第9話(六)男の心意気
翌日茂蔵は、倅れ勘助を連れ松原家を訪れた。門をくぐり、玄関に向かっている時だった。裏庭の方で人の争う声が聞こえ、驚いた二人は裏に向って走った。
「無礼者、お主らそれでも武士か」
と怒る雪絵の父、正之助の声が聞こえた。見ると三人の若侍が居て、その内の一人が沼田で、雪絵を押さえ、口を塞いでいた。
残りの二人が刀を、父の正之助に突きつけている。慌てて駆け寄る、二人に気付いた正之助が叫んだ。
「来るな帰れ、お主らには関係ない」
巻き込みたくない、正之助の気持ちを察した勘助は、父の手を引き、弓の練習場に走った。勘助は弓と矢を、五、六本掴むと、父をその場に残し、駆け戻り弓を構えた。
「刀を捨てて、出て行け」
勘助が叫んだ!。そんな勘助を、あざ笑うかの様に若侍の一人が、弓を構えた勘助に迫った。勘助がためらわず放った一の矢を、若侍は苦も無く払い落としたが、その時には二の矢が放たれていて、若侍の喉笛を見事射抜いていた。
この早業を見た残った二人は青ざめた。沼田達は、手馴れの放つ矢の恐ろしさを初めて知った。
「汚い手で雪絵様に触るな、うぬを、生かしておいては又、雪絵様に付き纏う、お主を殺して某も死ぬ」
そう叫ぶと勘助は、憎々しげに矢を放った。勘助がいつの間にか、侍の口調になっていたのは、雪絵の夫を夢見て習っていたのか。
慌てて逃げる残りの一人の背に勘助は、正確に矢を放った。
雪絵の父、正之助に眼をやると、一目で深手を負っているのが解った。正之助が弱々しい声で言った。
「人が来るとまずい。お主たちは初めから、ここに居なかった事にする。人目に付かぬよう帰って下され」
そう言って正之助は、弓と矢を受け取った。
「私が名乗って出ます。此の侭では息子を殺された旗本たちは、きっと貴方や雪絵様を仇と狙います」
「それは成らぬ、あと一時も無い某の命だ。若いそなたの命と、代えることが出来れば私は本望だ。早く行ってくれ。只、後に残る雪絵が、酷い目に逢わされないか心配だ」
それまで黙っていた勘助の父が、口を挟んだ。
「今日、お伺いしたのは、雪絵様を倅の嫁にと、お願いに来たのです。お許し頂ければ、今日の内に娶とらせ、他国え逃します」
「そうして下さるか、かたじけない。もう某に思い残す事は無い。もう行って下され」
だが、帰ろうとしない三人に正之助は、入り口を指差した。
皆が入り口を見た、そのわずかな隙だった。正之助は脇差を首に当て引いていた。あっと言う間の最後だった。
雪絵はまだ暖かい父の遺体に、手を合せていたが立ち上がり、気丈に言い切った。
「行きましょう、父上の思いを、無にしてはなりませぬ」
そう言って涙も見せず歩き出した。そんな雪絵の後ろ姿を見て、一瞬勘助は冷たさを感じたが、すぐ雪絵の肩が震えているのに気がつき、雪絵が必死で、涙を堪えているのが伝わってきた。
勘助は本当の武士の、潔い最後を見た。そうしてその娘を。
「私たちは、その夜の内に住み慣れた江戸の町を後にしました。永い旅の末、路銀も使い果たし、この子が十歳の時、貴方がたと同じ様にこの間道に迷い込み、この家の前で行き倒れとなりました。
そんな私達は、この家で一人暮らしをしていたお婆様に助けられ、そのままここに住まわせて戴きました。お婆様も半年前に亡くなり、行く所の無い私達は、そのままこの地に住み付いています」
今度は、それまで黙っていた夫の勘助が話した。
「村の人達は親切で良い所だが、仕事の無いのには困っている。江戸を出て一年目に加代が生まれ、それから十年に及ぶ旅は、親父から商いの元手にと貰った大金も底を付き、親父に申し訳ないと思っている」
又三郎は改めて父親の勘助を見た。この穏やかな初老の男が、雪絵と、その父を守って修羅場を越えた、若き日の弓の達人、勘助と、重ね見ることが出来なかった。
