第4話
「又三郎、仕事を捜しに行く、ここを動くでないぞ」、
そう言って伝八朗は、仕事を求めて町にに出た。口入れ屋や、大工の棟梁など訪ねたが、流れ者を雇ってくれる所は無かった。
秋も深まり、子連れで野宿も出来なくなるだろう、その焦りが伝八朗の目を、獲物を求める野良犬の目に変えていた。
伝八朗は金子を奪うつもりだが、目指す獲物が見つからない。伝八郎は今もまだ、武士の誇りは捨てきれなかった。そのため、只の物盗りには成り下れず、金品を奪っても気が咎めぬ、都合の良い獲物は、簡単には見つからない。
疲れて大きな料亭の前で休んでいると、武家用の立派な駕籠が横づけされ、豪商風の男と、女将に身送くられ、身分の有りそうな年配の武士が籠に乗った。手馴れらしい二人の供侍が、油断なく辺りに気を配り警護している。伝八郎は金子を巻き上げても、気が咎める様な相手ではないと思った。
籠が動き出し、後を付けようと立ち上がった時、少し離れた物陰から三人の人影が現はれ、籠の後を付け出した。二十二、三の娘と、十代の弟らしい少年、それに下男らしい男が居た。
しばらく伝八郎も、その後から付けて行くと、三人は木陰で身支度をはじめた。その様子に只ならぬものを感じた伝八郎は、そっと三人に忍び寄り、様子を伺った。
「新之助、亡き父母のお導きか、この先は私たちが生まれ育った、屋敷の有る所です。隙を見て姉上が斬り込みます。供の者が姉上を斬る間に、新之助は命を厭わず、籠の鬼頭を襲うのです」
三人の会話を盗み聞いた伝八郎は、そっとその場を離れた。
(敵討ちだ)五年前、国光君を斬り、幼い又三郎を連れ旅立った頃が思い出された。伝八郎は何故かこの姉弟が、あの時の自分達に似ている様に思え、犬死させてはならぬと思った。
松山新之助と姉の冴子は、この少し先の宮町で育った。冴子が十八の時だった。籠の侍、鬼頭が、母の秋代に横恋慕して言い寄った。藩の実力者の鬼頭は、自分に従わぬ者には容赦しない恐ろしい男と、母の秋代は聞いていた。
冴子の母の秋代は、貧しい浪人の家に生まれ、若くして中風で倒れた父上に代わり、家族を養ってきた。その為、人にも言えぬ恥ずかしい仕事も厭わず働いた。そんな時だった。冴子の父、誠と出会ったのは。誠が友人に誘われ、水茶屋に行った時だった。
水茶屋は初めての誠は、艶やかな秋代を前に、どう接したら良いのか戸惑うばかりで格好が付かず、やむなく好きな鯉釣りの話しや、裏庭の小さな畑の話をして時を過ごした。
そんな誠の面白くもない話を、秋代は真剣に聞いてくれ、秋代も浪人の父が家計を助ける為、鰻やフナを良く捕ってきて食べさせて下さったと話し、小さい頃、父にねだって川や山に、よく連れて行って貰ったと話した。
「その父上も中風を患い、寝たきりになってしまいました。もう、あの頃の様な素晴らしい暮らしは、私の様な汚れきった女には、二度と来ないでしょう」
そう言って秋代は寂しく笑った。そのときの秋代の、儚げで淋しそうな顔が、誠の脳裏に焼つき離れなかった。水茶屋の女など、住む世界が違うと思い込んで居た誠だったが、秋代に逢い、秋代こそ、己が夢に抱いていた女姓像である事に気ずいた。
誠は無性に秋代を嫁に欲しくなった。だが際立って美しい秋代が、自分の様な泥臭い男のもとえ嫁いで来てくれるか自信がなかった。難問はまだ有る。微禄とわゆえ、代々続いた武家の家柄だ。両親が承知してくれないと思い込み、言い出せなかった。
一月が過ぎてもその思いは変わらず。思い切って父母に相談すると、両親の意見は意外だった。
「それほど想うなら、お前の好きにすればよい。私の歳になると、我が人生で後悔する事は山ほど有る。人生など過ぎてしまえば、あっと言う間の陽炎の様なものだ。お前には出来る事なら、後悔しない生涯を送って欲しい」
「お許しを戴けるのですか、本当に」
「自分で考えて決めろ。人並みの妻女を迎えれば、大した苦労には遭遇しないだろうが、その人を迎えるからは、相応の覚悟はしておけ、何が起きてもその人を責たり、妻に迎えた事を後悔しない自信が有れば、貰えば良い」
