第4話(二)野良犬の誇り
(二)野良犬の誇り
あれから五年、伊勢松坂から山田に通ずる参宮道を、十歳に成った又三郎を連れて歩む、伝八朗の姿があった。なん度か追手と剣を交えたが、もう本気で追ってくる者は居なかった。だが、五年の歳月は、親が持たせてくれた大金も、二人の宿代と飯代にみる間に減り、旅なれない二人は、残っていた路銀を盗られてしまった。
あの辛い別れの際、又三郎の父が言った様に、手形も持たぬ流浪の旅は、武士の誇りを捨て切れぬ伝八朗には辛かった。
宇治山田の手前を流れる宮川の土手で、漁師小屋を見つけ、今夜のねぐらに決め、どこかで盗ってきた芋を焼き又三郎に与えた。
「又三郎、仕事を捜しに行く、ここを動くでないぞ」、
そう言って伝八朗は、仕事を求めて町にに出た。口入れ屋や、大工の棟梁など訪ねたが、流れ者を雇ってくれる所は無かった。
秋も深まり、子連れで野宿も出来なくなるだろう、貯えが無ければ、この冬は越せない。その焦りが伝八朗の目を、獲物を求める野良犬の目に変えていた。
伝八朗は金子を奪うつもりだが、目指す獲物が見つからない。伝八郎は今もまだ、武士の誇りは捨てきれなかった。そのため、只の物盗りには成り下れず、金品を奪っても気が咎めぬ、都合の良い獲物は簡単には見つからない。
疲れて大きな料亭の前で休んでいると、武家用の立派な駕籠が横づけされ、身分の有りそうな年配の侍が、籠に乗った。
その侍は頭巾で顔を隠し、二人の供侍が油断なく辺りに気を配り警護している。伝八郎は金子を巻き上げても、気が咎める様な相手ではない様に、勝手に思うよ様にした。
籠が動き出し、後を付けようと立ち上がった時、少し離れた物陰から三人の人影が現はれ、籠の後を付け出した。二十二、三の娘と、十代の弟らしい少年、それに下男らしい男が居た。
しばらく伝八郎も、その後から付けて行くと、三人は木陰で身支度をはじめた。その様子に只ならぬものを感じた伝八郎は、そっと三人に忍び寄り、三人の様子を伺った。
「新之助、亡き父母のお導きか、この先は私たちが生まれ育った屋敷の有る所です。隙を見て姉上が斬り込みます。供の者が姉上を斬る間に、新之助は命を厭わず籠の鬼頭を襲うのです」
三人の会話を盗み聞いた伝八郎は、そっとその場を離れた。
{敵討ちだ}五年前、国光君を斬り、幼い又三郎を連れ旅立った頃が思い出された。
伝八郎は何故かこの姉弟が、あの時の自分達に似ている様に思え、犬死させてはならぬと思った。籠の侍から金子を奪う、段取りが狂ったと思ったが、これで都合良く、籠を襲う大儀が出来た。
松山新之助と姉の冴子は、この少し先の宮町で育った。
冴子が十八の時だった。籠の侍、鬼頭が、冴子の母、秋代に横恋慕して言い寄った。藩の実力者の鬼頭は、自分に従わぬ者には容赦しない、恐ろしい男と、秋代は聞いていた。
母の秋代は貧しい浪人の家に生まれ、若くして中風で倒れた父上に代わり、家族を養ってきた。その為、人にも言えぬ恥ずかしい仕事も厭わず働いた。そんなときだった。冴子の父、誠と出会ったのは。誠が友人に誘われ、水茶屋に行った時だった。
遊び慣れた友人は、まじめ一途の誠に、遊女には珍しい、優しい秋代を紹介した。水茶屋は初めての誠は、艶やかな秋代を前に、どう接したら良いのか、戸惑うばかりで格好が付かず、やむなく好きな鯉釣りの話しや、裏庭の畑の話をして時を過ごした。
そんな誠の面白くもない話を、秋代は真剣に聞いてくれ、秋代も、浪人の父が家計を助ける為、鰻やフナを良く捕ってきて食べさせて下さったと話し、小さい頃、父にねだって川や山によく連れて行って貰ったと話した。
「その父上も中風を患い、寝たきりになってしまいました。もう、あの頃の様な素晴らしい暮らしは、私の様な汚れきった女には、二度と来ないでしょう」
そう言って秋代は寂しく笑った。そのときの秋代の、儚げで淋しそうな顔が、誠の脳裏に焼つき離れなかった。水茶屋の女など、住む世界が違うと、思いきって居た誠だったが、秋代に逢い、秋代こそ、己が夢に抱いていた女姓像である事に気ずいた。
誠は無性に秋代を嫁に欲しくなった。だが秋代が、自分の様な泥臭い男の元え嫁いで来てくれるか自信がなかった。難問はそれだけではない。微禄とわゆえ、代々続いた武家の家柄だ。両親が承知してくれないと思い込み、言い出せなかった。
一月が過ぎてもその思いは変わらず。思い切って父母に相談すると、両親の意見は意外だった。