「お父様は仕入れのお金を貯め、村の人の喜ぶ品を仕入れ、行商して歩くのです、私もお金を貯めるお手伝いをしています」
又三郎はこの加代の、ささやかな夢を叶えてやりたかった。次の朝目が覚めた時には勘助と娘の加代は居なかった。
「主人と娘は、茸を町まで売りに行きました。山の多い所です。山菜は珍しくなく、僅かにしかならないのですが」
それを聞いた又三郎は、鰻とりの仕掛け筒を作り、世話になったお礼に上げようと清次を連れ、竹を切りに出て行った。
「お世話になったが、お二人が帰って来られたらお暇する。これは俺達の気持ちだ、仕入れに使って下され」
そう言って源十朗が包みを差し出すと、雪絵は驚いた。
「この様な大金、何のもてなしも出来なかった私たちが、頂くことは出来ませぬ」
「いつも文無しの俺達だが、先日、寺参りの夫婦を助け、お礼に思わぬ大金を貰った。これを元手に娘御の、ささやかな夢を叶えてやって下され」
五歳で家族を失った又三郎には、家族の味は解らないが、一晩お世話になったこの家が、我が家の様に暖かかった。又三郎達はその日の昼過ぎ、この山里を後にした。
ひと昔し前,勘助が雪絵を見初めた様に、又三郎の胸に可憐な加代の面影が棲みついて離れなかった。そんな又三郎の恋も、さすらい者には所詮、一時の夢でしかなかった。
(六)誠の男の心意気
あれは三年前、伝八朗が手傷を負い、やっとの思いで、この長岡の城下に辿り着いたとき、助けてくれたのが、此の地で土木業を営む、信濃組の頭、千恵蔵だった。お礼に立ち寄り、玄関で声をかけると、お内儀のお浜が表れた。
「お久しぶり、貴方は又三郎だったね、大きくなって、あの頃、十六歳だったから、もう十九歳だね」
そう言って、今度は清次に目を向け、貴方は初めてね、と言って、子の無いお浜は、目を細めた。
「今、信濃川の堤防工事が行われていて、三組の請負業者が分担して請負い、三百人ほどの人夫が必要になっています。今は農家も取り入れで忙しく、人夫の取り合いで揉め事がたえず、主人の身が心配です」
「それならば又、それがし達を雇って下され」
その時、親方の千恵蔵が帰ってきて言った。
「手伝って貰えば助かるが、土手の大工事が始まり、人手が足りなくなって、どこの組みも困っている。大手の請負業、山神の武蔵は、岡っ引きの徳松を飼いならし、人手集めに使っている。俺の組は無宿の方や浪人さんと、持ちつ持たれつで、お互い助かっていた。徳松は俺の現場で働く無宿の人達に目をつけ、無宿者と言うだけで捕へ拷問にかけ、叩いても埃の出ない者は、山神の武蔵が受け人となり引き取り、恩を押し付け、只同然で使っている。山神の武蔵は、永い間この地の土木工事を牛耳って来た男だ。後から参入した俺の組が邪魔になりだした。武蔵が普請奉行の磯貝様と攣んで、俺の組を潰そうと企んでいるのが解っていても、俺には手も足も出ない」
千恵蔵は悔しそうにそこまで話し又続けた。
「飯場で、めし炊きをして貰っている小夜様の御主人、月之助様は、母と小夜様、それに二人の子供を連れ、俺の所に流れてこられ、やっとこの地に根を下ろされたのに、岡っ引きの徳松に目を付けられ、拷問の末、命を落とされた。徳松の魂胆は、月之助様を山神の現場に連れて行くことだったが、俺に恩義を感じていた月之助様は、それに応じなかった。徳松は自分に従わぬ月之助様を死ぬまで叩いた。 俺と小夜様で、月之助様のご遺体を引き取りに行ったが、それは酷いものだった」
「母上や子供には、辛くって会わせられない」
「小夜様がご遺体に縋り、そう言って泣かれた。月之助様は下女を手討ちに、しようとした殿をいさめ、それが殿の感に触れ、追放された。その様な立派なお方を・・許せん」
その時の惨い光景を思い出したのか千恵蔵は唇を噛んだ。




