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掃き溜めの明かり  作者: 萩原伸一
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第3話 その(二)野良犬の誇り

「わかった、そうしてくれるか、これで思い残す事は無い。だが伝八郎、無事、国光君を討つ事が出来ても、子連の追われ旅は武士にとって死ぬより辛い、屈辱な旅になるだろう」


そう言って今度は又三郎にむかい。


「又三郎、今から父の言うことを良く聞くのだ。城から母を殺した奴等が、お前を殺しに来る。父は戦って死ぬ。お前は伝八朗が守ってくれる。すぐ伝八朗と旅に出るのだ。泣いてはならぬ」


幼い又三郎にも父の様子から、どうしても避けられぬ危難が迫っている事を感じ取ったのか、嫌と言わなかった。


「伝八朗、早く行け、事が済めば早く城下を離れるのだ」


そう言って右門も、有るだけの金子を掻き集め右門に持たせた。


「決行は夜明け前になります、無事に本懐を遂げれば、向山の小屋に火を放します。僅かな間ですが、母上を頼みます」


そう言って伝八郎は、恩人の右門に別れを告げ、又三郎を背負うと、向山に向かった。

今生の別れと二人を見送った右門は、伝八郎の母、佳子が、一人で、さぞ心細いだろうと、伝八郎の屋敷に急いだ。


屋敷に着いた右門は、花畑で花に水をやる佳子を見た。この様な晩に、この時刻に花などと思ったが、そんな佳子を見ていると、なぜか自分が小さく思えた。

今まで花など、気にも止めた事の無かった右門だが、咲き誇る花々を見て、本当に美しいと思えた。佳子が言った。


「花の命は短いですが、美しく咲いて見事に散ります。私達は、ずいぶん永く生きて来ましたね。私達も花に恥じぬ様、見事ちる事が出来るでしょうか」


右門は佳子が、これほど強い人とは思っていなかった。しょせん

今夜だけの命、佳子をどの様に勇気づけ、連れて逝けば良いか、考えていたが、逆に自分が勇気づけられた。


「ここに至っても、花を気遣う佳子殿は立派だ」

「伝八郎は旅の剣客から、道場では学べぬ兵法を教わりました。


まさかあの様な、恐ろしい剣と兵法の役立つ日が訪れるとは、

私も伝八郎も、夢にも思った事など無かったのです」

そこまで話して佳子は一息ついて。


「伝八郎は絶対負けぬと信じていても、何かしていないと落ち着きませぬ。右門様、佳子も雪様に、お別れ、しとう御座います。向山は貴方のお屋敷からでも見えます。連れて行ってください」


右門の屋敷に着いた佳子は、無残な雪の遺体に手を合わせた。


「雪様、何度も御見舞い有難う御座いました。せがれ伝八朗が、憎き国光を成敗に参りました、守ってあげて下さい。佳子も雪様の様に、見ごと散り等ございます。右門様と供に、すぐお側に参ります」


二人は向山の良く見える所に並んで腰を下ろした。


一方、向山に着いた伝八郎は、又三郎に言い聞かせた。


「寂しいだろうが俺が帰るまで、誰にも見つからぬよう、隠れているのだぞ。俺は必ず勝って返ると約束する。お前は武士の子だ。俺が帰るまで、泣かずに待つと約束しなさい」

「本当に帰ってくる、伝八郎」

「帰る、こんな所にお前を一人残して、俺は死ねぬ約束する」


幼い又三郎も安心したのか、気丈に見送ってくれた。

伝八郎は旅びの剣客から授けられた兵法を実戦に移した。相手は賊が忍び込むなら夜中と思っている。その裏をかき、日が暮れたばかりの、まだ戸締りの出来ていない邸内に忍び込み、物陰に隠れ隙を伺っていた。夜が更け、明かりの届かぬ物陰を伝い、少しずつ影の様に伝八朗は核心に忍び寄って行く。警戒の厳しい敵陣を、単身で襲う策は、これ以外ないだろう。国光君の寝所はどこかと、様子を伺っていると、広間で話し声が聞こえた。


「国光君、もう少しの辛抱です。前回は家老の赤石に邪魔され残念でしたが、今度は邪魔せぬよう赤石の家族から攻めています。明日には娘の雪の斬られたのを知り、赤石は震え上ることでしょう。まだ邪魔をすれば、今度は孫の又三郎を片付けます」

