表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アフター・ダーク〜境界に立つ者達〜  作者: 楽


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/15

2 先に立つ者

相良湊が「昨日と同じ放課後」を迎えるたび、胸の奥に小さな棘が増えていく。


黒板の文字、窓から入る光、廊下の匂い。

何も変わらない。変わらないのに、自分だけが終わっている。


死んだあとも高校に通い、任務で化け物を処理する。

それが“普通”として続いていることが、湊にはまだ信じられなかった。


「……湊」


前の席のルナが、振り返らずに声を投げてきた。

いつもより少し低い。


「今日、現場、私が前」


「いつも前じゃないの?」


迅が横から淡々と言う。皮肉でも冗談でもない。事実の確認だ。


ルナは一拍置いて、肩だけ動かした。


「今日は、近い」


それだけで十分だった。

近い――つまり、生きている人間の生活圏に化け物が出たということ。

結界が間に合わなければ、誰かが巻き込まれる。


湊は思わず窓の外を見た。

校庭の向こうで、部活の準備をしている生徒が笑っている。

彼らは何も知らない。知らないまま守られる。


守る側は、いつも間に合わなければならない。


「結界、展開」


頭の奥に響いた声で、空気が切り替わる。

監督役の声だ。硬い、冷たい、無駄のない響き。


続けて、もう一つ。


「一年一課。処理区域へ」


その瞬間、湊の意識は“放課後”から“任務”へ落ちる。

体が勝手に動く。制服のまま、鞄も持たず、教室を出る。


廊下には生きている生徒がいる。

なのに、彼らの間を通っても視線が絡まらない。


結界が世界を切り取っている。



処理区域は、駅前から少し離れた商店街だった。


夕方の名残りがまだ空に残っていて、店の看板が明るく点滅している。

通りには買い物袋を提げた主婦や、部活帰りの中学生がいる。

人の声がある。生活がある。


その中に、切り取り線みたいな静けさが走っていた。


結界の内側だけ、音が遠い。


「対象、単体」


迅が小さく言う。

視線の先、シャッターの下りた店の前に、誰かがしゃがみ込んでいた。


背中が見える。

白いワイシャツ。細い肩。髪が長い。

遠目には、落ち込んだ女子高生のように見えた。


湊は胃の奥が冷えるのを感じる。

《残相》だ。人間体に近い化け物。


「……人、多いね」


湊が言うと、迅が即座に返す。


「だから結界が先」


ルナは何も言わず、足先の向きだけ変えた。

前に出る。

その動きに迷いがない。


湊はルナの背中を見て、ふと考える。


この人は、どうして迷わないんだろう。


迷いがないわけじゃない。

ただ、迷いを前に出さない。

迷いを“後ろ”に置いていける。


それが、前に立つ者の技術。


「ルナ」


朔夜の声が、頭の奥で落ちる。


「無理に近づくな。距離を測れ」


ルナが短く返す。


「了解」


返事はそれだけ。

そこに感情が混じらないからこそ、怖かった。



ルナが一歩進むと、しゃがみ込んでいた影が、ゆっくりと顔を上げた。


顔は少女だった。

制服の襟元が少し汚れていて、目の下に薄いクマがある。

生きている人間なら、心配になる顔だ。


少女は口を開いた。


「……ごめんなさい」


その声が、あまりに自然だった。


湊は喉が詰まった。

謝る。謝る、という行為を、化け物がする。

その現実が、ほんの一秒、湊の判断を遅らせる。


「近づかないで」


少女が続ける。


「触ったら、だめ」


ルナは止まらない。

止まらないまま、速度を落とす。

距離を詰めずに、距離を測る。


湊はその“減速”が見事だと思った。

突っ込むのでも、止まるのでもない。

最適な速度に合わせる。


少女の足元が、濡れていた。


水? いや、違う。

アスファルトの上に、光が揺れている。


まるで、そこだけが水面みたいに。


「……溺死系」


迅が小声で言う。死因によって能力が決まる。

そして目覚めきれなかった歪みは、化け物になる。


少女が、笑った。


「そう。だから、触らないで」


その笑い方は、どこか安心しているようにも見えた。

怖いのは、敵意ではなく、納得だ。


「私、戻れないの」


少女は言う。


「だから、先に――」


言葉の途中で、声が歪む。


少女の影が、広がった。

影が、影のまま立ち上がろうとする。


人の形の裏側から、別の形が覗いた。


「距離、十五」


ルナが短く言った。


「……いける」


何が“いける”のか。

湊は一瞬分からなかった。


