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アフター・ダーク〜境界に立つ者達〜  作者: 楽


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5/15

5 遅れて間に合った

白羽は、自己紹介をしなかった。


教室の扉が開いて、

教師に名前を呼ばれて、

前に立って――それだけ。


「今日から入る白羽。

 席、空いてるとこ使ってー」


柊木由良は、いつも通りの軽い調子だった。


白羽は一礼もしない。

視線を上げもしない。

ただ、指示された席に向かって歩く。


足取りが、遅い。


怪我をしているわけじゃない。

疲れている様子もない。

それでも、動きが一拍遅れている。


湊は、なぜか目を逸らせなかった。


――遅い。


それは欠点のはずなのに、

どこか意図的に見えた。


「……あの子?」


迅が、小さく言う。


「そうそう。

 噂の“遅い子”」


由良は、笑っていた。


でも、

その笑い方は、現場で《猶予》を使った時と同じだった。


軽い顔をして、

取り返しがつかないものを見ている顔。



初任務は、最悪だった。


場所は、住宅街の真ん中。

時間は、夕食前。

対象は――不明。


「反応が、ズレてる」


迅の声が、張り詰める。


「単体じゃない。

 でも、複数でもない」


意味が分からない、ということは、

“想定にない”ということだ。


結界は張られている。

だが、薄い。


「逃がせない」


ルナが言う。


「人、多すぎる」


現場は、袋小路だった。

逃げ場がない。

切り取るには、狭すぎる。


湊は、嫌な予感しかしなかった。


白羽は、最後尾に立っていた。


何もしない。

構えない。

見ているだけ。


それが、異様に見えた。


「白羽」


由良が呼ぶ。


「今日は、見学ねー」


白羽は、頷いた。


その動作も、やっぱり遅い。



対象は、突然現れた。


音もなく。

気配もなく。


ただ、

“そこにいる”ことだけが確定する。


人間体。

年齢不詳。

表情が、一定しない。


笑っているのか、泣いているのか、分からない。


「……帰れる?」


その声が、複数に聞こえた。


一人の声なのに、

重なっている。


「来る!」


ルナが叫ぶ。


次の瞬間、

空気が、内側から破裂した。


見えない衝撃が、路地を走る。

窓ガラスが、震える。


一般人が、立ち止まる。


まずい。


迅が即座に判断する。


「相良、下がれ!」


湊は反射的に動く――が、


遅れた。


足が、動かなかった。


違う。

動く理由が、決まらなかった。


助ける?

切る?

守る?


一拍。


その一拍で、

世界が一段、深く沈んだ。


対象の“中身”が、溢れ出す。


人の形の裏から、

言葉にならないものが噴き出す。


「……あ、」


誰かが声を漏らす。


遅い。


完全に、遅い。



その時だった。


白羽が、一歩前に出た。


走らない。

叫ばない。

ただ、前に出る。


「白羽!」


由良の声が、初めて少しだけ強くなる。


白羽は、対象を見る。


目を合わせない。

顔も見ない。


代わりに、

“時間”を見る。


「……遅延」


小さな声。


それだけ。


世界が、ずれた。


止まらない。

戻らない。

ただ、遅くなる。


爆発の速度が、落ちる。

衝撃の伝播が、鈍る。

悲鳴が、途中で引き延ばされる。


救われたわけじゃない。


対象は、まだそこにいる。

壊れたまま。

止まっていない。


でも――


今じゃなくなった。


「今だ!」


迅が叫ぶ。


ルナが踏み込む。

距離は、ギリギリ。

間合いは、足りないはずだった。


でも、足りた。


足りてしまった。


一閃。


対象が、崩れる。


音はしない。

派手さもない。


ただ、

終わった。



結界が、揺れながら戻る。


一般人が、何事もなかったように動き出す。


誰も死んでいない。

誰も壊れていない。


「……助かった」


誰かが、そう言った。


湊は、言葉が出なかった。


助かった?


何が?


誰が?


白羽は、その場に立ったまま、動かない。


肩で息をしているわけでもない。

苦しそうでもない。


ただ、

少しだけ、色が薄くなっている。


「白羽」


由良が近づく。


「やりすぎ」


白羽は、首を横に振る。


その動きも、遅い。


「……間に合った」


由良は、それ以上言わなかった。


代わりに、

白羽の肩に手を置く。


支える、というより、

そこにいることを確認するみたいに。



帰り道、

湊はずっと考えていた。


救われた人はいる。

確実に。


でも、

救われた“存在”はいない。


白羽は、誰も治していない。

何も元に戻していない。


ただ、

遅らせただけ。


それなのに、

全員が生きている。


「……なあ」


湊は、白羽に声をかけた。


白羽は、少し遅れて振り返る。


「……あれって」


言葉を選ぶ。


「救った、って言えるのか?」


白羽は、少し考えた。


その“考える時間”も、遅い。


「……言わない」


「じゃあ……」


「でも」


白羽は続ける。


「言わなくても、

 助かることはある」


その言葉が、

湊の胸に、重く落ちた。


救ってないのに、助かった。


それは、

希望じゃない。


奇跡でもない。


現実だった。



夜が、深くなる。


アフター・ダークの中で、

湊は思う。


境界に立つ自分は、

切れない。

決められない。


でも――

遅らせることは、できるのかもしれない。


それが、正しいかは分からない。


ただ、

今日、誰も死ななかった。


それだけが、

確かな事実だった。


そしてそれが、

この世界で一番、厄介な“成功”なのだと、

湊はまだ知らない。


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