第21話(十)一寸の虫の魂
「皆に聞いて貰いたい。この老いぼれ神崎の、遺言と思って聞いてくれ。波太郎殿の今は亡き母御は、由緒ある家で生まれ、行儀見習の奉公先で、その美貌を若殿に見初められ、波太郎を身ごもった。その御家の重臣たちは、後々火種となる事を恐れ、暗に母子を追放した。その頃、今は亡き我が殿は、公儀の役職に着かれた時だった。
若年の殿は、慣れぬ役職に戸惑って居られたが、その時、手を差し伸べて下さったのが、波太郎殿の母上、藤絵殿のお父上だった。その後、男児を生んだ娘に、危難の及ぶのを案じたその父は、我が殿に波太郎親子を匿うよう頼まれ、我が藩で預かる事となった。殿は某に波太郎殿とその母の、藤絵殿を託された。某が波太郎殿を、しかるべき役職に就いて戴くと言ったが、藤絵殿は硬く辞退され、目立たぬ足軽を望まれ、住まいも足軽屋敷を望まれた」。。
そこまで話した神崎は、遠い昔を忍ぶ様にひと息をついた。
「今この事実を知っているのは某ししか居ない。波太郎殿を姫の婿に向かえ、此の藩を継いで貰っても決して恥じない血筋だ。それに理不尽と知っていても、誰も恐れて手の出せなかった重光様を、僅か一人の助っ人で見事に討ち果たし、姫を守って下された。波太郎殿ほど姫の婿として、ふさわしい人は他に居ない。今、お二人に跡目を継いで頂だかなければ、必ず藩は取り潰される」
凛は波太郎の生い立ちを初めて聞いた。藩を見限り、新しい人生を歩もうとしている凛を、引き止めるため神崎が、必死に演じた嘘かも知れない。だがこのとき居合わせた家来一同、誰一人、異を唱える者はいなかった。
「波太郎殿を我が君として、皆で忠誠を誓おう」
神崎は地面に顔が着くほど頭をさげ、皆もそれに従った。
凛の行く末を見届けた又三郎は、複雑だった。喜ばしい事だが、いつの間にか燐の、不思議な魅力に取り付かれていた又三郎は寂しかった。又三郎は静かにその場を離れ様とした。それを見た凛が叫んだ。
「又三郎!この地に残って波太郎を助けなさい!」
「私には板橋で、果さなければ成らぬ定めが有る。それに今、私が斬ったこの者達にも、家族は居る。私はこの地には残れない」
そう呟いて又三郎は去って行った。
(十)一寸の虫の魂
播磨の脇坂家の剣術指南白川半蔵は、眼の不柔な妹の千鶴と二人で暮らしていた。一年前に母が死に、先日、上の妹が嫁いだ。
剣術指南とはゆえ、譜代でない白川家は微禄で、使用人も雇はず、今は小さい頃、熱病で視力を失った末娘の千鶴が、不柔な目で家事を引き継いでいた。
そんな盲目の千鶴を、魚屋の鎌吉が何かと手助けしてくれ、毎朝、千鶴に声をかけ、買い物なども頼まれてくれた。
「千鶴様、今日は鯖が安く手に入り、持って参りましたが」
「戴きます。鎌吉さん、お母様の容態はどうですか」
「はい、暖かくなって来たので少し楽になった様です。鯉が身体に良いと聞いたので、昨日釣りに行きました。二匹釣れたので、一匹は、こちらに持ってきました。これは商売物ではありません、洗いにします食べて下さいますか」
「いいのですか戴いて、兄上は生魚が大好きです」
その夜千鶴は、美味しそうに鯉の洗いを食べる兄の半蔵に、鎌吉が優しくしてくれる事を話した。
「魚屋の鎌吉が、何かと力になってくれているのは知っていたが、鎌吉も男だ。お前の優しさを勘違いするかも知れない」
それを聞いた千鶴は、思い切った様に切りだした。
「兄上はいずれ、嫁を迎えなければなりませぬ。千鶴は目が見えませぬ。こんな千鶴を本気で、想って下さるお方が有れば、そのお方が、千鶴の生涯を捧げる方と思っています」
そう言い切る千鶴に兄の半蔵は、不安は有ったが町人でも、鎌吉の人柄を思うと反対できず、何も言えなかった。
翌日訪れた鎌吉に、千鶴は思い切って言った。
