プロローグ
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働いたら負けかな、と思っている。
御門真白という名前の世界最強、最高、最悪の魔術師はそういう人間だ。
そして厄介なことに魔術師見習いの俺は、彼女の子守役を命じられてしまったワケで――ナニコレ、どんな罰ゲーム!? と今日もコンビニの袋を片手に極寒の山道を登っているのであった。まる。
そんな真白を一言で言い表すのならズバリ! 狂人で変人だ。
御門真白という怪物の頭のネジはきっと中国製なのだろう。頭のネジが足りないとか、緩んでいるとか、そういう話ではなく、そもそも欠陥品で造られた頭なのだ。
そうでなければ近場のコンビニまで徒歩で四十分もかかるような場所には住まない。
オマエ島流しにでもされてるのかよ! と派遣初日に突っ込んだ俺の感覚は絶対に正しいはずで、まあつまりはそんなお屋敷に左遷もとい赴任した俺もまた、島流しの刑を受けた罪人なのだろう。
なんというか絶望的だった。
今日日、高校のパシリ君でももう少し真っ当な扱いを受けているに違いない。
何せ「ちょっとコンビニに行ってきてくれない? 今週号のジャンプが読みたーい」である。
オマエはひきこもりか、と。自宅警備員なのか、と。俺はオマエの母ちゃんか、と。散々罵ったあとに結局「ちょっと」コンビニに行ってきた俺は案外、いいヤツなのではなかろうか。
だって外は本日も氷点下を下回っている。
地球温暖化などなんのその、灰色の夜空を仰げばこんこんと白い結晶が舞い落ちてくる。世界は今日も平常運転。眼下の町並みはネオンに彩られて、白銀に煌めいている。
御門のお屋敷は古臭い日本家屋だ。
表札もなければ門扉も焼け落ちているが、敷地面積だけならば某金満球団のホーム球場を比較に持ってくるようなレベルである。
オマケとばかりに天然芝が伸び放題。赴任初日、雑草を一掃すべくガソリンを撒き散らしていた真白の奇行を思いだして、苦笑がこみ上げてきた。
俺の到着があと一分でも遅れていたのなら、寒空の下での生活を余儀なくされただろう。
門だったはずの真っ黒い炭を潜ると正面に木造建築が見えてくる。
こちらは五年前に改築したばかりということで小奇麗な外観を保っているが――それでも幽霊屋敷と噂されているのだが――中に入ればあら不思議。五分後には女性に対する幻想が打ち砕かれるというビックリハウスなのである。
「おーそーいー」
寒さに身を縮ませながら帰宅した俺にかかった第一声がそれだ。
「待っている間にアイスも食べたくなっちゃった」
と、相好を崩す世界最悪の魔術師は、ボサボサの真っ黒い髪の毛を引きずりながら迫ってくるなり袋をふんだくってくる。
あ、殴ってやろうかな、と内なる闘志を燃やしてみたものの、前述の通り世界チャンピオンにも等しい相手に勝てるはずもないので却下。
雪で湿ったスニーカーを片手に、風呂場へと直行しようと決めた。
「お風呂?」
「風呂」
「真白も入る」
「そういえば……三日くらい入ってない?」
「さあ? ゆきりんは今まで食べたパンの枚数を覚えているのかな?」
「そういう話じゃないぜ」
自浄機能付きのお嬢様なので臭うことはないのだが、足首まで伸びた長髪までは文字通り手が回らないようで、ゴミ捨て場で時折見かける日本人形のような感じになっている。
酷いときには重力など無視して天井に触れるくらいに逆立つので、コレでもまだマシなほうだ。
脱衣場までは五十メートル近く廊下と縁側を歩く必要がある。
途中八つの部屋を通り過ぎて無事に到着。ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、己の服を破ろうとする真白にストップをかけた。
「オマエはもう少し御淑やかになれよな。イチイチ豪快すぎるんだよ。三国時代の武将かよ」
「じゃあゆきりんが脱がしてよ」
