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掃き溜めの明かり  作者: 萩原伸一
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第43話

「この様な貧乏な家の娘を嫁にと望まれ、驚きました。誠に申し訳御座いませんが、志乃は他から縁談を貰っています。せっかく来て戴いて申し訳ご座いません」          


志乃の母は、申し訳なさそうに断った。                                


「志乃の家から帰った父は、志乃はお前の所に来る気は無いだろうと、労わる様に言ってくれたが、それでも私は何かを期待して待った。十日ほど過ぎ、堪らず団子屋に行くと志乃は、せっかく私の様な者に、お話を下さったのに申しわけ御座いません、と詫び、貧しい浪人の所に嫁ぐと話した。私はこの時はじめて、自分が志乃の眼中にないことがわかった。それからの私は荒れた」                


右衛門は、食うにも事欠く、食い詰め浪人の所に嫁ぐ、志乃が憎かった。だがそれでも右衛門は志乃を忘れられず、その憂さ晴らしを遊興に走った。


「そんな時だった。厳しい道場の暮らしに耐え切れず、家を飛び出して来た、草薙源十朗と出会ったのは。顔見知りだった私達は、すぐ遊び仲間となった。源十朗と居ると怖い者は無かった。道場で生まれ育った源十朗は、棒切れ一つ持てば、誰も敵う者は居なかった。源十朗は何時も文無しだったが、私は金は持っていた。お互いに持ちつ持たれつで、江戸の盛り場を遊びまわっていた。ある夜の事だった。飲み屋を出て少し歩いた所で、忘れ物をした源十朗が飲み屋に戻った。その時、事は起こった」                                

「何をなさる、無礼は許しませぬぞ」


 突然、武家娘と思われる女の、燐とした声が聞こえた。見ると、按摩姿の盲目の娘を、三人の若い武士が取り囲んでいるのが見えた。


「夕子どの、按摩などしなくとも俺たちで、仲間で囲ってやると言っているのだ」

「無礼な!、夕子はたとえ、遊郭に身を落しても、そなた達の様な、下司の世話にはなりませぬ」

「それを聞いた私は、按摩に身を落とし、それでもなを誇りを忘れぬ、夕子と名乗った盲目の娘を見て、志乃を思った。志乃は名主の倅の自分に見向きもせず、貧乏な浪人に嫁いだ。私はこの時、初めて自分が志乃を嫁にするだけの男でなかった事に気がついた。そうして私は、初めて何の打算も無く、この盲目の娘を守りたかった。


この頃の私は、懐に匕首を忍ばせていた。少し待てば強い源十朗が来る事は分っていたが、私は匕首を構え、夕子に狼藉を働く侍の背中に体当たりして行った。匕首は若侍の背に深々と突き刺さり即死だった。私は少しの罪悪感も、感じなかった。残った二人の侍が、

思い直した様に慌てて刀を抜いた。私は斬られると思ったが、不思議に恐怖は無かった。その時の私は、大切な人を守って死んで行く、潔ぎよい武士の最後の様な心境だった」

 右衛門はそこまで話し、一息ついてまた続けた。


「そのとき駆け寄ってきた源十朗は状況を察して、残った二人を斬り、私に急かせる様に言った」

「右衛門、お前は早く家に帰れ。この辺りで俺達は顔を知られている。明日には役人が、お前を捕らえに来るだろうが、斬ったのは俺だと言え、俺はこのまま旅に出る」


 源十朗はそう言ってくれたが、俺はそんな気になれなかった。                     「事の発端は俺にある、俺が三人を斬ったと番屋に申し出る」


「馬鹿野朗!お前が捕まれば、俺は必ず疑われる。お前が三人の侍を斬ったと誰が信じる。お前は名主の息子だ、失うものが有る。俺


は前から旅に出ようと思っていた。ただこんな俺でも想ってくれた君枝に、訳も言わず出て行くのは辛いが、俺にはもう君枝を貰う資格は無い。父上と君枝を頼むぞ」


「こう言って源十朗は私の罪を背負い、旅立って行った」


 そこまで聞いた君枝は、足の力が抜けて行くのを感じ、慌てて踏ん張った。三十年前、突然自分の前から消えた源十朗の謎が、いま初めて解けた。傍で聞いていた又三郎も、思いは同じだった。名主右衛門が、見ず知らずの他所者の自分を庇ってくれた謎も解けた。一息ついた右衛門が、また話を続けた。


