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掃き溜めの明かり  作者: 萩原伸一
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第25話(一)雄大な関東の大地

第二章 新しい門出

(一)雄大な関東の大地


中山道を江戸に向かう又三郎は、野宿した川原で、小魚を手掴みしていて蝮に噛まれ、死にかけて居た所を、助けてくれた貴子の、不思議な魅力に取り付かれ、知らぬ間にまた凝りもせず、貴子に恋心を抱いたが、しょせん流れ者の恋、過ぎ去る美しい景色の様に、今度も又、流れ去って行った。

板橋までは二十里余り、三日もすれば着くはずだ。物心ついた頃から、根無し草の様に流れてきた又三郎には、わずか三日後に板橋に根を下ろす事が、現実味として湧いてこない。            

前方に娘の手を引き、ゆっくり歩む男女の姿が見えた。近づくにつれ、その二人が、十日前に別れた、半蔵と千鶴と解り驚いた。                                 


「半蔵どの、どうしたのです。どこに行くのです」                  


後から声を掛けられた二人は驚いて、すぐには声が出なかった。                        


「お!お主、後ろだったのか、もう板橋に着いていると思っていた。」           


又三郎は途中で蝮に噛まれ、死にそうになった事を話した。           「大変だったな。お主、板橋の道場を継ぐと言っていたな」                       


「はい、供に旅を続けてきた人から引き継ぎました」                     

「俺は禄を離れて、つくづく自分の不甲斐なさに気がついた。こんな某がこれから先、目の不柔な千鶴と生きて行くことに、自信を失いかけている。すまぬが俺も道ずれにしてくれぬか」                                                                   

「又三郎様、兄上は僅か三月前まで、藩の剣術指南をしていたのです。そんな兄上を、日雇い仕事に送り出すのは、千鶴は辛うございます。兄上に師範代をさせて上げて下さい」

「半蔵さんが、只者でないのは解っていたが、指南役をしておられたか。板橋の道場は、何十年も放置されていると聞いています。おそらく、今までと変わらぬ苦しい暮らしが、待ち受けていると思います。」

「道場の修理でも掃除でも、何でもする頼む」

「仲間になって下さるか。浮草の様に流れていた私が、初めて板橋の地に、根を下ろすのです。一人で不安でした。」                  

「助かった!、情けない話だが俺も、千鶴と二人で心細かった。」    


仲間が出来、又三郎は少し自信が湧いてきた。そうしてまだ見ぬ板橋の地に、気の急く又三郎だった。

次の日、板橋が目前の所で宿を取った。いよいよ明日は、永かった旅の終着地、板橋宿だと思うと、源十朗が居たらどんなに喜ぶだろう。伝八郎や清次が居たら、どんなに心強いだろうと思った。だがもう三人は居ない。

酒はめったに飲まぬ又三郎だが、今夜は希望と不安で、落ちつかず、少し飲んで見たくなり半蔵を誘うと、酒の嫌いな半蔵も付け合ってくれた。二人は飲みなれぬ酒を、顔をしかめて飲みながら、それぞれ、ここに至ったまでの思いに、ふけっていた。


次の日、又三郎は早く目が覚めた。思えば物心ついた頃から、延々と続いた流浪の旅が、今日で終る事が板橋を目前にして、まだ実感として湧いてこなかった。 

朝早く宿を出た三人は、中山道を板橋に向った。しばらく行くと峠にさしかかり、千鶴の足を心配したが、驚くほど元気だった。    

峠の頂上付近の、見晴らしの良い所で三人は休んだ。

見渡すと、美しい山々と、雄大な関東の大地が広がっていた。半蔵が眼の見えぬ妹に話して聞かせた。


「千鶴、富士山も見えるぞ。それに今まで俺達が、見たことも無い、広い豊かな、雄大な関東の大地が広がっている。これから俺達は、この大地で生きて行くのだぞ」


頂上を過ぎると、驚くほど急な下り坂が続いた。この坂を下れば板橋宿と聞いている。余り疲れていない三人は、小走りでこの坂を駆け下りた。この坂が中山道最後の難所、清水坂であることは、まだ三人は知らなかった。

