第29話
「相談したい事がある。今夜、妹さんと、私の家に来て下され」
半蔵は、いつになく神妙な親方の態度に、少し不安は感じたが、千鶴を連れ訪れると、豪華な料理が並んでいた。
「何時も私の手料理ですが、今日は奮発しました。どうぞ」
奥様に進められたが、先に話を聞きたいと半蔵が言った。
「いや後でよい、飯を食ってからにしよう。」
親方は、よほど言い出しにくい事か、話しを切り出さない。
「このごろ私は、親方の信任を良い事に、勝手に職人たちを指図して来ました。それが気に障られたのなら許して下され」
「いや、お前様には感謝している。俺はそんな、尻の穴の小さい男ではない。思い切って言う。町人風情がと、怒らんでくれ。俺れたち夫婦には子がない。お二人に、俺れたちの子になって欲しい、と言いたかった。だが、お前様は武士だ。井戸掘り風情がと、叱られそうで言い出しにくかった」
そう言って徳三は、間が悪そうに火鉢の火をつついた。
武士の世界に見切りを着けていた半蔵には、この上ない話だったが、この素朴で人の良い親方夫婦が、自分が、町方同心四人も斬った、凶悪な凶状持ちと知れば、どう思うだろう?。何も言わず家族にして貰って良いのだろうか?。千鶴も同じことを考えていたのか、兄の気配に、うなずいて見せた。それは(聞いて戴きましょう)と言っている様に思えた。
「某も聞いて戴きたい事が有ります。どこの馬の骨とも解らぬ、某を、養子にと望まれ、余りの有り難いお言葉に、もう少しで我を忘れて、しまいそうに成りました。某は播磨の脇坂家で、剣術指南をしていました。眼の不柔な妹が、出入りの魚屋の鎌吉とご縁となり、喜んでいた矢先でした。鎌吉の母が、町方役人に、理不尽にも半殺しにされ、助け様と立ち向かった鎌吉は、役人に怪我をさせ、捕らえられたのです。役人達は魚屋風情に、侮様に遅れを取った腹いせいに、鎌吉をなぶり殺しにした所に、行き合わせた某は、見過ごすことが出来ず、同心四人を斬り、妹を連れ逃げました。役人を四人も斬っての兇状旅は、想像以上に厳しかった。執拗に追ってくる追っ手を、また何人か斬り、斬った相手の懐から金子を奪い、鬼畜の様に生きて来ました」
そこまで話して半蔵は、一息ついた。
「それは僅か十ヶ月前の事です。追っ手はこれからも、執拗に追って来るでしょう。某を家族に加えれば、災いがご夫婦に及ぶかも知れませぬ」
聞き終わった親方夫婦は言葉が出なかった。自分の知っている
白川半蔵は、素直に自分に従い、井戸掘りに熱中する、若者の姿しか無かった。その半蔵の口から、自分達には考えられない、余りにも凄惨な過去を聞き、呆然となった。お互いに何とも言い様の無い、無言の時が流れた。たまらなくなった千鶴が。
「鎌吉さんも、そのお母上も、武士も及ばぬ立派な方で、もうすぐ、私の夫と、母となる人でした。そんなお二人を、なぶり殺しにした悪魔の様な御役人を、兄上が斬った事に、私も兄上も、微塵の後悔も御座いませぬ。今夜はこれでお暇致します。有難う御座いました」
何度も礼を言って二人が帰った後も、徳三夫婦は、何も手が付かなかった。あれほど自分達の子になって、この家を継いでくれたらと願っていたのに、寂しそうに帰っていく二人に、声を掛ける事も出来なかった自分が、わびしく思えた。
そして何か、ほっとしている自分に気がついた。たとえどんな事情が有るにせよ、多くの人を斬り殺した男を養子として迎え、この家に入れたら、いつの日か、自分が築いたこの家が、壊れてしまう様な気がして怖かった。
こんな自分達に、あの二人の親代わりは勤まらないだろうとも思えた。嫁ぐと決めた鎌吉と、その母の仇を討って、何もかも失った今も、微塵の後悔も無いと言い切った千鶴、あれが本当の家族の姿に思えた。それに比べ俺は、自分の老後の面倒や、寂しさを紛らわせるために、あの二人を求めていたのではなかったか。
災いが、自分達に及ぶのではと思った時、急にあの二人から逃げ出したくなった己が、情けなく、俺はそんな尻の穴の小さい男ではないと、言い切った自分が恥ずかしかった。
