第30話 断罪は運命でもシナリオでもなかった
パーティーは、トラブルなど何事もなかったように終わった。
来賓の方々が次々に引き上げていき、私は出口の近くで見送りの挨拶を繰り返す。
宰相閣下は去り際、「良い決算報告であった」と笑った。
閣下、その言い回しはどこで覚えましたの。
父は多くを語らず、「馬車を待たせる。先に戻る」とだけ告げて出ていった。肩の力が、少し抜ける。
招待客の波が落ち着いてきた頃、視界の隅に蜂蜜色が揺れた。
マリアンヌだった。付き添いも連れず、一人で出口へ向かっている。
通り過ぎる一瞬、彼女の横顔が見えた。
噛みしめた唇の白さに、悔しさが滲んでいる。
でも、それだけではなかった。
扇を握る指先が、小さく震えている。扇の骨がきしむほど強く握っているのに、震えが止まっていない。
そして彼女の視線は、出口ではなく、会場の奥を探していた。来賓席の、あの一角を。
つられて私も目をやる。
誰もいなかった。恰幅のいい紳士の席は、とうに空だ。柔和な笑顔の主は、糾弾の結果を見届けもせずに会場を去っていた。
空の椅子を確かめたマリアンヌの喉が、上下に動いた。
それから彼女は背筋を立て直し、何事もなかった顔で出ていった。靴音だけが、規則正しく遠ざかっていく。
あの目を、知っている。
ノルマを落とした営業が、上司の顔色を窺う時の目だ。
彼女は、誰かに数字を詰められている?
敗者の顔なら、社交界にも会議室にも転がっていた。
でもあれは敗者の顔じゃない。報告を待つ相手のいる人間の顔だ。しかもその相手は、部下の失敗を見届ける手間さえかけずに消えている。
手袋の中で、指先がすっと冷えた。
悪い噂の出ない社交界。狙い撃ちの予算査定。空の椅子。
断片はまだ、線にならない。
ならないけれど、同じ箱に入れておくべき断片だという予感がした。
翌日、私はマクシミリアンにお茶に呼ばれた。
もちろん話題は先日の披露会のことだ。
「昨日はお疲れ様だったね」
王太子宮でのお茶会は、基本的に月に一回行われる。
今までは単なる顔合わせに過ぎなかった時間だが、学園に入学してからはお互いの近況を細かく報告する場になっている。
「いえ、殿下こそお疲れさまでした」
そう言って香り高い紅茶を堪能する。
さすが王宮の紅茶は良いものを使っている。
「しかし、いきなりの発言には驚いた」
誰が、とは言わない。
王太子である彼が名指しすれば、それはそれで問題になってしまうからだ。
だから私も名を伏せたまま会話を続ける。
「ですが、どうにも腑に落ちないのです。あの発言は、果たして彼女自身のものなのでしょうか」
「黒幕がいると?」
「その可能性はあるかと」
マクシミリアンは顎に手を当ててしばらく考えているようだった。
「目星は?」
「今は、まだ」
音を立てないようにカップを戻すと、じっと見つめてくる視線を感じた。
「なるほど」
それ以上の言葉はない。
私も言葉を返さないが、今はまだ確信を持って名前を出せる段階ではないと分かっただろう。
しばらくの間、沈黙が流れる。
この沈黙が心地よいと感じるようになるなんて、前世の記憶を取り戻すまでは分からなかった。
やがてマクシミリアンが口を開いた。
「提案書の日付と、神殿の報告の公示日。あの二つを並べて比べるには、王宮の文書庫で閲覧の手続きを踏む必要がある。少なくとも私の知る限り、ヘルムシュタット伯爵家に、その権限はない」
そうではないかと思っていたのだけれど……やはり、そうなのか。
「つまり、閲覧できる誰かが、彼女にその情報を渡した、ということですね」
「そう考えるのが自然だ。質疑の組み立ても、学園の令嬢が一人で考えたにしては、指摘する場所が鋭すぎる」
淡々とした言い方だったが、頭の中ではとんでもない速さで思考を巡らせていつのだろう。
いや、そう思っただけで確証はないけれど、この手の人間が黙る時は大抵熟考しているものだ。
「マリアンヌ・ヘルムシュタットの背後を調べる。文書庫の閲覧記録は、私の権限で照会できる」
迷いのない声だった。
「殿下は、彼女を疑っておられますの?」
「その先に咲く花があるかどうか、知る必要があるからね」
つまり彼女は種に過ぎず、その先に陰謀の花が咲くのであれば、今のうちに摘み取らなければならないという事。
私は、帰り際の彼女の横顔を思い出す。震える指先。空の椅子を探した目。
「でしたら――私も、調べますわ」
考えるよりも先に、言葉がこぼれる。
「私は社交界の噂を重点に調べますわ。殿下はヘルムシュタット家の王宮側の記録をお願いします。取引の記録、婚礼の支度の規模、出入りの商会。そこから透けて見える事実もありますもの」
「君は時々、長年商いをしてきた者のような口を利くな」
「ふふっ。読書家ですのよ、私」
半分は本当である。残りの半分の出所は……言わぬが花というものだ。
マクシミリアンが、わずかに目を見開いて、口の端だけで笑った。入学式の型通りの微笑ではない、初めて見る種類の笑い方だった。
「役割の分担が早いな。まるで長年の同僚だ」
「ひどいですわ、殿下。長年の婚約者同士とおっしゃってくださいませ」
「これは失礼」
ついに殿下はくつくつと笑い始めた。
軽口で返しながら、胸の内では別のことを考えていた。
断罪は、運命でもシナリオでもなかった。
断罪を企み、私を陥れようとする人間が、どこかにいる。
ゲームでは殿下だったけれど、今の殿下が私を陥れる必要はない。
ならば誰か他の人間がその役割を担っているはずだ。案外、ゲームでも実はその黒幕が暗躍していたのかもしれない。
いいでしょう。その勝負、受けて立つわ。
私は頭の中でこれからの段取りを考えながら、淑女らしい微笑みを浮かべた。




