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掃き溜めの明かり  作者: 萩原伸一
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第42話

「可哀想うにあの娘、悪太郎に目を付けられたらしい」


 幸一郎の側で、干し魚を売っている小母さんが呟いた。


「あ奴は、悪太郎と言うのですか」

「親が付けたのは太郎だろうが、人はみな悪太郎と呼んでいる」


小母さんがそう言った時だった。


「傍にこないで下さい。お客様が怖がられます」


堪りかねた忍の、燐とした声が響いた。


「姉ちゃん、面白いこと教えてやる、来い」


 悪太郎は山菜を蹴散らし、忍の手を掴み、どこかに連れて行こうとしている。連れて行かれたら大変だ、幸一郎は思わず飛び出していた。飛び出ては見たが幸一郎は、人と争った事が無かった。  

頭をさげ、悪太郎の懐を目がけ突っ込んでいったが、喧嘩なれした悪太郎は軽く交わし、幸一郎の尻を蹴った。尻を蹴られ、四つ這に倒れた幸一郎だが、恋焦がれた忍の前で、こんな不様なままでは終れない。飛び起きて又突っ込んでいったが、相手の身体に届くまでにまた殴り倒された。それでも幸一朗は勇敢に何度も挑んでいった。夢中で痛さは感じ無かったが、最後は立ち上がれなくなった。

倒れている幸一郎を、まだ蹴ろうとする悪太郎の前に、忍が立ちはだかった。


「これ以上乱暴なさると、お役人に訴えます」


 そう言って悪太郎を睨みつける忍の姿は、幸一郎には、近寄り難いまでも気高く映った。それに引き替え不様に、地面に伸びている自分が情けなく、この場を逃げ出したかった。                      

忍の気迫に押され、人だかりも出来たので悪太郎も消えた。


「私の為に酷い目に遭わせてしまいました。ごめんなさい」


 南瓜の様に醜く腫れ上がった自分の顔を、忍に拭いて貰いながら幸一郎は、今日ほど己の非力を悔んだことは無かった。忍が手拭をすすぎに、池の水辺に降りた隙に、幸一郎は逃げて帰った。

 幸一郎の居ないのに気がついた忍は、驚いて辺りを見回したが、どこにも幸一郎の姿は無かった。 

決して強くはなかったが、誰一人、止めてくれない中、勇敢に悪太郎に立ち向かい、守ってくれたあの人に、礼を言いたかった。

 二日ほど過ぎた日、幸一郎は、嫌な予感がした。        

あの悪太郎が、このまま忍に何もせず、済ますとは思えなかった。  

急に不安を覚えた幸一郎は、急いで忍の商いの場所へ駆けつけると、いつもの様に商いをする忍が居た。自分の思い過ごしかと、ほっとした時だった。斜め向かいの人目に付きにくい所に、悪太郎の姿を見た。忍が帰り支度をはじめ、残った山菜を近くで商いをしていた人に配り、帰り道についた。

やはり予想どおり悪太郎は、忍の後を付けはじめた。悪太郎の腹が解った幸一郎も、その後をつけた。途中幸一郎は、手ごろな棒を探しながら歩いた。先日ひどい目に会ったので、今日は棒を用意したのだ。忍が人通りの少ない、竹薮の側を通りかかると悪太郎が襲い掛かった。

悪太郎は忍を横抱きに藪の中に消えた。一瞬の事だった。

 藪を少し入った所で悪太郎は、忍を下ろし押さえ込んだ。男の強い力に、これまでと思った忍は抵抗を止め、帯の間に手をいれた。

 その手には、この様な時のためか、母が案じて持たせてくれた、七寸ほどの懐剣が握られた。                

夢中で忍の肌を探っている悪太郎の首の後に、忍は懐剣を構えたがためらった。その時、忍び寄る幸一郎が目に入った、忍は幸一郎が殺されると思い、もう迷いは無かった。夢中で懐剣を首に突き立て引いた。驚くほどの赤血が吹き出し、忍の顔を染めた。

 一瞬、幸一郎は何が起こったか分らなかった。忍は顔に、まともに返り血を浴び、目は見開いていたが、ピクリとも動かなかった。 

忍が殺されたと勘違いした幸一郎は、夢中で悪太郎の頭に棒を何度も振り下ろしたが、悪太郎に何の反応も無く、初めて殺されたのが悪太郎と解り、幸一郎は自分の間抜けさに腹は立った。


