第31話(四) 主従を越えた愛
(四) 主従を越えた愛
馬市の無い日、矢吹龍之介が道場に来ていた。
「俺が師範代に雇われたと話すと妻が喜んで、草薙道場は困った事は何でも引き受けていると、長屋の人達に話した。それを大家が聞き、相談したいと言っている。話を聞いてやってくれるか」
「奥様は、さっそく仕事を見つけて下さったのですか、有り難い」
すぐ龍之介と二人で、巣鴨の大家宅を訪ねると、出てきた大家の与平は、初老の温厚そうな男だった。
「矢吹さまの奥様から、どんな事でも相談に乗って下さると聞き、明日にでも、お伺いしようと思っていました。無理な相談かと思いますが、臥せっている家内が、話だけでもと、せがみます」
「又三郎です。、筋の通った事ならば、龍之介殿の片腕となって、たとえ御状法に背いても、お役に立ちたいと思います」
「有難とうございます。お願いしたいのは、嫁いだ娘のお袖のことです。お袖は三年前、御家人の沖山に見初められ、沖山家の嫁になりました。私供の本業は油問屋をしていて、当時は羽振りが良く、微禄の沖山家の要望に答え、再三、金子を用立てていました。沖山の要求は日増しに高額になり、このままでは店は潰れると融資を断ると、今度は里帰りもさせなかった娘のお袖を使いに、金子の無心を始めたのです。お袖に会える喜びに、無理して金子を用立てていたのですが、それも限界にきて、持ち帰る金子が少ないと乱暴されるのか、生傷が絶えなくなり、思い余って離縁を申し入れても取り入れられず、今では絶縁となり、娘の生死さえも解らなく、家内は寝込んでしまいました」
話しは解った。ここに来る道々龍之介が言っていた。
「大家の妻女のフメは、家賃が何ヶ月も溜まっていても、嫌味ひとつ言わず、栄養の有る食べ物を、家内に食べさせてくれた。大家夫婦は俺には恩人だ」
又三郎は出来るだけ早く、後腐れの無いよう話をつけると約束した。そのとき奥の襖が開いて、臥せっていた、奥様さまが顔を出した。奥様は丁重に頭を下げ、お袖を助けてくれと縋った。 「これは、娘が来たら持たせて上げ様と、主人に内緒で隠し持っていた金子です。今の私共には、こんな僅かなお礼しか出来ません。危ない役を、僅かなお礼で押し付ける無礼を、お許し下さい」
「代金は、溜まっている矢吹さんの家賃で帳消にして下さい」
「いいえ家賃は、特に龍之介様のお宅だけが溜まっている訳ではありません。どうかこれだけは受けとって下さい」
奥様が、押し付ける様に渡そうとしたが受け取らなかった。
「聞き忘れていたがお嬢さんには、子供さんは居られるか」
「居ません。子供が居たらお袖は、もっと苦しいだろう」
「それなら話は早い。だがお嬢さんが心配だ。早速今から、沖山家の内情を調べ、お知らせします」
家主方を出た又三郎は、攻める段取りを龍之介に聞いた。
「俺が、沖山の家の近くに陣取り探る。様子がわかればお主に知らせる。お主はそれまで道場に居てくれ。だが俺の家賃と仕事代を、差し引いてくれたのは有り難いが、少し甘いぞ。これだけの仕事だ。 三両は貰っておいても良かったと思うが」
「私は龍之介殿が思ってくれるほど、お人好しでもない。長い貧乏旅をしている間に勘定高くなった。今の大家さんは、たいへん金に困っている。仕事代は憎い沖山に出させよう。大家は顔が広い。恩に着せておけば、又仕事を世話してくれると思った」
「大した奴だお主は、お前に付いていれば食いはぐれは無い。明日は馬市がある。出来れば今夜中に済ませたい」
龍之介は早速、沖山の内情を知る者を探し、先日、沖山家を辞めさせられた市助と言う下男が居ることを知った。市助は四十前で、母親と妹で粗末な長屋に住んでいた。
「矢吹龍之介と申す。沖山家に嫁いだお袖の母御は、お袖が心配で寝込んでおられる。母御には某、ご恩がござる。お主に迷惑はかけぬ、お主の知っている、お袖の近況を聞かせてくれぬか」
「はい、私もお袖様が心配です。私はお袖様のお供をして、実家の油問屋に何度も行きました。お袖様のお母上は、私が母と三人の妹を養っていることを知り、良く小遣いを下さり、私共が一度も食べた事のないお菓子を、妹達に下さった。それなのに私は、お袖様がご主人や、お舅たちから酷い目に逢っておられても、何も出来なかった。私が暇を出されたあの日も、三カ月も御手当てを下さらないご主人に、恐々催促した私に、殴る蹴るの乱暴を始めました。見かねたお袖様が私を庇って下さるとご主人が」
「お袖うぬは、下郎に気想でもしたのか」
「そう言って今度は、お袖様に殴る蹴るの乱暴をなされ、耐えられなくなったお袖様は」
「それほど私が憎いのなら、ひと思いに斬って下さい」
「斬ってやる。不義密通者は、文句は言えぬぞ」
「私は本当にお袖様が斬られると直感しました。私はとっさに我を忘れ、お袖様の前に立ちはだかりました」
「下郎、主に刃向かうか!。と振り下すご主人の刃の下に、私を庇ったお袖様の手が、・・無惨でした」
その時の光景を思い出したのか、何も言えなくなった市助に。
「お袖は手を斬り落されたのか、それで生きているのか、どうなったのだ、早く言ってくれ」
「私はすぐ、手拭で血止めはしましたが、すぐ引きずり出されて、そのまま追放されてしまいました。心配で、下女に聞いたところ、物置に寝かされて居られる様です」
「市助殿、良く話してくれた。何の礼も出来ぬが、仕事が無く困っているのなら、板橋の草薙道場に相談してくれ、必ず力になる」
「お礼など入りませんが、仕事は助かります。お袖様をお助け下さい。何か私も手伝わせて下さい」
「お主には母御や妹がいる。危ない事は頼めぬが、板橋に使いに行ってくれ。お袖が大怪我をしている。今日中に助けると伝え、帰りに、お袖が怪我をしている事を親御に知らせ、今夜連れて帰るから、医者の用意をしておく様に伝えてくれ」
市助は、お袖が腕を斬り落された事を辛くて、お袖の両親に話していなかった。だが、今日の使いは少し違う。斬り落とされた腕の話は辛いが、この屈強な浪人の「今夜お袖を連れて帰る」と言った吉報も有る。急いで板橋の又三郎に知らせた市助が、お袖の両親の元に駆けつけたのは、夕刻に近かった。
「市助でございます。矢吹様の使いで参りました」
表から声をかけると、待ち構えて居た様に戸が開き、家主夫妻が顔を出した。
「市助さんか!お袖は、お袖は大丈夫か!生きていたか!」
「生きておられます。ですが・・・私の為に腕を・・・、腕を斬られた!」
市助はそこまで話すと、少年の様に大声で泣き出した。
「市助さん落ち着くのだ。お袖は腕は斬られたが、生きているのですね。生きてさえ居てくれたら」
「お袖様は、私めを庇って腕を斬られました。お袖様の容態が心配なので、今夜つれて帰ると矢吹様が言っておられました。私は医者を呼んできます」
「医者は私が呼ぶ、お前さんは又、様子を見に行ってくれ」




