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掃き溜めの明かり  作者: 萩原伸一
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第53話

「又三郎、旅の仲間のことを思い出したのか。道場も心配だろう。帰ってもいいぞ。あと始末は俺一人で充分だ。任せてくれ」

「はい、明日ご家老と話し合われるでしょう。その結果を見て帰りますが、後をお願いします」


翌朝、夜明けを待って白藤は、家老の私邸を訪ねた。


「朝早くからのご無礼をお許し下さい。主膳の不正の被害者である数名の証人と、私を襲った刺客の頭を捕えました」         

「よくやった白藤。後は身供達の仕事だ。これでお家の大事は救われるぞ、沙汰が有るまでしばらく待ちなさい」


白藤は成り行きを案じて待つ貴子を思い、急いで帰った。


「ご家老次第だが、少なくとも、我が家の取り潰しは免れただろう。


又三郎、世話になった」     


「良かった。私はこれで板橋に帰ります。残党の仕返しに備え、龍之介さんが残ってくれます」

「そうか、いつまでも居てほしいが、お主も道場が心配だろう」


そう言って白藤と貴子が、高崎の外れまで送ってくれた。


「又三郎、何か望む物はないか、礼がしたい」                                                          

「龍之介殿の奥様は、夫が浪人したのは自分の父の責任と感じ、龍之介殿の仕官を、せつに願っておられます。叶う事なら奥様の願いを、叶えて上げて下さい」

「白藤家の家臣で良ければ引き受けた。俺に見切りを付け、鎌田に寝返った家来がいる。奥様に伝えてくれ、必ず迎えに行くと」


又三郎はほっとした。浪人が溢れている今日、よほどの機会に遭遇しなければ仕官など、夢のまた夢だった。


「身供は龍之介殿が来てくれれば心強いが、又三郎は大変だろう」

「はい、危ない仕事は龍之介殿が引き受けてくれました。だが、このまま板橋に居ては、いつの日か奥様を悲しませる日が来る様な気がします」

「又三郎は優しいなあ、訓えてくれぬか、あの証人に残した曲者をお主ならどう扱う」

「あの男を、このまま葬り去るのは惜しい気がします。ご家老に頼んで、貴方が処分を任せて貰えたら良いのですが」


 そう言った又三郎は、貴子が淋しそうにしているのに気がついた。


「貴子様、お幾つになられた。こんど私がこのお屋敷をお尋ねする頃には、どこかの若様の所に、嫁がれて居られるでしょうね」                 

「兄上、又三郎と少し話が有ります。兄上は先にお帰り下さい」         「お!邪魔者は消えるか。又三郎、世話になった。落ち着いたら遊びに来てくれ」    


そう言って白藤が帰って行くと、貴子が厳しい顔をした。            


「又三郎、雪路殿とは、どの様な関係です」            

「雪路殿を知っているのですか?、私は何度も女の人に心を奪われたが、思いを遂げたことは一度も無い。雪路殿もその一人です」  

「貴子は一度、草薙道場の前まで行った事があります。そのとき又三郎が雪路殿と、楽しそうに稽古をしているのが見えました。貴子は何故か腹が立ち、声もかけず逃げて帰りました。あの時、私に縁談が有り私は迷っていた。その時なぜか又三郎に聞いてほしかった」

「お会いしたかった。それでその御縁はどうなりました」

「その方は、お台所方に仕えて居られる、新吾様です。、新吾様が私を見初めて下さいました。貴子には過ぎた良いお話しですが、貴子が胸に抱いていた殿方とは違っていました」                                                                    


 貴子にとって二年前の又三郎との出会いは、世間知らずの貴子の胸に、強烈な野人の印象を植え付けた。


「貴子が気心の解っている殿方は、兄上の外には、ほんの僅かな出会いでしたが又三郎だけです。それで又三郎の考えを聞こうと尋ねたが、雪路殿と楽しそうにしている又三郎を見て、なぜか私は惨めな気持ちで帰りました。それからすぐ、あの災いが起きて兄が斬られ、お役を解かれ、落ち目の白藤家を家来までも見限り去って行く中、手慣れでもない新吾様が、兄上の助っ人を申し出てくださり、又、貴子を心配してご両親が、貴子を家に預かると申し出て下さりました。  


貴子は初めて人様の真心に胸を打たれました。一時、流れ者に貴子の心の揺れたのは、熱病の様なものだったと今は思っています。今回の災難で遅れていましたが、来月に輿入れ致します」

 又三郎は何か大切なものが、自分の知らぬ間に、まるで過ぎ去る美しい景色の様に遠ざかって行ったと思った。又三郎は取り返し様のない未練を打ち消す様に貴子に言った。


「お目出とう貴子さま、美しい話を聞かせて戴いた。私の父や、供に旅をした仲間は、それぞれ大切な人を守って妻も娶らず、逝きました。出来れば私も妻は娶らず、道場の炉の火を見て、頼って来てくれた人たちを守って生き、死にたいと思っていますが、貴子様の様な素晴らしい人に出会うと、その立派な志もすぐ消てしまう。私はその程度の男です」                                 


 二年前、この近くの川原で(まむし)に噛まれ、草むらで倒れていた時だった。薄れ行く意識の中で、初めて貴子を見た。死んで行く自分の前に、菩薩が姿を見せてくれたと、あの時は本当にそう思った。いま又、又三郎は、貴子が菩薩の様に遠い人になってしまった。


「又三郎、有り難とう。貴子を忘れないで」


そう言って貴子は遠ざかって行った。忘れないでね、と言った貴子の言葉が又三郎には、貴子が自分の手の届かぬ遠い所に行くと、言っている様に聞こえ寂しかった。   

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