「忍さん、大丈夫ですか」


 幸一郎は、初めて忍の名を呼んだ。放心した様に動かない忍の、返り血を拭いながら幸一郎は考えていた。こんな悪い奴でも殺せば、何年かの遠島は免れないだろう。幸一郎は腹を決めた。


「貴女は人目に付かぬ様う、家に帰りなさい。この男は私が殺した。後の事は私に任せ、今日の事は忘れてしまいなさい」


 その時、忍が意外と落ついた声で言った。


「それは成りませぬ、貴方は名主様のご子息と聞きました。貴男が捕らわれれば、お家は大変な事になります」

「私はこんな奴の為に、裁きを受け、一生を棒に振る様な弱虫ではない、最後まで見ていて下さい」


 幸一郎は自分が、この様な修羅場でも不思議に落ついているのに驚いていた。忍の為なら、たとえ刑場の露と消えても悔いは無いと、本気で思った。


「早く行きなさい。どこで会っても、知らん顔で居なさい」


 忍は追い立てられる様にその場を離れていった。

ここまで話した下男の仙太は、大きくため息をついた。


「仙太さん良く話してくれた。忍さんも決して恥じることはしていない。御家人達は、前に忍さんを助け殴られた幸一郎を見ていて、幸一郎が仕返しに、悪太郎を殺したと推測したのだろう」


そこまで話した時だった。名主の右衛門が龍之介を供ない、近づいて来た。


「又三郎、話は上手く行った。龍之介殿のお陰だ。すまんが幸一郎は、もう少し預かってくれ、まだ嫁の問題が残っている」

「仙太さんから聞いたが、幸一郎殿は立派なご子息だ。相手の忍さんも、名主様の様に身分の有る人から見れば、貧乏な山菜売りの娘だが、私などは、名主の奥さまに成られても、誰にも引けを取らぬ、しっかり者で、親孝行な人だと思います」


物心ついた時から家族を知らない又三郎は、何代も続いた名主の家の事にこれ以上、何も言えなかった。そのとき雑貨屋の君枝が近づいて来るのが見えた。


「あら!名主様も来ておられたのですか」

「君枝か、お陰で倅の事はひと安心だ、寿命が縮んだわ」。

「名主様、幸一郎様が帰って来られたのに、元気が有りませんね」

「・・又三郎に息子の嫁の事で意見され、我ながら情けなく、落ち込んでいる」


右衛門は、倅が嫁に欲しいと言った忍を、生まれた時から知っていた。又三郎に言われなくとも、忍が良い娘である事は、右衛門が一番良く知っていた。だが、恵まれて育った右衛門にも、哀しく辛い、青春の思い出が有った。


「君枝、今まで隠していたが、私はお前や源十朗には、返しても返し切れない借りが有る・・・今まで何度、話してしまおうかと思ったが、打ち明けられず三十年が過ぎてしまった」


三十年前、右衛門はは恋をした。奇しくもその相手は、倅の幸一郎が恋をした忍の母(志乃)だった。そのころ志乃は、馬市の団子屋で働いていた。


「志乃を見初めた私は、毎日の様に団子を食べに通い、志乃と親しくなった。私は愛想よくしてくれる志乃に、自分はいずれ名主の後を継ぐ身だと話すと、志乃は驚いて、右衛門様は私とは、住む世界が違うのですね、と羨ましそうに言った。その頃の私は若かった。それだけで志乃が私を、想ってくれていると勘違いした」


 いつの間にか、幸一郎が側に来て、父の話を真剣に聞いている。


「私は名主の父が、志乃を貰いに行ってくれれば、志乃は喜んで嫁に来てくれると思い上がっていた。私は父を説得することだけに夢中になり、やっと父の許しを得て団子屋に駆けつけ、志乃を嫁に迎える事を、父が承知してくれたと、得意になって志乃に話した。だが志乃の答えは意外だった」                 

「その様な大切な事を突然、言って下さっても困りします」    

「その日は客が立て込んでいて、それ以上話せず、私は断られた事にも気付かず家に帰り、父に志乃を貰いに行ってもらった」                   


志乃の両親は、突然訪れた名主夫婦に驚き慌てた。          

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