないのかよ」
「うん、でも必ずしもそうではないよ」
指示された一番スクリーンの座席は大半が空席だ。
両手の指で充分に足りる程度の客しか入っていない。最後部の列に座って、本編が始まるのを待つこと五分。
ポップコーンの不発弾だけが残ったケースを足許に置くと、真白が膝の上に乗ってきた。
「スカートを穿いてくればよかったなぁ」
デニム生地のショートパンツを指で弄りながら真白は呟いた。
革のニーハイブーツに包んだ脚をブラブラとするのは止めて頂きたいのだが、注意しても無駄なので諦める。
「静かにしろよ」
「うん、わかってるよ。だからゆきりんの顔を近づけて」
「嫌だ。オマエの髪の毛鬱陶しいんだもん」
念入りにアイロンをかけたのでサラサラのストレートなのだ。
お陰で毛糸の手編みマフラーのようにチクチクとする。
「ゆきりんの頼みでもこの髪は切れないな。だから我慢だよ。別に舐めてもいいからさ」
「そんな趣味はない」
「体液を掛けてもいいからさ」
「いやいやいや」
二時間近く、こんな風に喋り続けるのではないかという心配は結局杞憂に終わった。
お目当ての映像が流れるや否や、脚の振りも、口の動きも止めて、真白は映画に見入ったのだ。
呼吸すら忘れた様子でスクリーンに映し出される物語に意識を沈めていた。
話の内容はといえば、お決まりのパートナーの死だ。但し病気ではなく事故死。
バイクで暴走した挙げ句にトラックに突っ込んだので、自爆とも言えるかもしれない。
陳腐なストーリーにけれど真白は心を打たれたようで、涙と鼻水を垂らしながら、時折人様の胸元にその顔面を押し付けるのだった。
「面白かった!」
「それならよかった」
まあ、テレビのコマーシャルで笑うような女の子なので当たり前なのかもしれない。
「ゆきりんと私でああいう恋愛をしたいよね」
「嫌だよ。俺死ぬじゃん」
「ゆきりんの死を真白は乗り越えるよ」
「ハイハイ」
劇場から一歩外にでると雪が降っていた。
夜の帳が下りた町はイルミネーションでその身を染めながら、目前に迫ったクリスマスを催促しているかのようだった。
十一月の終わりから点灯を始めるので忘れていたが、五日後はクリスマスである。
その日、俺と真白は別れるのだ。
そんな俺の感傷とは裏腹に、赤いコートを羽織った真白が興奮した犬のようにくるくると回り、転倒。派手に転がった。
「……イテテテ」
それは普段の真白からは考えられない動きだった。
御門真白という化け物は運動センスは皆無だが、運動神経は抜群に優れているからだ。
転びそうになることは多々あるが、実際に転ぶことは殆どない――というか見たことがない。
それもそのはずで、皮膚に触れた攻撃をダメージが全身を貫く前に回避できる反射神経の持ち主なのだ。
もっと言うのなら銃弾やロケットランチャー程度では真白が常時張っている結界を突破できないのだが。
それなのに膝を抱えて座り込んだ真白の皮膚からは、薄らと赤い血液が流れでていた。
人並み外れた身体能力も、圧倒的な強度を誇る結界も、今の真白からは失われているらしい。
だとしたら本当に今の真白はタダの女子中学生だ。チワワは言い過ぎだけれど、大型犬に殺されるくらいには。
「ほら、服が汚れるから絆創膏張っておけよ」
「うわあ!」
と、手渡した絆創膏に大きな声をだした真白に、俺は目を丸くした。
「こういうの憧れてたんだ。ありがとうゆきりん。準備がいいね、いいよいいよ」
「オマエの所為でしょっちゅう怪我をするからな」
予想外の反応だった。
嬉々としながら太股に絆創膏を貼る真白の姿からは、怪物性は感じられない。
普通の少女だった。