「それから半年が過ぎたある日、突然あの時の、目の不柔な按摩の夕子が尋ねてきた。玄関に出た私は、あの夜、夕子と名乗った娘だと一目でわかった」

「按摩の夕子と申します。私に見覚えは御座いませぬか」

「心配していましたぞ、よくここが解りましたね」

「やはりあの時の・・その節は、何の係わりも無い私をお守りくださり、有難う御座いました。早くお礼に伺がわなければと気は急いていたのですが、あの時、余りの屈辱に気が動転していて、お名前も聞かず失礼しました。十日ほど前、何かの弾みで、旅に出られた方が言われた、「お前は名主の息子だ」と言う言葉を思い出し、やっと、お伺いする事が出来ました」

「そうでしたか、あれから私の罪を背負って旅に出た、友の源十朗からは、何の便りもありません」

「そうですか、ご無事だと良いのに。私はあの時、恥ずかしく取り乱しておりました。あの方が源十朗様と言われるのですか、お名前も聞かず、御礼も言わず、後悔していました」


 夕子は明らかに武家育ちだが、それには触れず、家族に災いが続き貧乏で、この様な立派なお屋敷に持ってくる、お礼の品が買えなかったと詫びてから。


「右衛門さま、腰を揉ませて下さいませぬか。目しいの私には、それ位しか出来ませぬ」

「私は、肩は懲らない。その様な気遣いはなさらないで下さい」

「ならばご両親に、揉ませて下さる様、お願いして下さい」 

「私が父と母に話すと、喜んで応じてくれた」


両親は、入ってきた夕子を見て驚いた。粗末な身形はしていたが、一目で自分たちが、腰を揉ませる様な娘でない様な気がした。


「ご子息に、お助け戴いた夕子と申します。お礼に伺ったのですが、何の持ち合わせも無く、恥ずかしい限りです。未熟ですが少しの間、ご辛抱願います」

「お嬢様、そんな気遣いは無用です。困り者の倅だが、本当にお役に立てたのですか」               

「立派なご子息です。私の様な按摩風情を、命を賭けてお助け下さいました。でもご両親は心配でしょう。立派が故に、取り返しのつかぬ災いを招く事も、ございます」


 右衛門の両親は、少し言葉を交わしただけで、夕子と名乗ったこの娘の辿った生い立ちが、解った様な気がした。     

(立派ゆえ、災いを招く事もある)と言った夕子の言葉には、味わった者でなければ表せない、実感がこもっていた。

 声を頼りに手探りで、主人の肩に掴まり、肩を揉み始めた夕子の、焦点の定まらぬ真剣なまな差しが、右衛門の母お園には、儚げで愛おしたった。夕子は二人の体を丁寧に揉みほぐした。


「未熟な私に、お付き合いくださり、有難う御座いました。もう、お目にかかることも無いと思います。どうか、お体を大切になさって下さい。」


 夕子の手を取り、玄関まで送る母のお園は、ほんの一時の出会いだけの夕子との別れが、不思議と淋しかった。


「少し待って、右衛門に送らせます、お家はどこ」

「市ヶ谷です。一人で帰ります。お礼に伺って、お世話をお掛けする訳には参りませぬ」


 右衛門が、夕子の杖の先を持ち行こうとすると、母が咎めた。


「右衛門、手をつないで上げなさい」


不器用な右衛門に、母のお園が助け舟を出した。お園は夕子との縁を、このまま終らせたくなかった。

右衛門は、そっと夕子の手を握った。夕子の手は柔らかく暖かかった。右衛門に手をひかれた夕子は、幼い頃、今は亡き父母に手を引かれ、観音様にお参りした時を思い出し、久しぶりに幸せな時を味わっていた。その時だった。

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