第47話(十一) 純愛
(十一) 純愛
道場は蘇った。村木と雪路の、人当たりの良い指南ぶりに、門弟も十五人を超えた。この中には、先ほど手柄を立てた大助もいた。
気楽に道場を訪れる客も増え、正に(春風満杯)である。道場の土間に焚かれた炉の火を見て、頼って来た人達の為に始めた、口入れ屋稼業も、井戸徳が大勢の人夫を引き受けてくれ、順調だった。
物心の付いた時から、浮き草の様に流れて来た又三郎には、思いもよらない毎日だった。
供に旅を続けて来た伝八朗、変わり者の清次、この道場を託して逝った草薙源十朗、彼等が生きていたら、どんなに喜ぶだろう。
雪路の下男の平助は、井戸掘り人夫の頭として働いている。平助は金が欲しかった。何もかも失った雪路に買って上げたい物が山ほど有る。今日は井戸掘りが休みで、珍しく平助は道場にいた。
「又三郎様、手合わせを願いします」
立会いを申し込まれた又三郎も、平助が相手だと少しの油断も出来ず、疲れて一本取られた。見ていた雪路が激しい口調で咎めた。
「又三郎殿、平助が相手では不足ですか、もっと真剣に相手して上げて下さい」
又三郎は手を抜いた訳ではなかった。伝八郎から受け継いだ、生き抜くための又三郎の剣は、道場での仲間同士の立会いには力が出なかった。その時君枝が来た。
「饅頭を持ってきた。茶を沸かすから一休みなさい」
そのとき雪路は、又三郎の袴のほころびに、気ずいた。
「篝ります。袴を脱いで下さい」
「自分でできるから、気を使わないで下され」
「男のする事では有りませぬ、脱ぎなさい」
雪路は年上とわゆえ、恩人の又三郎に命令する様に言って袴を脱がしにかかった。雪路は又三郎に、いつの間にか弟の様に命令的だったが、それは自然で、又三郎も悪い気はしなかった。
「そうしていると又三郎と雪路は、似合いの夫婦の様だね。二人とも所帯を持っていても、不思議でない年頃だ」
いきなり君枝にからかわれ、又三郎は言葉が出ず、雪路は恥らう様にうつむいていた。
「お前さん達も、本気で考えたらどうだ。又三郎、江戸中探しても、雪路ほどの嫁御は居ないぞ、不服を言っていたら罰が当たるぞ」
その夜、又三郎は寝付かれなかった。もしかしてあの雪路が、自分の妻に、又三郎はそんな甘美な感覚に舞い上がっていた。
よく朝、前の広場で無心に木太刀を振る平助が目に入った。
きのう君枝が話した時、平助も側で聞いていた。無心に剣を振
る平助を見て又三郎は、ハッとした。波太郎を思い出したのだ。軽輩の波太郎が命がけで凛姫を守り抜いた。凜は自分に尽しても何んの報いも無いのに、命を賭けて守ってくれた、足軽の波太郎を選んだ。
又三郎は急に自信が無くなった。先ほどまで舞い上がっていた気持ちの高ぶりが、萎えて行くのがわかった。
又三郎は土間の奥の小部屋で寝起きしている。その夜、又三郎は寝付かれなかった。又三郎は土間に誰かが入って来る気配を感じた。
「雪路です。夜中に申し訳ありません。どうしても聞いて戴きたい話が御座います」
こんな夜中に雪路が訪れたのは、やはり自分の予感が当たったと思った。雪路にとって又三郎は命の恩人である。又三郎に申し込まれれば断り辛いだろう。それゆえ先に、平助えの想いを伝えに来たのだろう。炉にはまだ火種が残っていた。薪を追い足しながら、又三郎が助舟を出した。
「君枝さんが心配して勧めてくれたが、余り気にしなくていい」
「申しわけ有りませぬ。不満が有ってお断りするのでは御座いませぬ。ですが雪路は・・・・」
「雪路どの、君枝さんから、あの様な話を聞かされ、私は一時、我を忘れたが、気にしないで下され」
「平助は僅かな恩を忘れず、闇討ちに遭った父の仇を討ち、私を庇って死んだ母の仇も討ってくれました。故郷の仙台を逃れてからも、何度も命がけで守ってくれました。今度は雪路が平助に、尽して上げたいと思います」
「雪路殿も平助殿も立派だ。それに引き換え私は、幼い頃からいつも飢えていた。そのため貧乏癖が付き、姑息で計算高くなった。
それに年頃の娘御を見ると、すぐ好きになる軽い男だが、だが心配なさるな立ち直りも早い」
翌日又三郎は、君枝の雑貨屋を訪ね、いきさつを話すと、
「うかつだった、お前には悪い事をした。だが雪路も偉い。二人の住まいも考えて上げなければ」
雪路と平助は、道場の裏にある部屋を使っている。雪路を主と敬う平助は、雪路との同部屋を拒み、道場の板間で寝起していた。
半蔵兄妹が、井戸徳の養子になり、半蔵の家が空いた。雪路と平助には、この家を貰って上げた。