「それほど想うなら、お前の好きにすればよい。私の歳になると、我が人生で後悔する事は山ほど有る。人生など過ぎてしまえば、あっと言う間の陽炎の様なものだ。お前には出来る事なら、後悔しない生涯を送って欲しい」
「お許しを戴けるのですか、本当に」
「自分で考えて決めろ。人並みの妻女を迎えれば、大した苦労には遭遇しないだろうが、その人を迎えるからは、相応の覚悟はしておけ、何が起きてもその人を責たり、妻に迎えた事を後悔しない自信が有れば、貰えば良い」
誠は父が、こんなもの解りの良い人とは思っていなかった。それ
だけに身が引き締まる思いがした。数日後、秋代の働く茶屋に出向
いた両親は、一癖ありげな女将と向き合っていた。
「某は、松山清次郎と申す。倅の誠が、そなたが預かっている秋代殿に惚れ申して、嫁に欲しいと言っている。秋代殿は素直で優しい方と聞き申した。それは一重に女将の、そなたの人柄から学んだことだと思う。そなたも秋代殿を手放すのは大変だろうが、秋代殿が倅の嫁に来てくれる様、説得して下さらぬか」
「その様に、お武家様に頭をさげられては困ります。ごらんの通り、海千山千の私です。ここに来た娘たちを、商品ぐらいにしか思って居ません。貴方様に礼を尽くされ、正直、戸惑っています。この様な所の女を迎えれば、ご子息は大変な苦労を背負われる事に成りますが、秋代の気持ちを聞いて参ります」
女将が奥に消え、しばらくして秋代だけが表れた。
「秋代で御座います。ご子息の誠様には、一度しかお会いしていませぬが、秋代に釣りのお話をして下されたので、良く憶えています。
私は事情が有って、嫁ぐ事は出来ませぬが、私の様な女を、大切なご子息の嫁にと求めて下された、ご両親のご好意は、秋代は生涯、忘れは致しませぬ」
「事情は誠から聞き申した。今のままでは充分、父上の御世話も出来ない。父上にも来て戴き、家でお世話をして上げなさい」
この誠の父の言葉は、秋代にとって夢の様な話しだった。
それから十五年、冴子と新之助が生まれ、秋代は誰もが羨む、貞淑賢母を貫いてきた。だがその、近寄り難いまでも清楚で美しい秋代の、意外な過去を知った藩の実力者の鬼頭が、秋代に目をつけた。
欲しい物は、どんな卑劣な手段を用いても手にする、鬼頭の術中に、秋代は落ちた。
「城中にも、お前を抱いた事の有る者がいる。今は身共が、その者達の口を封じているから良いが、身共に従わなければ、その者達がお前を抱いた時の様子を、城中に言いふらすだろう。そうなれば代々続いた松山の家も、お前のために終わりだ」
鬼頭はそう言って、秋代の心を揺さぶった。現実に城中にも、過去に秋代を抱いた者も何人か居る。自分を此の家に迎え入れたばかりに松山の家が潰れる。浪人の家に生まれた秋代には、禄を失った武士の惨めさを、誰よりも知っていた。
何とかして食い止め、松山の家は守らねば成らぬと、秋代は決心した。その思いが一度だけの約束で身を許した。だがそれは甘かった。二度三度と呼び出され、これ以上夫を裏切る辛さに堪られず、鬼頭の呼び出しに応じなかった。
しばらくして城中に、耳を覆いたくなる様な噂が流れ、誠の耳にも届き出し、秋代は精神的に追い詰められ、鬼頭と刺し違え、死んで詫びるしか無いと思い込み、鬼頭に斬り付けた。
「秋代、うぬはまだ俺様よりも誠が良いのか。許さぬ、無礼打ちにしてくれる」
秋代には、こうなる結果は解っていたのか、遺書が残されていた。
(松山の家を守りたい一心で、貴方を裏切ってしまいました。貴方がこれを、お読みになる頃には、秋代は鬼頭と刺し違え、この世にはいません。私を迎え入れたばかりに、松山の家は取り返しのつかぬ結果となりました、辛う御座います。秋代はもう、こうする外に悪魔から逃れる術は知りませぬ。お許し下さい。秋代はそれでも貴方の妻となり、二人の子に恵まれ、今は亡き貴方のお父上と母上に可愛がられ、これ以上ない幸せな生涯だったと思っています。迷惑をお掛けした上、勝手ですが秋代は、此の家に嫁いだ事に微塵の後悔も有りませぬ)
読み終わった誠の頭は混乱していた。まだ秋代の死の知らせは無い。一刻を争う事だ、斬り死に覚悟で鬼頭の屋敷え乗り込む他はない。だがその場合、後に残る二人の子はどうなる。頭が混乱して、決断の時は刻々と過ぎてゆく。
その時だった。玄関が騒がしくなり、慌てて玄関に出ると、そこに、余りにも無残な光景が飛び込んで来た。
血まみれの秋代が戸板に乗せられ置かれていて、二人の子が縋りつき泣き叫んでいた。秋代を運んできた鬼頭家の小者が、鬼頭からの口上を伝えた。