「油断するな。右門の部下の伝八朗は只者でない。雪を襲って斬られた二人を、こちらの差し向けた者と見抜いているだろう」

「ご安心なされ。奴と右門は近い内に、浪人と喧嘩して斬られて死ぬ、筋書きになっています」


障子一枚の所まで忍び寄り、これを聞いた伝八朗は、取り巻きのこ奴等も情けは無用、生かせて置けぬと思った。伝八朗は静かに戸を叩いた。


「誰だ、入れ」


まさかこの警戒の厳重な邸宅の、ど真ん中に、刺客が忍びこんでいるとは夢にも思わず、不用意に戸を開けた。

開けた男は、悲鳴を上げる間もなく倒れ、伝八朗は飛び込み様、相手に刀を抜く間も与えず又一人斬り、返す刀で三人目を斬った。やっと刀を構えた残った男が叫んだ。


「貴様!伝八朗だな、血迷ったか」

「雪姫様に手を掛けたのが、お前達の命取りになった様だ」


斬りかかる男の刀を受け流し、薄笑いを浮かべた伝八朗の剣は、真っ向から相手の頭を割っていた。それを見た国光君は震え上がり、


「待ってくれ。身共は下々の事など知らぬ。助けてくれ」


国光君は、なり振り構わず助けを乞うた。


「侮様よな!、雪姫様は何十箇所と斬られても、又三郎様を守りぬいて果てられたぞ。うぬも武士なら腹を斬れ、」


それでも命乞いをする国光に、伝八朗は呆れて言った。


「表に子供を待たせてある。いつまでも、ゲスの相手はして折れぬ。俺が引導渡してやる。貴様は、一思いには逝かせぬぞ」


命乞いも無駄だと知った国光は助けを呼んだ。邸内が騒がしくなってきた。伝八朗は憎々しげに、止どめの太刀を振り下した。


一方、真っ暗な山小屋で一人待つ、幼い又三郎は心細かった。必ず帰ると言って、単身敵の屋敷に斬り込んだ伝八郎を待つ、まだ五歳の又三郎は辛かった。東の空が少し明るくなり、辛抱できなくなり外に出た又三郎は、伝八郎の出て行った細い山道に目を凝らした。

暗闇に目が慣れ、人影が近づいて来るのが見えた。まぎれもなく伝八郎だ。だが優しいはずの伝八郎の顔が、返り血を浴び、地獄から這い上がって来た様だった。

伝八郎は何よりも先に小屋に火を放った。右門様と母上が、きっとこの炎を見て、凱旋を喜んでおられるだろう。


話しは少し戻るが、向山に火の手の上がるのを待つ、母の佳子と右門は、気が気でなかった。東の空が少し明るくなり二人に焦りが高まった。伝八郎は負けないと信じていても、どうしようもない不安が二人を襲った。その時だった。向山の小屋の辺りに小さな火が見え、すぐ真っ暗な向山の夜空に赤々と舞い上がった。

死に装束に着替えた佳子は、仏間に移された雪の遺体に(すぐ私達も参ります)と話しかけ正座した。


「お願いします。骸はこの家と供に、燃やしてください」


右門は佳子の、その燐とした姿に、逆に勇気付けられた。


「それは良い。敵に伝八郎も供に炎の中で果てたと思わせ、少しでも追手を遅らせよう。某もすぐ後から参る」


二人はもう、何も思い残すことは無かった。


向山の伝八朗と又三郎は、生まれ育った我が家の方に向い、手を合わせた。その二人に答えるかの様に、我が家の辺りで赤々と舞い上がる炎が見えた。これが親子の、今生の別れの挨拶となった。

こうして又三郎は、伝八朗に手を引かれ、故郷の美濃、戸田家の城下を捨て、果てし無い、さすらいの旅に出たのは、寛文六年、又三郎、五歳の春だった。


その(二)野良犬の誇り



あれから五年、伊勢松坂から、宇治山田に通ずる参宮道を、十歳に成った又三郎を連れて歩む、伝八朗の姿があった。何度か追手と剣を交えたが、もう本気で追ってくる者は居なかった。だが、五年の歳月は、親が持たせてくれた大金も、二人の宿代と飯代にみる間に減り、残っていた路銀も旅なれぬ二人は盗られてしまった。

あの辛い別れの際、又三郎の父が言った様に、手形も持たぬ流浪の旅は、武士の誇りを捨て切れぬ伝八朗には辛かった。宇治山田の手前を流れる宮川の土手で漁師小屋を見つけ、今夜の寝ぐらに決め、芋を焼き、又三郎に与えた。

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