預けた記憶
俺は、自分の母親の顔を知らない。
写真はある。 戸籍もある。 記録上は、確かに存在している。
でも——
思い出せない。
「誰にも預けてなかったんだろうね」
受付の女は、あっさり言った。
「大事な記憶ほど、自分だけで持つ人もいますから」
この世界では、記憶は三日しか保たない。
それ以上残したいなら、誰かに預けるしかない。
「じゃあ俺の過去って」
「ほとんど消えてますね」
笑えなかった。
俺が唯一持っている“古い記憶”は、一つだけある。
ある女の記憶だ。
名前は知らない。 どこで会ったかも分からない。
でも——
笑った顔だけは、はっきり覚えている。
「それ、多分」
受付の女が端末を見ながら言った。
「誰かに預けられてる記憶ですよ」
意味が分からなかった。
「俺の記憶なのに?」
「違います」
女は首を振った。
「あなたが、“預かっている側”です」
その瞬間、背筋が冷えた。
「……誰の記憶なんだよ」
女は、少しだけ黙ったあと、
画面をこちらに向けた。
——記憶所有者:不明
——最終更新:3日前
——維持状態:不安定
「もうすぐ消えますね」
焦った。
理由は分からない。
でも——
これを失ったら、まずいと分かる
「どうすればいい」
「簡単です」
女は淡々と言った。
「誰かに預けてください」
「……誰に」
その時だった。
背後から声がした。
「——私に預けて」
振り返る。
知らない女が立っていた。
でも。
なぜか、分かってしまった。
——この人だ。
「思い出せないでしょ」
彼女は笑った。
少し寂しそうに。
「だってそれ、元は“私の記憶”だから」
頭が真っ白になる。
「お願い」
彼女は一歩近づいた。
「今度は、ちゃんと残したいの」
その言葉の意味が、分かってしまった。
——俺は、この人を何度も忘れている。
そして、そのたびに。
“誰かの記憶”として、預かり続けている。




