第22話
「それで本当に良いのですか、魚屋の嫁で、それに兄上様がお叱りになられるのでは」
「鎌吉さんはよほど兄上が、苦手なのですね。兄上はきっと祝って下さいます」
鎌吉は耳を疑った。そうして我が家に向かって走った。
「あの人が俺らの嫁に、あの厳格で怖そうな兄上様が、お許し下さる。嫁の来てなど、無いと思っていた俺の家に」
鎌吉は嬉しかった。生涯の幸せが一度に来た様だった。
数日後千鶴は、再度、鎌吉の家を訪れた。
「お母様、私などには、魚屋のお店番は勤まらないでしょうか」
「貴女は心配をしなくて良い。鎌吉も武家のお姫様を嫁に迎えるからは、それだけの覚悟をして働くでしょう」
「眼の見えぬ私でも、何もせず、人形の様な毎日は辛いです。・・・お役に立ちませぬか」
「店は私が身体を壊して閉めました。だが、お前様が手伝ってくれるなら、私も店は開けたい」
千鶴は自分の居場所が出来たと思った。兄は優しかったが、兄も三十だ、すぐ妻も迎えなければならない。それから五日ほど過ぎた日、千鶴は兄と昼食を食べていた。
「兄上、漬物ばかりで申し訳ございません。鎌吉さんがこの所、来てくれませぬ」
「どうしたのだ、鎌吉と喧嘩でもしたのか」
「いいえ、この間お母様と、お店を出す話をしました。その時は元気でおられたのに、お母様のお体の調子でも?、」
「それは心配だ。今日は俺も休みだ。一度母御に会って、お前のことを頼みたい。食事が終えたら伺おう。」
兄が快く言ってくれた。兄に手を引かれ町に出た千鶴だったが、鎌吉の母が心配で、楽しんでは居れなかった。鎌吉の家の前に来た時、様子が違うのに気がついた。鎌吉の家に近所の人が集まっていた。まさかお母様がと、嫌な予感がした。
「様子がおかしいぞ、母御に何か有ったのでは」
半蔵が集まっている近所の人に尋ねると。
「貴方が千鶴様のお兄様ですか、大変な事になりました。鎌吉が役人に連れて行かれ、母親も役人に蹴られ、もう永くはない。何も悪い事などしていないのに」
聞いていた千鶴は愕然とした。その人たちの話では、鎌吉の家の向い側に、按摩さんが住んで居て、その按摩の市が、先日仕事で訪れた料亭で金子を盗んだと訴えられ、役人が捕えにきた。市は自分は盗っていないと言い切り、抵抗したと話した。
「連れて行かれるのが、よほど怖かったのか市は、柱にしがみついて手を離さなかった。そんな市をお役人が、十手や棒で殴り続けました。私たちは怖くて見ているだけでしたが、鎌吉の母さんは、身体を張って止めようとしました。役人は今度は、おっ母に殴る蹴るの乱暴を始め、見かねた鎌吉が止めに入ると刀を抜いた。鎌吉は魚の担ぎ棒で応戦して、お役人に大怪我をさせてしまった。そのため多くの捕り方が来て、捕らえられた。蹴られたおっ母は、打ちどころが悪く、今日、明日の命です。おっ母は千鶴様と同じ眼の不じゅうな按摩の市に、特別な何かを感じていたと思う」
聞き終わった千鶴は膝の力が抜け倒れそうになり、兄に手を引かれ、お葉の枕元に辿り着くと「お母様」と、叫んだ。お葉は弱々しく答えた。
「すまんのう千鶴、お店番を訓えると言ったのに・・・鎌吉はお役人に大怪我をさせてしまった、もう帰って来られない。ごめんなあ千鶴さん、ごめんなあ・・」
何度も誤るお葉は、もう永くはないと思われた。
「お母さん、千鶴の兄の半蔵で御座る。鎌吉殿の罪状が軽くなる様、番所に掛け合います。気を確かに持って、待っていて下さい」
「それはいけない。その様な事をなされては、兄上様にも災いが必ず及びます。恐ろしい御役人たちです。あなた方に災難が及ぶのは、鎌吉も望みません。私を千鶴様の母と思って下さるなら、もう私たちに関わらず、鎌吉に代わり、これからも千鶴をお守りください」
「お母様、めしいの私が頼めば、お役人も会わせて下さると思います。気を確かに持って、お待ち下さい。」