次の瞬間、理解する。


ルナは“自分が届く距離”を測っていた。

少女の言葉に揺れないように。

近づく理由を作らないように。


前に立つ者は、言葉を聞かない。

言葉の奥の“動き”を見る。


「相良」


朔夜の声。


「背後、確認」


湊ははっとして、周囲を見る。

結界の外側を歩く人々は、相変わらず生活を続けている。


近い。


たった数メートルの差で、世界が違う。


湊は自分の役割を思い出す。

前ではない。支える側だ。


「……外側、通行あり。変化なし」


報告すると、朔夜は即座に返した。


「よし。処理を急げ」


急げ。

その言葉に、湊は少しだけ救われる。


ここでは、急ぐことが正しい。

迷うより、急ぐ方が誰かを守る。


ルナが息を吐いた。


「終わらせる」



少女が一歩踏み出した。


その瞬間、足元の“水面”が跳ねた。

見えない波が、結界の内側を舐める。


湊の足首が冷えた。

冷たいのに、濡れない。


「来る」


迅が言う。

ルナは踏み込む。


最短距離。

最小動作。


ルナの手が振られる。

武器の形は見えない。だが、空気が切れた。


少女は、目を見開いた。


「……あ」


声が、短く途切れる。

胸に“欠け”が生まれる。

欠けは、内側から外側へ広がらない。外側から内側へ閉じていく。


崩れ落ちる少女を見て、湊は歯を食いしばった。

血は出ない。水も散らない。

それでも、胸の中に何かが落ちる。


少女の最後の表情が、なぜか安堵に見えた。


「処理完了」


迅の声は変わらない。

ルナは、少女を見ない。


見ないことで、前に立つ。


湊は思う。

ルナは冷たいのではない。

自分が見てしまうと、次に遅れるから見ない。


前に立つ者は、自分の心を後ろに置いていける。


それは強さだ。

同時に、いつか壊れる強さでもある。


「……ルナ」


湊が名前を呼ぶと、ルナは一瞬だけ振り返った。


「何」


「今の……言葉、聞こえてた?」


少女の「ごめんなさい」。

「触ったらだめ」。

「戻れない」。


ルナは少しだけ目を細めた。


「聞こえてた」


「それで、迷わないの?」


ルナは肩をすくめる。


「迷ったら、遅れる」


それだけだった。


その答えは正しい。

正しすぎて、湊は苦しくなる。



結界が解除されると、商店街の音が一気に戻ってきた。


店の呼び込み。

自転車のブレーキ。

ビニール袋の擦れる音。


少女がそこにいた痕跡は、何も残っていない。


湊は、空を見上げた。

夕方が終わり、夜が始まる。


「今日、近かったな」


迅が淡々と言う。

それは危険だったという意味でもあり、

“いつかもっと近くなる”という意味でもある。


ルナは短く息を吐いた。


「次は、もっと近いかも」


その言葉が、湊の胸に刺さった。

次。もっと。


増える前提。近づく前提。


「相良」


朔夜の声が、頭の奥で鳴った。


「今日の観測、報告しろ」


「観測?」


湊が聞き返すと、朔夜は一拍置いて答えた。


「処理対象が言葉を使った。

 内容、態度、時間。全部だ」


――朔夜は言葉を切り捨てない。

ただ、判断に混ぜない。


必要なものは拾い、不要なものは切る。

その選別が、朔夜の強さだ。


「……『ごめんなさい』って言いました」


湊は報告する。


「『触ったらだめ』とも。『戻れない』とも」


朔夜の返事は短い。


「記録しろ。次も使う」


「使うって……」


「同じタイプが出る」


断言だった。予言ではなく、統計でもなく、確信。

それが怖い。


湊は思う。

朔夜の言葉には、余白がない。

余白がないから、迷う余地もない。


それでも、湊の胸の奥には、別の余白が広がっていた。


少女の安堵。

あれは何だったのか。


「おめでとう」


昨夜聞こえた声が、また耳の奥でかすかに揺れた気がした。

祝福のような、嘲笑のような、どちらでもない声。


湊は歩きながら、ルナの背中を見る。


前に立つ者は、迷わない。

迷ったら遅れるからだ。


なら――境界に立つ自分は、どうすればいい。

迷うことが仕事になる日が来たら、何を守れる。


校門の前で解散する。

「また明日」と、普通の言葉で。


湊は一人、校舎を振り返った。


今日も、何もなかったように一日が終わる。

生きている世界は続いていく。


その裏で、

前に立つ者が、終わらせる。


そして、境界に立つ者は、遅れないように必死で立っている。


湊は息を吐いた。


夜は深くなる。

それでも完全な闇ではない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