万歳をする真白に、ムムムと逡巡すること三秒弱。
結局真白のワガママには勝てっこないので袖なしのワンピースの裾を握るなり、一気に引っこ抜く。
何とも豪胆なスカートめくり。
そのうえ真白は下着というものを嫌う変態裸族なので、一秒にも満たない一瞬で、児童ポルノを生成できてしまう。
浴室はそこらの銭湯よりも広く、浴槽はヒノキ造りだ。
風呂掃除がどれだけ大変なのかをこの家の主が理解していないのだから嫌になる。頼むから濁り系のバスクリンはやめてくれ。
ペタペタという残念な足音を響かせて、真白は浴槽へダイヴする。
そのまま頭を打ち付けて死ねばいいのに。なんて考えてみたりもするけれど、彼女の命は俺の命に直結しているのでその結果は頂けない。
とはいえそんな心配はまるで無意味で、ちゃんちゃらおかしいのだけれども。
「それにしても贅沢ですなー。現役女子中学生と一緒にお風呂だなんてさ」
湯船に浸かった俺の両肩に両の脚を乗せて、女子中学生は言う。
起伏に乏しい真白の身体を一瞥してから確かに犯罪的だ、と二度頷いた。
「とりゃあ」
と、胸に飛び込んでくる世界最強の魔術師。
体勢的に軟体動物みたいになっているが、問題はないようだ。
「このまま挿入しちゃう?」
「しちゃわない」
肉薄した真白の顔面は嘘みたいに整っている。
氷晶を連想させる澄んだ眼球とか、一本一本が意思を持っていそうな長い睫毛とか、薄い唇から覗く濁りのない歯とか。
クリクリの瞳にツヤツヤでモチモチの肌とか――肉親でさえ性的な悪戯に及びそうな艶かしい美しさを彼女は纏っている。
しかし俺は騙されない。首を横に振りながら真白の双眸を凝視する。
要するに真白の美貌も魔術の類なのだろう。俺はそう言い聞かせている。
例えば人の社会を破壊するべく、妖怪が傾国の美女に化けるような感じで。
「さて、仕事の話なのだけれども」
吐息が首筋に触れる。
ほら、早速正体を現した。この女は十四歳にして精神を巧みに切り替える。
こうなったら真白はどんな悪魔よりも残酷で、どんな天使よりも冷酷だ。
「始末、したかな?」
「ぶっ殺したぜ。命令通りにね」
命令を強調して俺は頬を掻いた。
「そう、それはよかった。私が手に入れたい魔術の一つが雪貞のソレよね」
「それは光栄っす!」
なんて微笑んで真白を引き剥がす。
魔術に関しては史上最高と謳われている御門真白にも俺の魔術は再現ができないらしい。誇らしいやら悲しいやら。
「でもいい加減、オマエがやれよな。俺だといつもギリギリでもうしんどい。ちょっとコンビニどころの話じゃねーぞ。それに何よりも寒い」
それはもう情けないくらいに、瀬戸際の戦いなのだ。
俺は別にギリギリでいつも生きていたい人間ではないのだから勘弁して欲しい。
大体、現在絶賛一心同体中の俺が死ねば、絶対的な強度を誇る真白も道連れになるというのに、この女子中学生はまるで危機感を抱いちゃいないのだ。
「大丈夫だよ、ゆきりん。真白は誰よりもゆきりんを信頼しているから。だからゆきりんなら真白の寝首もかけるんだけれども」
グググ、と唾と言葉を同時に喉へと押し込んだ。
この女はわかっているのだ。俺が御門真白を暗殺する為に派遣された魔術師見習いだということを。
知りながら俺の命を助けて、オマケに使い魔として契約するという悪趣味と悪意の持ち主なのである。
一体何を考えているのやら。
「というか真白は現在、スランプ中なんだよね」
「スランプ?」
「スランプというか制約? 契約? とにかく! 真白は今、魔術が一切使えませーん。多分今の真白はチワワにも敗北を喫するよ……!」
「――はぁ!? 詳しく話せよ」
「説明は難しい。圧倒的に語彙力が足りない」
「学校に行け」
「そんなことをしたらクラス中に真白菌の恐怖が! 未曽有のバイオハザードだよ。真白菌に感染すると女子が泣くからね」
「……オマエいじめられてるのかよ」