「鎌吉さん、一度お母様を、お見舞いしたいと思っています」
「その様なことをして戴いたら、兄上様に叱られます。母は喜ぶと思いますが」
「兄上には、お許しを戴きます。連れて行って下さい、約束ですよ」
そう言っては見たが千鶴は不安だった。目の見えぬ自分が、鎌吉さんに付き纏っていれば、鎌吉さんのお母様は、どう思われるだろう。
「本当に来て下さるのですか、汚い所ですが母が喜びます」
そう言って鎌吉は、明日迎えに来ます、と言って喜んで帰って行った。その夜千鶴は、兄の半蔵に鎌吉の母を見舞いたいと話した。たとえ叱られても。何度もお願いしようと思っていた。、
「これを着てもらってくれ、お前には地味すぎる」
そう言って母が残して逝った着物を、持って行くよう勧めてくれた。次の日、迎えに来た鎌吉に手を引かれた千鶴は、久ぶりに城下に出た。鎌吉は姫の手を引く下男の様に腰をひき、丁重に千鶴を支えた。盲目の美しい武家娘と、鎌吉の取り合わせは不自然で、行き交う人は皆振り返ったが、鎌吉は夢心地だった。。
鎌吉の母のお葉は、武家の娘が見舞いに来てくれると聞き、朝から落ち着かなかった。見舞いに来てくれるという事は、鎌吉に気が?、まさか武家のお姫様が、そんなはずは?、いや目が不柔と聞いている。無い話ではない。と思うと、今度は目の見えない嫁を貰らえば、鎌吉は苦労するのではと心配になってきた。だが考えてみれば、こちらよりも向こう様が、この様な貧乏に、目の見えない娘を?、苦労するのが解っていてなぜ?、それとも顔や体の形が、ずいぶん悪いのか、気が気で無かったが、鎌吉も三十を超えている、贅沢も言っていられない。その時、入り口で鎌吉の声がした。
「お母さん、来てもらったぞ」
母のお葉は、もういちど鏡にむかい髪を直した。千鶴が何も見えない事も忘れて。
病の身を起こし出迎えたお葉は、鎌吉の斜め後ろに立つ千鶴を見た。そこには場違いなほど清楚で美しい、武家娘が立っていた。
まさに、掃き溜めに舞い降りた鶴とは、この事をい言うのだろう。
「白川千鶴と申します。ご気分は如何ですか」
「よく来て下された。今日はとても気分がよい」
母のお葉は、自分の品の無い顔を見られるのが恥ずかしかったが、千鶴の目が見えぬのを思い出し、ほっとした時、
「お母様、千鶴にはお母様のお顔が見えませぬ、失礼とは思いますが、お顔に触らせて戴いてよろしいでしょうか」
突然でお葉は驚いた。顔を見られずに助かったと思った矢先だった。千鶴の柔らかく暖かい、手のぬくもりを感じ、なんとも言い様のない幸福感が伝わってきた。
翌日、千鶴の家を訪れた鎌吉が見舞いの礼を言った。
「見舞って戴いて母さんは、急に元気になった様に思います」
「本当ですか、それなら又、連れて行って下さい」
「でも、もう来ない方が、・・・母さんが勘違いします」
「お母様は何んと勘違いなされたのです。話して下さい」
「話したら恥ずかしく、お伺い出来なくなります」
「お話しなさい。千鶴は鎌吉さんに、何でも相談してきました」
「笑はないで下さい。母さんは・・一度見舞いに来て戴いただけの千鶴様が、私の嫁に来てくれる気が有るのだと、勘違いして喜んでいるのです。私が千鶴様は優しいから、心配して来て下されたと、なんど言っても解ってくれません」
「一度お会いしただけですが私は、お母様に気に入って戴いたと思いました。お母様は、感違されたのでは有りませぬ。鎌吉さんは、目の見えぬ私など迎えれば、生涯、苦労すると思っているのでしょう。鎌吉さんの優しさを、感違したのは私です。私が可哀想うだとは、思って下さらないのですか」
千鶴にも鎌吉が、自分に想いを寄せてくれているのは解っていたが、少し拗ねて見せた。鎌吉は夢を見ているのではと思った。




