第3話
今生の別れと二人を見送った右門は、伝八郎の母の佳子が、一人でさぞ心細いだろうと、伝八郎の屋敷に急いだ。
屋敷に着いた右門は、花畑で花に水をやる佳子を見た。この様な晩に、この時刻に花などと思ったが、そんな佳子を見ていると、なぜか自分が小さく思えた。
今まで花など、気にも止めた事の無かった右門だが、咲き誇る花々を見て、本当に美しいと思えた。右門に気ずいて佳子が言った。
「花の命は短いですが、美しく咲いて見事に散ります。私達は、ずいぶん永く生きてきましたね。私達も花に恥じぬ様、見ごと散る事が出来るでしょうか」
右門は佳子が、これほど強い人とは思っていなかった。
しょせん、今夜だけの命、佳子をどの様に勇気づけ、連れて逝け
ば良いか考えていたが、逆に自分が勇気づけられた。
「ここに至っても、花を気遣う佳子殿は立派だ。私の心は向山ばかりを見ている」
「伝八郎は旅の剣客から、道場では学べぬ兵法を教わりました。
まさかあの様な、恐ろしい剣と兵法の役立つ日が訪れるとは、私
も伝八郎も、夢にも思った事など無かったのです。伝八郎は絶対負けぬと信じていても、何かしていないと落ち着きませぬ。右門様、佳子も雪様に、お別れしとう御座います。向山は貴方のお屋敷からでも見えます。連れて行ってください」
右門の屋敷に着いた佳子は、無残な雪の遺体に手を合わせた。
「雪様、何度も御見舞い有難う御座いました。せがれ伝八朗が、憎き国光を、成敗に参りました、お守り下さい。佳子も右門様と供に、すぐ参ります。佳子も雪様の様に、見事散り等ございます」
二人は向山の良く見える所に雪の遺体を移し、並んで腰を下ろした。
一方、向山に着いた伝八郎は、又三郎に言い聞かせた。
「寂しいだろうが、俺が帰るまで、誰にも見つからぬよう隠れているのだぞ。俺は必ず勝って返ると約束する。お前は立派な武士の子だ。俺が帰るまで、泣かずに待つと約束しなさい」
「本当に帰ってくる、伝八郎」
「帰る、こんな所にお前を一人残して、俺は死ねぬ約束する」
幼い又三郎も安心したのか、気丈に見送ってくれた。伝八郎は旅の
剣客から授けられた兵法を、実戦に移した。
相手は賊が忍び込むなら夜中と思っている。その裏をかき、日が暮れたばかりの、まだ戸締りの出来ていない邸内に忍び込み、物陰に隠れ隙を伺っていた。夜が更け、明かりの届かぬ物陰を伝い、少しずつ影の様に伝八朗は、核心に忍び寄って行く。警戒の厳しい敵陣を、単身で襲う策はこれ以外ないだろう。国光君の寝所はどこかと、様子を伺っていると、広間で話し声が聞こえた。
「国光君、もう少しの辛抱です。前回は家老の赤石に邪魔され、残念でしたが、今度は邪魔せぬよう、赤石から責めます。明日には、娘の雪の斬られたのを知り、震え上ることでしょう。また邪魔をすれば、今度は孫の又三郎を片付けます」
「油断するな。右門の部下の伝八朗は、只者でない。雪を襲った二人を、こちらの差し向けた者と見抜いているだろう」
「ご安心なされ。奴と右門は、近い内に与太者と喧嘩して斬られて、死ぬ、筋書きになっています」
障子一枚の所まで忍び寄り、これを聞いた伝八朗は、こ奴等は生かせて置けぬと思った。国光以外の殺生は、出来るだけ避けたいと思っていたが、そんな思いは一瞬に消えた。伝八朗は静かに戸を叩いた。
「誰だ、入れ」
まさかこの警戒の厳重な邸宅のど真ん中に、刺客が忍びこんでいるとは夢にも思わず、不用意に戸を開けた。
開けた男は悲鳴を上げる間もなく倒れ、伝八朗は飛び込み様、刀を抜く間も与えず又一人斬り、返す刀で三人目を斬った。やっと刀を構えた、残った男が叫んだ。
「貴様!伝八朗だな、血迷ったか」
伝八朗は落ちついて言い放った。
「雪姫様に手を掛けたのが、お前達の命取りになった様だ」
斬りかかる男の刀を避けもせず、伝八朗は相打ちの形で斬り付けた。相手は相打ちを恐れ、剣先が怯んだとき、伝八朗の剣は見事相手を袈裟に斬り裂いていた。それを見た国光君は慌てた。
「待て、待ってくれ。身共は下々の事など知らぬ。助けてくれ」
只一人になった国光君は、なり振り構わず助けを乞うた。
「侮様よなー、雪姫様は何十箇所と斬られても、又三郎様を守りぬいて果てられたぞ。うぬも武士なら腹を斬れ、」
それでも命乞いをする国光に、伝八朗は呆れて言った。
「表に子供を待たせてある。いつまでも、ゲスの相手はして折れぬ。俺が引導渡してやる。貴様は、一思いには逝かせぬぞ」
命乞いも無駄だと知った国光は、助けを呼んだ。邸内が騒がしくなってきた。伝八朗は憎々しげに、止どめの太刀を振り下した。
一方、真っ暗な山小屋で一人待つ、幼い又三郎は心細かった。必ず帰ると言って、敵の屋敷に斬り込んだ伝八郎を待つ、まだ五歳の又三郎は辛かった。東の空が少し明るくなり、辛抱できなくなり外に出た。又三郎は伝八郎の出て行った細い山道に目を凝らした。
暗闇に目が慣れ、人影が近づいて来るのが見えてきた。まぎれもなく伝八郎だ。又三郎は我を忘れ、伝八郎の胸に飛び込もうとしたが、慌てて踏み止まっった。優しいはずの伝八郎の顔が、返り血を浴び、地獄から這い上がって来た様だった。
伝八郎は何よりも先に小屋に火を放った。右門様と母上が、きっとこの炎を見て、凱旋を喜んでおられるだろう。だがこの炎は、今生で二人と交わす最後の別れの挨拶でもあった。
話しは少し戻るが、向山に火の手の上がるのを待つ、母の佳子と右門は気が気でなかった。東の空が少し明るくなり、二人に焦りが高まった。伝八郎は負けないと信じていても、どうしようもない不安が二人を襲った。その時だった。向山の小屋の辺りに小さな火が見え、すぐ真っ暗な向山の夜空に、赤々と舞い上がった。
死に装束に着替えた佳子は、仏間に移された雪の遺体に(すぐ私達も参ります)と話しかけ正座した。
「お願いします。骸はこの家と供に燃やしてください」
右門は佳子の、その燐とした姿に、逆に勇気付けられた。
「それは良い。敵に伝八郎も、供に炎の中で果てたと思わせ、少しでも追手を遅れさせよう。某もすぐ後から参る」
二人はもう、何も思い残すことは無かった。不思議と晴ればれした気持ちで、少しも辛くなかった。
向山の伝八朗と又三郎は、生まれ育った我が家の方に向い、手を合わせた。その二人に答えるかの様に、我が家の辺りで、赤々と舞い上がる炎が見えた。これが親子の、今生の別れの挨拶となった。
こうして又三郎は伝八朗に手を引かれ、故郷の美濃、戸田家の城下を捨て、果てし無い、さすらいの旅に出たのは、寛文六年、又三郎、五歳の春だった。