「端的に言ってしまうとそうですな」
現存する魔術師が畏れ、敬い、神話という二つ名を持つどこぞの中二病全開のライトノベルのような設定を持っているというのに、公立中学校でイジメの被害に遭っているなんて冗談にしては笑えない。
ボクシング形式でいくのなら中学生が世界チャンピオンになってしまう。
「ゆきりんにだから話すけれども、真白って新月に近づく一週間は――月経と連動させてるんだけれども――魔術が使えなくなるんだよね」
舌を出して、柔和な表情を浮かべる真白。
そんな弱点を刺客に教えるなんてどうかしている。
それともこれも真白の罠なのだろうか。俺の忠誠心を測っているのかもしれない。
「ちなみにあとどれくらい続くの?」
「あと六日だよ。今日は初日で、真白はご機嫌ナナメ! ちなみにこれが終わったら月と地球の位置関係を固定するつもり」
「人類が衰退するな」
「滅べばいいと思うよ。真白とゆきりんだけの世界も悪くないかなって最近は思うんだ。いやん、これってひょっとしてプロポーズ!? 真白ってば大胆なお、ん、な!」
膨らみかけの胸を必死に寄せる真白だった。
大胆も何もその年で異性と何の恥じらいもなく風呂に入れるのは、精神的にガキな証だろうに。
「ヤバい。凄いことを思いついたかも」
「※ろくでもないことの意」
「変な注釈つけないでよっ!」
人様の首に白磁のような腕を巻き付けて、真白は妖艶な表情を意図的に作る。
「――妊娠すれば生理がなくならね?」
「その発想はなかったなぁ」
「ゆきりんが孕ませればよくね?」
「……俺の人生が色々と終わりそうだ」
「うーん、でも真白の魔術は処女だからっていうのもあるしなぁ。処女懐胎する必要があるのかも。ごめんね、ゆきりんの期待には応えられないや」
「ん? 酷い勘違いをしてないかな?」
それにしても処女だの生理だの、この女に羞恥心というものはないのだろうか、と眉根を寄せながらも密かにほくそ笑む俺は、いかにも悪役っぽくて素晴らしい。
しかしこの状況なら誰だって表情が緩む。
いや、女子中学生のヌードを拝んでいるから、というのとは関係なしに。
何故ならば御門真白という神秘の全容は未だに解明されていないのである。
そりゃあ己の魔術のカラクリがばれたら魔術師的には死活問題で、だからこそ人前で魔術を披露する馬鹿は滅多にいない。
しかし目の前の最強、最高、最悪の魔術師はそんなことお構いなしなのである。露出狂だと言ってもいいくらいに自分の魔術を見せびらかす。
それなのに誰も、それこそ名立たる魔術師が束になって解析したってわからないことだらけなのだ。
そんな中で唯一判明したのは、世界中の魔術師及び軍隊や兵器を用いたところで、御門真白には勝てないという絶望的なモノだった。
「メンドクサイなー」
俺の胸に頬を摺り寄せながら真白は言う。
「何が?」
「世界がだよ! 世界に決まってるじゃん」
「デッケェ!」
いちいちスケールがデケェ。ともすれば中学生的とも言えるが。
「近々、世界そのものを作り変えるつもりですが何か?」
無い胸を張って、人の眼前に持ってくる。突くぞコノ、と睥睨して嘆息を浴びせた。
「この世界は狂ってるんだ」
「俺はオマエのほうが狂っていると思うよ」
真性の狂人だ。だからこそ真っ当な世界が歪んで見えるのだろう。
「あー、ゆきりんはまたそういうことを言う」
ブーブーと奇妙な音を発しながら、真白は湯船から上がってタイルの上に直接座ると、小さな手のひらにシャンプーをふんだんに載せた。
珍しく自分で髪の毛を洗うつもりらしい。
「それにしても民主主義が、欧米の思想が絶対です、正しいのです、それ以外は悪なのです、っていう傾向には笑っちゃうよね。真白はそうは思わない」
「俺はそう思うよ」
だからこそ繁栄し、それを反映しているわけで。