そう言って二人は、この母と別れ、近所の人に、持ち合わせていた金子を渡し医者を頼むと、急いで番所に向かった。
番所に居た、同心らしき者に、鎌吉に会わせてくれと頼むと、にべなく断られたが、藩の剣術師範と告げると、品定めでもする様に二人を眺めていたが、
「見ない方が良いのでは、特に娘御には酷だぞ」
そう言って薄笑いをした。案内された仕置き部屋に入って驚いた。おそらく死ぬより辛い、拷問を受けたと思われる瀕死の鎌吉が、転がされていた。
「罪状の解っている鎌吉に、なぜ此の様な惨いことをするのだ」
「藩の師範と言うから顔を立て、会わせてやったのだ。文句が有るなら出て行って貰おう。こ奴は俺達ちの仲間を、魚の担ぎ棒で殴り、大怪我をさせた。なぶり殺しにしても足りぬは」
千鶴は二人の会話から、鎌吉の様子はわかった。
「鎌吉さん千鶴です。千鶴と帰りましょう。母上の所に」
帰れるはずが無いのに鎌吉を抱き起こす千鶴が哀れだった。
「触るな離れてろ、目くらめ!」
そう言って役人が、千鶴の襟首を持ち引きずり倒した。
「貴様なにをする、妹に手を出すと許さぬぞ」
半蔵は思わず、刀の柄に手をかけた。
「なんだと、俺を斬る気か舐めるなよ、俺は凶悪犯と何度も立ち合っている。道場の遊びとは違うぞ!」
半蔵は刀に手を掛けたまま、動けぬ己が情けなかった。怖いのではない。ここで役人を斬れば、逃げても自分は兇状持だ。眼の見えぬ妹は、この先どう生きる。逃げるにも、目しいの妹を連れ、斬り抜けることなど出来ないだろう。だが鎌吉をこのままには出来ない。
「鎌吉さん、千鶴が楽にしてあげます。すぐ千鶴も参ります」
千鶴の悲しい呟きを聞き半蔵は、千鶴が何をしようとしているかわかった。今の鎌吉を地獄から救うには、もうそれしか無い。
それに引き替えこの役人達は、鎌吉の母を死に目に合わせ、母を庇って立ち向かった魚屋の鎌吉に、侮様に担ぎ棒で殴られ、その腹いせいに鎌吉を責め殺そうとしている。こんな卑劣な屑共が、役人とは許せぬ。
半蔵の只ならぬ様子を見た同心は、慌てて仲間を呼びに走った。
「鎌吉、分るか半蔵だ。お前を連れて逃げることは出来ないが、千鶴はお前にかわって必ず守る。母上の容態は悪いが、医者に見てもらっている」
「来て下さったのですか兄上、兄上と呼んでいいですか」
「呼んでくれ、お前は武士にも勝る立派な男だ。もう少しだけ待ってくれ、兄上が仇を討ってやる」
「私はもうすぐ死にますが、兄上や千鶴様に出会えて良かった。だからもう、私に構わず、ここから離れて下さい、早く」
その時、先ほどの同心が、三人の仲間を連れ、半蔵の後ろに迫ってきた。
静かに振り向いた半蔵には、もう迷いは無かった。幼い頃から修行を積んできた剣が、こんな形で役に立つとは思っていなかった。
「鎌吉、見ていてくれ、お前と母さんを苦しめた、この屑共を、兄上が一人残らず叩き斬って、お前より先にあの世に送ってやる」
言い終わるより早かった。相手の真っ只中に飛び込んだ、半蔵の怒りの剣は、一瞬にして二人を倒し、逃げる二人を追いかけ様、斬って捨てた。瀕死の鎌吉だが千鶴に抱きおこされ、一部始終を見ていた。止める間もない一瞬の事だった。
「兄上、私もお役に立ちたい。兄上達が逃げる時を稼ぎます。役人の刀を私に持たせて下さい。この者たちは私が斬ったと惑わし、少しでも追手を遅らせます。」
半蔵は斬り捨てた同心の刀を、鎌吉の手に握らせ言った。
「鎌吉、お前は武士より立派だぞ。必ず俺は千鶴を連れ、逃げ切ってみせる」
「私も千鶴様に恥じない様、死ぬ事が出来たら本望です。」
それが鎌吉と交わした最後の言葉だった。半蔵は千鶴を背負うと人目のない裏庭から出て、夕暮れの城下を一気に走り抜け、山中に逃げ込み、獣道を辿ってその場を逃れて行った。




