3 数える者
数える者
反町迅は、任務前に必ず数字を確認する。
時刻、天候、結界半径、通行量。
人数、死因傾向、対象の出現確率。
それは祈りでも、縁起でもない。
ただの確認だ。
確認しなければ、判断が遅れる。
湊はその横顔を、教室の後ろの席から見ていた。
迅はノートを開いているが、文字は少ない。
箇条書きで、短い。余白が多い。
「今日は多い」
迅が言った。
「何が?」
湊が聞くと、迅はペン先でノートを叩く。
「通行量。
帰宅ラッシュに被る」
「……つまり?」
「つまり、切り分けに失敗したら、
被害が増える」
淡々とした声だった。
脅しでも、警告でもない。
事実の共有。
「結界、広げるんですか」
「広げすぎると維持が落ちる」
迅は即答する。
「今日は“分断”だ」
分断。
結界を複数に分け、対象と人を切り離す。
その分、管理は難しい。
成功すれば被害は最小。失敗すれば、地獄。
「前、誰?」
湊が聞くと、迅は一拍考える。
「今日は俺が指示を出す」
ルナが前に立つ日ではない。
朔夜は監督。由良もいない。
迅が現場を回す。
それだけで、空気が変わった。
迅は感情で場を動かさない。
数字と配置で動かす。
それは、正しい。
正しいが――冷たい。
⸻
結界は、駅前の大通りを避ける形で張られた。
一つ目は、路地。
二つ目は、裏通り。
三つ目は、小さな公園。
「対象、三体」
迅の声が、湊の頭の奥で響く。
「人間体に近い。
分散配置。
会話は成立しない想定で動く」
想定。
迅は常に、想定で話す。
最悪を基準に、現実を当てはめる。
「相良」
「はい」
「君は公園側。
動かない。観測」
「……処理は?」
「しない。
君が動くと、数字が崩れる」
その言い方は、正しかった。
湊が前に出れば、迷いが生じる。
迅はそれを、最初から計算に入れていない。
湊は唇を噛み、頷いた。
⸻
公園は、夜でも明るかった。
街灯があり、遊具があり、
ベンチには高校生が座ってスマホを見ている。
結界の内側と外側は、紙一枚の差だ。
向こうは生きている世界。
こちらは、処理の世界。
対象は、ブランコの前に立っていた。
中年の男。
背広姿。ネクタイが緩んでいる。
顔は疲れている。
それだけで、人間だと錯覚しそうになる。
「……帰らないと」
男が呟いた。
声は、現実的だった。
湊の胸が、嫌な音を立てる。
「家、あるんだろうな」
湊は、思ってしまう。
迅の声が、即座に入る。
「相良。
観測に集中しろ」
叱責ではない。
修正だ。
男が、ブランコに触れた。
その瞬間、鎖が歪む。
鉄が、柔らかくなる。
「……触るな」
湊は思わず、声を出しかけて止めた。
男は、笑った。
「触らないと、
戻れない」
次の瞬間、地面が沈んだ。
公園の一部が、泥みたいに揺れる。
死因――圧死系。
「来る」
迅の声が、遠くで響く。
別区画で、ルナが一体を処理した音が、
結界越しに微かに伝わる。
迅は迷わない。
「公園側、切る」
「え?」
湊が反射的に声を出す。
「人が――」
「三人いる。
逃がせる」
迅の声は、冷静だった。
「逃がせなかったら?」
「その時は、
切る人数を変える」
湊は、言葉を失った。
人数を、変える。
助ける数ではない。
切る数を。
迅にとって、それは同じ意味だ。
⸻
迅の判断は、早かった。
結界が、音もなく縮む。
公園の端が、切り取られる。
外側の高校生たちは、
急に気分が悪くなったように立ち上がり、
ふらつきながら外へ出ていく。
記憶は残らない。
理由も残らない。
内側に残ったのは、
化け物と、湊だけ。
「……迅!」
「動くな」
迅の声は、さらに低くなる。
「今、君が動くと、
最適解が崩れる」
最適解。
その言葉が、湊の胸に重く落ちる。
男が、こちらを見た。
「……君も、
切られる側か」
その言葉に、湊は反応してしまう。
「……俺は」
言葉が続かない。
男の影が、膨らむ。
地面が、裂ける。
「時間切れ」
迅の声。
次の瞬間、
見えない一撃が男を貫いた。
どこから来たのか、分からない。
迅は姿を見せないまま、処理を終える。
男は、驚いた顔のまま崩れた。
「処理完了」
迅の声に、揺れはない。
⸻
結界が解除される。
公園は、ただの公園に戻る。
誰も、何も覚えていない。
湊は、足が動かなかった。
「……迅」
呼ぶと、迅は少し離れた場所から歩いてきた。
「判断、早すぎませんか」
「遅れたら、
もっと切ることになる」
迅は、事実だけを言う。
「三人助けて、一人切った。
成功だ」
「でも……」
「感情は、
数に入らない」
迅は、湊を見る。
「入れた瞬間、
全体が崩れる」
その目は、冷たいわけじゃない。
ただ、遠い。
「相良」
迅は、珍しく一拍置いた。
「君は、
境界だ」
「……はい」
「だから揺れる。
揺れるのは、悪くない」
湊は、少しだけ救われた気がした。
だが、続く言葉で、その気持ちは消える。
「でも、
揺れたまま前に出ると、
死人が増える」
迅は、そう言って背を向けた。
⸻
帰り道、湊は空を見上げた。
街灯が、星より明るい。
夜は深いのに、闇は薄い。
迅の戦い方は、正しい。
間違っていない。
だからこそ、怖い。
切る人数を変える。
その発想に、感情の居場所はない。
「……俺は、
ああはなれない」
湊は呟く。
前に立つルナでもない。
数で切る迅でもない。
境界に立つというのは、
どちらにもなれないということだ。
その時、また、あの声が聞こえた気がした。
――おめでとう。
湊は、足を止める。
祝福なのか。
それとも、数え終わった後の宣告なのか。
答えは出ない。
夜は続く。
アフター・ダークの中で、
境界は、まだ切られていない。