「人間って本来そういう風にはできていないんだよ。人間なんて欠陥だらけじゃん。法律なんてもので縛らない限り社会を回せないんだからね。みんなが平等です、誰にでも権利があります、っていうシステムはムリムリムリ! 誰かが厳しく統率する必要があると思うの。例えば江戸時代のように。あの時代のシステムは何だかんだで一番優秀だったんじゃないかな。何せ二年千年も太平の世を築いたのだから」
「いや、オマエはマジで学校に行けよ。今西暦何年だよ。江戸時代は二百年ちょっとだよ」
「二百年も二千年も変わらないでしょう?」
「相変わらず発言がデケェな!」
さすがは世界五分前仮説を覆せる唯一の存在だ。
「絶対的な君主が必要な時代がきているんだと思うよ」
「それになるってか?」
「いんや、私は愚民を監視する君主を監視する側かな。抑止力として在り続ける。それが私の夢。ケーキ屋さんの次にそれになりたい」
「ケーキ屋になってもつまみ食いはできないからな」
「じゃあ嫌だ」
「抑止力になったってツマラナイだろ」
「そんなことないよ。色々とヴィジョンはあるんだよ。まずは人口を削減するでしょう? 階級を作るでしょう? 魔術なんてものを消し去るでしょう? それでゆきりんを世界の王様に据える」
「わー、贅沢しまくろー」
「うん、それでいいんだよ。優しい王様なんてクソ喰らえってスタンスで構わない。酒池肉林だぜ、グヘヘって感じでよろっ!」
真白の髪の毛が泡に包まれる。
人間の髪は本来、腰の辺りまで伸びないようになっているらしいが、真白には関係がないようだ。
きっと魔術的な何かなのだろう。
「おしっこしてもいい?」
「ダメ」
「湯船にしなかっただけ感謝して欲しいんだけど」
「そんな恩を唐突に売られても困るんだけど」
結局、俺の願いが聞き入れられることはなく、そんなことはハナからわかっていたことなのでタイルを打つ音が耳に入るなり湯船に沈むことにした。
百八十センチ(やや鯖読み)を誇る俺が足を伸ばしてそのまま寝転がれる浴槽はまるで棺桶だ。
真白と暮らし初めておよそ一年。短いようで長い月日が無為に過ぎていった。
俺は未だに魔術師見習いで、大学の単位には危険信号が点っている。
いつになったら一人前になれるやら。もっとも真白を殺せれば一人前どころか一躍英雄になれるのだが。
「免許が欲しいんだっけ?」
実は魔術師は免許制なのである。
「いいよ、あと五人の刺客を撃破したら免許をあげる。要するに私から解放してあげるよ」
湯船の底にまで届く悪意を存分に孕んだ真白の声。解放――その言い回しが確かに一番しっくりとくる。
「……なんで五人?」
浮上して顔だけだして尋ねる。髪の毛が顔に貼り付いて気持ち悪い。
「ゆきりんは馬鹿だなぁ。さすがは三流大学のオチコボレ。新月まで明日で残り五日。そして今、真白は無力です。その情報、あっちに流れているんでしょう? だったら明日からは毎日刺客を送ってくるよ」
「……ふむ。って突然ナニ!?」
お湯に手を突っ込んで、俺の股間をまさぐる変態中学生。
この女はギリギリのラインを平然と超えてくるから恐ろしい。
「真白とゆきりんのラブラブな会話を聞かれるのは癪だから、通信機能を遮断したの。それとも続きがお望み?」
小首を傾げる真白に「イイエ」と淡白に答えた。
俺は割と良識的な大人なので、まだ下の毛も生えそろっていない子供に手をだす気はないのである。
というか自分よりも強い女に欲情するほど飢えちゃいない。オスのカマキリになる未来は御免だ。
「つうかオマエ、魔術が使えないんじゃないのかよ?」
「この程度なら余裕でしょ」
「うーむ」
俺にではできそうにもない。というか俺の体内に仕込まれた術式だけを解除するなんて人間業じゃあない。
「あと五人でいいのだから真白ってば優しいよ」
「ハイハイ、ヤサシイデスネ」
五人の刺客――俺自身も刺客のはずなのに。
それともこの数に俺も含まれているのか? どちらにせよあと五日。死のうが生き残ろうが、俺のひとり勝ちである。