誠は父が、こんなもの解りの良い人とは思っていなかった。それ
だけに身が引き締まる思いがした。数日後、秋代の働く水茶屋に出
向いた両親は、一癖ありげな女将と向き合っていた。
「某は、松山清次郎と申す。倅の誠が、そなたが預かっている、秋代殿に惚れ申して、嫁に欲しいと言っている。秋代殿は素直で優しい方と聞き申した。それは一重にそなたの、人柄から学んだことと思う。そなたも秋代殿を手放すのは大変だろうが、秋代殿が、倅の嫁に来てくれる様、説得して下さらぬか」
「その様に、お武家様に頭を下げられては困ります。ごらんの通り、海千山千の私です。貴方様に礼を尽くされ、正直、戸惑っています。秋代の気持ちを聞いて参ります」
女将が奥に消え、しばらくして秋代だけが表れた。
「秋代で御座います。ご子息の誠様には一度しかお会いしていませぬが、秋代に釣りのお話をして下さいました。私は事情が有って嫁ぐ事は出来ませぬが、私の様な女を、大切なご子息の嫁にと求めて下されたご両親のご好意は、秋代は生涯、忘れは致しませぬ」
「事情は誠から聞き申した。今のままでは充分、父上の御世話も出来ない。父上にも来て戴き、家でお世話をして上げなさい」
誠の父の言葉は、秋代にとって夢の様な話しだった。
それから十五年、冴子と新之助が生まれ、秋代は誰もが羨む、貞淑な妻を貫いてきた。だがその、近寄り難いまでも清楚で美しい秋代の、意外な過去を知った藩の実力者、鬼頭が、秋代に目をつけた。
欲しい物は、どんな卑劣な手段を用いても手にする、鬼頭の術中に、秋代は落ちた。
「城中にも、お前を抱いた者がいる。今は身共が、その者達の口を封じているから良いが、身共に従わなければ、その者達がお前を抱いた時の様子を城中で言いふらすだろう。そうなれば代々続いた松山の家も、お前のために終わりだ」
鬼頭はそう言って秋代の心を揺さぶった。現実に城中にも、過去に秋代を抱いた者も何人か居る。自分を此の家に迎え入れたばかりに松山の家が潰れる。浪人の家に生まれた秋代は、禄を失った武士の惨めさを誰よりも知っていた。
何とかして食い止め、松山の家は守らねば成らぬと秋代は決心した。その思いが一度だけの約束で身を許した。だがそれは甘かった。二度三度と呼び出され、これ以上、夫を裏切る辛さに堪られず、鬼頭の呼び出しに応じなかった。
しばらくして城中に、耳を覆いたくなる様な噂が流れ、誠の耳にも届き出し、秋代は追い詰められ、鬼頭と刺し違え死んで詫びるほか無いと思い込み、鬼頭に斬り付けた。
「秋代、うぬはまだ俺様よりも誠が良いのか。許さぬ、無礼打ちにしてくれる」
秋代には、こうなる結果は解っていたのか、遺書が残されていた。
(松山の家を守りたい一心で、貴方を裏切ってしまいました。貴方がこれを、お読みになる頃には秋代は鬼頭と刺し違え、この世にはいません。私を迎え入れたばかりに松山の家は取り返しのつかぬ結果となりました、辛う御座います。秋代はもう、こうする外に悪魔から逃れる術は知りませぬ。お許し下さい。秋代はそれでも貴方の妻となり、二人の子に恵まれ、今は亡き貴方のお父上と母上様に可愛がられ、私の父上の看病も充分させて戴き、これ以上ない幸せな生涯だったと思っています。勝手ですが秋代は、此の家に嫁いだ事に、微塵の後悔も有りませぬ)
読み終わった誠の頭は混乱していた。まだ秋代の死の知らせは無い。一刻を争う事だ、斬り死に覚悟で鬼頭の屋敷え乗り込む他はない。だがその場合、後に残る二人の子はどうなる。頭が混乱して、決断の時は過ぎてゆく。
その時だった。玄関が騒がしくなり、慌てて玄関に出ると、そこに、余りにも無残な光景が飛び込んで来た。
血まみれの秋代が戸板に乗せられ置かれていて、二人の子が縋りつき泣き叫んでいた。秋代を運んできた鬼頭家の小者が、鬼頭からの口上を伝えた。