又三郎が半蔵と千鶴を伴もない、江戸の板橋の地に立ったのは、その日の昼過ぎだった。物心ついた頃から続いた、又三郎の旅は、ついに終着を迎えた。貞享四年、又三郎二十三歳の春だった。


板橋宿は、上宿、仲宿、平尾宿に分かれている。道場は平尾宿にあると聞いていた。その日の平尾宿は、馬市が開かれていて、宿場は馬喰たちで賑わっていた。三人は平尾宿の外れまで来たが、道場らしい建物は無く、その先は荒地が続いている。本当に道場は残っているのだろうか。三人の胸に不安がよぎった。


「困った時は雑貨屋の君枝と言う、おばさんを訪ねろと、源爺が言っていた。雑貨屋を探そう」


源十朗が言っていた、それらしい君枝の店は、すぐ近くで見つか

り、店先で荷の整理をする、店主らしい女が見えた。


「君枝さんですか、草薙道場はどこですか」


女は又三郎を見詰めていたが。


「又三郎か?」と、突然自分の名を呼ばれ驚いた。君枝には何か、風格の様なものが、供わっている様に思えた。

「源十朗様が三十年ぶりに、お主たちが来ると便りをくれた」

「知らなかった。板橋に行って困ったら、君枝さんに相談する様、源爺が言っていました。お世話をおかけします」

「源十朗様は亡くなられたのか?、足が悪いと書いてあったが」


又三郎は源十朗が、旅の母子を助け、役人と斬り合い、壮絶な最後を遂げたことを詳しく話した。聞き終わった君枝は目を瞑り、何かを必死に、耐えている様に見えた。


道場は君枝の店を少し通り過ぎた、荒地の一角に有った。何十年も放置されていた建物は、夏草に覆われ荒れていた。


「これは凄いぞ、草取りだけでも大仕事だ」


目の不柔な妹を連れ、苦しい宛てのない旅を続けて来た平蔵には、草取りにも意欲が湧くのか、元気に言った。正面が道場で、その裏に部屋が二つ有り、何故か掃除が行き届いていて、古いが家具なども残されている。道場の脇の別棟は、開け放しの土間になっていて、真ん中に大きな炉が作られている。茅葺きの屋根は、空が見えるほど痛んでいたが、骨組みは頑丈に作られていた。

炉に火を点けご飯を炊き、炉を囲むように三人で食べた。又三郎は半蔵に出会えて良かったと、つくづく思った。一人だったら近所の人の好奇の目の中で、どんなに心細かっただろう。


「千鶴殿、今日からここが私たちの城だ、明日から大変だぞ」

「千鶴もお役に立てれば良いのですが」


千鶴にも辛い悲しい旅だった。夫と決めた鎌吉の屍を、地獄の様な仕置き部屋に残し逃れて来たのだ。


「兄上、鎌吉さんを、お供えする所は御座いませぬか」


千鶴が包みを大切に開くと、真新しい戒名が出てきた。兄の半蔵にねだって作って頂いた鎌吉の戒名だった。


「おお、すまん、鎌吉を忘れていた。道場だから神棚は有るが、神棚ではまずい。床間が有るから床に置こう」


位牌を床に奉ると千鶴は長い間、手を合わせていた。怪訝そうな顔をする又三郎に、半蔵は事の次第を話した。


「鎌吉は千鶴が初めて惚れた男だったが、番所の役人たちに責め殺された。鎌吉は魚屋だが武士も叶わぬ男だった。俺は鎌吉を責め殺した役人を叩き斬って逃げている凶状持ちだ。お主に災いが及ぶと感じたら俺達は消える」

「半蔵殿、私を育ててくれた仲間たちは、それぞれ古傷を背負い、庇い合い生きて来ました。これからは私達もそう有りたい」


千鶴は故郷を捨て、旅に出てからの苦労が嘘の様に消えて行くのを感じた。翌日から半蔵と千鶴が草刈を始めた。

又三郎は敷地内を見て回った。敷地は荒れてはいるが広く、畑も有った。源十朗の父上が苦しい暮らしの合間を縫って、荒地を耕し畑を作り、暮らしを助けて居たのだろう。

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