そこまで考えた時、徳三は急に立ち上がった。妻のお夏も立ち上がり、顔を見合わせうなずいた。
「今から駕籠を急かせれば、半蔵が寝るまでに板橋に着く、行くぞ」
一代で、江戸で一、ニを争う井戸掘り業を起こした男だ、決断したら早かった。二人は駕籠を飛ばし、一時後には、草薙道場の前に立っていた。
二人が道場を訪ねるのは初めてだった。、燃え盛る炉の火が見え、近づくと、五、六人の男が炉を囲む様に腰掛けていた。驚いたことに又三郎はもとより、みな顔見知りの男ばかりだった。暗がりから現れた、徳三夫婦を見て又三郎は驚いた。
「親方、奥様も、どうなされた。この時刻に?」
又三郎はこの親方が苦手で、間が悪いと言うか良く叱られた。
「おお!又三郎か、暗いので良くわからないが、その大きな建物が道場だな、畑も作っているのか」
「畑は半蔵殿の妹御と、村木殿の奥様が作っています。お二人が、畑の周辺に植えられた花が、春には見事に咲き誇ります。一度見に来て下され」
「そうですか、優しい人達なのですね。半蔵さんの家はどこですか、先ほど主人と私は、ご兄妹に、大変失礼をしてしまったので、お詫びに来たのです」
この時刻に、突然訪れた親方夫婦を見た時から、何かあると思っていた又三郎は、何も聞かず、月明かりに浮かぶ半蔵の家を指差した。
「お前様は、この道場の主と聞いている。半蔵はこの道場の者だ。お前さんにも、話しを聞いて欲しい」
又三郎は二人を伴ない、半蔵の家の戸口で声をかけた。戸口に出た半蔵は、又三郎の後ろに立つ親方夫婦に驚いた。
「先ほどは、ご馳走になりました。どうぞお入り下さい」
「又三郎、俺たち夫婦には後継ぎが無い。半蔵と妹御が、俺たちの養子になって、後を継いでくれたらと思い、今夜、思い切って打ち明けたが、半蔵から自分は多くの人を斬った、そんな私で良いのかと聞かれ、俺は正直おどろいて、何も答えることが出来なかった。
半蔵が帰った後、俺は半蔵ほどの男が、理不尽に人を殺めるはずがないと解っていて、自分に災いの及ぶのを恐れ、逃げ出していた。
俺は人の何倍も苦労して来たと思っていたが、お二人に比べ俺の苦労など、笑い話にもならんわ、又三郎、仲人役をしてくれ、頼む」
「私は血のつながりの無い年の離れた仲間と、永い苦しい旅を続けて来ました。いま思えば私は、あの方達に守られ、私だけが生き残ったのです。半蔵殿も千鶴殿も親方に比べれば、まだまだ未熟、親方も、私を鍛えてくれた寛大な仲間の様に、お二人を鍛え上げて下さい。身寄りの無い私には、半蔵さんは兄で、千鶴様は妹のような大切な人です。魚屋風情に侮様に遅れを取ったお役人達です。これ以上半蔵殿に返り討ちにされれば、自分達の首も危ない。もう追って来るとは思えないが、もしご夫婦に、危害を及ぼす輩が表われたなら、私が命の限りお守り致す。どうかお二人をよろしくお願いします」
又三郎はわざと、半蔵の意見は聞かず話を進めた。親方の求めに応じることが最善だと判断していた。
親方も又三郎の噂は、道場から派遣されてくる人夫達から聞いている、食い詰め浪人や、裏街道しか歩めぬ流れ者など、道場の炉の火を見て頼ってきた人達から、若いが親父の様に頼られていると聞いていた。それに引き換え俺は、事業の拡大だけを楽しみに生きて来た。今夜半蔵や又三郎と、腹を割って話し、今まで見え無かった大切な、人の生き様や死に様が、少しだが見えた様な気がした」
ここまで話した親方は、一息ついたが又続けた。
「俺は千鶴さんから、兄上が悪魔のような同心四人を斬って、何もかも失ってしまった事に、微塵の悔いは無いと聞かされたとき哀れに思った。だが今は、この世に命を賭けて守りたい人が居た半蔵を、羨ましいと思う。半蔵を兄貴の様だと又三郎は言ってくれたが、これからも兄弟の様に助け合い、生きて行って欲しい。俺は剣は使えないが金は有る。俺にできる事は、又三郎も俺を親と思って相談してくれ」
教養も無く、裸一貫から江戸で一、二の、井戸堀業を起こした男だ、悟りも早かった。追われ者の掃き溜めの様なこの道場から、半蔵兄妹が巣立って行く。めでたい事だが辛かった。




